八章 開かれる道 八話
八、次世代の決意
これで後宮の再築はおしまい。
そう告げられたとき、蓮は自らの耳を疑い、次に不満が残った。
なぜなら、兵部が総力をあげて復興させてくれた後宮の規模は、火攻めにあって壊滅する前の半分にも満たない規模だったからだ。
たしかに退官した女官も多くいるので、今の規模で生活できないわけじゃない。けれど蓮にとって、以前と同じ後宮に戻してもらえないことが、とても不満であったし、納得がいかなかった。
「なぜ、後宮はこれ以上の再築がされないのですか?以前よりもはるかに狭い領域となっていますが?」
「風蘭さまのご命令なのですよ、蓮姫さま」
不満を漏らした蓮にそう答えたのは、今回の後宮再築に一肌も二肌も脱いだ、兵部長官、双 縷紅だった。
縷紅は大后である桔梗の実弟ということもあり、蓮とも少なからず交流があった。
風蘭や連翹とよく一緒にいるところを幼い頃から見ていたというのもあるが。
その縷紅が、王となった風蘭の命令で、後宮の縮小を図ったというのだ。縷紅が嘘をついているようにも見えなかったが、蓮には俄には信じがたかった。
「なぜ、風蘭お兄様がそのようなことを?風蘭お兄様が私たちを蔑ろにされるとは思えないけれど・・・・・・」
「えぇ、もちろんですよ、蓮姫さま。風蘭さまは後宮のみなさんのことも案じておいでです」
「ならばなぜ・・・・・・」
「それとこれは別問題ですよ。それに、現状にさほどご不便もございますまい?」
「そ、それは・・・・・・」
縷紅の言う通り、現状の後宮で特に不便は感じない。
以前と同じように再築されながらも、縮小した分だけ利便もよくなっている。
無駄がなくなった、というべきか。
しかし、だからといって実際に後宮に住まう自分達の意見を無視して、風蘭の独断で再築の中断をされるのは納得できなかった。
「後宮の縮小に関しては、風蘭さまの独断ではございませんからね、蓮姫さま」
「・・・・・・え?」
まるでこちらの心境を読み取ったかのように告げた縷紅の言葉に、蓮は反応を示す。
すると、縷紅は状況を楽しむかのように笑いながら蓮に言った。
「風蘭さまは双大后に話をして、きちんと了承を得ておられますよ」
「双大后さまに・・・・・・」
「真意を伺ってみればよろしいのではありませんか?それでは、わたしはこれで失礼いたします。あまりこちらに長居はできませんので」
悪戯っぽく笑いながら、縷紅はその場を去っていった。
蓮が動けるのは後宮の中だけ。
そして、中部の人間でもない縷紅が後宮にいる蓮と話ができたのは、彼が警備の巡回で後宮の庭院にやってきたからだった。
中部の者でない限りは、後宮の宮殿に足を踏み入れることは許されない。
だから、縷紅も長居はせずに早々に蓮の前から姿を消した。
とはいえ、蓮としては中途半端に縷紅から情報を与えられ、こうなっては気になって仕方がない。
すっと顔を上げると、彼女はある室に向かって歩き始めた。
それは、敗王を支持し、そして現王の実母である、双 桔梗の室であった。
彼女は、大后という称号こそ未だあれど、その待遇には制限があった。
まず、許可なく室を出ることを禁じられ、文を出すことも禁じられた。
現王の実母ということもあり、体裁を保つためにも牢に入れられることこそなかったが、完全に自由を奪われた今の桔梗は、後宮という牢に入れられているも同然だった。
だが、桔梗は諸々の条件をあっさりと受け入れた。
彼女にとって、『ここ』はどんな所なのだろうか・・・・・・。
そんなことを思い巡らせながら、蓮は桔梗の室に辿り着いた。
室の前には、武装した女人が数人立っている。
微妙な立場となった桔梗は、様々な方面から命を狙われる危険があった。そのため、王直属の国軍『闇星』の女武人たちが桔梗を守るために控えていた。
「あら、蓮姫さまではありませんか」
女武人のひとりが蓮に気付き、屈託のない笑みを向けてきた。
確か名は、皐月といったか。
「双大后さまとお話し申し上げたいことがございまして」
「かしこまりました。伝えて参りましょう」
さっと皐月は室内に入り、用件を伝えに行ってしまう。
手持ち無沙汰になった蓮は、ぼんやりとそこから見える景色を眺めていた。
