ナハトとイトー
4月最終土曜日。
世はゴールデンなウィークを迎え、幸運なことに、俺の勤めている会社でもそれは滞りなく伝播していた。
即ち、社会人にとっては貴重な長期休みである。
といってもなにか変わるわけでもない。
仕事がない故に、昼頃に起きてアニメ見て時々思い出した様に外出して、日々を過ごす。
基本、一人の方が落ち着く質の俺は、外食や用事以外で外に出ることもない。
まとまった休み故に、なにか新しい事に挑戦する、といった建設的なこともない。
……去年までの俺ならそうだっただろう。
だが、今年は明確に異なる事がある。
無論、魔法少女の闘争に図らずも身を投じてしまった事である。大半の人間に認知されることなく、密かにメランコリアと戦い続ける魔法少女達。
基礎魔法として回復や結界といった防御重視の魔法が体系化されているといっても、戦争に身を投じているのは、まだ幼い少女達ばかりだ。
件の強化種のメランコリアのように、何事にもイレギュラーは起こりうる。
そして、一歩間違えれば命を落とす。
社会人と同等か、それ以上に稼げると言っても余りにハイリスクだ。
正義感なんてものは、俺は人並みだと思っているがそれでも未来ある若者達の命を無為に散らす事は度し難い。
故に、俺は先日の一件から決意した事がある。
俺にできる範囲で、先月よりも積極的に、メランコリアを葬る。
幸い、『隠密』という隠密性の高い魔法を有する俺は、他の魔法少女に比べて危険が低い。
ゴールデンウィークの初日。
性悪妖精には、積極的にメランコリアの討伐警報を回すように頼んである。
このGW中は、メランコリアの狩る範囲を神奈川から関東全域に増やしている。せめて仕事が休みの時くらいは、他の魔法少女の負担を減らしておきたい。
ソファーでダラダラとテレビでアニメを見ながらも、サブのスマホは常に傍らに携帯して時間を過ごしていると。
『ブオンブオンブオン』
スマホが振動する。
寝そべったまま掌にキーアイテムである刀のキーホルダーを出現させ、キーワードを紡ぐ。
『裂け 漆黒の刃』
『隠密』
変身して間断なく魔法を使う。
まあ、大袈裟に言っているだけでフードを被っているだけだが。
姿も魔力も隠蔽できるこの魔法は使い勝手がいいので変身したら矢継ぎ早に使うのが半ば習慣になってきている。
相変わらず露出の多い魔法少女の格好に辟易しながら、メランコリア出現レーダーに表示される赤点をタップし、転移。現場に急行する。
一瞬の浮遊感の後、目の前に飛び込んできたのは商店街。
半円状の屋根の下、中央を四肢を唸らせて熊型のメランコリアが闊歩している。
人を襲うような素振りが見られないことから、十中八九、実体化前のメランコリアだろう。
妖精の情報では俺の推奨討伐ランク滞はG~B。
本来はCランクまでが適正らしいが俺には絶対的な安全圏を得られる魔法があるため、特例でBまでの討伐の許可を貰っている。
基本的にメランコリアは魔法少女を発見すると襲ってくる事が多いそうだが、隠密のある俺にはあまり関係がない。
油断は禁物だが、危険はそう多くない。
万全を期して刀に影を纏わせ、斬撃威力を底上げする魔法。
『付加・影』を使っておく。
意味もなく周囲を警戒しながら練り歩く熊型のメランコリアに接近し、うなじに向けて大上段から刀を振りかぶる。
「っし!!」
「ぎゃうぉお!?」
突如発生した痛みに熊型のメランコリアが低い唸り声を上げる中、俺は急速に血の気が引いていくのを感じた。
皮膚が硬い。それも、前に戦った変異種の狼型のメランコリア以上に。
意識を集中させ、影をより強く、鋭敏に掛け直すが刀は皮膚を浅く切り裂いたまま、微動だにしない。
今もなお定期的に受けている妖精の研修で、聞いたことがあった。
熊型のメランコリアの皮膚は、他のメランコリアに比べて数段硬いと。
それ故に、熊型のメランコリアについた異名は前衛殺し。
白兵戦を得意とする魔法少女にとっての天敵とされている。
無論、そんなことは分かったうえで全力で刀を振りかざしたわけだが、実際に体感しなければわからない事もある。
