表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/144

七章 揺れ動く心 三話







三、文官












ふたりの王族の玉座を巡る争いに決着がついても、ふたつに分かれた勢力の争いはそう簡単にはおさまってはいなかった。




木蓮は、眠れぬ一夜を海燈にある双 薊の屋敷で過ごし、夜が明けるや否やすぐさま華鬘と共に馬を走らせた。


水陽に入ると、木蓮は戦の激しさを目の当たりにせざるをえなかった。


長秤 海桐花からの文で医師団が各地域に派遣されているのは知っていたし、戦場のど真ん中である水陽には、海桐花自身が来ていることも知っていた。


だからこそ、木蓮は心のどこかでこの戦を軽視していたかもしれない。


風蘭が「被害は最小限の戦に」と唱えていたし、みながそれを叶えるために努力をした。


そして、その『最小限の被害』の手当ては、海桐花たち医師団が何とかしてくれる。


木蓮たちが夜明けに水陽に着く頃には、疲弊しながらも勝利した風蘭が、少し寂しそうに笑いながら彼らを出迎えてくれる。


・・・・・・そんな甘い夢のようなことを木蓮は想像していた。



だから、駆ける馬の上から見る惨状は、とても『最小限の被害』とも思えず、手当てもされずにあちらこちらに転がっている負傷者を見て、医師団はまだ水陽に到着していないのかとすら思った。


「・・・・・・やはり、努力してもここまでですね」


横を駆ける華鬘が顔を歪めて呟く。すると、華鬘がゆっくりと馬の足を止めた。


「・・・華鬘さま?!」


慌てて木蓮も馬を止める。


「いかがされましたか、華鬘さま?!」


「・・・よく見ておきなさい、木蓮殿。これが、戦です。あなたたちはこれを目に焼き付けて、次の時代を築くのですよ」


厳しい表情と口調。苦悶しているかのようにも見える華鬘の言葉に促され、木蓮は辺りを見渡した。




噎せ返るような血臭と火攻め後の焼け焦げた臭い。


そこに横たわる負傷者と泣き叫ぶ者たち。


そして、遠くでは今なお、争うふたつの勢力が見えた。




「華鬘さま・・・!!あそこでまだ争っている人たちが!!」


「彼らはまだ知らないのです。玉座が誰の手に渡ったのか、戦は終わったのかどうかさえ。わたしたちもまた、まだ確かな情報は知らないのですから」


これが戦場、戦禍。


わかっていたはずなのに、現実として目の当たりにすると、胸が締め付けられる思いだった。


結末は、どうなっただろう。


風蘭や芍薬は・・・・・・。




「やめてください!!もう、戦は終わりました!!やめてください!!」


うちひしがれる木蓮の耳に、突如戦いを止める叫び声が聞こえてきた。


華鬘と顔を見合わせ、声のした方向を見れば、戦いのすぐそばで馬を操りながら叫ぶ青年の姿があった。


「やめてください!!もう・・・もう、終わったのです!!」


けれど、青年の声は届かない。


届かない声を叫び続けている彼は、下手をすると戦の巻き添えを食らいかねない位置にいた。


争い続けている彼らが貴族なのか平民なのかはわからないが、それを制止しようとする善良な青年の命まで巻き込まれてしまったら・・・・・・。


「木蓮殿?!」


華鬘と共に見守っていた青年に、木蓮はいきなり名を呼ばれた。


遠くてよく見えないが、向こうからはこちらがわかったらしい。


その青年がこちらに馬を走らせてくるので、やっと木蓮も彼の顔を認識することができた。


「あなたは・・・」


「藍殿ではありませんか?」


木蓮が驚愕に声を詰まらせたのとほぼ同時に、華鬘も驚いた様子で青年の名を呼んだ。


「藍殿、このようなところで何を・・・」


「華鬘さま?!華鬘さままでこちらに・・・」


名を呼ばれた藍は、華鬘と木蓮に相対するような立ち位置に馬を止めた。




蠍隼 藍。


彼は、執政官蠍隼 蘇芳の一族の若き青年当主である。


その彼がなぜ、こんな危険な場にいるのか・・・・・・。


「藍・・・さま、あなたこそなぜこのような危険な場所に・・・・・・」


「『さま』などと呼ばないでください、木蓮殿」


「し、しかし・・・」


寂しそうに苦笑する藍に、木蓮は困惑してしまう。


初対面の時、木蓮は藍が蠍隼一族の当主だとは知らずに、気安く『藍殿』と呼んでいた。


しかし、彼が一族の当主なのだと知った以上、馴れ馴れしくなどできない。


戸惑う木蓮に、彼よりも幼い若き当主は小さく笑った。


「初めて友達ができたようでうれしかったのです。ぼくの我が儘として聞いてはいただけませんか?」


「藍・・・殿・・・・・・」


「ありがとうございます、木蓮殿」


「それで、藍殿はなぜこちらに?」


華鬘がふたりに割って入り、藍に尋ねる。すると、藍は笑みを消して真剣な表情で華鬘に告げた。


「・・・・・・ぼくは、何もできなかったんです。ここで戦が始まっても、小さくなって逃げ回って・・・。国の一大事なのに・・・・・・。・・・だからせめて、こうして戦の決着がついたことをみなに知らせて、これ以上の争いを抑えたいと・・・・・・」


