七章 揺れ動く心 七話
七、王妃
皆が水陽の復興に向けて慌ただしく動いているうちは、紫苑にもやることは何かしらあった。
だが、それも次第に落ち着きを取り戻し、後宮も応急的に復旧してしまうと、紫苑や王族の姫たちはたちまち後宮に押し込められた。
焼き落とされる前より3分の1ほどの規模に縮小した新しい後宮だったが、以前ほど広くないにせよ、それぞれにひとりずつ室は与えられた。
紫苑もまた室を与えられ、その傍らには夕霧と、それから野薔薇がいた。
「野薔薇ちゃん、双大后さまのところへ行かなくていいの?」
「今はまだ混乱状態にあるから、女官の職位とか務めは、定まっていないわ。それだったら、大切な人のそばにいたいものでしょ?」
気遣うように紫苑が問いかければ、野薔薇は片目をぱちりと閉じていたずらっぽくそう言った。
「それに、双大后さまには花霞さまがいらっしゃるわ」
「・・・後宮に務めていた女官の何人かは、あの混乱の後、帰州した者もいたようね」
「だからこそ、縮小された後宮で全員がおさまっているんでしょうけどね」
「・・・確かに、以前の後宮は、機能していない室もあり、空間に無駄がありましたよね」
紫苑と野薔薇の会話に、ぽつりと呟いて加わったのは夕霧。彼女の言葉に、ふたりは同時に頷いた。
「26代国王陛下の御世の折に、わざわざ後宮を拡張させたと聞いたことがあるわ」
「その際の人件費を軽減させるために、夏星州の民がその工事に加わっていたとも」
「26代国王陛下は、歌宴がお好きだったようですしね」
紫苑がかつての王を話題にのぼらせれば、野薔薇と夕霧もそれに同調した。
こんな他愛もない会話とやり取りが続いていた。何かを先延ばしにするかのように、ただ上辺だけの会話を続ける。
本当に考えなければならないのは、そんなことではないのに。
紫苑も野薔薇も夕霧もわかっていたが・・・・・・誰も口に出せなかった。
言い様のない不安が、互いの胸を行き交うのは、わかっているのに。
やがて、紫苑が小さな声で呟いた。
「双大后さまにお会いできないかしら・・・」
「紫苑?」
「紫苑姫さま・・・・・・」
「やっぱり、このままではいけないと思うの。これから私はどうするべきか、私は知りたい。双大后さまなら、今後のことについて何かご存知かもしれないし・・・」
拳を握りしめ、紫苑は唇を噛み締める。
彼女の形式上の夫である芍薬は、すでに風蘭に討たれている。ならば、その妃である紫苑とて、のうのうといつまでも後宮にいられるはずがない。
獄に入れられるかもしれない。
あるいは、それ以上の制約と措置があるかもしれない。
それは、紫苑が、この度の戦の勝者である風蘭の敵であった芍薬の妃だから。
風蘭が何かを言わずとも、周りの官吏たちが黙っていないだろう。
たしかに、今後のためにもケジメを示すことは大切だ。
風蘭にとっても。
甘すぎる措置を選べば、彼が王となり最高権力者となっても、また高官たちに馬鹿にされてしまうだろう。
彼の威厳のためにも、紫苑は覚悟は決めていた。
「・・・紫苑、あなたがどこに入れられても、行っても、私はついていくわよ。あなたがいるところに私の夢があるのだから」
思い詰める紫苑の横顔を見ながら、野薔薇がのんびりと穏やかな口調でそう言った。
「野薔薇ちゃん・・・でも、私はもう・・・・・・」
「幼い頃の夢は、形は違うけれど叶ったじゃない?こうして、後宮で私たちは3人過ごすことができた」
幼い頃の約束。
王がいるその場所で、官吏として、女官として、そして王妃として再会しよう、と。
現実はそんなに甘いものではなかったが、それでも、3人は後宮で再会することができた。
「私が紫苑のそばにいたいだけ。だから、それくらい許して」
「野薔薇ちゃん・・・」
「あ、あの、私も・・・・・・」
「夕霧、それはだめよ」
野薔薇に続いて名乗りをあげようとした夕霧を、紫苑がぴしゃりと止めた。
「夕霧、あなたは長秤一族でしょう?医官一族の女官として、果たしたい夢があるでしょう?」
「それに、気になる方もいるみたいだし?」
「の、野薔薇さん!!」
野薔薇がからかうように言えば、夕霧は顔を真っ赤にして野薔薇に抗議する。
そんなふたりのやりとりを微笑みながら見守っていた紫苑だったが、やがて、すっと立ち上がった。
「双大后さまのところに行ってくるわ」
