九章 擦れ違う想い 五話
五、新たな期待
風蘭が王として即位して、全てが向かい風なわけではなかった。
風蘭の言うこと為すことにことごとく反対の意を唱える者たちもいたが、改革を起こそうとする風蘭を支持する者たちもいた。
その筆頭者に、長秤一族当主、海桐花がいた。
彼は、風蘭が提示する案に積極的に賛成の意を示した。財政問題も、人事異動も、そして、官吏登用制度も。
海桐花は、秋星州、愁紅の長秤本家の屋敷に仕える霞の願いを叶えてあげたかった。
医官一族である長秤一族に仕える霞の医術の能力は高い。彼女の望みは、貴族も平民も関係なく、平等な医療を受けるようになること。
そして、彼女にはその知識も技術もあった。
なかったのは、地位。
嘆く霞に、海桐花は何もしてやれなかった。
何も約束してやれなかった。
海桐花のそばで、なるべく高度な医療の知識を得られるように計らってやることしか。
そんなとき、風蘭が霞と約束したのだ。
平民であったとしても、医官として・・・・・・官吏として働けるように、いつかしてみせると。
貴族と平民の隔たりをなくしてみせると。
それは、霞にとって強い希望の光となり、海桐花にとっても同様だった。
そして風蘭のその言葉と意識は、霞や海桐花だけでなく、秋星州全体に影響を及ぼしたのだ。
「風蘭陛下に謁見願えますか?」
風蘭の執務室の前で、護衛として立っていた連翹に、海桐花はおずおずと尋ねた。執務室の前に立つ連翹は、一寸の隙もなく姿勢正しくまさに守護神のごとくそこを守っていた。
彼は、平民であるにも関わらず王から『花』を受けた、異例中の異例。
そもそも芙蓉陛下の取り計らいで、平民の身分であるにも関わらずこの朝廷にいることができ、後宮で王族と共に暮らしている。
数奇な運命と言ってしまえばそれまでだが、何とも不思議な存在であることは確かだ。
風蘭が幼いときから護衛していたと聞くから、風蘭が貴族と平民の隔たりに対して必要以上に拘るのは、そういったことも少なからず影響しているのかもしれなかった。
しかもこの連翹という人物、風蘭と椿が海桐花の屋敷にいた頃に、貴族殺害の疑いで大獄に幽閉されていたのだ。
その疑いは晴れたようだが、未だに前民部長官の殺害は誰が関わっていたのかは公にされていない。
長い間特別措置で後宮で暮らし、片や大獄に入獄される経験を持ちながらも、新王風蘭からの信頼厚く『花』を下賜された人物。
何故、平民でありながら、そのような『特別』が続くのか。
連翹は『何者』なのか。
海桐花は彼に対し、いくつもの疑惑を抱いていた。
「・・・・・・風蘭さまとの謁見をご希望ですね。お名前をうかがってもよろしいですか?」
にこりともせずに静かに問われ、海桐花は背筋が寒くなりながらもしっかりと答えた。
「長秤一族当主、長秤 海桐花です」
「長秤一族の方ですか。戦の後では、大変お世話になりました。感謝いたします」
海桐花が長秤一族だと知ると、連翹は礼儀正しく頭を下げた。表情も失礼のない程度に崩れたが、その目は決して笑っていなかった。
「風蘭さまに伺って参ります。お待ちください」
海桐花をひとりその場に残し、連翹は執務室の中に消えてしまった。
特に急ぎの用件というわけでもないのだが、風蘭が王として即位してからゆっくりと話す機会がなかなかなかった。
互いに王と星官という立場と役割がある以上、公の場でそれを崩すわけにはいかない。
けれど、海桐花はどうしても風蘭に報告したいことと、頼みたいことがあった。
「・・・・・・お待たせ致しました。お会いになられるそうです」
連翹が大きく扉を開けて海桐花を促す。執務室に入室する前に、海桐花は連翹に言い加えた。
「もうひとり、あとからこちらに伺う者がおります。その者が来たら、お通し願えますか?」
「その方のお名前をうかがってもよろしいですか?」
規則から一寸もはみ出すことのない礼儀正しい態度で、連翹は海桐花に問う。海桐花はそれに答えてから、風蘭の執務室に入室した。
「海桐花殿!!お久しぶりです」
海桐花の顔を見るなり、風蘭はにこやかに笑いながら招き入れてくれた。傍らには、連翹同様に『花』を下賜された、羊桜 木蓮が控えていた。
だが、もうひとりの王の補佐の姿が見当たらなかった。
「風蘭さま、桃魚星官は今日はご不在ですか?」
「華鬘殿か?あぁ、ずっとこちらで俺の仕事を手伝っていただいていたから、一度春星州へ戻られたよ」
「そうですか。桃魚星官も州主としてのお務めもございますでしょうしね」
