八章 開かれる道 十話
十、臣下の決意
人々が覚えている限り、26代国王、27代国王、そして28代国王いずれも、王自らが政権を掌握して取り仕切ることはなかった。
時折思い出したように口を挟むことはあっても、専ら執政官という官位の名を持つ王佐に任せきりだった。
26代国王は、その派手好きで傲慢な性格ゆえに、随分と身勝手な王政を執りかけていたが、賢明な執政官と臣下になだめすかされながら、誤魔化されてきた。
27代国王は、もとより表舞台に興味を示すことはなく、気まぐれのように高官に指示を出す程度で、王という権威を示すことはよくも悪くも機会はなかった。
28代国王は、始めこそ精力的な兆しを見せていたが、すぐに執政官や執政官の息のかかった者たちに押さえ込まれてしまった。彼が、王らしく王であった期間は、恐ろしく少ない。
そんな三代の国王の王政を経て、覇王として即位した29代国王、獅 風蘭は今までの王たちとは違っていた。
不変を貫いた今までの王政を打ち砕き、変革を望んだ。
もちろん、貴族も民もそれを望んでいたから、彼の主張に耳を傾けた。
だが変革を起こすには、彼は若かった。
実力者であり経験者でもあった執政官を退け、彼の熱意だけを押し通すには、あまりに無謀な提案が多かった。
先代までの朝議は静かに淡々と進められていたものが、風蘭が即位してから、その席は白熱したものになっていた。
まず、財政。
「蠍隼前執政官を主体に取り決められていた予算、及び認可されていた決算書の正式な提出を要求する」
朝議の席で風蘭がそう言うと、財政を司る機関である民部の長官を務める、蠍隼 鶏頭が立ち上がり礼をとった。
「恐れながら陛下、我々のもとには決算書も予算書も、写ししかございません」
「・・・・・・写ししかない?原本はどこにあるんだ?!」
「・・・・・・おそらく、執政官がお持ちでいらしたかと・・・・・・」
「・・・そうか」
鶏頭が申し訳なさそうに告げるのを、風蘭は複雑な思いで受け止めていた。
蘇芳が使っていた執政官の執務室には、風蘭が水陽攻めをしたときにはすでに重要な書類はなくなっていた。
捨てたか燃やしたか、はたまた蘇芳の息のかかった者に託したか、何一つ証拠は残っていなかった。
彼が朝廷で企み操ってきた軌跡が。
風蘭はひとつだけ溜め息を吐いてから、みなの前で鶏頭に命じた。
「写しでも構わない。今までの財政を洗いざらい明かさなければ、建て直すこともできないからな。予算を組み直し、税制も見直そう。貧困に窮している冬星州からも、救済の要請が出ている。冬星州の民を見捨てるわけにはいかない」
「御意」
「お言葉ですが、陛下」
頭を下げて礼をとった鶏頭とほぼ同時に、別の場所から声が上がった。
声の主は羊桜星官、木蓮の兄だった。
彼と彼の弟は、短期間であったとはいえ民部に所属していたときがある。
明らかに風蘭に反発するかのようにこちらを見上げてくる羊桜星官に、風蘭は堂々と頷き、先を促した。
「冬星州への救済支援と仰せですが、すでに国は何年も冬星州へ支援を行っております。物資、食糧、財政が許すギリギリの範囲で行って参りました。ですが、冬星州は復興するどころか坂を転がり落ちるようにひどくなるばかり。これは州民の意識に問題があるのではございませんか」
「羊桜星官、貴殿は以前、民部に出仕されていたことがあった。その経験から基づくものだろうか」
「左様でございます、陛下」
恭しく一礼する木蓮の兄に、風蘭はじっと視線を向ける。
かつて、風蘭がまったく別の用件で民部を調べていた頃、木蓮伝いで彼には協力してもらった。
木蓮同様、真面目で誠実な青年だ。
だが、風蘭が財政を切り込もうとすると、鋭く反発を繰り返してくるのも彼だった。
木蓮と意見を攻防する必要もないほど、木蓮の兄は・・・・・・羊桜の新しい当主は風蘭への反意を示していた。
「冬星州の民の意識改革については、わたしも感じていた。そして、同じように感じていたある者が、冬星州で実際に州民の意識を変え始めている」
「ある者・・・・・・?」
風蘭の意味深な発言に、ざわりと堂内が動揺でざわめく。風蘭は、ある特定の人物に視線を送ってから、静かに告げた。
「かつての王妃、紫苑姫である」
ざわめきがより一層強くなる。そして次に、皆の視線が遠慮がちに一点に集まった。
紫苑の父、女月 石蕗に。
その石蕗は、集まった視線を静かに受け止め、ゆっくりとした動作で玉座の上の風蘭を見上げた。
「どのような者がどんなことをしようとも、確実な結果を得られなければ意味がありません。・・・・・・それが例え、元王妃であったとしても」
静かな水面のような声色でいながらも、激流の川のような気迫で、石蕗は風蘭に・・・・・・この場にいる全員に言った。
