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八章 開かれる道 一話











一、新境地への覚悟














「冬星州へ・・・・・・?」


朝議で決められたその知らせを受けて、紫苑はぼんやりとそう呟いた。


「・・・そう。冬星州への左遷と決まったのね・・・・・・」


「あんまりな処置だわ。紫苑はなにもしていないのに、秋星州に帰ることもできずに・・・よりによって冬星州なんて・・・!!」


もう一度確かめるように呟いた紫苑に、野薔薇が非難めいて吐き捨てるように言った。だが、悲痛な表情を浮かべる野薔薇とは対照的に、紫苑は穏やかに微笑んだ。


「女月のお屋敷に帰れないのは寂しいけれど、仕方のないことよ。私は戦に敗れた国王の妃なんですもの。様々な危惧の上で、殺されることも投獄されることもなく、左遷で済んだのはよかったと思うべきだと思うわ」


「だけど、紫苑・・・」


「冬星州での暮らしは大変かもしれないわね。貴族のお屋敷にお世話になれるとも思えないし・・・」


「なぜですか?紫苑姫さまのような本家の姫君ならば、どの貴族も迎え入れるのでは・・・・・・」


それまで、驚きのあまり口を閉ざしていた夕霧がそう尋ねれば、野薔薇がそれに答えた。


「いくら本家の姫君とはいえ、紫苑は敗王の妃よ?紫苑を引き取ることによって、その一族が『匿った』やら、『風蘭王への謀反だ』やらと言われかねないでしょう?」


「・・・・・・それは・・・・・・」



その通りだ。


紫苑は風蘭に敗れた王の正妃だ。


投獄されたとしても文句の言えない立場。


冬星州へと左遷されたそんな姫を、誰が、どの一族が、喜んで引き受けようというのだろう。


そのあまりにも的を射た野薔薇の発言に、夕霧は返す言葉がない。


そんな夕霧に紫苑が笑みを向けた。


「そんな顔をしなくても大丈夫よ、夕霧。妃でなくなっても、質素な暮らしをしても、私は私だわ」


「紫苑姫・・・」


こんな状況下でも動揺することなく、受け入れて微笑む紫苑の強さ。


野薔薇は、紫苑が桔梗と話したあの日のことをふと思い出した。








椿と名乗った『闇星』の女武官に案内されて、桔梗と紫苑は再会した。


その場には花霞と淡雪、緑光と権威ある女官たちが揃っていた。


桔梗付の側女である花霞ならともかく、筆頭女官である淡雪、『水女』と『火女』の取締役である緑光まで一緒にいたのは驚いた。


「久しぶりね、野薔薇。無事でよかったわ」


驚きのあまり立ち尽くしていると、桔梗がくすりと笑いながら野薔薇にそう言った。


「私たちまでここにいるのが不思議、といった顔ね」


くすくすと淡雪が笑うと、緑光も同じように笑う。花霞も一緒に笑いながらも、戸惑う野薔薇に教えてくれた。


「この度の戦で退官し、帰州してしまった女官も少なくはないわ。それに、あなたもわかっている通り、現状はとても混乱しているの。その中で、桔梗さまを案じる私たちがここにいても不思議ではないでしょう?あなたが紫苑姫のそばにいたいように」


そう指摘されると、野薔薇は慌てて桔梗に向き直って頭を下げた。


「も、申し訳ありません、桔梗さま。役目を果たさず、紫苑姫の側にいるなど・・・・・・」


「花霞は責めているわけではないのよ、野薔薇」


桔梗がふわりと笑いながら、さらに優しい声色で言い加えた。


「それに、以前の職位が活かされているとも限らないでしょう?今やもう、わたくしや紫苑姫の立場はとても危ういもの。それなのに、女官の職位に拘る必要などないでしょう?あなたはあなたが望むままに、そばにいたい人のそばにありなさい」


