鏡も友情も、ひび割れちゃったら、使いものになりません
これは、公爵家ご令嬢の専属侍女から聞いた話です。
五年ほど前、彼女が、この公爵邸の侍女を始めてすぐのことです。
彼女は伯爵家の三女でしたが、祖父も父も才覚がなく、ずっと貧乏でした。
おかげで行儀見習いと口減らしを兼ねて、彼女は筆頭公爵家に奉公に出されました。
彼女自身、特段、我が身を不幸とは思わず、貧しい実家から解放されて、ホッとしていたそうです。
でも、人に仕えられる立場から、人に仕える立場に変わるのですから、大きな環境の変化がありました。
宏大な公爵邸といえど、新米侍女となった彼女には、個室があてがわれるはずがありません。
一つ年上の先輩侍女とのシェアルームで寝泊まりすることになりました。
先輩は男爵家出身で、彼女が伯爵家のお嬢さんと知って、たいそう驚いたそうです。
でも、家柄がどうだろうと、ここでは万事が先輩優先で、先輩が彼女の指導役でした。
彼女は始終、腰を低くして接しましたし、先輩の方も初めのうちは、彼女に気を遣ってくれていたそうです。
関係が悪化する兆しは、彼女が公爵邸にやって来てすぐにありました。
彼女が実家から引っ越してきた際、見慣れない姿見の鏡があったのです。
差出人不明の、その姿見の鏡は、彼女が知らない鏡でした。
彼女が公爵邸に到着すると同時に届けられたものでした。
公爵様ご家族は言うに及ばず、お付きの方々の誰もが、そんな姿見の鏡など注文していない、といいます。
その姿見の鏡は大きな一枚鏡で、木枠に施された彫刻を見るだけでも、たいそう立派なモノでした。
侍女になった彼女や先輩には、見るからに高級そうに映る代物でした。
「いいんじゃないかしら。このまま部屋に持ち込んでも。
公爵邸に住む方々の、誰にも心当たりがないんですから。
きっと、あなたのご実家が贈ってくださったのよ」
「そうかしら……」
先輩は喜んでいましたが、彼女は気味が悪かったそうです。
彼女たちが住んだ部屋は、二段ベットの向かいに並びの机が二つあり、窓がひとつだけある部屋でした。
もちろん、洗面所やトイレは部屋の外にあり、他の侍女たちと共有です。
例の姿見の鏡は、二人ともが利用できるよう、出入口の隣に置かれました。
プライベートが保てる空間は、それぞれのベッドのカーテンを引いた内側ぐらいしかありません。とてもプライバシーが確保された状態とはいえませんでした。
ですが、二人とも礼儀正しく、気を遣いあっていたため、生活に支障はないだろうと思っていました。
でも、それが甘かったようでした。
一週間もしないうちに、先輩はイライラしてばかりの女性になってしまいました。
「あんた、私を覗いたでしょ!」
「私、覗いてなんかいません」
といった罵声が飛び交う日々になってしまいました。
普段、仕事を共にするときや、先輩から指導を受けるときですら、始終なごやかな雰囲気で、問題ありません。
ところが、自室に戻ったとたん、険悪な状態になってしまうのです。
二人とも、プライベート空間が確保できていないのが問題では? と思ったので、一ヶ月もしないうちに、部屋に入ったらすぐに、それぞれのベットでカーテンを締め切って過ごすようになりました。
お互いの遮断をキツくした結果、行き来も格段に減り、共有スペースで居合わせても、顔も合わせないようになっていきました。
ところが、息苦しい日々は、なかなか終わりませんでした。
日が経つにつれ、先輩の顔が、病人みたいにやつれてきたのです。
眉間の皺が深くなる一方でした。
同居生活が三ヶ月もすると、先輩のツヤツヤした黒髪が白髪化してしまいました。
髪がパサパサになり、頭皮から抜けるようにまでなったそうです。
「あんたのせいよ!」
ついに先輩が、二階ベッドのカーテンを外から開けて、怒鳴り込んできました。
そろそろ文句を言ってくるだろう、と見越していた彼女は、ベッドで寝そべったまま、平然としていたそうです。
「おかしいのは、先輩の方です。
無作法を叱りつけるのなら、あの鏡を相手にしてください」
「はあ? 頭、おかしいんじゃないの……」
そう言ってから、先輩はビクッと半身を翻しました。
出入口近くに鎮座するモノに目を向けます。
「ほら、視線を感じませんか?」
彼女はベッドの上から、指摘したそうです。
姿見の鏡を指さしながら。
鏡には、年老いた老婆の顔が写っており、こちらの若い二人を激しく睨みつけていました。
「先輩もご覧になりました? あれが視線の正体です」
彼女は静かに言い放ちました。
「だから、捨てようって言ったじゃないですか。
私はもう一ヶ月以上、あの鏡、使っておりません」
先輩は鏡に目を遣りながら、しばし呆然としていました。
が、しばらくすると、無言のうちにうなずきました。
ようやく、姿見の鏡を捨てることに決したのです。
とはいえ、通常のゴミ捨て場に捨てるのは危険な気がしたので、お仕えする公爵家のお嬢様に事情をお伝えしました。
すると翌日、公爵家付きの呪術師が下男を引き連れ、鏡を引き取りにやって来ました。
白髪の呪術師は、姿見の鏡に手を触れるや、おお、と声をあげました。
「これは、お懐かしい……」
彼女は先輩と一緒になって問いかけました。
「この鏡をご存知なんでしょうか?」
「鏡に写っているのは、どちら様でしょう?」
若い侍女からの質問に、老人は皺だらけの顔に笑みを浮かべました。
「かつて、私どもが若い頃、さんざん手を焼かされましたものですが……そうですか、こちらに封じ込まれておりましたか。
いえ、貴女方には関係ございませんよ。
当代のお嬢様はわがままではありませんからね。
昔の話です」
老呪術師は、ほっほほほと笑いながら、何やら呪文を書き記した呪符を何枚も貼り付けました。
すると、突然、鏡がピシッと斜めにひび割れました。
彼女は驚いたそうですが、老呪術師は平然としたものだったようです。
それから何人もの下男を呼びつけて、姿見の鏡を運び出していきました。
それ以来、あの鏡の行方はわかりません。
ちなみに、彼女は、関係がギクシャクした先輩との仲はすっかり修復して、今では一緒に公爵家ご令嬢の専任侍女としてお仕えしているそうです。
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