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八章 開かれる道 九話







九、貧民の覚悟











冬星州は、始めからこうも貧しいわけではなかった。


荒れた大地もかつては潤っていた。恵まれぬ地形ではあったが、多くを望まなければ過不足なく暮らせたし、他州からの援助も得られた。


何より、冬星州には気候を先読みすることができるという、特異で優位な能力があった。


そのお陰で、思い通りに作物を守り育てることができた。


冬星州も普通に暮らしていけたのだ。暖かく、明るく。


北山羊一族の力を借りて、その恩恵を返して。


だが、その均衡は一瞬にして崩れ去った。


北山羊一族が白露山に立て籠ってしまった、そのときから。




「・・・・・・なぜ、北山羊一族は白露山に立て籠ってしまったのかしら・・・・・・」


冬星州をもっとよく知るために、紫苑は『雅炭楼』の書庫室に入り浸っていた。


昼は冬星州の現状偵察にでかけ、陽が落ちたらこうして書庫室で様々な勉強をしていた。


その間、もちろん『雅炭楼』での仕事もきちんとこなしている。


はりきる紫苑に椿たちは無理をしないように心配していたが、今の紫苑は毎日がやりがいに満ちていて疲れなど感じなかった。



「北山羊一族と冬星州のみんなが仲良くしていた頃は、こうも荒れてはいなかったのよね・・・・・・。資源も作物もちゃんと収穫できていたし、財源管理も為されていた・・・・・・。それが崩れたのは、26代国王陛下の頃・・・・・・」


史書をめくりながら、紫苑はぶつぶつと呟き独り言を続ける。


「各州の貴族はそれぞれ役目を担っている。州の統治管理、軍事力管理、財政管理。冬星州では霜射一族が州を統治管理し、瓶雪一族が冬星軍を預かり、軍事を管理している。そして、北山羊一族が、冬星州全体の財政管理を任されていた。それなのに・・・・・・」


「それなのに、北山羊一族が白露山に立て籠ってくれたお陰で、冬星州の財政もぐちゃぐちゃ。税徴収もどういう基準なんだか、さっぱりわからないわ」


「・・・・・・椿ちゃん・・・・・・」


ひとり書庫室で書物を広げる紫苑に重なった聞き慣れた声。見れば、予想通り椿が冷然とした表情でこちらを見ていた。


「冬星州の混乱の始まりは、北山羊一族にあるわ。でも、それを正すことができなかった州主たちや王たちにも罪はある」


「・・・・・・そうね」


ではなぜ、北山羊一族はそのようなことを?!


