九章 擦れ違う想い 三話
三、新たな職務
「羊桜 木蓮です。本日よりよろしくお願いいたします」
「・・・・・・陛下より『花』を受けた者だしても、特別扱いをする気はない。新入り官吏として、しっかりと励むように」
「はい!!」
元気よく返事を返し、木蓮はすぐさま長官室を退室した。
式部長官室を。
今日から木蓮は、人事異動のもと、兵部から式部へと異動となった。
式部は朝廷内の人事を司る部署。朝廷の要と言っても過言ではない。
風蘭は、木蓮を式部に送り出すことによって、ふたりの夢への道を縮めようとしていた。
民間人の官吏登用制度を導入するという、ふたりの夢と目標のために。
それは、想像以上に困難な道のりになっていた。
風蘭や木蓮たちよりも何倍も経験値の高い官吏たちが、民を朝廷に招き入れることをありとあらゆる論法で反対してくる。
そうなると、経験不足なふたりは、たちまち立つ瀬がなくなってしまっていた。
風蘭たちを支持してくれている官吏たちでさえ、この官吏登用制度に関してだけは首をなかなか縦に振ってくれる人は少ない。
完全に行き詰まっていたふたりだったが、誰よりもふたりの夢を応援してくれている華鬘は、打開策をすでに考案してくれていた。
それは、法部の設立。
民を官吏にすれば、秩序が乱れる。
ただでさえ、各州は度々起こる民の暴動に頭悩ませている。
それなのに、民が政に参加したら、なお混乱を招くのではないか。
それが、官吏登用制度を反対する者たちが何度も唱える主張。
その彼らの言う『秩序』を法という縛りにかけてしまえば、乱れることは少ないのではないか、と華鬘は言った。
さらに、貴族の官吏たちの中には、あらゆる不正のもと、自らの懐を肥やしている者たちもいる。
それらが正しいことではないのだと周りもわかっていても、地位や権力に押さえつけられてしまえば告発もできないし、どこまでの悪事をどこへ告発すればいいかもわからない。
それらすべてを明確化し、取り締まる部署を設けた方がいいのではないか、というのが華鬘の提案だった。
そうすれば、官吏登用制度導入の憂慮事項のひとつを減らせるばかりか、現状の改革にもなる。
華鬘からその話を聞いたとき、木蓮はその場に居合わせなかった風蘭に即座に話しに行こうとした。だが、華鬘はそんな木蓮を制した。
「まずは風蘭さまがわたしたちの意見を必要としてくださらなければ、どんな提案をしても無駄になりますよ」
その意味が、始めは木蓮にはわからなかった。
しかし、行き詰まって悩む風蘭の姿を見ていて、合点がいった。
風蘭は完全に自らの内に籠ってしまい、官吏登用制度を導入することだけに固執し、強引に押し付けようとすらしている。
狭い視野で、最高権力を持つ風蘭が、強引にその制度を導入してしまったら、誰も彼を止められない。
これでは、独裁政権になりかねない。
それに風蘭自身が気づかない限り、道が開いていくことはない。
遠回りでも、夢へと確実に繋がる道があることを、その道は風蘭一人で歩くのではなく、みなで足並みを揃えて歩いていくものだと、風蘭が気づかない限り。
華鬘も木蓮も辛抱強く待った。
そして、とうとう風蘭から歩み寄ってくれたのだ。
もちろん、華鬘もその機会を逃さない。
これを機に、華鬘や木蓮だけでなく、他の官吏たちの意見も求めてみるべきだと主張した。
道を塞ぐための反対意見ではなく、道を開くための新たな意見を。
そして風蘭がそれを朝議で投げ掛けると、即座に刑部長官が提案してきた。
華鬘と同じ、法部設立の提案を。
刑部長官は、刑部としての見地も含め、法部の設立を提案したらしい。
投獄するための基準も規定もない現在、それはあからさまに身分の違いで罪の重さも変わり、投獄の罰にも違いがある。
蘇芳が貴族を重んじ、民を軽んじる傾向にあった名残で、今も獄には貴族よりも平民が多い。それを取り締まる刑部の官吏もまた、それを当然と認識し、貴族の罪を見逃し平民を強く罰する傾向にある。