この時、俺は一瞬迷いが生じた。
このまま刀を押し込み、討伐を優先するか、一度距離を取り、体勢を立て直して安全を取るか。
結論はすぐに出た。
即ち、即時離脱。
掴んでいた刀の柄から手を離し、後退。
刹那、本能によるものか熊型のメランコリアが腕を振りかぶる。
「さて」
なんとか回避は間に合ったものの、現状では討伐する手段がない。
これがもし実体化後のメランコリアなら是が非でも討伐する所だが、無理をして命を落とすのだけは避けたい。
これ以上の戦闘続行は職務の範囲外だが、撤退するにしても熊型のメランコリアの首に刺さったままの、刀は回収したい。
メランコリアが暴れている拍子に刀が抜け落ちてくれれば幸いだが、そううまくいくかはわからない。
無難なのは、他の魔法少女が現れて討伐するまで待機することだが、どうしたものか。頭を回転させていた最中、唐突に熊型のメランコリアの体が真っ二つに裂けた。
「は?」
予想もしていなかった出来事に呆然としていると、立て続けに予想もしていなかった事が起きる。
「造作もない獣だ。我が剣の錆にすらならん」
変身時の俺よりもなお低い身長でありながら、身の丈を超える大剣を片手で担ぎ、不敵な笑みを漏らすゴスロリ服の少女。
オッドアイにツーサイドアップ。
中身が男の俺からすれば些か派手にも見える出で立ちだが、少女は全く気にしていない様子だった。
「む。見ない顔だな。お前、名はなんという」
「ナハト」
咄嗟に答えてしまったものの、おかしい。
反応からして声までは認識できていないようだが、存在自体は知覚されているようだ。
フードを被り隠密を発動している俺の姿は、魔法少女といえども、姿を視認できるはずがないのだ。
「うまく隠れているつもりのようだが、我が『深淵なる眦』は欺けん。姿を現したらどうだ」
紅色の右目に指を添え、不敵な笑みでこちらに笑いかけてくる幼女。
色々とツッコミたい所ではあるが、不承不承フードを取って魔法を解除。ほぼ初めての魔法少女同士の会話を試みる。
しかし、特に言うこともない。
「はは。知っているぞ貴様の顔。ここら一帯のメランコリアを駆逐して回っている神出鬼没の魔法少女、ナハトよ。我が城でもその名声は轟いている。ソウルとヨシュア以外誰も見たことがない故、よもや都市伝説かと思っていたがまさか実在していたとはな」
俺の姿を目にするなり、早口で捲し立てる謎の魔法少女。
「誰?」
長ったらしい講釈に晒され、気が滅入っていた故に、本音が口を衝いて出た。
すると、謎の魔法少女の目と口が勢いよく見開かれ、全身をわなわなさせていた。
風邪でも引いたのかと心配に思っていると、謎の魔法少女が再起動するように息を吐いた。
「野良の魔法少女とは言え、我を知らんとは、無知であるな。仕方があるまい。無知な貴様に我が真名を教えてやろう。聞いて慄け。我が名はイトー。関東最強の魔法少女にして世に二桁といない魔女の一人である」
漫画なら集中戦でもついていそうな口上と共に、謎の魔法少女改めイトーが名乗りをあげる。
「へぇ〜」
「反応うっす! もっとゴリゴリに我を崇め奉らんか! 上位者への敬意が足らぁん!」
メランコリアについては研修をそれなりに受けてきたものの、魔法少女については全く手をつけていなかった。
正直、少女達を闘争に駆り出してしまっている大人としての罪悪感のようなものはあるものの、正規の魔法少女になる気はない故に、単純に興味が薄かった。
「全く、ソウルとサエルからはいたく気に入られているようだが、やはり百聞は一見にしかずだな。我を前にしながら眼中にないといった澄まし顔。癪に障る。良い度胸だ。そうだな、まずは妖精界のコロシアムで我と決闘を――」
またもや早口で捲し立て始めたイトーを無視し、熊型のメランコリアが倒れた拍子に転がった刀を回収。
スマホのメランコリア出現レーダーを起動し、手早く自宅をタップする。
やっぱり、ジェネレーションギャップはあるものなんだな。
幼い少女たちとの会話は難しい。
まああの子はなんか若干中二病っぽかった気がするが。