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九章 擦れ違う想い 十話








十、立場の変化












黒灰の告白は、木蓮に大きな衝撃を与えた。


貴族が抱える誇りと妬み、その重み。


木蓮だって、兄たちを羨まなかったときはないわけじゃない。


けれど、兄たちを陥れたいと思ったことはない。


木蓮が衝撃を受けているその傍らでは、風蘭はある程度目星がついていたのか、黒灰の告白に対しても、ただ淡々とした態度でそれを聞いていた。


その後、実直な彼がどんな思いを抱いたのか、木蓮はまだ彼に尋ねてはいなかった。



貴族としての誇り。


州を救いたいという、州主としての責任。


追い詰められていく柘植を、黒灰はそばで見ていられなかったのだろう。


木蓮だって、もしも風蘭がそんな状態になれば、何があっても助けたいと思うだろうし、逆もそうだろう。



貴族としての誇りと驕り。


それが、前民部長官を死に追いやったのだ。


そして、これが風蘭と木蓮が越えていかなければならない課題のひとつでもある。



今、春星州にいる華鬘はこれは知っていたのだろうか。


もしも知らなかったとして、この事実を知ったら、彼はどうしただろうか。


けれど、木蓮はあえて文を出してまで華鬘にこれを知らせようとは思わなかった。直接話して、その反応を見たいと思っていた。



そうして木蓮がぐるぐると晴れぬ思いを抱いている最中、さらなる嵐が風蘭と木蓮のもとに飛び込んできた。



「風蘭さま、椿さんがいらしていますが、お通ししてよろしいですか?」



黒灰の告白を聞いた後も、全く態度が変わらない人物のひとり、連翹が風蘭に尋ねた。


連翹に至っては、前民部長官の殺害の嫌疑をかけられて大獄に投獄すらされたのに、黒灰にも風蘭にも何も言うことなく、態度に出すこともなかった。


風蘭と同じように、ただ淡々と日々の業務をこなしていた。


その連翹が風蘭にかけた問いは、さすがに木蓮だけでなく風蘭も瞠目した様子だった。




「・・・・・・は?椿・・・・・・?」


「はい、椿さんです」


「・・・・・・何かの間違えじゃないか?椿は今、冬星州にいるはずだし・・・・・・」


「その冬星州から、何やら緊急の用件でいらしたようで・・・・・・」


「あぁもう、待っていられない!!何をもたもたしているのよ、風蘭!!」



突然扉が開いたかと思うと、連翹を押しのけるようにして、小柄な娘が姿を現した。


風蘭と木蓮、ふたりがどう見ても、その娘は椿だった。


何やら焦った様子で風蘭の机まで早歩きで近づいてくる。



「大変なことになったわ、風蘭。あたしの監督不届きというのもあるから、あまり大声でも言えないけど・・・・・・」


「久しぶりの挨拶もないとは、随分と急いでいるんだな?」


今着いたばかりなのか、肩で息をしたままの彼女に、風蘭は場を和ますためにも軽い口調でそう言った。


しかし、彼女は一向に耳を貸さずに、風蘭にまくしたてた。


「悠長にそんな会話をしている場合じゃないのよ。大変なことになったの!!」


「大変なこと?そういえば椿、簡単に『雅炭楼』を抜け出してよかったのか?紫苑たちは元気にやってるか?」


「その紫苑に、大変なことが起こったのよ!!」


もどかしそうに椿は叫ぶが、内容が内容だけに、その声は抑えられている。


だが、この場にいる全員を黙らせ、その緊迫した状況を伝えるには充分だった。




「・・・・・・紫苑の身に、何かあったのか・・・・・・?」


「椿さんが自らわざわざ『雅炭楼』を離れてこちらにいらした。ということは、文では書けない重大な何か・・・・・・ということまではわたしも想像ができましたが・・・・・・」