「・・・・・・あぁ、わかっている」
「でしたら、冬星州への救済支援資金を拡大することは難しいのではありませんか?」
「わたしたちも冬星州の民を見殺しにしたいわけではありませんが、予算がないのです。建設的に話を進めなければ・・・・・・」
「羊桜星官。あなたは民部にいらした頃、王に提出する財政の報告書をご覧になったことはございますか?」
頷く風蘭に対し、女月星官、羊桜星官が追撃してくる。しかし、風蘭が木蓮の兄にそう尋ねたことにより、みなの視線は石蕗から彼に移った。
「国王に提出する報告書は、高官しか拝見できません。今ならともかく、あの頃では・・・・・・」
「わたしは父からそれを見せてもらい、実に興味深いことに気づいたのですよ」
口ごもる木蓮の兄に対し、風蘭は不敵に笑った。その視界の隅には、はらはらと成り行きを見守っている木蓮の姿が見える。
「実際に報告をしているように予算を組んでいたのか、甚だ疑わしい。かといって、真にあの報告書通りの財政を組まれていたとすれば、それはそれで国の一大事でもある」
「・・・・・・陛下、お話が全く見えませんが?」
「報告書では、財政予算の三分の一以上が、兵部の武具購入や後宮の設備投資、王族の被服費と報告されていたのです。不自然に高額な充当だとは思いませんか?」
「・・・・・・ですが、真に兵部で武具の買い替えを必要としていたのでは・・・・・・」
「毎年ですか?まるで戦を起こすかのようですね」
反乱軍の頭領であった風蘭が、怪しげに笑う。
誰も反論しないのを確認してから、風蘭は再び口を開いた。
「兵部長官。近年で武具や武器の買い換えは?」
「しておりません」
即座に答えた兵部長官、双 縷紅の返答に一同が詰めていた息を吐き出す。
だが、風蘭はさらに別の人物に問い掛けた。
「では、その真偽をもうひとりの証人に問うことにしよう。・・・・・・羊桜 木蓮、貴殿は今、兵部の武器庫の管理を任されていると聞いた。武器庫の中に、真新しい武具や不自然に数の多い武器はあっただろうか?」
突然指名された木蓮だったが、慌てることなくしばらく逡巡したあと、首を横に振った。
「・・・・・・いいえ、ございませんでした」
「と、いうわけだ。では、兵部に注ぎ込まれた予算はどこに消えたのか?加え、後宮や王族にあてられた高額な予算も、26代国王時代の予算と同額のものであるが、実際はそんな資金は充てられていなかった」
にやりと笑いながら風蘭がそう言えば、高官たちは不安そうに口々に囁き続ける。
「では、それらの予算はどこへ・・・・・・?」
「まさか、兵部長官や中部長官が・・・・・・」
「いや、それなら執政官にも可能性が・・・・・・」
「・・・・・・いや、待て。前民部長官は・・・・・・一時から不自然なくらいに分不相応な暮らしぶりをしていなかったか・・・・・・」
『不自然』の連鎖。
疑惑の記憶。
そういえば、『彼』の死もまた、ひどく『不自然』ではなかったか・・・・・・。
その場にいる官吏たちが戸惑いでざわめくのを見ながら、風蘭は堂内によく響く声で言った。
「コトの真偽は調査中である。だが、冬星州への支援金として注げる予算はあるのだということを忘れないでほしい。羊桜星官が言ったように、冬星州の民の意識改革も必至であるから、冬星州よりさらにそれを証明しえる事象があり次第、順次この場で伝えよう」
一気に風蘭が捲し立てたその言葉で、今日の財政に関する論議は終わったと、その場にいる者たちは理解した。
政堂内が一度静かになったことを確認し、風蘭はある人物に声をかけた。
「式部長官、この場で報告があれば、聞こう」
財政の論議に一段落すれば、次は人事の問題。
風蘭の一声で、再び堂内に緊張感が戻った。
呼ばれた式部長官は、立ち上がり書類を読み上げた。
「以前、陛下より提案のありました、一部官吏の希望面談による職種変更及び人事異動の件に関しまして、ご報告申し上げます」
金で買い上げるしかない官吏の職務。
だが、風蘭はそれを廃止し、各々の能力に見合った職務に就けるようにしたいと、常々式部長官に訴えてきた。
すると、彼も以前から思うところがあったか、ふたつ返事ですぐに応じた。
だが、いきなり旧体制を廃止し、新体制を導入するわけにはいかない。まずは何人かを選抜して、試験的に新体制を試してみてはどうか。
それが人事を取り仕切る式部長官の意見であった。
風蘭もそれには納得できたので、その提案に応じ、あとは彼にすべてを一任した。
ただし、木蓮を式部に異動させてほしい、とは願い出た。
彼には、どうしても式部でがんばってほしいから。
風蘭と木蓮の夢のためにも。
式部長官が読み上げる報告書を聞きながら、風蘭はそんなことを考えていた。
