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七章 揺れ動く心 六話







六、民部長官












風蘭は、星官に召集を命じると同時に、もうひとつの行動に出ていた。


それは、民部の帳簿見直し。


もちろん、財政の詳しいことや専門的なことは、風蘭にだってわからない。


ただ、気になることがあったのだ。




それは、すべての発端。


風蘭がこそこそと朝廷をうろついていた頃。


芙蓉もまだ生きていて、風蘭を追いかける連翹が、「坊っちゃん」と呼んでいた頃。


ちょうどその頃に、風蘭は民部にこっそりと忍び込み、一枚の書類を抜き取ってきた。


それは、簡単な決算書の下書き。科目もざっと大雑把にしか仕分けられていないものだったが、それは正本とほぼ同じものだった。


財政に関してずぶの素人である風蘭でさえ気付いた、怪しい項目。


桔梗もまた、怪しいと同意してくれたときもあった。


国の財源すべてを預かる民部。


国中の民が必死になって納めた税金を集約している場所。そこで不正が行われていたら、民の汗もまた、水の泡だ。


財政はすべての要となる。


だからこそ、風蘭は早々にこの問題に着手することに決めた。




「風蘭・・・本当に『今』やるの?」


民部棟に向かう風蘭の背中を追って不安そうに言うのは木蓮。当然、その後ろから護衛の連翹もついてきてる。


「もちろん、今やるんだよ、木蓮。こういうことは早く解決させないと。俺がここにいない間、木蓮が集めてくれた情報もあるし?」


「でも・・・風蘭はまだ即位をしていないから、正式な権限はないでしょ?長官にそこをつかれたら・・・・・・」


「長官は蘇芳に傾倒していた人物みたいだからな。有り得るな」


「いや、そんなあっさりと・・・」


オロオロと心配しながら風蘭を追いかける木蓮。


だが、そんな木蓮に、風蘭は意地悪く笑った。


「どんな反論でもしてくるだろうさ。だけど、こちらには動かぬ証拠がある。権限なんて関係ないさ。蘇芳がいなくなった今、この朝廷の中の狂った歯車も正していかなきゃいけない。そうだろ?」


「・・・風蘭、なんかその笑い方、悪人っぽい・・・」


がっくりと項垂れる木蓮は、後ろから連翹がくすくすと笑うのが聞こえた。


「連翹さん?」


「失礼いたしました。風蘭さまがあまりにも生き生きとされていたもので」


「・・・たしかに」


ずんずんと民部棟に向かう風蘭の背中は勇ましい。


水陽襲撃から慌ただしく日々が過ぎていく中、風蘭は失われていった命を嘆いていた。


きっと、彼の中で「大願のための犠牲」という割り切りはできないだろう。


ずっと、その責を負っていくつもりに違いない。


おそらく、木蓮の父の死も。



木蓮も、父の死から完全に立ち直っているわけではない。


後ろ髪を引かれる思いで、病を抱えた父を置いて水陽に来た。


父が、木蓮の夢を応援してくれたから、夢の一歩を叶えてくれたから、なんとかしてそれに応えたいと思った。


兄ふたりが父の不調で帰州したときも、木蓮は退官の道は選ばなかった。


そんな木蓮が、風蘭を璃暖に連れてきた折りに実家に帰ったとき、彼の父親は驚きながら言った。


「木蓮?!どうして戻ってきたんだい?!」


「え・・・?えっと・・・父上の体調がよくないと聞いたから・・・・・・」


まさかそんなことを尋ねられるとは思わなかった木蓮は、どぎまぎしながらも正直に理由を口にした。


父に、偽りを告げるつもりはなかった。何一つ。


「木蓮、君は小さな頃から夢だった官吏になったんだよ?当主になるための教育のひとつとして官吏になっていた兄たちとは違う。だから、そんな簡単に職務を投げ出してはいけないよ。君には君の、やるべきことがあるだろう?」