そこから見えるのは、小さな寂しい庭院。
雑草のような小さな花が咲いているだけだ。
あの日、突然風蘭が大軍を連れて水陽に攻めてきた日、蓮は生きた心地がしなかった。
気付いたときには後宮に火がつけられていて、それはあっという間にあちこちに広がっていった。
取り乱しながらも何とか職務を全うしようとする女官たちが、王族たちを逃がそうと乱走していた。
蓮もまた、女官に連れ添われながら、嘆き狂いそうな心を抑えて逃げた。
四方八方から迫り来る炎。
立ち上る煙と辺りを支配する熱気。
何もかもが恐怖を誘い、もうここで死ぬのではないかと思った。
けれど、『闇星』が安全な逃げ道を確保し、誘導してくれた。
ひとり残らず丁寧な治療も施してくれた。
敵軍であるはずなのに。後宮を襲った炎は、まさにその後宮だけを食い潰した。
『闇星』が懸命にみなを救い出したからだ。
空っぽになった後宮という器だけが、燃え尽くされただけだった。
蓮が不思議に思ったのは、内朝は火攻めに遭わなかったことだった。
後宮だけが跡形もなく焼け野原となり、朝廷側は多少の損壊はあれど、機能を失うほどではなかった。
実戦という肉弾戦が繰り広げられていたから、火攻めの必要性がなかったのかもしれない。
だが、蓮はそうではないだろうと思っていた。
風蘭が、何か意図を持って仕掛けたのだろうと今は思う。
そして、後宮の修復の中断もまた、何か蓮の知らない思惑があるのだとしたら。
・・・・・・もう、風蘭は蓮が知る兄ではなくなってしまったのだろうか・・・・・・。
「お待たせいたしました、蓮姫さま」
庭院を眺めながら思考の海に沈んでいた蓮は、背中から皐月の声が聞こえてはっと我に返った。
振り向けば、そこには皐月の他に、桔梗付き女官である花霞がいた。
「お久しぶりでございます、蓮姫さま。桔梗さまがお待ちでございます」
花霞が立礼をした後そう言えば、蓮も小さく頷き彼女について室に入った。
室の中央には、今も変わらぬ高貴な空気を身に纏った、大后桔梗が鎮座していた。
後宮の一室に閉じ込められていようとも、以前と何ら変わりない気高さを持つ桔梗に、蓮は少なからず安堵していた。
「お変わりないようで安心いたしましたわ、蓮姫」
「・・・・・・桔梗さまも・・・・・・。・・・ですが、ご不便はございませんか・・・・・・その・・・・・・」
「ご心配をありがとう、蓮姫。大丈夫です、特に多大な不便は感じていませんよ」
室に閉じ込められたままの桔梗を気遣いながらも言い淀んでしまった蓮に、桔梗はふわりと笑いかける。
蓮はわずかに瞑目した後、桔梗に疑問をぶつけることに決めた。
「桔梗さま、不躾ながらお伺いしたいことがございまして、こちらに参りました」
「わたくしはもはや捕われの身。その身でわかることであれば、なんなりと」
にこりと笑う桔梗の瞳は力強い。
『捕われの身』と言いながらも、やはり『大后』としての輝きを失っていない。
そんな桔梗に、蓮は意を決して尋ねた。
「風蘭お兄様が兵部に、後宮の修復はこれでおしまいだと命じられたそうです。ですが、実際は元の敷地の半分も修復されておりません。桔梗さまは、風蘭お兄様がどのようにお考えか、おわかりになりますか?」
先ほど縷紅に聞いたことをそのまま桔梗に含めてぶつけてみる。すると、桔梗は一瞬瞠目したものの、すぐに柔らかく微笑んだ。
「残念ながら蓮姫。わたくしはあの子が考えていることをわかっているとは思えないわ」
「で、ですが、桔梗さまは後宮が収縮されることに是とお答えになったと・・・・・・」
「あら、そんなおしゃべりをしたのは縷紅かしら?」
「あ・・・・・・」
「いいのよ、気にしないで。怒っているわけではないのだから」
くすくす笑いながら桔梗がそう言うため、思わず蓮もつられて苦笑してしまった。だが、互いに表情を引き締め、話題を戻す。
「26代国王・・・・・・つまり、あなたのおじいさまがこの国を治めていた時代がどのような治世だったかはご存じかしら、蓮姫?」
「えっと・・・・・・」
話には聞いたことがある。
賑やかで華やかで、ことあるごとに貴族たちが招かれ、歌宴が催されたと。