何度か頷きながら呟く海桐花に、木蓮が簡単な立礼を示した。
「こうしてお話させていただくのは初めてですよね。改めまして、式部に所属しております、羊桜 木蓮と申します」
「長秤 海桐花です。木蓮殿のお噂は予々聞き及んでおりますよ」
「僕も、海桐花さまのお話はうかがっております」
にこにこと穏やかに挨拶を交わすふたりの姿を、風蘭はぼんやりと眺めてみている。やがて、ふたりの会話が落ち着いた頃合いを見計らって、口を開いた。
「それで海桐花殿。本日はどうされました?」
「あ・・・・・・そうでした、失礼しました」
風蘭に問われて、慌てて海桐花は彼に向き直った。
「報告と、それからお願いしたいことがございまして、参りました」
「・・・・・・お願い?」
「はい。・・・・・・そういえば、木蓮殿は先程式部所属とおっしゃっていましたが・・・・・・元々から式部所属でいらっしゃいましたか?」
唐突かとも思われる海桐花の問いに、木蓮はしばらく躊躇った後に首を横に振った。
「・・・・・・いえ。以前は兵部でした。今回の人事異動で式部所属になりました」
「あぁ、希望者の職務異動の!!やはり、『例の案件』を進めやすくするためにも、式部を希望されたのですか?」
「それは・・・・・・」
「木蓮に式部で働いてほしいと頼んだのは俺ですよ、海桐花殿」
木蓮に質問攻めの海桐花を制するように、風蘭が苦笑しながら答えた。海桐花はその答えに小さく頷き、そして今度は風蘭に尋ねた。
「『花』をお渡しになるほど信頼されている木蓮殿を式部へ。それはやはり、民の官吏登用制度を早急に実現に向けるため・・・・・・ですか?」
「それも理由のひとつです」
「風蘭?!」
あっさりと認めた風蘭に、弾かれたように慌てて木蓮が止めようとした。だが、風蘭は自信に満ちた笑みで首を軽く振った。
「大丈夫だよ、木蓮。海桐花殿は官吏登用制度に賛同してくれている、数少ない理解者のひとりなんだ」
「あ・・・・・・そう・・・なんですか・・・・・・」
ふっと力の抜けた木蓮に、今度は海桐花が苦笑してしまう。
そして、木蓮に向かって小さく頭を下げた。
「申し訳ありません、官吏登用制度はとても繊細な案件で、慎重に進めなければならないものなのですよね?!色々と突然うかがってしまい、ご心配をおかけいたしました」
「あ、いえ、そんな・・・・・・」
「ですが、安堵致しました。官吏登用制度への情熱がまだ、失われていなくて。最近、朝議ではあまり話題にのぼらなくなりましたからね」
「法部の立案にみんなが関心を寄せていますよね」
海桐花の言葉に木蓮も頷く。
「確かに刑部長官が言うように、秩序を正すためにも立法し、それを統括する部署も必要となるのかもしれない・・・・・・。けれど、それが官吏登用制度を導入するのに必要条件ではないと思うんだ」
持っていた筆を振り回しながら、風蘭はそうふたりに言う。木蓮は少し呆れたように、肩を竦めて海桐花に小さな声で言った。
「せっかく違う角度から官吏登用制度導入を攻めていこうと思って、みなさんからの意見を集めたのに、ああやって認めて受け入れても、制度導入と繋げて考えようとはしないんですよ」
「風蘭さまは、真っ正面から挑む方が、性に合っていらっしゃるのでしょうね」
くすくすと海桐花と木蓮は笑い合う。
実直で素直な風蘭を知るからこそ、その不器用な性格の先には、決して揺るぎない覚悟があることを知っているからこそ、海桐花も木蓮もハラハラと見守りながら苦笑するしかない。
当の風蘭は、なぜ笑われているのかさっぱりわからないようだが。
「それで、海桐花殿の報告とは?」
「はい、風蘭さまにこちらを報告しようと思いまして」
言いながら海桐花は風蘭に一枚の書類を手渡す。
「・・・・・・これは・・・・・・」
絶句する風蘭の後ろから木蓮もそれを覗き見る。
その書類に書かれていたのは・・・・・・。
「賊の発生頻度とその人数の減少・・・・・・?」
戸惑いながら木蓮が呟くと、海桐花はしっかりと頷いた。
「はい。風蘭さまが反逆を決意されてから、そしてそれを果たして即位されてから、目を見張るほど顕著に、秋星州の賊の発生も被害も少なくなっています」
「・・・・・・つまり、長秤一族のもとに運び込まれる怪我人も減った、と・・・・・・?」
「左様でございます」
風蘭の確かめるような問いかけに、海桐花は自信を持って頷く。
秋星州の賊問題を把握していない木蓮は、不思議そうに首を傾げるばかりだ。