「・・・決着がついた、と・・・・・・?それは確かな情報なのですか?」


華鬘も木蓮も目の色を変えて藍に問い返す。


藍は辛そうに、けれどしっかりと頷いた。


「はい。この目でしっかりと見ました。・・・芍薬陛下のご遺体が、運ばれていくのを・・・・・・」


「芍薬・・・陛下の・・・・・・」


藍の言葉に、木蓮は衝撃は隠せない。



わかっていたのに。


戦の決着は、芍薬か風蘭、どちらかが死ぬまでは着くことがないと。


それなのに、芍薬が死んだと聞かされ、どうしてこんなにも胸は痛むのか、苦しいのか。


生き残ったのが風蘭で、うれしいはずなのに。



「・・・風蘭・・・・・・公子は・・・?」


「・・・わかりません。もしかしたら、まだ政堂かも・・・」


「華鬘さま、僕は・・・」


「えぇ、いってきなさい、木蓮殿。この戦を乗り越えていくのは、あなたたちの責務なのですから」


「・・・はい」


木蓮はすぐさま馬を目的地に走らせた。


そして、その場に残された星官ふたりは、そっと互いに顔を見合わせた。


「・・・華鬘さまは、風蘭さまの軍と・・・?」


「えぇ。・・・藍殿、蠍隼一族は、これからが大変かもしれません。ですが、どうか若いあなたの力で建て直してください。わたしも、及ばずながらお助けいたしますから」


「・・・・・・華鬘さま・・・」


「この国の変革を望んだわたしもまた、罪人です。抑圧から解放されて喜ぶ光の後ろには、見て見ぬふりはできぬ、影ができるのです。そして、わたしはその影をわかっていながら、風蘭さまの背中を押したのです」


「・・・それをおっしゃるのなら、ぼくもまた罪人のひとりです。・・・一族の当主でありながら、その重責から逃げ、執政官の横暴を見て見ぬふりをしました。・・・父たちのように、なりたくなくて・・・・・・」


