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八章 開かれる道 四話





四、姫君の決意









紫苑たちが水陽を出てしばらく、風蘭は紫苑の父である女月 石蕗と執務室で対談していた。


内容は、秋星州の状況報告と、蠍隼一族への対応の相談。


風蘭は紫苑のことが気がかりでならなかったが、決してそれを口にすることはなかった。


ひたすらに王として、秋星州の州主である石蕗からの報告だけを聞き続けている風蘭に、石蕗もまた、紫苑のことは話題にしなかった。


もしかしたら、風蘭は石蕗に対して、紫苑の件に関して罪悪感があるのかもしれなかった。


そして石蕗もまた、それを仕方ないと許している部分と、愛娘を奪われた悔しさとの狭間で揺れているのかもしれなかった。



どちらも踏み出せず、歩み寄れない。


互いに傷を見せ合おうとしない、一見すると意地の張り合いのようなふたりを見守っていたのは、木蓮だった。


彼は風蘭の『相談役』として、この大事な対談にも同席することを許されていた。とはいえ、よほどのことでない限り、木蓮は余計な口出しはしなかった。


けれど、このときばかりは、木蓮が口火を切らない限りは距離が縮まることはなさそうだと判断し、彼はふたりの対談が切りのよくなったところで口を挟んだ。


なるべく気楽に明るく。



「そういえば石蕗さま、冬星州でお暮らしの紫苑姫はお元気ですか?」


もしかしてもしかしなくとも、わざとらしかったかもしれない。だが、今はそんな体裁を気にしている場合でもなかった。


やはり風蘭も気にはなっていたようで、ぴくり、とわずかに肩を揺らした。


石蕗はというと、ちらと風蘭に視線を送ってから、木蓮を見上げて答えた。


「椿殿のお世話になりながら、野薔薇と共に頑張って働いているようです。先日も、『ここで働いていると新しい発見がたくさんある』と元気な文が届きましたよ」


「そうですか。それは安心しました」


にこりと笑いながら木蓮は返答し、傍らの風蘭を見る。彼もまたその報告に安堵したか、肩の力が先程よりも抜けているようだった。


けれど、やはり石蕗と風蘭の間でそれ以上紫苑の名が出てくることはなかった。


・・・・・・そんな簡単には埋まる溝ではないことはわかっていたが、それでも木蓮は、思わず漏れてしまうため息を堪えることはできなかった。







冬星州、氷硝。


遊郭として名が知れているこの町の朝は、意外にも早い。


陽が昇りきらないうちから、あちこちの妓楼からまだ幼い少女たちが眠い目をこすりながら、箒を持って次々と 姿を現した。


少女たちは妓女の見習いだった。下働きとして尽くすしかない彼女たちは、朝日に目を細めながら、道の掃除を始めた。


その中に、『雅炭楼』の軒下で箒を扱う、紫苑の姿があった。


紫苑もまた、下働きのひとりである自覚がある。椿は強要したりはしなかったが、夜半の仕事を免除されている以上、紫苑は朝の仕事を懸命にこなした。


椿は朝方近くまで務めがあったし、野薔薇もひっきりなしに舞い続けていた。


紫苑はというと、月が真上に上る前までの時刻で務めを切り上げるように、椿が調整をしてくれていた。


だから、ここに来てからというもの、次第に務め時間が長くなる野薔薇とは異なり、紫苑は変わらずに守られていた。



そう、紫苑はずっと守られていた。


秋星州にいた頃は父に、後宮にいた頃は芍薬に、そして今は椿に。


みんなが紫苑を守ってくれる。


辛いことばかりでないように、苦しまないように。


それはとてもうれしかったしありがたかったが、けれど、紫苑はその優しさも息苦しく感じていた。


今の紫苑は、守ってもらう価値もないのに。


もう王妃でもない、貴族としての立場もない。


何も持たない紫苑を、椿も野薔薇も守ろうとしてくれる。


ふたりとも何も言わないが、紫苑の処遇に同情をしてくれているのかもしれない。



だが、紫苑としてはこれ以上守ってもらう理由はなかった。


対等に扱ってほしかった。


これから先、こうして貴族の立場を捨てて生きていくのなら、守られているわけにはいかないのだから。


覚悟は決めたのだ。冬星州に行くのだと決まったその時に。




ふ、と紫苑は顔を上げる。


秋もそろそろ終わりに差し掛かっている冬星州の朝は、秋星州にいた頃よりも冷え込んだ。


黄金色の空がゆっくりと朝日の明かりを飲み込んでいくこの光景が、紫苑は好きだった。


こんな風に朝を迎えたことはなかった。


ここに来るまでは。


秋星州の朝も、こんな空だったのだろうか。


ふいに故郷を思い出しては、望郷の念に駆られることも珍しくはなくなった。


父は・・・・・・家族は元気だろうか。


水陽のみんなも仲良くやっているだろうか。


どちらにも二度と帰ることは叶わないけれど、みなが無事で元気でいてくれればいい。


紫苑もまた、ここで生まれ変わって元気に暮らしているから。


けれど・・・・・・時々望んでしまう・・・・・・。


会いたい・・・・・・家族に・・・・・・友に・・・・・・そして・・・・・・。


「・・・・・・風蘭・・・・・・」


彼はきっと、紫苑をここに流したことを悔やんでいるだろう。自分を責めているだろう。


紫苑は風蘭を責めてなどいないのに・・・・・・。


会って、話をしたくなる。


あの力強く希望に満ちた瞳で見つめられたいと願ってしまう。


先王の妃であった紫苑には、もはや叶わぬ望みであったとしても・・・・・・。




紫苑のこんな願いや望みを、椿たちに打ち明ける訳にはいかなかった。


できるわけない。


紫苑を守ってくれているのに、望みを吐くなど。


けれど、もしも対等に扱ってくれたら・・・・・・紫苑にも、なにか役に立てるものがあったのなら・・・・・・。


思考回路は堂々巡りを繰り返す。


紫苑は小さく嘆息すると、箒をもとの場所に片付けた。


いつまでもここでぐずぐずしてはいられない。この冷えた空気に暖かな光を運んでくる朝日が昇りきる前に、紫苑たちは朝食の用意をしなければならないのだから。



下働きの女たちは忙しい。


妓楼の中の掃除や開店準備もあれば、椿たち妓女のお世話もある。そうした中で、細々とした雑務も山積していて、慣れない作業ばかりに始めは戸惑っていた紫苑も野薔薇も、次第に各々の得意な業務を手掛けるようになった。