もしも風蘭が貴族と平民の平等性を説くというならば、まずはここから何とかするべきではないのか。
それが双刑部長官の主張だった。
薊や縷紅もそうだが、双一族もまた、風蘭のように貴族と平民との敷居を低くしようと考えているのが感じられる。
もしもこの場に桔梗がいれば、彼女もまた同じことを考えるのかもしれない。
だが、同じ双一族でも、中部長官である双 鉄線は風蘭への反発があからさまだ。
みながみな、風蘭の・・・・・・風蘭と木蓮の理想を理解して受け入れてくれているわけでもない。
けれど、こうして風蘭の呼び掛けに答えてくれたことは、新たな一歩に繋がる。
人事のことしか頭になかった事案が、さらに紐解けば刑部や国の秩序の問題にまで目を向けなければならないのだと気付かされたのだから。
「あ、羊桜 木蓮官吏・・・・・・」
式部の回廊を歩きながら巡考していると、前から来た若い官吏の集団に指差された。
年の頃は木蓮たちより少し上、といったところだろうか。4人ほどで固まって移動しながら、それぞれが両手に書類を抱えている。
名指しされた木蓮は、同じ式部の官吏たちだろうと思い、愛想よく笑って会釈した。
「こんにちは。僕の名前をご存知なのですね」
「そりゃぁ、知らないはずがないだろう?新王より『花』を下賜された、大出世の下級貴族なんて、珍しい存在」
冷ややかな視線と刺々しい物言いで、集団のひとりの若者がそう言えば、残りの者たちも同時に頷いた。
「あ、えっと・・・・・・でも、官吏としては他の方と何も変わらないので、気にせず接していただければ・・・・・・」
「何も変わらない?本気でそう思っているのか?どれだけオメデたいんだ?!」
くすくすと彼らは木蓮を馬鹿にするように笑う。
彼らが木蓮に向けてきているのは、一部の余りもなく敵意だけだ。妬み、ともいうかもしれない。
よりにもよって、11貴族の中でも下級の部類に入る木蓮が、いくら金を積んでも得ることはできない、王からの『花』を手にしたのだから。
それは、王の信頼の証。
それは、王の庇護を約束するもの。
それは、未来の出世が確約されたもの。
目の前にいる彼らよりも、若くて経験値も浅く、何より地位も低かったはずの木蓮がそれらを手にしたことが、気に食わないのだ。
妬みと言う名の敵意。
それは、木蓮も覚悟していたことだった。
偏見も差別も敵意も。
本当は、今までと『同じように』なんて、誰一人接してくれなどしないということは、木蓮が誰よりもわかっている。
『花』を受けたときから、それは覚悟していた。
それでも、風蘭の傍で、彼を支え、共に同じ夢に向かって歩きたかったから。
風蘭が王になるために負った傷や覚悟を、少しでも和らげてあげられるように。
あの戦いでは、木蓮は何もできなかったから。
今度こそ、木蓮は風蘭と共に闘いたかった。
相応の覚悟のもとで。
「羊桜官吏、君が式部に来たのも、風蘭陛下の差し金なんだろ?陛下がしきりにやりたがってる、平民の官吏登用を実現しやすくするために」
「でもわかんないよなぁ、なんで平民を官吏にしたいんだろ?あんな教養のかけらもない奴等を朝廷に入れたら、汚されてしまうじゃないか」
鋭い指摘と、盛れ出た本音。
木蓮は何も言い返せない。
事実、風蘭が木蓮を式部に異動させたのは、人事問題を木蓮に託すため。
風蘭は財政問題も着手しなければならなかったから。
けれど、木蓮は風蘭に頼まれたから引き受けただけではない。
木蓮自身もまた、式部で経験を積み、人を見る目を養いたいと思ったから。
彼が尊敬する、桃魚 華鬘のように。
「・・・・・・確かに、僕が式部へと異動してきたことは、少なからず風蘭陛下の意図なくしてではありません。ですが、僕自身も式部でお仕えをしたいと思ったのです」
「そんなの・・・・・・!!」
「『花』を与えられた者として、ここで僕を見ないでください。他の新入り官吏のように、厳しくご指南ください」
なおも何か言いたげな彼らの口を塞ぐように、木蓮はきっぱりと自分の立場について述べてから頭を下げた。
