十章 露呈された歪み 四話
四、過去と未来
風蘭から寝耳に水な決定事項を聞くのは、連翹にとって二度目だった。
ただし、今回の方が、前回よりも事態は急を要した。
「・・・・・・な、なんですって?!」
「だから、明日にでもすぐに冬星州へ発つんだよ。もちろん、護衛として連翹にも来てもらえるから、さっさと用意しておいてくれ」
朝議から帰ってくるなり、風蘭は連翹に「明日の朝にでもすぐに冬星州へ出発するぞ」と言い放ったのだ。
あまりにも突然の展開に、さすがの連翹も目が点である。
その後ろからやっと執務室に入室してきた木蓮が、ばたばたと執務室を片づける風蘭の様子に苦笑を洩らした。
「・・・・・・木蓮殿、これは一体・・・・・・?」
「朝議の席で、北山羊所長が提案してくださったのです。しばらく風蘭が玉座を不在することになってもいいかって」
「それは紫苑姫のことを話して・・・・・・?」
少し焦りの色を滲ませた連翹に、木蓮は即座に首を横に振った。
「いいえ、今回は理由は話しませんでした」
「今回は・・・・・・?」
「無事にまた帰って来た時に事情を話す、ということになったのです」
苦笑の笑みを崩さぬまま木蓮がそう言うと、不思議そうに連翹は慌ただしく走り回る風蘭を見た。
「それで・・・・・・そんな言い分で、王が玉座を空けることが許されたのですか・・・?」
「いいえ、当然許されません。ですから、華鬘さまには早々にこちらにお戻りいただくことと、華鬘さまがいらっしゃるまでの間は、僕が朝議を取り仕切ることになりました」
「木蓮殿が?!」
連翹にしては珍しく、非常に驚いた様子で木蓮を凝視する。
「僕では役不足なのはわかっているんですけど・・・・・・」
「い、いえ、失礼しました。そういうことでは・・・・・・」
「でも、式部長官や何人かの星官の方々など、高官の中にはそれに賛同してくださる方がいて。なにより、北山羊所長が、風蘭が玉座を空けやすいようにみなさんに話をしてくださったんですよ」
「北山羊所長が・・・・・・?」
そのとき、ちょうど執務室の扉を叩く音が響いた。
「神祇所所長、北山羊 柊です」
「柊殿?!・・・・・・連翹」
「御意」
柊の突然の訪問に一瞬驚いた様子の風蘭だったが、入室を促すように連翹に目配せした。
連翹としてみても、柊の真意をきいてみたい気がしたので、風蘭に従い彼女を執務室に誘導した。
風蘭は柊を確認するなり、彼女が礼を施すより先に破顔した。
「先程はありがとうございました、柊殿。あなたの機転で、心置きなく旅立つことができます」
「・・・・・・いいえ、私ができることなどこれくらいしかございません。・・・・・・我が一族が、風蘭陛下にしていることを思えば・・・・・・」
「柊殿はすべてをご存知で・・・・・・?」
愚問かもしれなかったが、声の沈んだ柊に思わず風蘭は尋ねていた。
柊は力のない笑みで首を振った。肯定とも否定ともつかぬ反応だった。
「直接、一族の者から知らせがあったわけではございません。ですが、水鏡で白露山で何が起こっているのかは・・・・・・」
「わかるのですか?!白露山で紫苑がどうなっているかも?!」
はっと風蘭が顔を上げる。
しかし、柊は厳しい視線で風蘭を見返した。
「私たちの能力を頼られますか?私たちの異能の力を」
「そ、それは・・・・・・」
ぐっと詰まる風蘭の様子に、連翹は眉をしかめる。
風蘭は史学が苦手だ。
北山羊一族との事件のことも、詳しいことは知らないはずだ。
だが、柊の一言で全てを察したその様子は、『全て』を知っているように見える。
誰かが、風蘭に教えたということか・・・・・・。
「・・・俺は、あなたがたの能力を疑ってなどいません。・・・けれど、今はあなたがたに頼るべきではないことはわかっています」
「・・・・・・さすが風蘭さま。どうか無礼をお許しください。あなたを責めるつもりはないのです。それでは今の当主と同じことになりますからね」
そう言ってから、柊はさらに彼に問いかけた。
「風蘭さま、あなたは『真実』と『過去』をお知りになったのでしょう?」
柊にまっすぐ見つめられ、風蘭は居心地悪そうに身悶えしたが、やがて小さく息を吐いて頷いた。
「・・・・・・あぁ」
その風蘭の答えに、連翹も木蓮も静かに驚いた。
だが、風蘭も柊もそれには気付かない。彼女はさらに言った。