そして、その派手な生活ぶりは後宮にも及び、抱えていた妾妃は、芙蓉などかわいいものだと鼻で笑われてしまいそうなほど。
その御子は、公子公女合わせればどれほどだっか、想像に及ばない。
とにかく朝廷も後宮も賑やかで華美であったとは、蓮もよく聞いていた。
その時代の国の統治の話は聞いたことがなかったが。
それをそのまま蓮が桔梗に伝えれば、桔梗は小さく頷いた。
「そうです、あなたが聞いた通りです。では、王族や貴族がそれだけ華やかな日々を送ることができた資金は、どこから来ると思いますか?果たして、彼らが自ら資金を生み出していたのでしょうか?」
「・・・・・・まさか・・・税金・・・・・・?!」
蓮が絶句しながらもやっとそれだけ言うと、桔梗は何も言わずに瞑目した。
それは、言わずとも肯定しているのも同然だった。
「多くの人が集い、暮らし、生まれた後宮は拡大していきました。それは、26代国王の御世はもちろん、それ以前から後宮の拡張工事は進められていました。・・・・・・資金も労力も、民から借りて」
「・・・・・・そんな・・・」
桔梗の話に思わず蓮が口に手をあて驚きを露にすると、ふっと桔梗は少し寂しそうに笑った。
「・・・・・・芙蓉陛下が即位され、数多の妃が迎えられましたが、拡大された後宮内には使用されていない室が多くあったのを覚えていますか、蓮姫?」
「はい。中部に貸し出している室もありましたね」
「そうです。多すぎる敷地や室は、管理や維持にもお金がかかる。そしてそのお金は税金で賄われているのです」
「だから・・・・・・風蘭お兄様は必要最小限の規模に縮小された・・・・・・そうですね?」
「わたくしの推測では、ですが」
補足するように桔梗はそう言ったが、蓮は風蘭の思惑に心打たれて耳に届いていなかった。
風蘭は冬星州に流される前から、国政に強い関心を寄せていた。
ただ毎日を甘えて気楽に過ごしていた蓮とは違って。
蓮は、ずっと恒久的に続くのだと思っていたのだ。
この安穏とした後宮での暮らしが。
朝廷でどんな揉め事があっても、王族は守られると過信していたのだ。
いや、甘えていたのだ。
だが、風蘭はそれさえ切り捨て、国のために最良の策をとった。
自分のことしか考えずに風蘭を責めていたのが恥ずかしい。
蓮は今、自らを強く恥じていた。
「・・・・・・桔梗さま、私にもこの国のためにできることはあるのでしょうか・・・・・・」
「蓮姫・・・・・・?」
「私は恥ずかしいのです・・・・・・。私が自分のことばかり考えている間にも、風蘭お兄様は民のために、国のために多くのことを考えていらしたなんて・・・・・・」
膝の上で拳を握りしめる蓮に、桔梗はそっと笑いかけた。
「ですが、こうして蓮姫もそれに気付き、国のために何かできないかと考えるようになったことは大きな進歩ですよ。そして蓮姫、あなたにはここで果たすべき務めがあります」
「私にも・・・・・・できることが・・・?」
「えぇ、ありますとも。現王である風蘭が新しい妃を迎えるまで、あなたが後宮の秩序を守ってあげてくださいね」
「で、ですが、それは双大后さまが・・・・・・」
「わたくしは今までのように立ち振舞うことは許されぬ身なのですよ、蓮姫」
「あ・・・・・・」
桔梗に指摘され、蓮は彼女の微妙な立場を思い出す。さらに桔梗はこうも言った。
「新たな時代、新たな後宮で何を正すべきか、今の蓮姫ならわかりますね?」
「・・・・・・はい」
しっかりと蓮は頷く。
風蘭の決意が、桔梗の思いが、今ならわかる。
「風蘭お兄様が国のために財政を整えようと、即位される前から意識されているのには気付いていました。ご負担をかけぬよう、生活を改め、華美な振る舞いは慎むよう、後宮内の者たちにも徹底します」
はっきりとそう蓮が言うと、桔梗は柔らかに笑いながら頷いた。
「期待しています、蓮姫。あなたがた次世代の者たちが、星華国を変えていけるのですから」
祈りのように願いのように告げる桔梗に、蓮は小さく、けれどしっかりと頷いて返す。
蓮にもまだやるべきことは残っている。
動けぬ桔梗の代わりに、自分が後宮を整えなければ。
新たな使命感に燃え、蓮は自分の意識が確かに変化していくのを感じていた。