「藍殿・・・」


「でも、ぼくはもう一度やり直したいと思っています。蠍隼一族は、一からやり直すのです。かつてのように、王をお助けする11貴族としての誇りを持って」


拳を握り、固く決意するかのように告げた藍に、華鬘は小さく苦笑する。


それにどんな意味が含まれているのか、ここに知る者はいない。



「若さとは、決して取り戻せない永遠の産物ですよ。・・・それで藍殿、その執政官はどうされましたか?」


「・・・先程、風蘭さまの護衛だとおっしゃる方があちらに運んでいらっしゃいましたが・・・・・・」


「・・・連翹殿ですか・・・?」


蘇芳を手にかけたのは連翹ということか。


藍が指し示す方向に目をやってから、華鬘は再び藍に向き直った。


「わたしたちもいつまでも立ち止まってもいられません。・・・行きましょうか、これ以上の被害を広めぬために、戦の終結を告げに」


「・・・はい」


華鬘の言葉に藍はしっかりと頷き、ふたりの星官は、危険を承知で、未だ治まらぬ争いを止めるために馬を走らせた。







一方、木蓮は内朝が見えてくると、馬を乗り捨てて駆け出していた。


どんなつもりで、何をするために走っているのか、木蓮にもわかっていなかった。


ただ、早く風蘭に会わなくては、という本能にも近い思いだけで走っていた。


朝廷を駆け抜け、政堂へと続く回廊へ。


そして、その扉の先で木蓮が見たものは・・・・・・。


「・・・風蘭・・・」


がらんとした政堂内。


わずかにある窓から、気持ちばかりの朝日が差し込み、堂内に明かりをもたらす。


薄暗いそこでは奥まで見渡すことができず、木蓮はここに風蘭がいるのかどうかさえわからなかった。


けれど、彼はここにいるはずだ。


木蓮はそう確信して、足を進めた。


「・・・?」


ある箇所に差し掛かると、なぜか足元が水溜まりを歩くように濡れた。


彼は構わずにピチャピチャと音をたてながら進み、声を張った。


「風蘭!!風蘭?!ここにいるんだろう?!」


「・・・木蓮・・・か・・・・・・?」


薄暗く居場所も掴めぬ所から、風蘭の声が聞こえた。


小さく弱々しい声が。


「風蘭?!大丈夫?!怪我とか・・・」


「・・・大丈夫。怪我は海桐花殿たちに、大方治療してもらった・・・」


「とにかく、僕もそっちに行くから、そこでじっとして・・・」


「・・・その、足元・・・・・・」


「・・・え?」


「木蓮の・・・その足元・・・濡れているだろう・・・?」


「え、あぁ、うん・・・。暗くてよく見えないけど・・・・・・水溜まりかなにかが・・・」


「違う」


「違う?」


「・・・違う。それは、俺が殺した芍薬王の・・・血だ」


「なっ・・・・・・!!」


淡々と告げられた風蘭の言葉に、木蓮は慌てて飛び退く。



暗がりで血の色は見えないが、たしかに血の臭いは堂内に充満している。


今まで風蘭を探すのに夢中で木蓮は気づかなかった。


いや、すでに戦場の跡を横切っているうちに嗅覚が麻痺したのかもしれなかった。


「不気味か、木蓮?それなら、こちらには来ない方がいい」


足を止めた木蓮に、暗がりの中から風蘭の声が届く。


「それはどういう・・・?」


「その血溜まりをつくったのが芍薬王の血なら、彼を殺した俺の衣は返り血でべったりだと思うからな。見ても気持ちのいいものじゃないよ」


「だと思う・・・って・・・?」


「今、目が見えないんだ。蘇芳に何か吹き掛けられてね」


「目が?!」


「大丈夫。一時的なものだって、手当てしてくれた海桐花殿が言っていたから」


「・・・そう・・・」


木蓮は、ほっと息を吐く。そして、躊躇うことなく歩みを進める。


「木蓮・・・?」


「大変・・・だったね、風蘭・・・・・・」


「・・・たくさん考えて、悩んで、覚悟して、決意した。だから、こうなったことに迷いはないし、悔いてはいない。俺を支えてくれた人たちは、この結末を望んでいたのだから」


「・・・そう・・・だね」


「・・・けれど・・・・・・」


ふと、風蘭の声が小さくなる。小さく、震える。


「けれど、やはり辛いな・・・。ここに至るまで、あちこちで争いが起きてたくさんの犠牲があった。・・・そして・・・・・・」


「芍薬王も、その犠牲者になった。・・・風蘭のお兄さん、だけど・・・」



やっと、木蓮は風蘭の姿を確認することができた。


政堂の最奥にある、この国の最高権力者のみが座ることを許された場所。


風蘭は、そこに座っていた。


痛々しく瞳を布で覆われたままで。



「・・・そう。彼の死を・・・彼らの死を無駄にはしたくない・・・・・・。この国を、建て直さなくては・・・ここで・・・・・・この玉座で」


「うん。でもね、風蘭」


木蓮は玉座に向かって歩いていく。


本来ただの文官に過ぎない彼は、玉座に近寄ることすら許されない。


けれど、今は・・・今だけは違う。


ここにいるのは王と文官ではなく、風蘭と木蓮だけだから。


「どうか、ひとりで背負わないで、風蘭」


「・・・木蓮・・・・・・」


「国を奪うには武官の力が必要だったかもしれない。でも、国を建て直すのは、文官が手伝える。僕にも手伝わせて、風蘭。君の目が見えないときは、僕が目に見えるものを君に伝えるから」


風蘭のすぐそばまで近寄った木蓮は、そっと彼の手に自分の手を重ねる。


「だから、我慢しないで。僕らが君を支えるから」


「・・・木蓮・・・・・・。・・・ありが・・・とう・・・・・・」


小さな小さな声で風蘭はそう言った。



覚悟を決めて、自らの罪を受け入れて、未来を背負うために、傷だらけのまま玉座に座った風蘭。


彼の言うように、彼の政敵である芍薬の返り血を浴びたまま。


まだ、水陽は混乱している。


一夜だけとはいえ、戦の傷跡は簡単におさまるほど浅くもない。


だが、それがおさまり、正式に風蘭が玉座の主となった暁には、弱音は吐けなくなる。


だから、傷もまだ癒えぬ今だけは。



拳を握り震える風蘭の手を、木蓮はそっと握る。


見えぬ目から涙を流す風蘭を見上げ、彼にしか聞こえない小さな声で木蓮は言った。


「一緒に夢を追いかけよう、風蘭。僕ら文官も君の味方だから。・・・・・・だから、今は好きなだけ泣いて、覚悟はそれから決めればいいよ」


木蓮のその言葉に、風蘭は小さく頷く。


そして布が巻かれたその目に片手をあてて、声を殺して、彼は涙を流し続けた。





これが木蓮の知る、戦の終末だった。











評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