救援、逃走、遭遇
その日は、晴れた快晴だった。
4月末。
そろそろ梅雨も近づき、快晴にも関わらず気分は落ち込んでいる。
なんせ今日は週で最も憂鬱な月曜日。
仕事が一区切りつき、俺はようやく遅めの昼食にありついた。
昼休憩はあと三十分とない。
早いところ飯を食わなければ。
出社する前に買っておいた総菜パン。
焼きそばパンを鞄から引っ張り出し、大口を開けてかぶりつ
『ブオンブオンブオン』
マナーモードに設定していたサブのスマホが激しくバイブレーションを鳴らす。
が、基本的に俺は夜担当である。
他の魔法少女が即刻出撃するだろうし、俺には特段関係はない。
一度止めた食事を再開し、焼きそばパンにかぶりつく。
正直昼の食事としては若干ながら重いが、夜に食べ過ぎると太るという噂を耳にしたため、昼のうちにカロリーを摂取しているのだ。
ものの数分で食べ終え、午後の仕事に備え仮眠でも取ろうとデスクに顔を伏せたところで、最近はぱったりと止んでいた妖精の声が脳に反響した。
『大変だ一也!! ソウルとサエルがピンチだ! 応援を頼む!!』
……正直、狸寝入りして無視してもいい。
街中で見かけることが多い、というだけで助ける義理が別にあるわけではない。
魔法少女を職業だと仮定するなら、所詮は職場の関係だ。
誰がいなくなったところで、関係ない。
ただ、この一報を聞いて見ないふりをするのも寝覚めが悪い。
いつもの性悪要請の理不尽な要求なら即刻突っぱねる所だが、今回ばかりは仕方ない。
「具体的に、なにがどうヤバいんだ」
サブのスマホに表示されるヨシュアに、小声で問う。
『端的に言うと、Bランクの変異種ですごく強いんだ! 詳しく説明してる暇はない! 姿を隠蔽する魔法を持っている君ならあるいはなんとかできるかもしれない! すぐに向かってくれ! 早くしないと彼女たちの命に関わる!』
こういう時学校だったらいいんだが……
仕方ない。
ここは適当にごまかすか。
足速に移動し、課長の元まで直行。
時間がないので用件だけ告げる。
「親族に不幸があったので、早退します。調整は翌日やるので、よろしくお願いします」
「え、ちょっと黒瀬くん」
呼び止めようとする課長を無視して移動。
ビルを出るのも時間の無駄と判断し、バッグを携えて男子トイレに駆け込む。
万が一にも見つからないよう、個室でカギを占める。
『裂け 漆黒の刃』
家のカギのキーホルダーとしてつけていたキーアイテムを手に、キーワードを紡ぐ。
いや、まあ別にキーワードに関しては紡がなくても変身できるんだが、今回は事が大きそうなだけに、気持ちの問題だ。
『隠密』
さらに、先日研修を受けた際に判明した魔法も自身に掛けておく。まあ、魔法とは言っても主観だとただフードを被っているだけなんだが。ただ、ヨシュアが言うには姿も魔力も感知出来なくなるらしいから、間違いなく強力だ。
これならば、転移した先で真っ先にメランコリアや魔法少女に目をつけられることもないだらう。
サブのスマホのメランコリア出現レーダーに表示される赤点をタップし、出撃。
一瞬の浮遊感ののち、景色が一変する。
飛び込んできたのは、黄金色の結界。
踏みしめる足場は、砂利の多い運動場。
閑静な住宅街の一角で、大きな公園のような場所だった。
公園を囲うように、ドーム上に半径数十メートルに渡って結界が展開されている。
そして、視界の端に焼けこげた衣装で倒れるサエルに飛び掛かる狼型のメランコリアの姿。そして、それに向かってうつ伏せで手を伸ばすソウル。
それを目にした瞬間、我知らず飛び出していた。近接型の魔法少女の脚力を十全に発揮し、即座に距離が潰れる。
『付加•影』
研修と幾度の実践を糧に、新たに習得した斬撃威力の向上と拡張の魔法を発動し、刀身に影を纏わせる。
向かう先は倒れ伏すサエルに飛びかかる狼型のメランコリア。隠密の効果で敵はこちらの存在に気づいていない。
俺の魔法は基本的に暗殺に特化している。
予断と違和感はこちらの存在に気取られるヒントを与えてしまう。
決めるなら、一刀だ。
「ふっ!!」
大上段から袈裟斬り。
振り抜いた刀は寸分違わずメランコリアの首を捉えた。
「ぎゃぁぁう!?」
「!?」
しかし、掌に返ってきたのは岩でも当たったような硬質な感触。
E級やD級のメランコリアとは、比ではない皮膚の硬さ。
さながら拳をコンクリートに叩きつけているようだ。
「なんの!!」
猛烈に魔力を収束させ、付加•影の纏う影をより、強く鋭敏に変質させる。
凝縮された影が猛りを上げ、その刃で敵を切り裂かんと嘶く。
徐々に刃が食い込み、僅かに勝利の兆しが見えた。刹那。
フッと、力を振るう対象が消える。
切り裂く対象が消失し、力んだ影響でたたらを踏む。
「ぐっ、ぁあ!?」
直後、高熱が肌を焼く。
直ぐに魔法少女の基礎魔法『回復』で傷を癒すが、身を焦がす痛みに額から汗が滴る。
攻撃、された?
