魔法少女は身バレする
凪の来訪から一日。
今日は近年稀にみる大雨という事もあり、ジョギングは断念。
凪と昼食を摂りながらソファーでアニメを見ていた時。
『ブオンブオンブオン』
傍らのスマホが振動し、普段の癖で手に取ってキーワードを紡ぐ。
『裂け 漆黒の刃』
『隠密』
通常、魔法少女には認識阻害の魔法が働いており、正体が露見する事はない。癖で変身してしまったといっても俺が唐突に姿を消した事を凪が若干不審に思うだけ。
いつものようにスマホのメランコリア出現レーダーを起動し、現場に急行しようと赤点をタップしようとした刹那。
誰かに手首を掴まれた。
「っへ?」
突然の事に間の抜けた声を上げる俺を他所に目前の、見覚えのある少女が口を開いた。
「……おじさん?」
瞳に映る少女は、見覚えのあるゴスロリ服を纏ったツーサイドアップの少女。
が、特筆すべきはそこではない。
今、この少女は俺のことをなんて呼んだ?
少なくとも、ナハトの姿でおじさん、なんて呼ばれることは皆無。
そもそも、俺のことをおじさんと呼ぶ人間など、この世に一人しかいない。
「……凪、なのか?」
互いの瞳が交差し、見つめあうこと数秒。
出撃することすら忘れ、呆然としてしまう。
「……」
「……」
いつまでそうしていただろうか。
気づけばメランコリアの位置を示す赤点はアプリから消失していた。
身バレ。
そんなものは、有名人にのみ起こり得る事で縁のない雲の上の出来事だと思っていた。
それは魔法少女をやっていても変わらず、変身解除でも起こらない限り、この秘密は墓まで持っていくつもりだった。
無論、身バレした際の対処法など持ち合わせているはずも無く。
昨日は心地良かった静謐が、息が詰まるような苦しい静寂に変貌していた。
一先ず、足の低いテーブルに腰を下ろし互いに向かい合う形を取る。
変身したままの凪は普段のズバズバした物言いが鳴りを潜め、借りてきた猫のようになっていた。
「あ〜。その、なんだ」
こういった場面では、大人が先導するべきだろうと口を開くがうまく言葉が繋がっていかない。
「隠してたつもりはなかったんだが、なんかまあ紆余曲折あって一月くらい前から魔法少女やってる」
「へぇ、そうなんですか…… で片付くわけないじゃないですか!? もっとちゃんとした説明をして下さい。おじさん。いや、そもそもほんとにあなたはおじさんなんですか。魔法少女の中身が男性とか、前代未聞の珍事なんですけど」
俺が正直に告白すると、再起動した凪が両手でテーブルを叩きつけ、早口で捲し立ててくる。
「説明って言われてもなあ。会社の帰宅途中に性悪妖精に勧誘されて、なし崩し的にこうなったとしか。まあ、一応今は自分の意思で活動してはいるが」
「わかりました。百歩譲って、おじさんが魔法少女の活動をしていることには目を瞑ります。けど、そもそもなんで男性であるおじさんが魔法少女に変身出来るんですか!? そこだけ全く理解に苦しみます」
「さあな。そこは俺に聞かれても困る。むしろ俺が知りたいくらいだ」
「なんですかそれ。なんなんですかそれ!? 無茶苦茶です。魔法少女としての前提を真っ向から覆す一大事ですよ。少なくとも、私が知る限り男性の魔法少女なんて見た事も聞いた事もありません。もしかして某アニメのように、TS薬でも性悪妖精に飲まされたんですか!?」
普段の凪からは考えられないような叫喚に新鮮さを感じながら、淡々と事実を述べる。
「んなわけないだろ。凪、アニメの見過ぎだぞ。そもそも、変身時以外までTSしてたら戸籍やらなにやらどうするんだ。こんなナリじゃ仕事にも行けなくなるだろ。現実的に考えて、あり得ないだろ?」
「それは、そうなんですが…… 現在進行形で非常識の塊と化しているおじさんに事実を述べられると、無性に腹が立ちます」
ジトーっと、睨め付ける視線を向けてくる凪。
暫く、凪の質問攻めが続き、気付けば時刻は17:00を回っていた。
一頻り、聞きたいことは網羅したのか、凪は息を吐く。