「父上・・・」


病の床から苦しそうに、けれどはっきりとそう諭されて、思わず木蓮はその場に立ち尽くしてしまった。


思えば、今までこうして父に厳しい口調で叱られたことはなかったかもしれない。


「・・・璃暖には、僕のやるべき役目があって来たんです。ただ、せっかく璃暖に戻ったから、どうしても父上のお顔を見たくて・・・」


「ここに君の役目が・・・?」


不思議そうに問い返す父に、木蓮は偽るつもりも誤魔化すつもりもなかった。


「風蘭公子と一緒に春星州に来ました。華鬘さまとお会いするために」


「風蘭公子と?!」


風蘭は逆賊となった公子。


禁句とさえなっているその名を聞いて、父だけでなく傍らにいた兄たちまでぎょっとした様子で木蓮を見返した。


けれど、木蓮の父はすぐにその表情を和らげて言った。


「そう。それはきっと木蓮にとって大事な選択だったのだろうね。わたしは木蓮を信じているよ」


「父上・・・」


「なるべく連絡は控えるようにするよ。木蓮の夢を邪魔する気はないからね」


「そんな、父上、邪魔だなんて・・・」


「叶えたい夢があるなら、それを貫きたいのなら、諦めなければならないこともあることを覚悟しなさい、木蓮」


「・・・っ」


「・・・・・・さぁ、行きなさい、木蓮。会えてよかったよ」





それが、木蓮が父と交わした最後の会話。


父は最後まで木蓮の夢を応援してくれた。


それがどんな夢なのか具体的には知らないはずなのに、彼は厳しい一言と現実を木蓮に遺して、彼を叱咤した。


だから、木蓮は悲しんでばかりいて立ち止まるわけにはいかなかった。


父の死の床にいることができなかった罪悪感はある。


だけど、家族の誰も、木蓮を責めなかった。彼の父のように。


だから、せめて木蓮がそんな彼らに返せるのは、自らの夢を叶える、それだけだった。





「木蓮?どうした?」


ある室の扉の前で立ち止まっていた風蘭は、物思いに耽っていた木蓮を心配そうに呼び掛けた。


そんな優しい彼に、木蓮は笑って返した。


「何でもないよ。・・・さぁ、行こう、風蘭。僕らがずっと調べ続けた真実を突き止めに」


「・・・ああ」


すぐに風蘭も木蓮も厳しい表情となり、目の前の扉を睨み付ける。


民部長官室の扉を。


「連翹はここで待ってろ」


「・・・かしこまりました」


風蘭の命に連翹は応じて、一歩下がる。そして、青年2人は長官室に足を踏み入れた。


「蠍隼民部長官!!ここにいるな?!返事をしろ!!」


水陽攻めの混乱の跡がまだ残る室内は、当時の混乱をそのまま示すようにさまざまな書類や冊子が乱雑に床にばらまかれている。


まだ朝廷の機能は動ききれていないのか、室内は官吏ひとりいなかった。


けれど、風蘭も木蓮も、『彼』はここにいると確信していた。


「蠍隼民部長官!!捕まえる気はない、返事をしろ!!」


再度の風蘭の呼び掛けに、とうとう奥の室から「こ、ここにおります」と弱々しい返答が返ってきた。


ふたりがその奥室へ行けば、室の片隅で恐怖に怯えるように丸くなっている蠍隼民部長官の姿があった。


「お、お許しを、風蘭さま・・・!!わ、わたしは、わたしは・・・・・・!!」


「今すぐあなたを捕えて何かをしようというわけではない。今日は、民部長官であるあなたに聞きたいことがあって来たのです」


「え・・・?」


戸惑ったように風蘭と木蓮を見つめる彼に、木蓮は心の中だけで苦笑する。


今の民部長官は、執政官だった蘇芳の息がかかった者のひとりだった。


風蘭が芍薬を討ったことにより、今まで蘇芳に加担していた者たちが、まるで蜘蛛の巣をけちらかされたように、散り散りに逃げようとした。


だがもちろん、彼らはひとり残らず捕えられ、抵抗する者たちは獄に入れられた。


そんな中、目の前にいる民部長官のように、突然自分達を擁護してくれていた存在を失い、怯えて震える者たちもいた。


自分達がどのように罰せられるのかと怯えて。




「蠍隼民部長官」


風蘭は、怯える彼に視線を合わせるように膝をつき、優しく呼び掛けた。


「あなたが俺たちの質問に誠意をもって答えてくだされば、あなたを捕えず秋星州の蠍隼一族の屋敷にお返しすると約束しますが、ご協力いただけませんか?」


「へ・・・?ほ、ほんとに・・・?」


「はい。ここにいる木蓮も証人となりましょう」


風蘭に呼び掛けられ、木蓮は民部長官を安心させるように頷く。すると、彼はやっと肩の力を抜きつつ、風蘭に尋ねた。


「わたしで・・・答えることができるのなら・・・・・・」


「ええ、知ってる限りでいいです。・・・あなたは、この帳簿の正本を見たことがありますか?」


風蘭は、すぐさま核心となる帳簿の下書きを彼に渡した。


彼は不安そうに目を泳がせながらそれを受け取りつつ、じっくりと眺めたあと、首を横に振った。


「では、質問を変えましょう。あなたは、民部長官の職位に就いたとき、執政官に何か言われましたか?」


風蘭の問い掛けに、びくり、と彼は肩を震わせる。風蘭も木蓮も黙って、彼が言葉を発するのを待った。


「・・・先の民部長官の死について・・・詮索しないことと・・・・・・一切の帳簿には触れぬこと・・・。署名だけして、蘇芳さまに・・・渡すようにと・・・」


段々と声を弱々しく小さくしながらも、彼はそう答えた。


「・・・なるほど。蘇芳がすべてを掌握しようとしたのか。霜射前民部長官のように暴走されたりしないように」