「・・・はい」


もしもその言葉通りなのだとしたら、桔梗付女官である花霞はともかく、淡雪や緑光もまた、桔梗の側にありたいと願い、彼女の側にいたということだろう。


高位の女官を惹き付ける人望と魅力。


桔梗には確かにそれがあった。


そして、その桔梗は紫苑に視線をうつし、その柔らかな声のまま声をかけた。


「紫苑姫、あなたもまた、あなたの望むままに行動を起こせばいいのですよ。・・・けれど、どうやらあなたはそれを尋ねに、わたくしのもとにいらしたのかしら?」


「双大后さま・・・」


「その通りですよ、双大后」


言い淀む紫苑に代わって答えたのは、ここまで紫苑や野薔薇を案内した椿だった。


この場で唯一、後宮には無縁の存在。


「紫苑姫は己の道を見つけられずに苦しんでおいでのようです。己の役目だけではなく・・・己の気持ちにすら整理がつけられずに、ね」


「まぁ、紫苑姫のことをよくご存知なのね、椿さん」


桔梗がゆったりとそう言えば、椿はにっこりと笑いながら飄々と答えた。


「えぇ、紫苑姫とは少しお話しする機会が多かったものですから」



野薔薇には、椿という少女の存在が、まるで未知数だった。


あの火攻めの日に、紫苑を叱咤して立ち上がらせた。そして先程、紫苑をこの室に迎え入れるときには、的確に紫苑の思惑を読み取った。


どれもこれも紫苑のことをよく知らなければできない。


加えて、紫苑も椿を信頼している様子なのだ。


ふたりが関わったのはどうやら妃審査が関係するようだが、椿は貴族ではない。


野薔薇にとって、椿はまだ信用できない存在だった。その椿が、桔梗にこんなことを告げた。


「双大后さまと紫苑姫、おふたりきりでお話をされますか?同じ王の妃という立場同士でしかわかりあえないものもおありでしょう?」


「え・・・」


戸惑うのは紫苑。そんな彼女に温かな視線を送りながら、桔梗は静かに頷いた。


「そうね。紫苑姫とふたりきりしてもらえるかしら」


桔梗がそう告げた途端、そばに控えていた花霞、淡雪、緑光が立ち上がった。


「野薔薇、あなたも一緒にいらっしゃいな」


淡雪にそう促され、野薔薇は戸惑ったように紫苑と桔梗を見つめてしまう。


紫苑は力なく小さく笑い、桔梗もふわりと野薔薇に笑いかけた。


「わたくしを信じてもらえないかしら、野薔薇」


「あ、いえ、そんな・・・」


「紫苑姫を大切に思うのはみんな一緒よ。でも、今はおふたりだけで話す方がいいと思うわ。そうでしょ?」


慌てる野薔薇にそう言い加えてきたのは椿。


野薔薇としては、どうにもこの椿という人物は信用できないのだが、かといってここでごねて、桔梗や紫苑を困らせたいわけでもない。


野薔薇は静かに頷くと、そっと立ち上がって、花霞たちと共に室を出ようと紫苑に背を向けた。


室を出る直前、紫苑が小さく声をかけた相手は、野薔薇ではなく椿だった。




「椿ちゃんは一緒に残ってもらえないかしら・・・・・・」




その紫苑の申し出は、少なからず野薔薇に衝撃を与えた。


同時に、椿に対する嫉妬という感情を抱いた。


紫苑の一番の理解者は自分だと自負していた。


だから、紫苑が椿を頼ったことが、野薔薇に言い様のない喪失感を与え、同時に彼女の矜持も傷ついた。


それから、あの室内でどんな会話がされたのか、野薔薇は知らない。けれど、桔梗の室から退室してきた紫苑は、迷いの晴れた、すっきりとした表情をしていた。


だから、こうして紫苑が冬星州へ左遷という形の処遇を受けることになり、どうしようかと戸惑う野薔薇とは違い、それをしっかりと受け止めている紫苑の様子に、野薔薇は驚きを隠せなかった。




「冬星州へ左遷となって・・・驚かないの、紫苑?怖くは・・・・・・寂しくはないの・・・?」


「秋星州へ帰れないのは、正直に言えば寂しいけれど・・・。冬星州へ行くことになったのも、もちろん驚いているわ。でも、同じくらいワクワクもしているの」


「・・・わくわく?」


あまりにも想像からかけ離れた単語が紫苑の口から飛び出し、思わず野薔薇も夕霧もきょとんとしてしまう。そんなふたりの反応がおもしろいのか、紫苑はくすくすと笑いながら話を続けた。


「もう貴族という立場もなくしたも同然になるのよ。そうしたら、誰かに頼ったり守ってもらえることも当たり前ではなくなってしまう。それはとても怖くて不安なことだけれど、でも、同時に自分の可能性を切り開くいい機会だとも思っているの」


「自分の可能性・・・・・・」


「私はずっと王妃になるためだけの教育を受けてきたの。野薔薇ちゃんのように舞踊が得意なわけでもないし、夕霧のように医術の知識があるわけでもない。空っぽの私に何ができるのか・・・・・・何ができるようになるのか、冬星州に行けばわかるような気がするの」