「・・・・・・今の私にできることはごくわずかです。今はまだ、あなたのために予見することも敵いません。・・・・・・ですが、白露山のことについて、詳しくお話しすることはできます」
「充分です、柊殿。・・・・・・連翹、椿を呼んできてくれ」
「・・・・・・御意」
柊と風蘭のふたりのことが気になったが、彼は素直に従い、椿を呼びに執務室を出た。
その後、椿を加えて、柊から白露山の山道の道順、北山羊一族当主が住んでいるという『神殿』のおおまかな内部構造を聞いた。
彼女の中では、一族が巻き起こしている数々の事件の発端に、責任を感じているのかもしれない、と連翹は漠然と感じた。
北山羊一族が受けたその仕打ちを今もなお記憶しているのは、すでに老いた者たちだけだ。
柊のように若い世代には、伝えられた『歴史』となっている。
それでも、26代国王のしたことに対し、反発する者たちは今もなお、王族に恨みを持ち白露山に籠っている。
例え、自分たちが経験したわけでもなくても、伝えられてきた『歴史』によって植えつけられる意識がある。
その意識を変えるには、まずは自分自身が変わる必要があるのだ。
・・・・・・連翹も、また。
一通りの話を終えると、柊は最後にじっと風蘭を見つめた。
「柊殿?」
「・・・・・・風蘭さまは明日にでもここを出立されるのですよね?」
「えぇ、そうですけど・・・・・・」
「どうか、紫苑姫をお救いください・・・・・・。そして、できたらどうか、我が一族も・・・・・・」
「・・・・・・もちろんです。そのために、白露山に行くのですから」
しっかりと強く頷く風蘭と、その傍らでは椿も同じように頷いている。
「・・・・・・すべてに決着がつき、また水陽に戻って来た時に、柊殿にお願いがあるのです」
「私に?」
「どうか、これから先、俺の力になってほしいのです。その柊殿の能力と経験のすべてを、貸していただきたい」
王として、風蘭として、彼は柊に頭を下げる。
決して北山羊一族を蔑にするつもりはないのだと示すかのように。
「・・・・・・はい、風蘭陛下」
やっと柊も柔らかく微笑んで頷く。
「どうか、道中お気をつけて。ご無事の帰州をお待ち申し上げております」
それが、出立前の風蘭と渦中の北山羊一族の官吏との対談だった。
柊が退室した後、連翹は許可をもらって風蘭のもとから離れた。
明日、風蘭と共に冬星州へ発つ前に、どうしても会わなければならない人物がいた。
それは、かつての主である桔梗ではない。
桔梗との話は、あのとき・・・・・・後宮を火攻めにしたときにすべて終わったようなものだ。
桔梗は連翹に対し、彼を助け出し、ここへ連れてきたことに少なからず罪悪感を覚えている。
そして、連翹もまた、彼の胸の内を知っていながらもなお、風蘭のもとに自分を置いてくれた桔梗に恩を感じると共に、最後まで見届けてほしいという思いがあった。
それは、桔梗の期待を裏切るものになるかもしれないが。
だから、連翹はこれ以上桔梗と話すことはなかった。
冬星州へ行くことも、北山羊一族と関わることも、桔梗が知ったところで彼女にはどうすることもできないのだから。
連翹が会わなければならない人物は桔梗ではない。
もっと、連翹の思考に近い人物。
罪深く、王族を試し続けている人物。
だからもう一度、彼は『そこ』に足を踏み入れようと思ったのだ。
史学を学ぶことをすっぽかした風蘭が、北山羊一族のことについて詳しく知っているのは不自然。
誰か、彼にそれを教えた者がいるのだ。
では、誰が。
昨日、ふらりと姿を消した風蘭が、北山羊一族の話を聞きに足を運んだ、その場所は、その人物は。
・・・・・・たったひとりしか浮かばない。
「・・・・・・いつしかと反対の立ち位置になりましたな」
その人物は笑った。
彼の笑い声だけがその場に響く。
「・・・蠍隼 蘇芳殿、お答えいただきたい。昨日、風蘭陛下とお会いになられましたね?」
蘇芳を閉じ込めるその牢よりも冷たい声で、連翹は彼に問う。
蘇芳は、牢の中にいても余裕を失うことなく、執政官の頃と同じ狡猾な笑みで連翹を見上げていた。
「えぇ、お会いしましたとも」
「北山羊一族の話を、しましたね?」
「風蘭王がお尋ねになられたことですからね。王の要望にお応えするのは、臣下の務めです」
「随分と立派な心がけですね」
眉ひとつ表情を動かすことなく連翹は返し、蘇芳もまた、能面のように嫌味な笑顔を張り付けたままだ。
「何か、北山羊一族との話以外もお話しされたのではありませんか?」