「なぜ、風蘭が即位して、秋星州の賊が減ったのでしょう・・・・・・?」
「秋星州の賊が求めているのは、貴族と民の平等性。専ら被害を受けていたのは、平民ではなく貴族だった」
風蘭のその答えに、海桐花もまた、補足する。
「秋星州は、学問に優れた州です。州主である女月一族の方々の計らいもあり、学舎が建てられ、貴族も平民も平等に学ぶ場を与えられた。けれど、学んだその知識を活かすには、貴族と平民という隔たりは大きすぎたのです」
「・・・・・・なんとなく、わかる気がします」
木蓮もまた、覚えがある。
彼が幼い頃から師と仰ぐ人物もまた、平民。知識も志も、貴族よりもずっと高いものなのに。
「秋星州の賊は、そんな不満が募った者たちの集まり。それがどんどん増長してしまって、時に州軍を使って抑えなければいけないこともありました」
「それほどまでに・・・・・・」
「父上が在位されていらした頃、俺も何度かその報告書を目にしたが、やり場のない怒りを力任せにぶつけているような、そんなやり口が多かった」
海桐花の話に呆然とする木蓮に、風蘭はかつてを思い出しながら言う。そんな風蘭に向き直り、海桐花はさらに言った。
「ところが、風蘭さまが貴族と平民の壁をなくそうと提言してくださってから、嘘のように賊の暴動は減ったのです。中にはただ騒ぎたいだけの愚か者もおりますでしょうが、ほとんどの者が、風蘭さまの未来に期待を寄せ、騒ぐことをやめました。自分達の願いが聞き届けられたと彼らは思っているのです」
「・・・・・・そうか、賊が・・・・・・」
「官吏登用制度。わたしはいい案だと思います。試験を設けて、それに合格しなければ官吏になれないというのも、みなが納得できる平等性です。ですが・・・・・・だからといって、賊の襲撃が全くなくなるわけではありません。むしろ、荒くれ者たちだけが残った今の方が、さらに危険と言えるでしょう」
「・・・・・・たしかに、今の秋星州の州軍では手に負えなくなる可能性もある・・・・・・かもな」
机に肘を付き、その手を組んで顎をのせて風蘭は思案しているようだった。
そんな彼に、海桐花は畳み掛けるように言った。
「そこで、風蘭さまにお願いがあるのです」
「・・・・・・俺に?」
「失礼します」
話の途中で、この場の者ではない声が聞こえた。
室の入口を見れば、新たな人物がそこに立っていた。
ふたりも。
「藍殿?!それに黒灰殿?!一体どんな組み合わせで・・・・・・?」
年若き当主、蠍隼 藍は、冬星州の貴族である瓶雪 黒灰と共に風蘭の室に入室してきた。
それを見届けてから、海桐花が口火を切った。
「冬星軍に秋星軍の指南をお願いしたいのです。実際に、冬星軍の大将でいらっしゃる瓶雪星官には了承をいただいています。あとは風蘭さまの承諾が必要となるのです」
「冬星軍に秋星軍の指南を・・・・・・」
冬星軍を預かる瓶雪一族、春星軍を預かる牛筍一族、夏星軍を預かる双一族は、それぞれ武官一族として名高い一族だ。
軍の訓練や鍛練の方法、攻防の対策、武器の扱い方など、どれをとってもこの3貴族には敵わない。
だが、秋星軍を預かる蠍隼一族は、武官一族なわけではない。秋星州の貴族の中では比較的武官の捻出者が多い、といった程度だ。
秋星州は長秤一族の医術で一目置かれていて、軍事力にさほど着目されてこなかった。
「今回の戦を含め、秋星軍の軍事力の弱さを痛感せざるを得ません。秋星州のためだけでなく、この国のためにも、秋星軍の軍事力を強化したいのです。そのために、比較的近隣にあたる冬星軍を統率されている瓶雪星官にお願い申し上げたのです」
藍も続いて風蘭に訴えてくる。特に藍は、蘇芳の一件もあり、何か国のために貢献をしたい、一族を変えたいと強く願っているのかも知れなかった。
「・・・・・・海桐花殿、藍殿、それはとてもいい案だと俺も思います。是非、がんばってください。・・・・・・黒灰殿」
海桐花と藍、ふたりに声をかけてから、風蘭は一呼吸置いて黒灰を呼んだ。
何か、意味深な視線を向ける風蘭と、それを受ける黒灰もまた複雑な表情を浮かべていた。
「・・・・・・黒灰殿、どうかよろしくお願いします」
「・・・・・・かしこまりました」
短いやり取り。
けれど、その短いやり取りに、とても深い意味があるような気がした。
それがなぜか、わからない。
しかし、海桐花と藍がにこやかに談話をしているその傍らで、木蓮は風蘭と黒灰の間に流れる微妙な緊張感に不安を覚えていた。