七章 揺れ動く心 四話
四、兵部長官
風蘭たち反乱軍が後宮を焼き払い、朝廷の一部も焼き落としてしまったため、水陽がやっと落ち着きを取り戻した頃、その復旧作業が始まった。
朝廷は焼けた部分を補完し、後宮は王族が暮らすことができる最低規模の修繕が命じられた。
そのすべての修繕の任を担っていたのが、兵部だった。
戦で軽傷だった武官たちを先頭にして、動ける民たちと共に水陽の復興にあたった。
そこには、貴族や民といった壁もなく、みなが水陽の早い復活を望んでいた。
「お、もう動いていいのか、風蘭」
瓦礫を台車で運ぶ風蘭に、気安く呼び掛ける声。手を止めて顔を上げると、回廊の手摺にもたれて手を振る人物がいた。
「双大将!!」
「固いなぁ、風蘭。こんな状況で肩書きがいるか?」
駆け寄る風蘭に不満そうに口を尖らせるのは、双 縷紅。
風蘭率いる反乱軍とぶつかった兵部軍を束ねる、総大将であった。そんな彼に風蘭は軽快に笑って答えた。
「はは、何もお変わりなくて安心いたしました、縷紅叔父上」
「それはどう受け止めるべきなんだかな、俺は」
肩を竦めてそう言ってから、縷紅は風蘭に優しく笑いかけた。
「よくやったな、風蘭」
「・・・・・・縷紅叔父上・・・」
「正直、おまえが冬星州に左遷されたときは、こんなことになるとは思ってなかったけどな」
「・・・俺も、あのまま何も知らないで見ないで霜射一族の屋敷にでも世話になっていたら、何も変わらなかったと思います」
「でもおまえは現実の残酷さを知って、見てきた。だから、決めたんだな」
「はい」
「だったら初心を忘れるな。犠牲を重ねた上で手に入れた玉座は、おまえにとってどんな意味を持ち、影響力を持つのか。それはおまえが一番よくわかってるはずだ」
厳しい口調でそう告げた縷紅の言葉に、風蘭は唇を噛み締めながら「はい」と短く、けれどしっかりと頷いて答えた。
すると、この話はおしまいだと言わんばかりに、縷紅は急に破顔した。
「それにしても、火攻めとは考えたな。これは親父殿の妙案かな?」
「いえ、薊じーさまの案ではないです。俺が、そうしてほしいと薊じーさまと黒灰殿に頼んだんです」
「風蘭が?へぇ、そりゃ意外だったな。まぁ、たしかに、あのふたりなら真っ向勝負を好むか。根っからの武官だし」
「でも真っ向から大きな力同士がぶつかり合えば、その分戦は長引くし犠牲も大きい。・・・俺は犠牲は最小限にしたかったし、関係のない人たちは必要以上に巻き込みたくなかった・・・」
「・・・関係のない人・・・ねぇ・・・」
「縷紅叔父上?」
複雑な表情を浮かべて笑う縷紅を風蘭は不思議そうに見つめ返す。
「風蘭、今回の戦で『関係のない人』なんていたのか?」
「え?」
「おまえが玉座を奪うか、芍薬王がそれを死守するか、どちらかの結末でこの星華国の行く末は大きく左右されていた。国の未来にかかるこの一大事に、国中の者たちの『誰』が『関係なかった』んだ?」
「・・・あ・・・・・・」
「貴族も民も、子供でさえも、今回の戦に強い関心があり、風蘭につくか、芍薬王につくか、考えただろう。おまえたちに加担した民軍や海桐花殿が連れてきた医師団とて、『関係のない』者たちではないだろう?」
「・・・はい」
縷紅に静かに諭されて、風蘭もまた真摯に静かに頷く。
「・・・そうですね、俺たちの戦いに、関係のない人はいなかった・・・。でも、必要以上の犠牲は出したくなかった。それもまた、本当です。この国を変えていくには、国中の皆の力が必要になるから」
「それで火攻めを?」
「・・・はい。火をつけて、恐怖と混乱で逃げ惑う人たちの誘導を『闇星』に頼みました。彼女たちが一番適任だと思ったので」
「良策だな。武装した男どもが後宮に押し入るより、彼女たちが女官たちを誘導する方が警戒心が少ない。しかも、彼女たちは国軍に所属する武官でもある。万一警護する中部の官吏たちが襲ってきても、心配ないしな」
「はい。彼女たちは見事にその大役を果たしてくれました」
「被害を少なくするために、戦いを減らした、というわけか。・・・それと、後宮の整備のためでもある・・・違うか?」