隠密で姿も魔力も匂いも隠しているっていうのに。
生きようともがく、野生の本能。
手負いの獣ほど、注意が必要で。
いつかアニメで見た少年の憧憬の少女が言っていた。
トドメの一撃は、油断に最も近い。
痛みで鈍る思考で、状況を把握する。
いつの間にか、狼型のメランコリアはその体躯を縮小させていた。
掌に収まるほどのサイズに変質したメランコリアは左右に首を振り、辺りを見回すと、俺とは逆方向に駆けていく。
「待て!!」
脱兎の如く逃走するメランコリアに、癒えた身体で急襲を仕掛ける。だが、魔法少女の脚力を以ってしても、逃走に意識をシフトした獣の疾駆は、恐ろしく速い。
一歩、二歩、三歩。
徐々に、だが確実に引き離されていく。
もっと、もっと速く。
限界を超えて走る足は軋みをあげ、息を上らせる。くそ、こんな所で運動不足の持久力不足が足を引っ張るなんて。
結局、狼型のメランコリアの背は遠ざかり、黄金色の結界に爆炎が咲いた。
遠目のため、詳しくは把握できないが、どうやら口から炎の玉でも吐いたらしい。
さっき受けた攻撃は、十中八九あの火の玉によるものだろう。
そもそも、魔法は魔法少女の専売特許じゃないのか。
性悪妖精の研修じゃ、魔法を使うメランコリアの存在なんて習わなかったぞ。あの馬鹿妖精。
肝心な事を教えないでどうするんだ。
胸中で悪態を吐きながらひた走る。
前方では幾度も爆炎が咲き、煙を上げている。
まだ討伐できる可能性はある。
メランコリアが結界の破壊に手間取っている間に、今度こそ一刀の下に斬り伏せる。
「クソ…… はぁ、はぁ……」
だが、そんな俺の微かな希望を嘲笑うように結界に亀裂が入り、そこにメランコリアが突進を掛け、脆くも結界に穴が開く。
結界から飛び出して、颯爽と駆けていくメランコリアを追うだけの体力は、もはや俺には残っていなかった。
一度、フードを取って隠密を解除する。隠密の弊害として、他者から魔力を感知できない故に、性悪妖精との連絡が取れないのだ。
わかりやすく言えば、オフラインの状態でオンラインゲームが出来ないのと同じ理屈だ。
「性悪妖精。あのメランコリアはなんなんだ。普通のメランコリアじゃないぞ」
『出撃前に行っただろう、所謂変異種だよ。正確には実体を得たにも関わらず、人を襲うことなく人の夢を喰い続けている強化種。人を襲うから害はないように見えるけど、なんの気まぐれで人を襲い出すか分からない。そういった類のメランコリアは最上位の力を有する魔法少女に討伐司令が降るんだけど、今回はその最上位の魔法少女が不在でね。それ故に上位の魔法少女のレーダーに警報が渡って、正義感に駆られたソウルが暴走してしまったんだ。言っておくけど、僕は止めたからね』
「そうか……」
正義感に駆られた。
良く言えば崇高で、悪く言えば傍若無人。
俺には正義感で友達を危険に晒すのは愚行としか思わないが、相手はまだ幼い少女だ。
責め立てても、利点はないだろう。
なにより、事の発端となったソウル自身が、それを痛いほど理解しているはずだ。
『大丈夫。あのメランコリアは魔法省から関東最強の魔法少女に討伐司令が降っている。日を跨ぐ頃には全部終わっていると思うよ』
なるほど、下っ端に片付けられなかった敵は上層部に押し付ける。
実に合理的で明快だ。
ただ……
無性に腹が立つ。
妖精、ではない。
魔法少女という職種を甘く見ていた自分自身に。
命を賭して戦う職業を蔑ろに、小遣い稼ぎの副業程度にしか考えていなかった自分自身に。
これは、戦争で、闘争だ。
そこに確かな給料が存在しても、生きるも死ぬも紙一重。
油断と準備不足は、一瞬で魔法少女を呑み込むだろう。
だから、成人している大人でありながら、少女の一人も守れない。
「あの……」
胸中で、自分を責め立てていると視界の端で緋色の髪が揺れた。
その先に立っていたのは、沈鬱な表情で佇むソウルの姿だった。
「ありがとう、ございました。私の、大事な友達を助けてくれて。何が起きていたかは全く分からなかったけど。助けて、くれたんですよね。えっと……」
そこでソウルが言葉に詰まる。口を開いては閉じ、なにかに迷っているようだった。
「ナハト」
事前に考えていた名前を告げる。
ドイツ語で夜を意味する言葉だ。
影を纏い、夜に活動する俺にピッタリの名前だ。
そう性悪妖精が熱く語っていた名前を、俺が今この場で借りた。
どうせ、自分では碌な名前は考えられないし、図らずも魔法少女に遭遇してしまった以上、仕方がないだろう。
「ナハトちゃん。改めてありがとう。私が、私は……」
「……あまり、自分のした事を気に病まない方がいい。後悔はしていい。ただ、その失敗を次の戦闘に活かす。それが、出来ればきっと、貴方はオレ、……私よりずっと強くなれる」
そして、俺自身も。
この失敗を糧に、暗殺の形を最適にする。
次こそは、どんなメランコリアが相手でも一刀の下に切り伏せて見せる。
「……うん。うん! ありがとう! ナハトちゃん! 良かったら、ってアレれ?」
元気を取り戻したソウルを尻目に俺はフードを被り、隠密を発動する。
俺は野良の魔法少女で、言ってみれば非正規雇用の魔法少女だ。
必要以上に正規の魔法少女と。
いや、魔法少女達と関わるつもりはない。
……断じて、若者の女の子との雑談や談笑の話題がわからないわけじゃない。
単なる気持ちの問題だ。
断じて。