「それにしても、本当に摩訶不思議ですね。冴えないおじさんがソウル達が絶賛していた魔法少女ナハトだなんて。おじさん、もう一度変身してくれますか?」
「いや、メランコリアが出た訳でもないのに変身するのはー」
「そういうのはいいので。理屈なしの単なる好奇心です。可愛い姪のお願いくらい聞いて下さい。ほら今すぐに」
好奇心とのたまいながら、スマホを向けて変身を急かしてくる凪。
「なら、その意味深に構えたスマホはなんだ?」
「え? ただおじさんの弱みを握ろうとしているだけですがなにか?」
「抜け抜けと。よくもまあ本人の前で平然と口に出来るな。それを聞いて、俺が変身するとでも?」
「むりやり魔法省に連行されたくはないでしょう? 早くして下さい」
「こいつは…… はぁ。今回だけだからな」
姪の前で変身する気恥ずかしさに苦悩しながら、瞬時に変身を終える。
キーワードは、羞恥心が凄いから無論破棄だ。
メランコリアが出現したわけでもないし、精一杯の反骨精神でもある。
変身を終え、ナハトとなった俺を凪はまじまじと見つめてくる。
「黒髪ポニーテール少女。見事におじさんが好きそうな属性ですね。背は、変身前の私より若干低いので150cm台でしょうか? ふむ、ほっぺもぷにぷに。正真正銘の少女ですね」
「身体に触れる事を許した覚えはないんだが……」
「そのくらい多めに見て下さい。おじさんが少女の体に劣情を催していないかチェックするのも姪である私の務めです」
「そうかな。そうかも…… いや、そんな訳無いだろ」
「細かいことはいいです。それよりもこれは朗報ですね」
俺の反論に耳を貸さず、一方的に話を進める凪。
そしてさも当然のように頭を撫でてくる。
非常に鬱陶しいが、こうなった凪は満足するまで止まらない質のことは理解しているため、不承不承無視し、会話に脳のリソースを割く。
「で、なにがどう朗報なんだ?」
「私の後輩にソウルがいるじゃないですか? 最近何故かおじさんの話ばかりで五月蝿いので、早めに解決したいんですよ。それでですね」
「嫌だ」
「おじさん。私はまだ何も言ってないですよ」
「まだ、ってことはこれから先俺にとって不利益になることを述べるんだろ? だったら答えはNoだ」
「おじさんはいつまで自分を格上だと錯覚しているんですか。これでも私は関東最強の魔法少女イトーですよ。前みたいに透明化しても私のアビス・アイの前ではおじさんは無力です。それとも、他の魔法少女に『力の化身』の二つ名で恐れられる私に、身体能力で勝てると思ってますか? 勘違いも甚だしいですよ。魔法少女を始めて1ヶ月そこらの素人に、歴戦の魔女である我…… 私が負ける訳ないじゃないですか。身の程を弁えてください」
「……長い。一言で説明しろ」
「断っても連行します。おじさんに拒否権はないです。私の平穏のために、犠牲になってください」
「清々しいまでに横暴なんだが。叔父をなんだと思ってるんだ」
「ものぐさで自堕落で無気力でアニメを見るくらいしか趣味のない可哀そうなぼっ」
「客観的事実を羅列するのは止めような。そもそも、俺を連れて行ったところで、ソウルの元に辿り着く前に元の姿に戻るから無駄だぞ?」
「じゃあ、おばあちゃんにこれ送りつけますね」
大人の対応を決め込み、頑なに意思を変える気のない俺に、凪がスマホを見せつけてくる。そこには、俺が魔法少女ナハトに変身する動画がバッチリ撮影されていた。2525なら・RECのコメントで埋まっていることだろう。
「というわけで、善は急げです。明日はお願いしますね。おじさん」
「そうかよ」
大人としては、これで良いのか頭を悩ませる所だが、これも社交辞令とか経験とかそういった認識にしておこう。
じゃないと、胃に穴が開きそうだからな。
凪以外との女学生との会話。
下手をすれば上司や部下、同僚と接するのより難易度が高そうだ。
なし崩し的に、戦地に放り込まれることが確定してしまった。
……いや、どうしてこうなった?