いたずらっぽく笑いながら尋ねてくる縷紅に風蘭は少し驚いた表情を見せた。
「知っていたんですか、縷紅叔父上?!」
「知っていたというか・・・誰もが思っていたと思うぞ?26代国王が遺した『悪しき財産』を何とかするべきだ、とは」
「『悪しき財産』ですか・・・なるほど、たしかにそうですね」
「・・・時々、思うときがある」
ふと、視線を遠くにして縷紅はそう呟く。
風蘭は、何の話なのかわからず、ただおとなしく先を待った。
「・・・芙蓉王はこうなることをご存知だったのではないかと・・・・・・思うときがある。風蘭が冬星州から、秋星州、春星州へと進み、朝廷内が混乱しているなか、時々そんな考えが頭を過った」
「・・・なぜ・・・・・・?なぜ・・・そう思われるのです・・・?」
縷紅のあまりの衝撃的な発言に、風蘭は驚きのあまり声を震わせた。
だが、その縷紅は困ったように風蘭に笑った。
「いや、これといった何かがあるわけじゃない。何というか・・・直感みたいなものだな。・・・それから、不自然なほど、双大后が落ち着いて朝廷側に立ち、風蘭の味方にはならないという立場を貫いたのも疑問のひとつだった」
「母上が・・・何かを知っていたと・・・?」
「憶測の域を越えないがね。そう、思うときがあった、ただそれだけのこと。だが、それでもおまえは自分で決断した結果だと責任を持てるだろう?たとえ芙蓉王が用意した劇上だとしても」
「はい。これは、俺が決めたことです。だから、最後までやり通しますよ」
「・・・無念のふたりの公子のためにも・・・な」
「・・・はい」
ふたりの表情が翳る。
無念のふたりの公子。
それは、風蘭にとってはふたりの兄。
芍薬は風蘭が手にかけて命を落とし、木犀は妃である槐によって命を奪われた。
「芍薬王は仕方ないにしても・・・木犀さまのことは、残念だったな」
「槐姫付の女官たちにおおよその話は聞きましたが・・・彼女がそんなに追い詰められていたとは、彼女にも気の毒なことをしました・・・」
「・・・そうだな。槐姫は、強く王妃の座を望んでいたようだったから・・・…。・・・だが、おまえはどうするつもりだ?」
「え?」
唐突に縷紅に問われ、風蘭はきょとんと彼を見返す。しかし、縷紅は真剣な瞳で風蘭を見据えていた。
「おまえが即位する前に、そしてこの後宮の修復が終わる前に決着をつけなければならない問題がある。反乱軍の総大将として、『前王妃』にどのような処置を施すか、だ」
「・・・それは・・・」
「蘇芳にべったり付いてた奴等も何とかしないと、示しがつかなくなる。その辺りのことはよく考えて結論を出すんだな」
「・・・近日中には」
「そうだな、もたもたしている場合の問題じゃないな」
縷紅にはわからなかった。
なぜ、前王妃である紫苑姫の話を持ち出した途端、風蘭の表情が強張ったのか。
自分が殺した芍薬の妃であるからなのか。
風蘭の表情が曇っていくその理由はわからなかったが、縷紅はそれ以上は深入りしようとはしなかった。
彼に用があるのはあとふたつの用件を尋ねるだけ。
「風蘭、親父殿はどこにいる?一応挨拶のひとつでもしておかないとうるさいからな」
「あ・・・ええっと、たしか外朝の北門の辺りで修復作業中かと」
「了解。それからもうひとつ。双大后はどこにいる?」
「・・・母上に会って何を?」
「安心しろ。何も取って食おうってわけじゃない。確かめたいことがあるんだ」
「・・・『闇星』の天幕に」
「わかった。じゃぁな」
軽く手を振って、縷紅は風蘭と別れて目的の場所に向かう。
『闇星』の天幕に。
「・・・どなたさまでしょう?」
目的の場所には武装した見張りの女がいた。
「貴女は『闇星』の方か」
「・・・お答えする必要はございません」
仁辺もなくばっさりと彼女は縷紅の問い掛けを切り捨てる。
「え~と、中に双大后がいらっしゃるだろう?お会いしたいんだが?」
「それにもお答えする義務もございませんし、風蘭さまの許可がなければ私はここを動くことはできません」