計算が割りと得意な紫苑は、自ら進んで帳簿付けを手伝った。それまで帳簿を担当していた者たちからは、紫苑の正確で早い計算力に尊敬を集めていた。


けれど、紫苑はこれが自分の『役目』ではないと、感じていた。




「不満そうな顔ね、紫苑」


窓枠のひとつに肘をつき、ぼんやりと外の景色を眺めていた紫苑に、椿がクスクス笑いながら話しかけてきた。


今日の椿は、あの真っ赤なツバキの花の着物ではなく、動きやすそうな軽装だった。


「椿ちゃん。これから開店なのに用意しなくていいの?」


「・・・・・・ん、ちょっとね」


曖昧に笑って誤魔化すと、椿は先程と同じ台詞を繰り返した。


「不満そうな顔していたわよ。物足りないって感じ」


「私が?別に不満はないけれど・・・・・・ただ・・・」


「ただ?」


「私にもなにか・・・・・・私にしかできない何かがないかなって思ってて・・・・・・でも、見つからなくて・・・・・・」


「・・・・・・紫苑・・・・・・」


寂しげに笑う紫苑に、やがて椿が小さな声で囁いた。


「あたしも実は、物足りないなって思ってるの」


「え?」


「水陽から帰って、『雅炭楼』の妓女として石榴姐さんの分まで働く。それがあたしの日常だったし、これからもずっとそうなんだと思ってた」


先程紫苑がそうしていたように、椿が窓枠に肘をついて空を見上げる。その目はどこか、迷っているようにも見えた。


「我が儘だと自分でも思うわ。でも、『知って』しまったから、望んでしまうのかもしれないわ。物足りない毎日を刺激的に変えてくれるその『場所』を」


「椿ちゃん・・・・・・?」


「勝手に別れを告げて帰ったのは、あたしの方なのにね・・・」


「・・・・・・椿ちゃん・・・まさか・・・・・・」


「この話、みんなには内緒よ?」


驚愕する紫苑に片目をつぶって椿はいたずらっぽく笑った。それを受けて、紫苑は黙って小さく頷く。


「ありがと。じゃぁ、あたし出掛けてくるから」


「・・・・・・いってらっしゃい」


軽装の椿が身軽に去っていくその背中を、紫苑はじっと見送った。




椿は、『雅炭楼』の妓女とは違う、もうひとつの顔を持っている。


幻の国軍『闇星』の頭領『黒花』。


『闇星』に所属する女武人たちは、各州に蝶報員として潜んでいるという。そしてもちろん、冬星州にも。


椿は、時々ここを訪れる冬星軍の軍人と仲がいいようだった。


他にも貴族の武官ではないが、明らかに武人だと思われる男たちとも気さくに話をしているのを見ている。


しかも、彼らと共に馬でどこかにでかけるのも。


椿は、朝と言わず夜と言わず、馬を駆って出掛けていった。


椿が何をしているのか、紫苑は聞かなくてもわかっていた。彼女が『雅炭楼』に帰ってくる頃、彼女はいつも泥だらけで傷だらけだから。


紫苑はクタクタになって帰ってきた椿に、暖かい湯を用意してあげることしかできない。


椿は、『闇星』の『黒花』。


武人として修行を重ねているのだろうと容易に想像できる。


妓女として働き、『黒花』として修行する。


そんな忙しい毎日を送っている椿が漏らした、「物足りない」という言葉。


物足りなくて刺激がなくて、だから、椿は毎日のように馬を駆るのだろうか。



だけど、紫苑にはそんな椿も羨ましく思った。


椿には椿にしかできないことがある。野薔薇も、彼女ほど魅力的に優雅に宮廷舞踊を舞う者はいないから、今やここではなくてはならない存在だ。


では、紫苑はどうか。


常に誰かの補佐役として働いているが、紫苑でなければならないことではない。


だからこそ、紫苑は求めていた。


紫苑にしかできない何かを。


守ってもらうばかりではなく、誰かを守れる力を。





『雅炭楼』に来る客は、やはり貴族が多い。


冬星州の貴族もいるが、他州からの貴族もやってくる。馴染みの妓がいれば、なおのことだろう。


