七章 揺れ動く心 二話
二、女官
戦の決着はたった一夜でついた。
それまで水面下でどれだけの戦いがあったのかは、後宮に住まう女官たちには知り得なかった。
しかし、彼女たちすら巻き込まれた、玉座をめぐる星華国の戦いは、たった一夜でその主を定めた。
その戦の勝者は、獅 風蘭。
前王第3公子であり、反乱軍の先導者でもあった。
玉座が芍薬から風蘭に変わることによって、星華国がどう変わっていくのか、女官たちはよくわからなかった。
いや、実際のところは、今は考える余裕がない、というのが真実かもしれなかった。
女官のひとりである、女月 野薔薇とその同期夕霧も、慌ただしく怪我人の手当てに奔走していて、星華国の未来について考える余裕のない女官たちだった。
「夕霧、こっちの患者さんは軽いから、ここをお願い。私はあっちで楓兄を手伝ってくるから」
「はい、わかりました」
不安そうな表情を浮かべながらもしっかりと頷いた夕霧を残して、野薔薇は立ち上がった。
風蘭率いる反乱軍が水陽に夜襲してきてから、すでに2日は過ぎていた。
それでもその爪痕は深く、その戦で負傷した者たちの手当てを野薔薇たちは行っていた。
医学の知識などほとんどない野薔薇たちは軽傷患者の手当てが専らだったが、医官たちは戦のど真ん中で戦い負傷した者たちの手当てにあたっていた。
負傷者の手当てに味方も敵もなかった。戦も決着がついた今、それは無意味な論議でもあった。
それでも、医官たちだけでは、これだけの数の負傷者を手当てするのは苦難に違いなかった。
それがこうも煩雑としすぎずにいられるのは、皮肉なことに、この戦を巻き起こした反乱軍のお陰だった。
「楓兄、何か手伝えることはある?」
野薔薇は、幼馴染みの医官、長秤 楓のもとに向かうと、すぐさま彼にそう尋ねた。
「野薔薇か。助かるよ。紫苑も今、患者の手当てをしてもらってるんだ」
「そうなのね・・・・・・って、紫苑?!」
「そうなんだよ、王妃サマが手伝うってきかなくて。仕方ないから、熱でうなされてる患者の看病とかを頼んでいたら、気づいたら軽傷患者の手当てをしていたり、ね」
「私も紫苑も、楓兄と遊びながら医学を教えてもらっていたから、ね」
呆れたように、途方に暮れたように話す楓に、野薔薇は苦笑を返すしかない。
幼い頃、楓と遊ぶために愁紅に行っては医学を教わったりしたものだが、それはわずかにかじった程度。
それでも、知識がまったくないよりもましだと奔走する野薔薇のように、紫苑もまた、じっとしていられなかったのだろう。
己の微妙な立場すら省みずに。
紫苑や野薔薇たちが無事に火の海となっていた後宮から逃げ出せたのは、椿と名乗った少女のお陰だった。
また、火に囲まれた後宮で右往左往する王族たちを逃走経路に先導した存在があった。それは幻と言われていた国軍『闇星』の者たちだった。
しかし、『闇星』と名乗った者たちはみな、女人であったと人々は口にした。
抵抗する王族や攻撃してくる貴族たちに応戦しながらも、彼らすら助けながら、彼女たちは後宮にいた者たちすべてを火の海から助け出したらしい。
こうして外宮に助け出された怪我人たちも、『闇星』だと名乗る女人たちに助けられたのだ。
「野薔薇、あちらで薬師の手を借りて、さっき野薔薇がいたところの手当てを進めてくれるか?薬の調合が追い付いていないんだ」
「わかったわ」
楓が薬を調合しながら野薔薇に指示を出す。
野薔薇はすぐに薬師の手を貸してもらうために、ある人物のところに足を向ける。
今回の戦で救護にまわった反乱軍側の存在は、『闇星』だけではない。
『闇星』は戦火の中から助ける役目を果たした。そして、負傷した怪我人たちの治療を、典薬所の医官たちと共に行っているのは・・・・・・。