「紫苑、あなた・・・・・・」



ただただ王妃になることだけを夢見て、それを追い続けてきた紫苑。


自分に何ができるのか、何をすべきなのか、考えては迷い、悩み、立ち止まることが多かった彼女が、新しい道を歩こうとしている。


幼い頃からの夢を捨てて・・・・・・。



「それに、本当は少しあやかっているところもあるの」


くすっと笑って紫苑は小さくそう言い加える。


「あやかる・・・って、なにに・・・・・・?」


野薔薇も夕霧もわけがわからずに首を傾げる。そんなふたりの反応を受けて、紫苑がさらに口を開こうとしたそのとき、室の外から別の声がかかった。


「失礼します、椿です。入室してもよろしいですか?」


「椿ちゃん?!」


入室の許可を求めるのが椿だと知ると、紫苑はあからさまにうれしそうに、野薔薇はひどく複雑な表情を浮かべた。


「紫苑さま、よろしいですか?」


「えぇ、お願い」


夕霧が入室の確認をとれば、紫苑はにっこりと頷いてそれに答えた。


やがて夕霧に案内されてやってきた椿は、得意気な笑みを浮かべて紫苑の前に座った。


「今日はどうしたの、椿ちゃん?」


「うれしい知らせよ、紫苑」


「うれしい知らせ?」


「紫苑、あなた冬星州へ行くのでしょう?」


「え、えぇ・・・・・・」


「あたしも冬星州に帰るのよ、紫苑」


「あ・・・。そういえば、椿ちゃんは冬星州の出身だったものね」


「紫苑が冬星州に来るってわかってうれしいわ」


うきうきと呑気にそんなことを紫苑に告げる椿に、思わず野薔薇は刺々しい口調で言い添えずにはいられなかった。


「紫苑が冬星州へ行くのは望んでのことではないのよ?風蘭さまからの此度の戦の処遇という形での左遷なのだから。・・・うれしいことなわけないじゃない」


「の、野薔薇ちゃん?!」


吐き捨てるように言った野薔薇の態度に、紫苑が慌てて彼女に声をかける。けれど、椿は勝ち気な笑みを浮かべたまま、野薔薇を見返している。


「紫苑の冬星州行きがどんな理由であれ、決まってしまったものは仕方ないでしょ?そこにどんな感情があるかなんていつまでも執着していたって仕方ないじゃない」


「なっ・・・・・・!!」


「あたしが言っているうれしいことっていうのはこれからのことよ。紫苑が冬星州へ行く。それがどういう意味かってくらいはあたしだってわかってるわ」


笑顔のまま、それでもぴしゃりと言い切る椿に、野薔薇は返す言葉もない。野薔薇が言い返してこないことを確認すると、椿は紫苑に向き直って言った。


「紫苑が冬星州で暮らすには宿がいるでしょう?とはいえ、州主たち貴族の屋敷に行けば、また貴族たちのなかで蟠りが残るでしょ?」


「・・・そうね」


「だからね、紫苑はあたしと一緒に『雅炭楼』で住み込みで働いてもらうわ」


さらっと椿が言ったので、紫苑は一瞬何を言われているのか理解ができなかった。


やがて、じわじわとその意味が頭の中に染み込んでくると、驚愕に目を見開いた。


「本当に・・・?椿ちゃんと一緒にいていいの・・・・・・?」


「そんな!!貴族の姫である紫苑が、平民と一緒に働くなんて!!」


野薔薇が叫ぶように抗議をする。椿はそれに対してなにも言い返してこなかったが、代わりに紫苑が真剣な表情で野薔薇に告げた。



「野薔薇ちゃん。私はもう、女月家の姫ではないのよ。何もないの。それなのに椿ちゃんが私に手を差し伸べてくれたのよ。私は椿ちゃんと一緒に冬星州で暮らすわ」


「紫苑・・・・・・」


はっきりとした態度でそう言った紫苑に、野薔薇は戸惑いを隠せない。けれど、すぐに紫苑と、それから椿に宣告するように言った。


「じゃぁ、私も紫苑と一緒に生活するわ。・・・いいでしょ?」


「野薔薇ちゃん?!」


「えぇ、もちろん大歓迎よ」


野薔薇の突然の宣言に、紫苑は驚きの声をあげたが、椿はそれを見越していたかのように余裕の表情で頷いた。



「ふたりとも冬星州に・・・氷硝に歓迎するわ」





混乱は未だおさまることはない。


けれど、少しずつ前に進んでいる。新しい時代、新境地へ。


そうして、紫苑の冬星州行きが決まった10日後に、紫苑と野薔薇、それから椿を乗せた馬車は、冬星州氷硝に向かって走っていった。


まだ見ぬ日々に、各々が思いを馳せて。






うっかりと、流行のインフルエンザにかかってしまいました(苦笑

みなさまもどうかお気をつけて…(汗)

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