平民であってもここに足を運ぶ者たちはいたが、専ら商人が多かった。


やはり事前に聞いていたように、冬星州は貧困に窮しているという事実は真であるようだった。


氷硝は遊郭の町であることもあってさほどではないが、国中を巡っている商人たちの話を聞くと、やはりこの州の過酷さは目に余るものがあった。とはいえ、椿が避難するほど柘植が務めを放棄しているようにも感じない。


けれど冬星州には、他州に遅れをとる決定的な意識差があることを感じていた。


これらの情報は、すべて紫苑自身が集めたことだった。


野薔薇と共に客間に入ったとき、客に求められれば紫苑は彼らと喜んで会話を交わした。


椿や野薔薇はそのことに対してあまりいい顔をしなかったが、紫苑はこの州のことを・・・・・・今まで知らなかったことを知ることができるのがうれしかった。




だからその日も、貴族とふたりの商人という珍しい組み合わせの客に一曲弾いた後、酌を求められて紫苑は応じた。


もちろん、その横には椿もいる。


「相変わらず冬星州は活気がないね。この町くらいだよ、人が人として暮らしているのは」


ひとりの商人の言葉には、一緒に飲んでいた貴族も苦笑を漏らした。


「まぁな・・・・・・。なにせ、冬星州は土もよくないし、これといった技術もない。生産性が皆無だから、こうして君たちが物資を運んでくれなければ、我々の生活もままならないよ」


「こちらとしては商売がしやすいですがね。それにしても、なんとかならないものですかねぇ・・・・・・」


残されたもうひとりの年若い商人が、心底残念そうに呟く。こんなやり取りは毎度のことなのか、椿たち妓女もたいした反応を示さない。


けれど、その席に初めて同席した紫苑は、黙って見過ごすことはできなかった。



「冬星州はそんなに何もありませんか?土が悪くても育つ食物もありますよね?」


紫苑がそう尋ねて、ぎょっとした顔を浮かべたのは椿である。問われた商人たちは、気分を害する様子もなく、紫苑に答えた。


「例えどんな苗を植えようと、この気候も条件が悪い。日が当たる時間も短いしね。どの道、この悪条件のもと、作物を育てる知識のある者が冬星州にはいないよ」


「冬星州は初めてなのか?生まれはどこだったんだ?」


「秋星州です」


商人の隣で肴をつついていた貴族が紫苑に問えば、彼女は素直にそれに答えた。


「なるほど、秋星州ね。あそこは地形もいいから、作物も豊富に育つね」


年若い商人が納得顔で頷くと、紫苑は食い下がった。



「私は実際に農業の知識や商業の知識、技術があるわけではありません。ですが、どうしても無理なのですか?冬星州から何かを生み出すのは」


真剣な表情で尋ねた彼女に、年若い商人も思わず表情を引き締めた。


「全く望みがないというわけではないけど・・・・・・」


「地形と気候の問題ですね?」


「・・・・・・そうだね。うまく折り合いをつけて利用できれば、あるいはうまくいくものもあるかもしれないが・・・・・・」


「それは、どのようなものですか?!」


すっかり話し込み始めてしまった紫苑と年若い商人の様子に、残されたその場にいた者たちがみな、目が点になっていた。


ふたりの間では冬星州についての論議が始まってしまい、残された者たちだけで酒宴を楽しむしかなかった。


もうひとりの商人や貴族も複雑な表情で、若いふたりの論議を眺めていた。椿たちはそれを宥めるように、誤魔化すように、酌をすすめて意識を反らすしかなかった。



ふたりの論議が盛り上がっているから止めることができなかったというのもある。


だがそれ以上に、椿も野薔薇も、冬星州に来てから初めて活き活きとしている紫苑を見て、彼女を止めることなどできなかったのだった。















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