「失礼いたします、海桐花さま」
ある天幕の中に野薔薇は足を運び、中にいた人物に声をかける。
「どうしましたか?」
名を呼ばれた海桐花は、薬を調合していた手を止めて、野薔薇に視線を向けた。
「薬の調合が間に合っていないところがあるのです。薬師の方の手をお借りできませんか」
『闇星』の他に、救護にまわったもうひとつの存在。
それは、反乱軍についた、長秤一族で結成された医師団だった。
典薬所の医官たちだけでは手が回らないほどの重軽傷者が混在する中で、的確な判断を下しながら冷静に処置をすすめた彼らの存在は大きかった。
加えて、筆頭侍医であり典薬所所長でもある長秤 南天が不在のため、まとまりがなくなっていた医官たちをまとめたのも、長秤一族の当主である海桐花だった。
反乱軍についているとはいえ、当主は当主。
一族の長の命には素直に従う彼らは、海桐花の指揮のもと、国王軍や反乱軍など関係なく互いを助け合った。
「薬師が足りないのですか・・・。難しい怪我ですか?」
「いえ、軽傷の方が多い区域です」
「わかりました。では、我が一族に仕えている者に任せましょう」
「わかりました、お願いします」
海桐花の提案に、野薔薇は素直に頷く。
長秤一族ではなく、そこに仕えている平民を派遣すると言われても、何の不満も不信もなかった。
なぜなら、長秤一族に仕える彼らもまた、高い医学の知識を持っていることを知っているからだった。
それこそ、少し医学を舐めた程度の野薔薇たちではなく、医官も舌を巻くほどの高い知識を。
その知識の高さを、野薔薇はこの数日で目の当たりにしている。
海桐花率いる医師団の構成は、その平民たちが多くを占めている。
そして、その医師団はこの水陽だけではなく、あちこちで国王派と反乱派とで闘争した各州、各地域に派遣されている。
「必要以上の死者を出したくはない」
そう言ったという、反乱軍の統率者、風蘭の意思を汲むように。
「霞、悪いが野薔薇さんと一緒に行ってくれるかい?」
せっせと海桐花の片隅でせわしなく動き回っていた少女に、海桐花は声をかける。すると、少女は顔を上げてしっかりと頷いた。
「はい、海桐花さま」
「野薔薇さん、この霞はとても優秀な薬師です。この医師団の派遣も、霞が提案してくれたものなのですよ」
「海桐花さまが、なにか風蘭さまのお役に立てることがないかと悩んでいらしたから、浮かんだことですよ」
少々照れながらも、うれしそうに霞という少女は医療道具を持って野薔薇に近づく。
「霞はたしかに平民ですが、我々長秤一族と同じだけの能力は持っています。どうか、信頼して彼女に任せてください」
「もちろんです。私は、長秤一族に仕える方々の能力はよく存じ上げておりますから」
最後にもう一度だけ礼を述べると、野薔薇は霞を連れて、夕霧を残した場所に戻る。
本当は紫苑がどこにいるのかを探したくもあるのだが、今はそんなことをしている場合ではないことはわかっている。
だから、野薔薇は野薔薇のできることをするだけだ。
「野薔薇さま、何か心配事でもおありですか?」
ふと、横を歩く霞に声をかけられ、思わず野薔薇は苦笑を返してしまう。
「野薔薇でいいわよ。霞と呼んでも?」
「はい、構いません。すいません、差し出がましいとは思ったのですが、野薔薇さんが何かを強く懸念されているように見えたので」
「よく人の表情を読み取っているのね。海桐花さまがあなたをお側に置いているのがわかるわ」
「あ、いえ、そんな・・・」
焦って恐縮する霞に野薔薇はくすくすと笑う。
そんな状況ではないのに、この少女と一緒にいると、心が穏やかになる。
そんな不思議な雰囲気を持った少女を、野薔薇はもうひとり知っている。