「暴走?霜射前民部長官が、何かをされたのですか?!」


「長官と、あとはその周りを固める民部の権限者たちが、といったところですね」


「・・・・・・たしかに・・・わたしがこの職位をいただくと同時に、民部の権威者たちが何人か異動を命じられていました・・・。退官していく者たちも・・・」


風蘭の言葉に頷きながら、まだ民部長官の地位にある彼は、びくびくしながらも知っていることを風蘭たちに話した。


「ふぅん・・・やっぱり、な」


「やっぱり・・・ですか?」


納得顔で顔を見合わせた風蘭と木蓮の様子を眺めて、民部長官は不思議そうに首をかしげる。


そんな彼に、風蘭は再度帳簿の下書きを差し出した。


「民部長官をやっていたなら、多少の知識くらいはあるだろう?これを見て、どう思う?」


「え・・・?えぇっと・・・・・・」


渡された書類を受け取り、彼は慌てて目を通す。


深く考える必要もなかった。


彼は、すぐに風蘭と木蓮がここに来た訳を悟った。



「これは・・・。でも、これが下書きなら、これが正式な数字とは・・・・・・」


「しかし、民部長官は殺された。何者かによって」


「加えて言えば、執政官は失念していたのか、僕を兵部へ異動させたんです。そして、その実態を僕は正確に把握することができました」


風蘭の言葉に続いて、木蓮も自らが調べたことを口にする。


突然の衝撃的な告白に、民部長官は困ったようにふたりを見上げていた。


「そんな・・・・・・だって、それでは・・・」


「そうですよ、あなたが考えていることでおよそ間違えないと思います」


「そんな・・・・・・蘇芳さまを信じてこの職位を受けたのに・・・」


「あなたが蘇芳に選ばれたのは、操りやすいから、言いなりにさせやすいから、ですよ」


衝撃のあまり言葉もそぞろな彼に、風蘭は容赦なく言い放った。


当人もその言葉にはっと顔を上げる。


「現に、あなたはこうして戦が始まるまで、蘇芳の言いなりになって、見るなと言われたものは見ず、触れるなと言われたものは触れずにいたのでしょう?」


「それは・・・たしかに・・・・・・」


「蘇芳が欲しかったのは、思うように操れる傀儡の王と、手足のように動かせる部下。抵抗する者や歯向かう者、コソコソと動き回る者たちは邪魔でしかなかったんですよ」


「・・・・・・っ!!」


風蘭の指摘に悔しそうに唇を噛み締める彼に、風蘭は膝をついたまままっすぐ見つめて言った。


「今もまだ、蘇芳が一番正しいと、仕えるべき上司だと思っていますか?」


蘇芳と同じ蠍隼一族の民部長官。


若くして執政官である蘇芳に抜擢され、多少の不満や不平があっても、その誇りのために見て見ぬふりをしてきた。


だが、こうして今、ふたりの若者に揺るぎない事実を突きつけられて、変わらぬ忠誠心を持つことなど・・・・・・。



「自分の力で動いてみる気はないか、蠍隼 鶏頭殿」



名を呼ばれ、ゆっくりと彼は風蘭を見返す。


「蘇芳など関係なく、民部長官として、その職務を果たすつもりは?」


「許される・・・・・・のですか・・・?だって・・・わたしは、蘇芳さまの・・・・・・」


「蘇芳に傾倒していたのは知っている。だけど、何も知らなかったのでしょう?そして、それを知った今、あなたはまだ蘇芳の言うことすべてが正しいと思えるのだろうか?」


「それ・・・・・・は・・・・・・」


「あなたの力で、民部を変えてほしい。民のために機能する民部に」


「民のために・・・」


「もし、その気があるのなら、受けてほしい。近いうちに朝議を開く。そこで、返事を聞かせてほしい」


風蘭は、それだけ言うと木蓮に視線を送った。


「行こう、木蓮」


「・・・うん」


風蘭に促され、木蓮はその場に鶏頭だけ残し、長官室を後にした。





「・・・・・・風蘭、朝議を開くの?」


執務室に戻る回廊で、共に歩きながら木蓮は風蘭に尋ねる。


「・・・あぁ、星官も揃うから、色々と決めないといけないし」


「だから、民部長官に必要以上に追及しなかったんだね」


「ま、あの人がほんとに何も知らない様子だったから、聞いても仕方ないってのもあるけど」


「・・・民部長官の職務を続けてくれるかな」


「さて・・・・・・な」


ふたりは同じ速度で歩きながら、遠いところに視線を送る。


ちらり、と木蓮は風蘭をみやり、尋ねるかどうか迷ったが、やはり気になったので尋ねてみた。


「・・・紫苑姫のことも、朝議で・・・・・・?」


「・・・あぁ。というよりは、主はそちらだな。今回の国軍側にいた者たちの処遇をどうするか」


「どうするか、風蘭は決めてるの・・・?」


「決めている」


きっぱりと言い切った風蘭の表情は厳しいもので。


それはやはり、紫苑にとっても甘いものではないのだと木蓮は悟った。


「・・・そっか」


それ以上、木蓮は何も言えなかった。


ただただ、近日中に決まるであろう紫苑の処遇が、気になるばかりだった。






回想シーンが割り込んでいて、少しわかりにくかったかもしれないですね(汗)

七章は、次第に朝廷内の主要人物たちに、心境の変化の兆しが現れてきます。

そして、ずっと書きたかったシーンが続々とやってくる予定です!!

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