序章 幼き歯車 一話
1、それは、夏風誘う風蘭
星華国。
4つの州と11の貴族に支えられ成り立っているその国は、変革を遂げようとしていた。
300年近く続いたその王政は、少しずつ歪み始め、乱れ始めていた。だが、それを思っても口に出す者はいなかった。
反逆者となることを誰もが恐れた。
だから、どれほど国が乱れようとも、誰も何も言わなかった。
ただただ、時が過ぎていくのを流れに任せて、人々はそれらを甘受していた。
いくつかの偶然が重なり合うそのときまでは。
夏星州、星華国王都である水陽。
27代星華国国王、獅 芙蓉の数多いる妃の頂点である正妃、双 桔梗はある若者を宮城に呼び寄せた。
星華国とそれを治める王を支える11貴族のうち、夏星州に居を構える貴族、双家の娘である桔梗は、その腕の中で窮屈な正装にぐずついている子供を愛しそうにあやしていた。
「もう少し、我慢なさい」
やんわりと優しく注意をする。
王の妾たちに遅れをとり、やっと授かったこの男の子は第3公子。身分には申し分のない正妃の子供でありながら、王位承継には遠い位置に生まれついてしまった。
だが、桔梗はさほど王位の継承については執着がなかった。
王である芙蓉の寵愛もいらなかった。
この子さえいてくれれば。
「御呼びでしょうか、双貴妃さま」
扉の向こうでまだ幼さの残る青年の声が聞こえる。
桔梗は傍にいた侍女に視線を送り、ゆったりと答えた。
「お入りなさい、連翹」
侍女が開けた扉から、黒髪の青年が現れた。青年というにはまだ幼さが宿り、その顔つきには突然の妃からの召集に緊張が張り付いていた。
「大きくなりましたね」
腕の中の子供の頭をなでながら、桔梗はそう彼に言った。
最後に彼に会ったのはいつだっただろうか。
久しぶりに見る彼は、本当に大人になったように見えた。11貴族でもないにもかかわらず、桔梗に目をかけられ、宮廷で武官になるために修行中の青年。
11貴族に縁ある者たちだけが集うこの宮廷で、彼は異例の存在だった。
まっすぐな瞳。迷いのない、強い意志を宿した瞳。
大丈夫。彼になら、この大切な子を預けることができる。
「蜂豆 連翹。あなたが昔、わたくしに言ったことを覚えていて?」
桔梗の問いに、連翹は跪拝の礼を崩さずにはっきりと答えた。
「はい、双貴妃さま」
覚えている。忘れるはずがない。
この胸に今も、変わらぬ思い。きっと未来永劫変わることはない。
「では、連翹。わたくしに代わり、この子を守ってくださいますか?」
連翹は瞠目し、そして、桔梗の腕の中で今にも彼女の膝の上から飛び降りようともがいている子供を見つめる。
「・・・・・・わたしで、よいのですか・・・?」
11貴族でもない、自分で。
まかりなりにも、第3公子といえど、27代国王の正妃の子。
そんな大切で重要な子供の護衛を、自分に?
「わたくしが、あなたに頼んでいるのですよ」
柔らかい物言いの中に含まれた、切迫感と絶対の意志。
もう、連翹は迷わなかった。
「お望みのままに」
青年のその言葉を聴き、桔梗の表情がやっと安堵したように崩れた。その一瞬の隙を逃さず、子供は母の腕からすべり降りた。
子供は初めて会う青年に、好奇心いっぱいの瞳でかけよった。
「名は何という?」
たどたどしく、子供は彼に尋ねた。
「蜂豆 連翹、と申します、わが君」
「れんぎょう・・・・・・」
「連翹、こちらへ」
子供が次の言葉を発するよりも前に、桔梗が連翹を呼び寄せた。傍にいた侍女が子供を抱き上げる。
連翹は桔梗の言われるがまま、彼女のすぐ傍まで歩み寄った。彼女は、一振りの剣を彼に差し出した。
「あなたとわたくしとの『約束』の証として、これを授けます。いつか、あの子があなたに『本物』を渡すまでは、この剣を」
連翹の目は、桔梗の持つ剣に釘付けになった。
剣鍔に、キキョウの花が彫られている。
それはその名を持つ者への忠誠。
しかし、桔梗の持つ剣は、まだ体の幼い『今』の連翹に合わせた、小さな一振り。
あくまで、『臨時』の間に合わせの剣。
子供がその意志を持って決断するまでの忠誠。
桔梗の愛する子供を守るという、桔梗への忠誠。その子供への忠誠。
同時に、桔梗から連翹への信頼の証。
貴族が、特に王族が自らの名の花を下賜することは、相手への絶対の信頼を示すこととなる。
桔梗は今、それを連翹に示しているのだ。
「これを・・・・・・わたしに・・・?」
剣と桔梗の瞳をゆらゆらと行き交わせながら、震える声で、連翹は問いかける。
その重みを再確認するように。
「えぇ。あなたにその意志と覚悟があるのならば」
桔梗の信頼を連翹へ。
その信頼を受け取る意志と覚悟があるのならば。
「謹んで、拝受いたします」
震える手で、それを受け取る。
微笑む桔梗の手から、まだ幼い青年の手へ、剣が渡される。
ずしりとしたその重みが、彼の受け取った重み。
「この命に代えても、若君をお守りいたします」
受け取った剣を掲げて続ける。
「このキキョウの剣にかけて」
「あっ」
侍女の腕からやんちゃな子供が飛び降りた。
「若君さま!!」
追いかける侍女の手をふりきって、子供は連翹に飛びついた。
「れんぎょう、れんぎょう!!わたしを抱き上げろ!!」
きゃっきゃっとうれしそうに笑いながら、子供は連翹にねだった。
「兄ができたようでうれしいのかしらね」
桔梗が肩の荷をおろしたように、すっきりした表情で微笑む。
これで、安心だ。
この青年になら、この子を預けることができる。
あの時の自分の決断を、信じていこう。
連翹が抱き上げた愛するわが子を、桔梗は温かく見守る。
連翹の腰にさげられた、信頼と忠誠の証。連翹はきっと果たしてくれるだろう。
「れんぎょう、わたしの名を知っているか?」
子供が、連翹を見下ろしながらうれしそうに尋ねる。
「えぇ、わが君。存じ上げております」
「わたしの名は、し ふうらんだぞ、れんぎょう!!忘れるな」
「はい、わが君」
そして、子供はその小さな瞳を伏せて、遠慮がちに、小さな声で問いかけた。
「れんぎょう、ずっと・・・・・・いっしょに、いてくれるか?」
小さな声の小さな望みに、連翹の胸はいっぱいになる。
双 桔梗貴妃に、キキョウの剣を下賜され、その公子にそばにいることを望まれる。
貴族でもない自分に降りかかる、充分すぎるほどの栄誉。
「身に余る光栄・・・・・・。いかなるときも、お傍を離れません、わが君」
ここに、ひとつの絆が生まれた。
幼い公子と、まだ幼さの残る、武官でもない青年の『約束』。けれど、この小さな一歩は、やがて伝説として言い伝えられる。
蜂豆 連翹が抱き上げた小さな公子は、うれしそうに笑う。
星華国第27代国王 獅 芙蓉の第3公子にして、双家の娘、芙蓉の妃である桔梗の5歳の息子である、獅 風蘭こそ、この物語の主人公のひとりである。
初めまして、紫月飛闇です。
慣れない中華風小説にオロオロしながら書いていますが、少しでも楽しんで読んでいただけるとうれしいです☆
紫月飛闇(http://sizukistory.web.fc2.com/)