「・・・・・・以上がわたしからの報告となります」
経緯や方針など、一通りを報告し終えた式部長官が着席すると、ほぼ同時に手を挙げて立ち上がった者がいた。
牛筍一族の当主、著莪だ。
「このような制度、わたしは認められない。官吏たちの人事を、希望に合わせてやりたいようにやらせていては、節操がなくなります。加え、気に入らなければ異動したい、という根気のない、忍耐力のない者たちを助長させるだけかと」
鋭い眼光で風蘭を見つめる著莪の言い分は、たしかに的を射ている。
風蘭はもちろん、それを共に考えた木蓮も華鬘もそれは危惧した。だから、式部長官と取り決めたことがある。
「牛筍星官の意見は尤もな指摘である。故に、当初より指定され配属したにせよ、自ら希望し異動したにせよ、一年は同じ部署で働くことを前提としたい」
「・・・・・・ですが、いずれ皆が自らの希望部署へと転換したならば、慣習として案ずることのなかった武官や医官の減少となったらいかがされるのですか?!」
「おやおや、武官一族である牛筍一族の当主とあろうお方が、自らの一族から武官が減少するのではとお疑いですか」
茶々を入れるように、笑いを含んだ声色でそう言ったのは、牛筍一族同様武官一族である双一族当主、薊である。
「武官たることの誇りを失わなければ、さほど懸念されることではありますまい?牛筍星官、武官となることを選ぶも選ばざるも、その個人の意志に委ねられてしかるべきなのではございませんか?」
「・・・・・・なっ・・・!!」
薊らしい実直なその意見に、さすがの著莪も返す言葉もないらしい。
もともと薊と著莪では、当主としての経験値も恐ろしく違う。著莪に言い返せる余地など始めからなかった。
「わたしは、風蘭陛下の人事運営改革案に興味がございます。ですが、最低でも一年は職務を全うするとはいえ、やはり始めの入口は慣習通り『買値』による形とされるのでしょうか」
薊と著莪のやり取りが落ち着いた頃合いで、海桐花が風蘭にそう問い掛けた。
海桐花は、風蘭たちが懸命に主張する『民間人の官吏登用制度』に賛同してくれる、数少ない理解者だ。
彼の懸念はもっともなことである。官吏を最初に登用するときに従来通りであり続けるのであれば、その先の目標である民間人登用ははるか彼方だ。
風蘭はちらりと傍らに立っていてくれている華鬘に視線を送ってから、海桐花に答えた。
「それについては、桃魚星官や式部長官とも協議中であるが、いずれは適正試験や面談を取り入れて、入口から適材適所へと配属したいと思っている」
「官吏になるのに試験を用いる?それはまるで、先来より陛下がおっしゃっている、民の官吏登用試験のようですな」
冷ややかな物言いでそう言ったのは、中部長官、双 鉄線。
「陛下のおっしゃることには、まるで現実味がございません。民間人を官吏にする?理想としては結構な提案ですが、現実問題としてそれは不可能でしょう。桃魚星官、羊桜官吏がついていながらこの結果とは、甚だ残念でなりませんな」
ずばりと反対意見を述べる彼は、風蘭を支持する当主である薊や縷紅と同じ、双一族。
臆面もなく、一族当主と異なる意見を言えるのは、個々の意志を尊重する双一族の特徴ともいえるだろう。
鉄線にずけずけと言われ、さすがにむっとした様子の風蘭に、華鬘が彼にしか聞こえぬように小さく呟いた。
「この件に関して反対意見が厳しいのは仕方ありません。冬星州の財政問題同様、少しずつ結果を出していくしかありません」
「・・・・・・わかってます」
不満そうにしながらも、風蘭はしぶしぶ頷いた。
わかっている。
追っている理想と夢が険しいことは。
「・・・・・・民間人登用については、また後日別の場を設ける。今話し合うべきは、式部長官が報告した事項についてのみである。何か異論ある者は?」
気を取り直して風蘭がそう言うと、誰も口を開く者はいない。
玉座からは、皆の顔がよく見える。
風蘭を支持する者、反対する者たちの顔が。
誰も異論を唱えないのを見て、木蓮が心配そうにこちらを見ているのがわかった。
いつものように、ふたりの討議を始めるかどうか迷っているようだった。
だが、今は話が余計拗れるだけだ。
風蘭は小さく首を横に振ってから、その場にいる全員に告げた。
「では、近日中に人事異動を発令する」
それを合図に、今回の朝議は終会の流れとなる。
だが、じつは今回は茨の道の第一歩でしかない。
風蘭が描く理想郷へは程遠い。
風蘭の理想に反対する者も賛同する者も、同じように感じているはずだ。
華鬘もまた、そう感じている者のひとり。それでも、風蘭が描くこの国の未来を見たいと思ってしまうから。
風蘭の背を眺め見ながら、華鬘はこの若い青年王を支えていくことを改めて決意するのであった。