そのもうひとりの少女が、懸命にひとりで負傷者の手当てをしているであろう区域に、野薔薇と霞は急いだ。
だが、そこで目にしたのは、野薔薇が想像した以上のものだった。
「夕霧・・・?これは一体・・・・・・?」
「あ、野薔薇さん。医師が足りなかったので、私が勝手に動いてしまったのですが・・・」
「夕霧・・・・・・あなたまさか・・・」
驚愕する野薔薇が見たもの。
それは、完璧な手当てを施された患者の数々と、手慣れた手つきで薬の調合をしている夕霧の姿だった。
「動ける兵部の方々にも協力していただいて、簡単な処置はできました。あとはこの薬を使って重傷の方の手当てをすれば・・・」
「夕霧、あなたまさか、姓は・・・」
「夕霧さま!!」
てきぱきと報告し、行動をおこす夕霧に話しかけた野薔薇を遮ったのは、共にここまで来た、霞だった。
「夕霧さま、ご無事だったのですね」
「霞?!あなたがここにいるということは、長秤一族の医師団の中に・・・」
「はい。海桐花さまもいらっしゃいます」
「海桐花さまが・・・!!」
ぽっと頬を染める夕霧。
霞はうれしそうに夕霧に話しかけている。
この状況に取り残されている野薔薇が、何とか現状を把握しようと夕霧と霞を交互に見ながら尋ねた。
「夕霧、あなたまさか、長秤一族なの?!」
「・・・はい。私は長秤 夕霧と申します。野薔薇さんが女月一族なのは紫苑姫さまから伺っていたのですが、女官は姓を名乗らないのが掟。お話しすることができずに申し訳ありませんでした」
「そう・・・。夕霧も、同郷だったのね・・・」
ぽつりと野薔薇は漏らす。
こんなに一緒に女官として働いていて、初めて知る事実。
「はい。同じ秋星州の生まれです」
にっこりと笑う夕霧。その隣で霞も笑う。
思わず、野薔薇も声を上げて笑ってしまった。
「世間は狭いと言うけれど、本当ね。長秤一族には幼馴染みがいるのよ。それなのに、夕霧が同じ一族とは思いもしなかったわ」
「長秤 楓さんですよね?紫苑姫からお話はよく伺います。本当に、世間は狭いですね」
くすくす笑いながら、夕霧が返す。そんなふたりのやりとりを見守っていた霞がにこにこと笑いながら告げた。
「では、同郷の力を合わせ、みなさんを助けましょう。海桐花さまもそれをお望みです」
「そ、そうね。海桐花さまがお望みなら・・・・・・」
霞とそう年頃が変わらぬであろう夕霧は、海桐花の名を聞くと顔を赤くして頷く。
もしかして、夕霧は海桐花さまのことを・・・・・・。
ふと、野薔薇の中でそんな思いが過ったが、あえてそれを口に出して夕霧には尋ねなかった。
今はそんな話をしている場合ではない。
この騒動が落ち着いたら、ゆっくりと夕霧を問い詰めてみよう。きっと、彼女は頬を染め、小さな声で教えてくれるに違いないから。
そんな穏やかな平和な日々は、きっとまた訪れるから。
そのために、今は・・・・・・。
「じゃぁ、夕霧と霞は薬の調合をしてくれる?私はみんなの傷の具合を診てくるから」
「はい」
「わかりました」
この場の最年長である野薔薇が指示を出し、3人は動き出す。
平和な日々を取り戻すために。
「・・・大丈夫。風蘭さまは、すべてを用意してくださった」
自分に言い聞かせるように、野薔薇はそうつぶやく。
風蘭は、反逆者として戦を巻き起こすだけではなく、その混乱を最小限にし、鎮圧する策まで用意していた。
こうして、医師団を惹き付ける幸運まで手に入れて。
きっと、風蘭がすぐにこの混乱をなんとかしてくれるはず。
そのために彼は玉座を芍薬から奪ったのだから。
だから、今は野薔薇たちも自分達ができることをやるだけだ。
野薔薇は顔を上げ、怪我人の治療をするために足を大きく踏み込んだ。