「待って、それなら私も行くわ。仮にもあなたはまだ『王妃』なのだから、ひとりでなんて歩かせないわ」
くすりと笑いながら野薔薇が言うと、紫苑もほっとしたように笑った。
「ありがとう、野薔薇ちゃん」
双 桔梗に与えられた室は、以前同様、王妃の室よりもさらに最奥にあった。
紫苑は芍薬の妃であったが、風蘭や芍薬のどちらを支持するかどうかについては公言したことはなかった。
無論、王妃である以上、謀反人であった風蘭を弁護することすらできない立場であることは紫苑もわかっていたし、周りも彼女がどちらの味方であるのか、などという愚問を投げ掛けては来なかった。
紫苑は芍薬王の妃。
それ以上でもそれ以下でもなかったから。
けれど、双 桔梗は違った。
前国王の妃でありながら、同時に、謀反人であった風蘭の実母でもある桔梗。
彼女が芍薬と風蘭、どちらを支持するか、皆が注目していた。
そして、彼女は堂々と公言した。
「謀反人となった風蘭は、もはや自分の子だとは思わぬ」と。
それは風蘭を敵とみなし、芍薬を支持するという宣告と同じだった。故に、後宮だけでなく朝廷も揺れた。
こんなにもはっきりと、桔梗が風蘭と対立することを公言するとは予想していなかったから。
その堂々たる態度に感服し尊敬する者もあれば、戸惑い罵る者もあった。
どちらの味方になることも敵になることも決めることができないでいた紫苑にとって、桔梗は憧れでもあった。
その桔梗なら、これから紫苑がどうするべきか、何をすべきか示してくれるのではないかと。
「双大后さまへお目通りを願います。女月 紫苑姫がご来室です」
野薔薇が桔梗の室に向かってそう告げる。
王がいない今、紫苑は貴妃と名乗るべき立場であるか、とても微妙なところであった。
少なくとも、紫苑はそう名乗ることに違和感があった。だから、野薔薇が紫苑をひとりの姫として扱ってくれたことに、ほっとしていた。
やがて、桔梗の室の扉が開けられ、そこから現れた人物に紫苑も野薔薇も驚いた。
「あ、あなた、あの時の・・・・・・!!」
「あぁ、火攻めのときに紫苑のそばにいた女官さん?どうもお久しぶり。紫苑も、元気そうで何よりだわ」
「つ、椿・・・・・・さん・・・・・・」
桔梗の室から現れたのは、桔梗付の側女である花霞でも、女官たちでもなく、かつて雲間と名乗り共に妃審査に挑んだ、椿という少女だった。
そして、彼女は後宮が火攻めに遭ったあの日、死を覚悟した紫苑を叱咤し、助け出した命の恩人でもある。
その少女が、大后である桔梗の室から現れたのだ。紫苑も野薔薇も、思わず混乱せずにはいられない。
「なぜ・・・あなたがここに・・・?あなたは、女官ではないわよね・・・?」
野薔薇が恐る恐るといった様子で尋ねれば、椿はあっけらかんと答えた。
「ええ、もちろん、あたしは女官じゃないわ。あたしは武官よ」
「ぶ、武官・・・?!」
「そ。今は危険な立場にある双大后を護衛しているの。一応、これも頼まれた仕事だし」
「仕事・・・?頼まれたって・・・?」
「風蘭よ。あたしたちは、風蘭に頼まれて力を貸してるの。彼が正式に王となり、あたしたちを必要とするまでは、まだ、主従関係は組めないからね」
「・・・・・・風蘭」
椿の言葉を聞きながらも、紫苑はぽつりと一言呟く。
すると、それまで野薔薇と話していた椿が、紫苑に視線を向けた。
「あなたの室にもあたしの仲間を護衛につかせているわ、紫苑。あなたと双大后は今、とても微妙で・・・危険な立場だから」
亡き芍薬の妃である紫苑と、その芍薬を支持した桔梗。
風蘭を支持する者たちのなかで、過激な者たちがいれば、たしかにふたりは危険である。
だが・・・・・・。
「椿さんの仲間って・・・」
後宮内で武官だとわかる男たちを紫苑は見ていない。いや、それよりも椿は女であるのに、なぜ武官だと言い切ったのか・・・。
「あら、噂くらいにはなっていない?今回の戦に、風蘭側には幻の国軍『闇星』が加わっていたって」
「え、ええ・・・・・・たしかに、そんな噂は・・・でも・・・・・・え・・・・・・?」
「そ。あたしはその『闇星』のひとり」
「『闇星』って、女性が武官で?!」
胸を張って告げる椿の話に、紫苑も野薔薇もさらに混乱して互いの顔を見合わせる。そんなふたりに、椿はけらけら笑いながら言った。