連翹が沈黙をそっと破るように呟くと、風蘭が拗ねたように軽く連翹を睨みつけた。


「どうせその緊急性に気付けなかったよ。わざわざ言わなくたっていいだろう」


「これは失礼いたしました」


にこりと笑む連翹をちらりと見てから、椿は風蘭に視線を戻した。


そして、一拍置いてから彼女は告げた。


その、ただならぬ事態の報告を。



「紫苑が、北山羊一族に攫われたわ」



さっと空気が変わる。


誰もが一瞬、息を飲んだ。


「・・・・・・北山羊・・・・・・一族に・・・・・・」


茫然と風蘭が呟くのを木蓮はただ聞いていた。



風蘭がまだ冬星州にいた頃、彼の命を狙ってきたことのある一族。


その襲撃により、先代『黒花』である石榴が死んだという悲しい事件もまだ記憶に新しい。


その後も、風蘭が秋星州に逃げ込むまで、北山羊一族は彼を襲撃し続けたとも聞いている。



そして、黒灰からの告白。


前民部長官の財政の不正を促し、自害するための毒薬まで渡した、影の策略家。


これもまた、北山羊一族の仕業。



王族を恨み、朝廷を嫌い、白露山に籠ったままの一族。


その北山羊一族が、王族である風蘭ではなく、すでに王妃としての地位さえもなくした紫苑を連れ去った。


長い間息をひそめ、その存在すら消していた北山羊一族が、突然活動的になり、牙を剥くようになった。


それは、一体どういうことなのだろう。


・・・・・・まさか、風蘭を追い詰めようとしているというのだろうか・・・・・・。



「彼らが言うのは、風蘭が白露山に紫苑を迎えに来ない限り、紫苑を返すつもりはないと言ったらしいわ」


「らしい・・・・・・?」


「そのとき、紫苑の護衛についたいたのが逸初さんだったのよ。・・・・・・あの逸初さんさえも凌いで紫苑を連れ去っていったその力・・・・・・。よくはわからないけど、ただものじゃないことは確かだわ・・・・・・」


唇を噛みしめながら、椿は気持ちを抑えるようにそう言った。


紫苑は、風蘭を呼び出すための人質となった、ということらしい。



「・・・・・・俺が、白露山へ行けば、紫苑を解放してくれるということなんだな」


怒りを滲ませながら、風蘭は一言一言を噛みしめるように確認する。


「・・・・・・白露山へ行くつもりなの、風蘭?!」


「当たり前でしょ、木蓮。大事な紫苑の身柄がかかっているのよ?!ね、風蘭?!」


木蓮の問いかけに風蘭が答えるよりも早く椿が口を挟んできたが、風蘭はじっと机の上の書類を睨みつけたまま何も言わない。


難しい表情をつくって、ただじっと何かを堪えるように俯いている。



「風蘭?!白露山へ行かないつもり?!紫苑がどうなってもいいの?!」


責める椿に対し、答えたのは風蘭ではなくその傍にいた連翹だった。


「椿さん、風蘭さまは以前とは立場が異なるのです。簡単に身動きがとれるような立場ではない。まして、今は王として即位したばかり。改革案を次々と発案している最中、いつ帰るともしれない冬星州へ遠征に向かうのは難しいことで・・・」