彼女は無表情できっぱりとそう言い切る。
取りつく島がないとはまさにこのこと。
縷紅がどうしようかと途方に暮れていると、天幕の中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「逸初さん、その者を中に入れてください。わたくしの弟ですから」
それは紛れもなく桔梗の声。
桔梗が無事であることにまずは縷紅は安心し、見張り番である女武官に視線を戻した。
逸初と呼ばれた彼女は、しばらく迷ったように視線を泳がせたあと、小さくため息を吐いて言った。
「・・・貴女の意見はなるべく尊重するように、と命は受けております。・・・わかりました、この方をお迎えします」
「ありがとう、逸初さん」
再び天幕の中から桔梗の声が聞こえると同時に、逸初が立ち位置をずらして縷紅を招いた。
「どうぞ、こちらからお入りください」
「あ、あぁ・・・ありがとう」
彼はそのまま素直に天幕の中に入った。すると、そう広くもないそこで、桔梗が鎮座していた。
「この度の戦、ご苦労様でした、双大将」
「・・・それは嫌味でしょうか?五星軍は国軍としての役目はなにひとつ果たすことはありませんでした。『輝星』も然りです」
縷紅が苦笑しながらも慎重にそう答えれば、桔梗は悠然と笑った。
「あら、正直ね、あなたは。・・・でもよいのです、わたくしは国軍が『役目を果たせないこと』を望んでいたのです。ですから、慎重にじっくりとこの結果へ導く道を築いてくれたあなたを労いたかったのです」
「・・・これはまた、あなたらしくもなく、あなたも正直に答えられましたな。あなたは国軍が役目を果たすことを望んでいなかった?それは風蘭公子が勝利することを望んでいたと公言することになりますよ?芍薬王を支持していたあなたが・・・」
「いいえ」
縷紅の言葉を遮り、桔梗ははっきりと否定の言葉を口にする。
「いいえ、わたくしは芍薬王を支持していたわけではありません。わたくしは、芙蓉陛下のためだけに生きていたのですから」
「・・・芙蓉陛下のため・・・・・・?それは・・・芙蓉陛下もまた、こうなることを望まれていたのですか・・・?」
「少し違いますね」
驚愕する弟を見つめながら、桔梗は優しく笑う。何かを秘めた瞳で。
「星華国を再生することは、芙蓉陛下の『計略』。けれど、あの子達の意志がそう決断しなければ、こうなることはなかった。人の気持ちの変化まで、左右させることはできません。わたくしはただ、芙蓉陛下のため祈っていただけですよ」
「『計略』・・・?まさか・・・まさか、芙蓉陛下はあの祭典の日・・・・・・」
「縷紅、あなたとまた会うことができてうれしかったわ。わたくしの処遇がどうなるかは、風蘭しかわかりませんから」
言外に「これ以上は何も話すことはない」と言いながら、桔梗はすべてを悟っているかのように縷紅に微笑んだ。
「父上さまにはお会いできたかしら、縷紅?とてもお話をしたがっていらしたわよ?」
「・・・どうせ、会えば説教地獄ですから、後延ばしにしていたんですけどね・・・」
「父上さまはあなたに期待しているのよ、縷紅。いずれはあなたが父上さまを継いでゆくのですから」
「・・・はぁ・・・・・・」
だがきっと、会えば、今回の戦についてあれこれと説教を受けることになるだろう。
その前に桔梗の無事を確かめたかったのだ。
それから、彼女がどこまで何を知っているのかを。
・・・・・・しかし、それは縷紅が思っていたよりも深いものであるかもしれない。
「・・・そうですね。それでは、そろそろ覚悟を決めますよ」
縷紅は立ち上がり、そして自分を見上げながら微笑む桔梗に静かに言った。
「・・・何はどうあれ、あなたが生きていてくれてうれしいですよ、姉上」
はっと桔梗が瞠目したが、縷紅は小さく笑い返しただけで天幕を後にした。
「・・・さて、親父殿に叱られに行くか」
ひとりそう呟き、縷紅は足を向かわせる。
桔梗の抱える重いものを薊は知っているのだろうか。
久しぶりの親子の再会に、縷紅は憂鬱を感じるよりも懐かしさが込み上げてきているのを感じていた。