紫苑が知っている限りでは、北山羊一族はすでに白露山に立て籠っていた。


朝廷からも身を引き、残ったのは、神祇所所長の柊を慕うわずかばかりの官吏たちだけだった。


「椿ちゃんは知らない?北山羊一族がなぜ、朝廷から消えてしまったのか」


「え?!う~ん、そうねぇ・・・・・・」


紫苑に問われて首をかしげて考え込んだ椿だったが、すぐに軽く首を横に振った。


「悪いけど、思い出せないわ。石榴姐さんに教えてもらったことがあることは覚えているんだけど・・・・・・」


「それなら、逸初さんも聞いているかしら?」


「そうね。石榴姐さんは、特に他州から引き抜いてきた人たちには、入念に冬星州の歴史を説いていたから」


「今度はその役目を椿ちゃんが継ぐのね」


「・・・・・・げ。史学って苦手なのに」


心底嫌そうに舌を出す椿にくすりと笑ってから、紫苑は史書を閉じて立ち上がった。



「さぁ、行きましょう、椿ちゃん。迎えに来てくれたのでしょう?」


「・・・・・・やっぱり行くのね」


「もちろんよ。ここで諦めるなんて、できないわ」


にっこり笑ってから先を歩き始めた紫苑の背中を見送りながら、椿は思わず小さく溜め息を吐く。


「・・・・・・意外と根性あるお姫さまだったのね・・・」





紫苑は、初めて冬星州の貧民たちの村を訪れてから、冬星州の州主である霜射 柘植や、国王となった風蘭に宛てて書状を送った。


どちらも同じ内容、冬星州の財政支援の要請だ。


紫苑が貧民たちに提示した、「自立した生活」の具体案と予想される効果。


何度も何通りも考え、それを懸命に文に連ねた。


柘植からの返事は未だなく、その様子に、椿は心底軽蔑するように軽く笑っていた。


朝廷側には、紫苑は直接風蘭宛ではなく、そのそばで彼を支えている木蓮に宛てて文を送っていた。


風蘭は今、王として朝廷を建て直しているところだ。彼を煩わせるわけにはいかないと、紫苑が配慮したのだ。


それに、紫苑が木蓮を信頼している、というのも理由のひとつだ。


彼は優しいが、公私を混同させるような者ではない。紫苑からの要請だからといって、無闇にそれを承諾はしないだろう。


その紫苑の予想を裏切ることなく、木蓮は手厳しい返答の文をよこしてきた。


まず、紫苑が提示した農作物は本当に悪環境でも育つのか。


その収穫率はどうなのか。


学問を冬星州に広げることはいいことだが、仮に教師を派遣したところで受け入れ体制はどうなっているのか。その環境は。


そしてなにより、冬星州の民たちに本当に自立への道を歩む意志があるのか。


これがなければ、いくら国が支援したところで何の意味もない。


そして、そこが今の紫苑にとっても頭の痛いところだった。




「物好きよねぇ、わざわざこんな面倒なことに首を突っ込むことないのに」


馬を歩ませながら、呆れたように言った椿の背中を紫苑は見つめる。


「そんなことないわよ、椿ちゃん。今の私にできることをやりたいと思っただけだもの。・・・・・・それが、ここの人たちにとってありがた迷惑なことであったとしても、未来に繋げていくために・・・・・・」