すると、一番最初に木蓮を冷やかした若者が、同じように冷ややかに木蓮に言った。
「だが、何か気に食わぬことがあれば、即座に陛下に告げ口をされるのではないかと、みなは恐れると思うがね」
「そんなこと・・・・・・」
「そんな姑息なこと、そいつはしないよ」
否定しようとした木蓮よりもさらに大きく力強い声が、木蓮の抗議を遮った。
声がしたのは後方から。
聞き覚えのあるその声に驚きつつ、木蓮は振り返った。
「いちいち風蘭陛下に告げ口してネチネチあんたらを追い詰めようとか、そんなくだらないことを木蓮はやらないよ。んなこと、思い付いて恐れてる奴等こそ、身に覚えがあるか、告げ口されちゃ困ることしてるからビクビクしてるんだろ?」
勝ち気ににやりと笑うその表情。
木蓮は、予想通りの人物の登場に、驚きで声が出ない。
そんな木蓮を余所に、その人物はさらに官吏集団に追い討ちをかけた。
「フツーに仕事して、フツーに木蓮と接していたら、何も陛下に告げ口しなきゃならないことにはならないと思うけど?逆に、木蓮が自分の擁護された立場を使って、職権濫用していたら、式部長官に報告してもいいと、オレは言われてるけど?君らはそういう通達は知らされてない?」
「そ、それは聞いているが・・・・・・」
勢いよく追い詰められ、若者たちは口ごもってしまう。
やがて、彼らの一人が木蓮の後ろの人物を指差して叫んだ。
「な、何なんだよ、いきなり現れて!!何者なんだよ?!」
「あ、オレ?オレも木蓮同様、兵部から式部へ異動してきたんだよね、ヨロシク」
あっけらかんとした態度でニヤニヤと笑いながら彼は言う。
「ちなみに、木蓮をいびってたら、木蓮が何も言わなくてもオレが黙っていないから、そこらへんもよろしくな」
さらにそう言い加え、威圧することも忘れずに告げてから、とうとう彼は若い官吏の集団に名乗った。
「オレは牛筍 水蝋。木蓮共々、仲良くしてくれな、センパイたち?」
「牛筍一族・・・・・・?!だってあの一族は兵部に・・・・・・」
「っていう考え方は古いんだって。今回の試験的な人事異動で、オレも式部に異動になったんだよね。で?センパイたちは仕事の途中?お手伝いいたしましょーか?」
「・・・・・・くっ・・・・・・」
水蝋のわざとらしい申し出に、両手に書類を抱えていた彼らは、さぼっていることを指摘されて悔しそうに怯む。
そのまま水蝋と木蓮を睨み付けると、そのまま彼らはその場を立ち去っていった。
そこに残されたのは、呆然としている木蓮と、ニヤニヤと笑い続けている水蝋だけ。
「よ、木蓮。なんていうか、予想を裏切ることなく、しっかりといびられてたな」
「・・・・・・水蝋さん・・・・・・なんで・・・・・・」
呆然とする木蓮に、水蝋が明るく答えた。
「ほら、オレって文官志望だったろう?風蘭さまが今回の異動に参加してみないかっておっしゃってくださって。喜んで同意したってわけ」
「水蝋さん、式部に務めることが希望だったんですか?」
「いや・・・・・・文官になれればどこでもよかったんだ。そしたら、風蘭さまから式部に行ってほしいって望まれて」
「・・・・・・風蘭が?」
首をかしげる木蓮に、水蝋は苦笑する。
「木蓮の立場が微妙で難しいものだっていうのは、風蘭さまもわかっていらっしゃるみたいだな。で、オレも式部に行って、木蓮を支えてやってほしいって頼まれたんだ」
これは秘密だけどな、と言って水蝋は人差し指を立てて片目を瞑る。
そんな水蝋の仕草に笑みを返しながら、木蓮の心中は複雑なものだった。
結局、風蘭を助けたいと思っても、それよりも弱い立場である木蓮は風蘭に守られてばかりだ。
心配させて守られてばかり。
いつか、並ぶことができるだろうか。
彼の横に対等に。
「木蓮は木蓮のできることからやればいいさ。オレも手伝うからさ」
木蓮の心境を察してなのか、水蝋がわざと明るく励ましてくる。
「・・・・・・はい」
そうだ。
今は悩んで立ち止まるよりも、先へ。
木蓮はしっかりと顔を上げると、水蝋と共に式部の回廊を歩き始めた。