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十章 露呈された歪み 二話










二、義務と権利











彼にとってささいな巡り合わせであったとしても、彼女にとっては大きな出会いだった。


そしてそれは、この国にとっても、大きく歯車が動いた瞬間だったのだ。



彼と話せば話すほど、彼を知れば知るほど、彼に惹かれていく自分を、彼女は自覚し始めていた。


けれど、彼女には義務があった。果たすべき、大切な義務が。


自らの個人的な思いひとつなど、全くの問題外だったのだ。



それでも、そんな息苦しい場を抜け出すように、ちゃんとした呼吸を思い出しに行くかのように、彼女は彼のもとを訪ねた。


もちろん、ひとりではなく、いつも行動を共にしている、友人のように大切な存在である侍女と共に。



侍女も気付いていた。


彼女が彼に惹かれていることを。


彼の生き方を尊敬していることを。


彼女が、自らの想いと義務に挟まれて苦しんでいることを。


だから、彼女が一番彼女らしくいられる寝所で、寝支度を整えながら侍女は彼女に問い掛けた。



「ねぇ?恋をしているんでしょう?」




直接顔を見ることなく軽い口調で尋ねたのだが、思いの外、威力はあったらしい。


ガタガタガチャンッと何かが崩れ落ち、割れる音が背中から聞こえた。振り向いて見てみると、水差しを豪快に床にぶちまけ、呆然とこちらを見ている彼女の姿があった。


彼女が呆然としているのは、水差しを割ってしまったからではもちろんない。


友人のように親しい仲である侍女が、思いもよらぬことを口にしたからだ。


しかも、図星。


「なっなっなっなっ・・・・・・・・・」


「あ~あ、何やってるのよ、水差しを割っちゃって・・・・・・。ほら、危ないからそっちに座って」


パクパクと口を開閉させながら顔を真っ赤にして立つ彼女に、侍女はてきぱきと指示を与える。どちらが主君だかわからない。


おとなしく侍女の言葉に従う彼女に、侍女は苦笑にも似た笑みを浮かべる。


こんな彼女を見たことがない。


いつもしっかりと前を見据え、俯くことも狼狽えることもなかったから。


こんなにオロオロと視線をさ迷わせておとなしく座っている彼女は、まるで別人のようだった。


恋とは、こうも人を変えるものだろうか。



「・・・・・・恋の相手は・・・・・・ひとりしかいないわね。あの道寺で子供たちの面倒をみていた男ね?」


「え、な、どう・・・・・・」


慌てふためく彼女の反応に、侍女は苦笑半分、呆れ半分で教えてやる。


「あたしもあなたと一緒に町におりているのだから、あなたが誰と会ってるかは承知の上よ?」


「あ・・・・・・そう・・・・・・そう・・・ね・・・・・・」


慌てる彼女は、すっかりいつもと違う口調で話をしていることに自分で気づいていないようだ。


だが、浮かれてばかりもいられない。


現実は、もっと厳しいものに直面しなければならないのだ。


そしてそれを問うことができるのは、彼女のすべてを見てきた、侍女だけだった。



「・・・・・・恋をするのは悪いことではないわ。だけど、あなたは女であり、この国の王でもある。玉座に座りながら女であることを貫き続けるのは、覚悟が必要よ、牡丹」




寝台の上に座り込んだ牡丹が、膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめる。


牡丹の侍女である百合の言葉は、まさに牡丹が悩み続けている事柄だった。


表情が硬く強張った彼女に、百合は努めて優しく、子供に言い聞かすかのように柔らかな口調で牡丹に言った。


「牡丹には、ひとりの女性として恋をする権利も、幸せになる権利もあるわ。それを責めるような者はいない。けれど・・・・・・」


「・・・・・・わたしには、この国の王としての責務がある」


すっかり『牡丹』から『王』の表情と口調になってしまった牡丹に、百合は内心ため息を吐く。


「・・・・・・えぇ、そうね。・・・・・・それに、あなたが想いを寄せるあの男・・・・・・『道主』と呼ばれていた彼は、貴族でもない平民。朝廷に呼び寄せることもできないわ」


「・・・・・・わかってる。それに、彼がわたしをどう思っているかは・・・わからないし・・・・・・」


「でも、そばにいたいのでしょう?」


百合にそう問われ、牡丹はそれを否定することはできなかった。



会いたい、傍にいたい。


それはもう、牡丹にとって隠しようのない事実だった。


そうでなければ、たった一月で、6度も町を訪れたりはしないだろう。



戦によって家族を失った孤児たちを集め、道寺でその子達の面倒を見ている、『道主さま』。


恨みや憎しみを抱くのではなく、感謝と希望の思いを忘れることなかれと説く彼は、牡丹とさほど歳が変わらないように見えた。


初めて彼と出会ったとき、顔色を失っていた牡丹を案じて、彼はあれこれと世話を焼いてくれた。


牡丹が星華国の王だと知ってか知らずか、彼は子供たちにするように、優しく甲斐甲斐しく牡丹を労り包んでくれた。


誰にでも等しく安息の場を与えるように、彼は牡丹に安らぎを与えた。


戦争孤児を養護する道寺と、それを支える道主なる存在に、初めは強い衝撃を受けた。



だから、2回目に彼を訪れたのは、その道寺の機能性を知るためでもあった。


今回の戦で、孤児は国中に散らばり溢れている。


未来を支える子供たちを保護する施設、機能については牡丹も気にかけていたことだったのだ。


実際に私財を投じてそれを行っている彼に、始めは牡丹は好奇心と尊敬の意を込めて近づいていったのだ。


そんなときはいつだって、傍に百合が護衛としてついてきていた。


だから、牡丹が段々と彼に惹かれているのが百合にはわかったかもしれない。



やがて、牡丹も自らの気持ちの変化を自覚するようになる。


抱いたことのない感情に、戸惑いすら覚えた。


けれど、どんな牡丹でも、彼は優しく彼女を迎えてくれた。




「彼は、元々は春星州の出身なのだと話してくれた。度重なる戦のせいで水陽にいたが、いずれは春星州で、孤児を養護する道寺を設けたいと・・・・・・話してくれた・・・・・・」