連翹の冷たい視線を受けながらも、蘇芳は平然と笑って頷いた。
「無論、北山羊一族の恨みは、初代国王牡丹王からのもの。北山羊一族は王族に裏切られ続け、我々もまた王族に振り回され続けてきた。よりよい国を目指し、国の安寧を願い、星華国は建国されたはずだというのに、その創国者があっさりと貴族と民の期待を裏切ったのだ。そうだろう?」
淡々とした口調の中に滲み出る激しい憎悪。
それでもなお、連翹は表情を動かすことなく蘇芳を見下ろした。
「口が過ぎますよ、蘇芳殿。あなたは本来死罪であるところを、風蘭さまの慈悲で生きながらえている身。王族の侮辱など口にできる立場ではないはずです」
「これはこれは、高尚なお考えですな、連翹殿。あなたこそ、王族への恨みが深いものであるでしょうに」
含みのあるその言い方に、連翹がじっと蘇芳を見下ろす。
蘇芳の声だけが、妙に牢の中で響き渡った。
「・・・・・・どういう意味ですか?」
牢に響くこともない、小さく静かな連翹の問いかけに、蘇芳は不敵な笑みを崩すことはなかった。
「あなたがこの牢に投獄されたとき、あなたを調べましたよ。それはもう、苦労しましたとも。芙蓉陛下も桔梗さまも巧妙にあなたの素姓をお隠しになられていましたからね」
勝ち誇ったように告げる蘇芳に、連翹はただ黙って見つめ返すだけ。
そこには驚きの表情も見られなかった。
「『蜂豆 連翹』とはよく考えたものですね。それは、桔梗さまのお考えですか?」
ニヤリと笑う蘇芳に、けれど連翹は何も言わなかった。
それでも構わず、蘇芳は喉の奥で笑い声をたてたあと、彼を見上げ、言った。
「『トウホウ 連翹』。それがあなたの本当の名であったとは、わたしも驚きましたよ」
蘇芳が喋るのをやめれば、牢獄の中に沈黙が降りてくる。
じめじめと湿気のある薄暗いそこに、ぼんやりと浮かび上がっているのは蘇芳と連翹の顔だけ。
そして、空気よりも重い沈黙だけ。
やがて、この沈黙を破ったのは、それまで一言も発せず蘇芳の話を聞いていた連翹の方だった。
「わたしの名は、『ホウトウ 連翹』です。それ以外の何者でもありません」
連翹のその答えに、蘇芳は嫌味な笑みをさらに深くする。
「ほう?それで、風蘭王とあなたが日替わりにここを訪れてくださるのは、なにか北山羊一族がらみでありましたかな?」
「答える必要はありません。・・・・・・それよりも」
ここへ来てから微動だにしなかった連翹が、突然機敏に動き、蘇芳の襟を捕まえて持ちあげた。
首を締めあげるように持ちあげ、苦しみに顔を歪める蘇芳に、連翹は恐ろしいほど静かに警告した。
「あなたは永久に牢獄から出ることなどない罪人。こちらを詮索する必要など、ない。そしてよく覚えておかれるといい。この国の王として選ばれたのは、獅姓を名乗ることができる一族のみ。他の者がとって変わることなどできはしない。・・・・・・無論、あなたも」
それだけ言い捨てると、連翹は蘇芳から手を離す。
地面に叩きつけられた蘇芳は、それでも歪んだ笑みを崩すことなく、連翹になおも言った。
「わたしが玉座を望んでいるとお思いか?まさか、そんなことは思ってもいない。だが、この国の滅亡は願った。この国は獅一族のもの。ならば、もう一度戦乱の世を招けば、支配者は変わると」
「・・・・・・そんなことは決してさせない。なることは、ない」
きっぱりと否定した連翹に、蘇芳はすっと笑みを消し、彼を見上げた。
「・・・・・前民部長官が死んだあの日、もしも彼が自殺していなければ、どうするつもりだったのだ?なぜ、あなたは長官室にいたのだ?その前々から長官の動きを嗅ぎまわっていたのは、風蘭王の命令ではないのだろう?」
蘇芳の問いかけに、今度は連翹が小さく笑みを漏らす。
冷たく、皮肉気な笑みを。
「民部長官が自殺していなければ、わたしがこの手で殺めるつもりでいたのではないか・・・・・・というのですか?」
蘇芳の返答はない。
沈黙が肯定だ。
連翹は踵を返すと、蘇芳に背を向け歩き始める。
数歩歩いたところで、首だけ振り返り、静かに言い捨てた。
「風蘭さまを王とするために、彼が邪魔であったことは認めましょう。わたしは、わたしの理想の邪魔をする者は、どんな手を使っても排除する覚悟です」
そうして歩き去っていく連翹の背に、蘇芳の狂った笑いが聞こえてくる。
「その歪んだ忠誠があなたの願いということか、トウホウ 連翹!!」
連翹が去ってもなお、蘇芳の笑い声は大獄の中に響き渡っていた。