「じゃぁ、紫苑を見殺しにするっていうの?!そのまま捕えられたままでいいと?!」


連翹に噛付くように叫ぶ椿に、けれど風蘭は何も言わない。




確かに、すぐに返答などできるわけがない。


風蘭はもう、一国の王なのだ。


玉座に座り、諸官たちと改国案を練らなければならない。


たったひとりの姫君のために動くことなどできない。


国を動かす要となる王となってしまった、今では。



けれど、風蘭個人としては、今すぐ冬星州へ向かいたいに違いない。


遠く離れていても大切に想っていた紫苑が、よりにもよって北山羊一族に捕えられているのだから。



「・・・・・・少し、時間をくれないか?」


「風蘭?!」


絞り出すように椿に言った風蘭に、彼女は信じられないものを見るかのように彼を見つめる。


「どうして?!待っている時間なんてないのよ?!こうしている間にも紫苑がどうなっているのか・・・・・・」


「でも椿さん」



堪らず、木蓮は口を出してしまう。


風蘭が苦悶の表情を浮かべているから。


その心内の葛藤がわかるから。



「椿さん、連翹さんも言ってたけど、今の風蘭はこの国の王なんだ。だから、思い立ってすぐにこの場を離れるわけにはいかないんだ。軽率な行動を起こせば、高官たちに付けいる隙を与えることになる」


「軽率な行動?!紫苑を助けに冬星州に行くことが、軽率な行動だと言うの?!」


「あ、いや、そうじゃなくて・・・・・・」


「木蓮の言うとおりだよ」


恐ろしいほどの剣幕で木蓮に詰め寄る椿を封じるように言ったのは、椿の怒りの原因でもある、風蘭。


じっと彼女をまっすぐに見つめ、彼はしっかりと言い切った。



「俺は星華国の王だ。簡単には玉座を空ける決断はできない。椿が焦るのはわかる。俺だって本当はすぐに向かいたい。だけど、それじゃぁあまりにも無責任な王じゃないか?椿は、そんな王に仕えるのか?」



彼のその言い分は、的を射ている。


さすがの椿もそれ以上の反論はなかった。


何も言わない代わりに、ただ彼を静かに睨みつける。風蘭もまた、その鋭い視線を真正面からしっかりと受け止めた。


「・・・待ってほしい」


もう一度、風蘭は言う。


すると、今度は椿も反論もすることなく、むしろ怒りの表情すら消してそっと膝をついた。


「・・・・・・それが陛下のご命令ならば、御意のままに」



それは互いの立場に沿ったやり取り。


王として決断に踏み切れないと言う風蘭に、椿は『黒花』として王に従うしかない。


それは、『椿』が『風蘭』に見切りをつけることにならなければいいが・・・・・・。



「連翹、椿の滞在中に使う室に案内してやってくれ」


「御意」


「あ、あの、僕が行きます」


風蘭に指名された連翹が動き出すよりも早く、木蓮は慌ててそこに割り込んだ。


「木蓮?」


「後宮の一番手前の室でいいよね?そこは貴賓室としているんだよね?」


「あ、あぁ、そうだけど・・・・・・」


「じゃぁ、行きましょう、椿さん」


半ば強引に木蓮は風蘭は椿を引き離すと、執務室を飛び出すようにして退室した。



「随分と強引ね。そんなにあたしから風蘭を引き離したかった?追い詰められた風蘭がかわいそうだった?」


回廊でふたりきりになるなり、椿は木蓮を突き放すように嘲笑した。


「そうじゃないけど・・・・・・。でも、風蘭の気持ちもわかってほしかったから・・・・・・。風蘭だってきっと、本当はすぐに紫苑姫を助けに行きたいと思うんだ。・・・・・・だけど、今の立場じゃ・・・・・・」