牡丹は、膝の上に乗せた自分の拳をじっと見下ろしながら、まるで独り言のように呟く。


百合はただ、黙って牡丹の話に耳を傾けていた。


「彼の話を聞いて・・・・・・うれしかった・・・・・・。彼が、夢を語ってくれたことも・・・・・・、孤児を養いたいという思いも・・・・・・」


その話を聞いたとき、思わず牡丹は言っていた。


「それはとても素敵な考えだ。わたしも力になれたらいいのに」と。


それは、『王』としてか、『牡丹』としてか、その時の牡丹にはわからなかった。ただ、口をついて出てしまったのだ。


頭で考えるより先に、気持ちが。


自分の発言に、むしろ牡丹自身が驚いていると、そんな彼女に彼は変わらず優しく微笑んだ。


「ぜひ、僕の力になっていただければ幸いです」


彼のその返事は、胸をきゅっと締め付けた。


彼は、知っているのだろうか。牡丹がこの国の王であることを。


この戦争孤児を生み出してしまった原因の大きな戦に、牡丹が先導切って関わっていたこと。


平民の中で、王の顔を知る者は少ない。だから、牡丹が名乗らない限り、彼が牡丹が王であることを知らなくとも、不思議ではない。


けれど、牡丹は感じていた。きっと、彼は知っている。


そして、牡丹が明かしても、変わらず微笑んでくれるに違いない。


彼は彼女をありのまま受け入れてくれる。


そう確信していた。


だからこそ、彼の手助けをしたいと思ったのだ。


彼の傍で。


けれど・・・・・・・・・。




「・・・・・・わたしは、この国の王だ。戦を起こし、国を統一することを決めたとき、『獅 牡丹』として生きることはやめたのだ。・・・・・・だから、いつまでも、彼の傍にいることはできない・・・・・・。彼の夢を、傍で助けることは・・・・・・」


「・・・・・・ねぇ、牡丹」


膝の上でぎゅっと握りしめたままの牡丹の手を、百合が優しく両手で包みこみながら、彼女の名を呼んだ。


優しく、柔らかく、主従としてではなく、誰よりも最も近い友人として。



「牡丹、あなたがあなたの幸せを諦める必要はないのよ。あなたはこの国のみんなのために戦った。たくさんの悲劇を目にしながらも、わずかな希望を集めて、こうして平和の世を導いてくれた。そんなあなたが、幸せになることを誰も咎めたりはしないわ。・・・・・・ううん、そんな奴がいたら、あたしが許さない」


「・・・・・・百合・・・・・・」


「・・・・・・あなたがどんな結論を出しても、あたしは最後まであなたの味方よ、牡丹」


「・・・それ・・・・・・って・・・・・・」


「もしもあなたが王という地位を振り捨てることになっても構わない、と言っているのよ」


寂しそうに、けれどしっかりとした態度で言い切った百合に、牡丹は絶句してしまう。



王という立場を捨てる。


玉座を退く。


まだ、始まったばかりの星華国を捨てて、好きになった男のもとへ・・・・・・?


そんな無責任なこと、許されるのだろうか・・・・・・。


この国で暮らす人々みんなに幸せと平和を与えたい。その願いを見届けることなく、自分が幸せになろうとしていいものだろうか。


それは、この国を創った者として、戦を起こして人々を巻き込んだ者として、無責任なことになりはしないか・・・・・・?


王としての義務を、放棄することにならないのだろうか・・・・・・。




「牡丹が何を考えているのか、だいたいわかるわ。そしてたぶん、その迷いは正しいものなんだと思う」


百合はただ静かに、迷い戸惑う牡丹に言う。寂しそうに。


けれど、何かを訴えるように。


「でも、牡丹は十分に責任は果たした。みんなのために身も心も削って、何もかもを我慢して、牡丹はがんばったじゃない。・・・・・・もう、いいよ。牡丹は牡丹の幸せのためだけに生きていいのよ」


「・・・・・・百合・・・・・・」


「牡丹が背負っているもの、あたしと葵に託していいのよ。誰も、あなたを責めたりしない・・・・・・させない・・・・・・」



自分でもわからないうちに、涙が、牡丹の頬を伝った。


悲しいのかうれしいのか、わからない。


どうして涙が出るのかさえ、わからないのだから。


ぽたぽたと流れ落ちる涙を拭うこともない牡丹を、百合はそっと抱き締める。


何も言わず、ただ、寄り添うように。その温もりと優しさに、また涙が流れる。


目を閉じる牡丹の耳元で、最後に百合は言った。



「・・・・・・ゆっくり、考えてみて。あたしが、どんなことでも聞くから」


その言葉通り、百合は牡丹が決断するまで、辛抱強く彼女の話を聞き続けてくれた。


迷い続ける彼女の幸せを願って。




そしてやがて、牡丹はその結論を、朝廷で伝えることになる。



















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