椿の体に回した紫苑の腕に、力がこもる。ちらりと椿は紫苑を振り返ったがそれだけで、何も言わなかった。


「ちゃんと、冬星州の人たちもやる気があることを示せれば、木蓮殿も風蘭に話を通してくれるはずだわ。だから、みんなに証明しないといけないの」


紫苑のその言葉は、すっかり口癖のようになっていた。


証明をする。


それは、紫苑が実際に行動を起こして、示そうとしていることだった。





「・・・・・・また来たのかよ」


村に着けば、うんざりしたように村人がそう言った。紫苑はたいして気にした様子もなく、むしろ笑顔すら浮かべて彼らに挨拶をした。


「こんにちは。今日の畑の具合はいかがですか?」


「あんたが勝手に耕した畑のことなんざ知るわけないだろ。未だ芽も出ないところを見れば、やっぱり無理だったんじゃないのか?」


「まぁ、畑に芽が出ていないと、見ておいてくださったんですね。ありがとうございます」


「なっ・・・・・・!!」


紫苑に指摘を受けた村人は瞬時に顔を赤くする。


「畑を見ていない」などと言いながらも、芽が出ていないことを知っているのは、畑をしっかりと見ていた証拠だ。


自らの失態に顔を赤くした村人は、それ以上何も言わずにその場を立ち去ってしまった。


その様子を見ていた紫苑は、たまらずくすくすと笑いながら、目的の場所へと足を運んだ。




紫苑は、『雅炭楼』から一番近いこの村で、小さな小さな畑を耕した。


鍬を持ったこともない紫苑と椿で耕したため、歪な畑にはなったが、例の商人に教わりながら、紫苑は農園を始めた。


商人に、この気候と土壌でも逞しく育つ種をもらって。


紫苑はその貴重な種を購入することを主張したが、若き商人は


「映えある未来に投資するのも我々の仕事ですから」


とお金を受け取ることはなかった。


技量はもちろん、知識も十分とはいえぬ状態で始めた畑を、貧しい村人たちは見向きもしなかった。


嘲ったり罵ったり、熱意溢れる紫苑の思いを踏みにじるような言葉を彼らは口にした。


「なんであんなこと言わせたままにしておくわけ?!紫苑はみんなのためにやってくれてるのに!!一度、あたしがあいつらをとっちめようか?!」


村人たちの態度に憤った椿がそう言っても、紫苑は笑って首を横に振るだけだった。


「大丈夫よ、きっとわかってもらえるから。私たちがやっていることが無駄ではないことが」




小さな畑を耕し始めた頃の会話を思い出し、紫苑は小さく笑みを浮かべる。


村人たちは未だに心開くことはないが、紫苑に冷たくあたるようなこともなくなった。


そもそも、本当に紫苑のしていることが憎く思っていれば、とうに畑は荒らされているに違いない。


「お嬢さん!!大変だ!!」


突然前方から、血相を変えて飛んでくるように走ってきた村人に、紫苑も椿も瞠目する。


村人は息も整わぬまま、紫苑にしがみついてきた。


「た、大変だ、お嬢さん!!畑が・・・・・・」


「畑が?どうかしたんですか?」


「畑が・・・・・・いや、畑に芽が出てるんだ!!作物の芽が!!」


「芽が?!」


「すごい!!まさか・・・・・・まさか、この気候と土壌でできるなんて!!」


村人は興奮冷めやらぬようで、何度も「すごい!!」を連発する。


紫苑と椿は互いに顔を見合わせると、すぐにふたりの小さな畑に向かった。


畑に行ってみれば、すでに村人が畑とも言えないその小さな区域に集まっていた。


「芽が出たそうですね」


「これ、ここなんだ!!これは何の芽なんだ?!」


興奮したまま紫苑を囲む村人たちを眺めながら、椿は笑みを抑えられずにいた。




かつて、まだ水陽にいたころに、椿は紫苑に言った。


「何をしたらいいのかと周りからの指示を待つのではなく、何がしたいのかを考えるべきだ」と。


その頃の紫苑には、椿の言葉も思いも届かなかった。


王妃という立場も支えもなくなり、自らの処遇も未来もわからぬままだったあのときには。


それが今は、紫苑は椿たちの制止の声にも耳を貸さずに、懸命に彼らと向き合った。


彼らを・・・・・・冬星州を救うために、自らの意志で。




「信じられない・・・・・・まさか、本当に芽が出るなんて・・・・・・」


「奇跡だ・・・・・・!!」


「奇跡なんかではありません。ちゃんと知識を得て、気候を読めば、自ずとそれはこうして報われるのです」


恍惚な表情を浮かべる村人たちに、紫苑は柔らかな笑みで、しかし厳しい口調で彼らを諭す。


戸惑いの表情を浮かべ始めた彼らは口々に囁き合う。


「だけど、おれたちにはそんな知識もないし、バカだから覚えられないし・・・・・・」


「お嬢さんみたいに丁寧な畑仕事ができるかどうかも・・・・・・」


「それに、腹が減っていては何もできない・・・・・・」


「やはり、国や州が助けてくれれば・・・・・・」


「貴族たちがこうした畑を増やしてくれればいいのでは・・・・・・」


「いいえ、それではだめです」


逃げ口を探すように弱気になる彼らに、紫苑がピシャリとその道を塞いだ。


教師に叱られた生徒のように、しゅんとしたまま紫苑を見つめ返してきた彼らに、彼女は力強く微笑んだ。



「私はみなさんに魚を差し上げたいわけではないのです。釣竿と魚の釣り方をお渡ししたいのです」



「・・・・・・は?」


「魚・・・・・・?」


「これは作物の芽だよな・・・・・・」


唐突に告げた紫苑の例え話に、不馴れな村人たちは混乱した様子で首をかしげている。


紫苑もまた、彼らと視線を合わせるために、小さく苦笑してから噛み砕くようにゆっくりと説明を始めた。


「例えば、の話です。みなさんはとてもお腹が空いていらっしゃる。そうですね?」


全員が頷く。その素直な反応を確認して、彼女は続ける。


「お腹の空いているみなさんに、貴族がお魚を配るのは容易いこと。そして、みなさんも簡単にお腹を満たすことができる。そうですね?」


また頷き。中には魚を食べる様子を想像したのか、喉を鳴らした者もいる。


「ですが、そのときはお腹を満たすことができても、その次の日はどうされるおつもりですか?また、誰かがお魚を恵んでくださるのを待つのですか?」


戸惑いながら頷く者、困ったように見つめ合う者。


先程のように、誰も素直に首を縦に振るわけではないことを確認して、紫苑は笑みを深くする。


「お魚を与えられることを待つだけでは、すぐにまた飢えは来ます。その飢えが来ても、誰も恵んでくださらなければ、満たすこともできない。そうですね?」


全員すぐさま頷く。


「それが、今のみなさんの状態です。どうすることもできず、ただ飢えたまま魚を・・・・・・食べるものを与えられるのを待っている」


「だって仕方ないだろ?!ここには何もないんだから!!与えられるのを待つしかないだろ?!」


若い声が反発すると、一様にみながそうだ、そうだと同意してくる。


だが、紫苑がそれらに怯むことはなかった。



「ですから、私はみなさんに伝えたいのです。魚を与えられるのを待つのではなく、その魚を自分で釣る方法を。国や州が援助してくれるのを待つのではなく、みなさんで食物を育て、技術や知識を得て、商売を知っていくことを。みなさんで冬星州を復興させる道をつくるために」



小さな紫苑の体から、大きな力強い何かが溢れている。


村人たちはその紫苑の気迫に圧倒されているようだった。


「冬星州を復興させるなんて・・・・・・そんなこと・・・・・・」


「不可能だとおっしゃいますか?ですが、この芽が全ての答えです。みなさんがその気になれば、道はいくつも切り開かれ、いつかは希望の光が現れます。私は、あなたがたを助けるための力を国と州に要請し続けます。ですが、その力をどう活かすかはみなさん次第です」


荒れて養分もなくなった土壌に生えた芽。


それは、この土地と気候でも育ち実らすことができる作物があるのだという証明。


それを、紫苑は口だけではなく自ら実践して示してみせた。


冬星州を救うために。




「・・・・・・あんたが言うことすべてを理解することなんかできない。だけど・・・・・・」


ぽつりと呟く若者の言葉に、他の村人たちも神妙な顔つきになる。


彼と同じ気持ちだと伝えるように。


「だけど、この芽を大事に育てたい。もっとたくさんの芽を育てたい。そういうのを希望と言っていいのか」


頷く者、溜め息を吐く者、反応は二分される。


だがそれは、今までなかった反応。


紫苑の言うことに、することに、頷いて反応を示す者はいなかったから。



「えぇ、そうです。それが、希望の一歩です」


紫苑の胸は感動で溢れていた。


それは、冬星州復興の確かな息吹を感じさせる一歩であることを強く実感したからに他ならなかった。













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