「風蘭からもさっき、同じことを言われたわよ。いい加減、わかっているわ。あたしだってわかっているけど・・・・・・だけど・・・・・・」


ぐっと拳を握りしめ俯く椿に、木蓮ははっとした。


そうか、椿が一番腹を立て、悔しく思っているのは、風蘭に対してではなく、椿自身なのだ。


紫苑を守るために共に冬星州で暮らしていたのに、みすみすと北山羊一族に囚われた過ち。


それを、椿は一番自分自身に腹を立てているのだ。



「・・・・・・椿さんのせいでもない。これは、王族と北山羊一族の中であった昔の確執が起こしたこと。きっと、紫苑姫は無事だよ。彼らの目的は、風蘭にあるのだから」


「・・・・・・そうね」


諦めたように息を吐きながら、椿はそう返した。


彼女の体から力が抜け、殺気だった空気が和らいだことにより、木蓮もほっと息を吐いた。


すると・・・・・・。


「椿?」


回廊に立ち止まったままのふたりに突然かけられた声。


その声の主を確認し、木蓮はどきりとした。


「どうしてここにいるんだ、椿?冬星州に帰ったんだろう?」


「瓶雪親分!!」


ふたりに声をかけたのは、冬星軍大将、瓶雪 黒灰。


先日の一件があり、木蓮は黒灰と軽く目が合うと気まずく会釈をすることしかできない。


だがその事情を知らない椿は、昔馴染みの黒灰の出現にうれしそうに彼に近づいた。



「なんでわざわざ椿がここにいるんだ?おまえはこの間、帰州したろう?やっぱり寂しくなってこっちに戻ってきたか?」


「ついこの間ってほど最近でもない気がするけど・・・・・・。親分こそ、いつになったら冬星州に帰ってきてくれるの?州主だけじゃぁ、冬星州も心配だわ」


椿の口から出てきた『州主』という単語に、再び木蓮はぴくりと肩を揺らして反応してしまう。


「なぁに、柘植さえいれば、冬星州は大丈夫だよ。冬星軍だってちゃんと我輩がおらずともさぼらぬよう、副将に見張らせているしな」


「・・・・・・州主だけじゃ、だめよ、冬星州は・・・・・・」


「椿?」


豪快に笑いながら答えた黒灰に対し、深刻な表情で呟く椿の様子に、さすがの黒灰も何かを感じて表情を改める。


「何か、冬星州であったのか?だから、おまえがここにいるのか、椿?」


黒灰の問いかけに、椿はどう答えるつもりなのだろうか。


北山羊一族の元へ紫苑を取り戻しに行く時、冬星軍の力を必要とするのならば、黒灰に告げておくのも悪くはない。


ただし、貴族の領域に押入るのに州軍を用いるというのは、仰々しいだけではなく、北山羊一族の貴族としての内乱もしくは、国への反乱ともとられかねない。


だが、容易に州軍を出軍させることはできなくても、黒灰が抱える私軍を戦力として借りるという可能性はまだある。


どちらにせよ、軍事力を必要とするのならば、黒灰に事情を説明しておくのも必要なことなのかもしれない。


ただ・・・・・・。


「たしかに、冬星州でただならぬことは起こったわ。だけど、陛下の許可なくその内容を口外するわけにはいかない。たとえ瓶雪親分・・・・・・いえ、瓶雪将軍だとしても」


「・・・・・・それは『黒花』としての務めだというのだな。そして、事態によっては、軍の力が必要になる、と・・・・・・?」


さすが黒灰はわずかな会話でもその真意を汲み取った。


けれどさらに賢明なことに、椿はそれに応じることはなかった。



「・・・・・・風蘭さまは何と?」


「・・・・・・まだ、時間が欲しいと」


「なるほどな」


そう答えながら、ちらりと黒灰は木蓮に視線を送ってきた。


「風蘭様にお伝え願えるか。いつでも、どのようなことがあろうとも、お力添えをさせていただく、と」


「はい、お伝えします」


木蓮がしっかりと頷いたことを見届けてから、黒灰は今度は椿にも言った。


「椿、おまえもだ。『椿』としてでも、『黒花』としてでも、我輩の力が必要なときはいつでも言えばいい」


「ありがとうございます、瓶雪親分」


まだ緊張の抜けぬ声色のまま、椿はそう返答した。


黒灰は何度か小さく頷いてから、ふたりに背を向け歩き始めた。



黒灰の立ち去る背中を見届けながら、木蓮は考えた。


黒灰の気持ち、柘植の願い。


椿の焦り、そして風蘭の苦悩。


そして、北山羊一族の本当の目的。


入り乱れる様々な人物の思いを想像し、募る不安を吐き出すように、木蓮は小さくため息を吐くのだった。







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