「『闇星』は女だけで成り立っている国軍。武官全員が女よ」
「そんな・・・・・・それが・・・『闇星』・・・・・・」
「そんなにペラペラ喋っちゃって。だから逸初に怒られるのよ、椿ちゃん」
突然紫苑と野薔薇の背後から声が聞こえ、ふたりはぎょっとして飛び退いた。
そこには呆れたように笑う女性がいた。
「あはは、ふたりになら話してもいいかなって。一応、逸初さんには内緒ね、皐月さん」
「はいはい、そうでしょうとも」
いたずらっ子のように笑う椿に苦笑を返してから、女は紫苑と野薔薇に向き直った。
「お初にお目にかかります、紫苑姫。『闇星』のひとり、皐月と申します」
「紫苑の護衛をしてくれていたのが皐月さんよ」
椿がそう言い加えてくれて、紫苑は改めて皐月を正面から見つめる。
たしかに、紫苑の室のそばで見かけたことがあるかも・・・・・・しれない。
「それで?紫苑は双大后に会いに?」
椿に尋ねられて、紫苑ははっと本来の目的を思い出して、頷いた。
「双大后ってどんな方だろうって思ってたけど、想像以上の方ね。あの方が風蘭の実母なんて信じられない」
「えぇっと・・・」
たしかに、桔梗は素晴らしく気高く強い方だ。
だが、風蘭の母であるのが信じられないという椿の発言には・・・どう返答していいかわからない。
紫苑の知る風蘭は、理想に向けて駆け出している、キラキラと輝きを放っていた青年だった。
身体中から生命力が溢れ出ているようなそんな力強さもあった。
凛と自らの道を迷いなく切り開く桔梗の姿に、風蘭は少なからず重なっているように紫苑は感じていた。
だが、どうやら椿はそうではないようで、風蘭を幼子のように扱っているようにも見える。
紫苑の知らない風蘭を、椿は知っているのだろうか。
なんだかそれは羨ましくもあり、悔しくもあった。
この胸に生まれた、モヤモヤとした感情を何というのだろう・・・・・・。
「紫苑は、双大后に尋ねるつもりでしょ?」
自らの思考に沈んでいた紫苑に、椿がニヤリと笑って言う。
「『私は今、何をすべきなのでしょうか』って、双大后に訊きに来たんじゃない?」
「な、なんでそれを・・・」
「やっぱり?そうじゃないかなって。だって、妃審査で海燈にいたときも、後宮に来てからも、あなたはいつもそう言って悩んでいたから」
すっかり紫苑のことなどお見通しの椿に、紫苑は顔を赤くして俯く。
けれど、椿が彼女の顎を持ち上げ、すっと上を向かせた。
いつしかのように。
「顔を上げなさい、紫苑。顔を上げて、周りをよく見るのよ。『どうすればいいか』なんて、周りのことばかり考えて、周りに指図されることを待ってはダメ。『どうすればいいか』じゃなくて『どうしたいか』を考えなさい」
「・・・え・・・・・・?」
紫苑は、すぐには椿の言いたいことが理解できなかった。問うように椿を見返すが、彼女は苦笑を漏らしただけだった。
「まぁ、いいわ。双大后に会うのもいい刺激になるでしょ」
まるで妹を見るように、優しい瞳で紫苑を見つめる椿。
たしか彼女は雲間姫の身代わりをしていたから、年の頃は紫苑より上かもしれない。けれど、この何もかも見通したかのような瞳は彼女が年上であるからだけではないに違いないと紫苑は思った。
「・・・ありがとうございます、椿さん」
ぺこりと頭を下げると、椿は照れたように頭を掻いた。
「あのさぁ、木蓮もそうなんだけど・・・その『椿さん』ってやめない?あたしたち、同い年なんだし。なんか気恥ずかしいわ」
「お、同い年?!」
「ん?そうよ?」
「だ、だって、雲間姫は私よりも年上で・・・」
つい先程まで椿は年上だと思い込んでいた紫苑に、舞い込んできた事実。
椿が紫苑と同い年と知り、大慌てする彼女に、椿が笑った。
「あぁ、名前も姿も、ついでに年齢も偽っていたのよ。ごめんね、騙しちゃって」
「なんで、そんなこと・・・・・・」
「さぁ?あたしが知りたいわ。さぁ、どうぞお入りなさい。双大后が待ちくたびれているわ」
そう言って、椿は紫苑に道を開ける。
様々な衝撃的な事実にくらくらしながらも、紫苑はしっかりと前を見据えた。
そして、椿に微笑んだ。
「色々とありがとう、椿ちゃん」
一瞬、椿は驚いたような表情を浮かべたが、すぐにそれは笑顔に変わった。
「いいえ。どうぞごゆっくり」
そして、紫苑と野薔薇は、桔梗と会うために、足を踏み入れた。