魔の森の合唱隊
恥ずかしながら、僕の冒険者としての、最後の体験をお話しましょう。
僕は、〈魔の森〉と呼ばれる、広大な森の奥深くに入ったんです。
その地域は、まだ誰も到達したことがない、人類未踏の領域でした。
〈魔の森〉はつい最近まで魔王領だったのです。
勇者によって魔王が討たれて魔王国は崩壊したものの、人間にとって手付かずの土地が、まだたくさん残されていたのです。
三日月の夜ーー。
僕はひとりで、その未踏地である〈魔の森〉の奥地へと足を踏み入れていました。
鬱蒼と生い茂る樹木や、岩陰に潜む魔物をやり過ごし、灯りも点けず、肉眼と感性だけを頼りに進んでいきました。
僕は上級の斥候職でしたので、隠密行動と探索能力には自信があったのです。
「む……」
三つも連なった大岩を抜けた途端、魔族の気配を感じました。
だが、強くはありません。
ごく微弱な魔力でした。
その強さからいって、魔王軍の残党ではないでしょう。
〈魔の森〉自体が発する魔力かもしれませんし、下等魔族が近くにいるのかもしれません。
(まあ、用心するに越したことはない、か……)
僕は短刀を抜き、前屈みになって、さらに奥へと進みました。
すると、いきなり広くて丸い草原に出ました。
草原全体が、蒼い月明りに照らされていました。
ゴオオオオオーー。
周囲の森林地帯から、強い風が吹き抜けてきます。
それでいて、ひんやりとした冷たい空気が漂っていました。
その草原の中央に、人影がありました。
五人の男女がひとかたまりになって、突っ立っていたのです。
全員が革製の甲冑をまとった、いかにも冒険者然とした格好でした。
みな、剣や斧などの武器を地面に突き刺した状態で、無表情。
気をつけの姿勢でした。
私はその集団に近寄って、目を凝らしました。
ひとりの若い女性が、一歩、前へ出た状態で、立っています。
その女性の許に、僕は駆けつけました。
「ラーナ! よかった、無事だったんだね。心配したんだよ!」
僕は恋人を探し求めて、この森に入ってきたのです。
恋人とはいっても、相手は三歳年上のお姉さんで、僕よりも格上の冒険者です。
A級剣士であり、A級冒険者パーティー〈神の鉄槌〉のリーダーでもあります。
実質、僕に冒険者のイロハを教えて鍛え上げてくれた、師匠ともいえる存在です。
一ヶ月半前、僕の方から告白して、婚約してくれることになりました。
「どうしたの? これは、なに? なにがあったの!?」
恋人の僕が必死で問いかけても、ラーナは答えてくれません。
無表情なままです。
僕が助けに来たのに、まるで気づいていないようでした。
自慢の愛剣は、地面に突き刺された状態でした。
僕は彼女にグッと顔を寄せる。
彼女の口から吐息が漏れている。
息はある。
死んではいません。
僕はホッと胸を撫で下ろしました。
最悪の事態は避けられたようです。
まるで無反応ながら、美しい彼女の顔を見つつ、僕は告白した日を思い出しました。
当時、抱きついた僕に、ラーナは耳元でささやいてくれました。
「私の夫にするには頼りないけど、可愛いからな、君は。私が守ってあげるよ」
そんな頼もしい彼女が、〈魔の森〉の探索に向かったまま、一ヶ月も経過していました。
A級パーティー〈神の鉄槌〉のメンバー五人ともども帰って来なくなったのです。
冒険者組合は捜索隊を出すことを決定し、まずは状況確認のために斥候を出すことになりました。
その斥候役に、僕が立候補したのです。
(僕の方こそ、恋人を助けるんだ!)
出発に際して、僕は拳を握り締めたものでした。
そんな回想をしていると、どこからか、「しくしく……」と声が聞こえました。
(子供の泣き声?)
ハッと僕は振り向きました。
ラーナの後ろに並ぶ四人の男女の傍らに、ひとりの女の子がいたのです。
丸っこい動物のぬいぐるみを抱えて、少女が震えていました。
(こんな森深くの未踏地に、どうして、こんな子供が!?)
驚いた僕は身を屈めて、少女の肩を掴みました。
「お嬢さん。大丈夫だよ。何があったの? 何を見たのかな!?」
少女が大事そうに握り締めていたぬいぐるみを差し出す。
僕が黙って手を伸ばし、ぬいぐるみに触れてみると、変な手触りを感じました。
見ると、ぬいぐるみのお腹に、五つのボタンが縫い付けてあり、そこに模様が浮かんでいたのです。
「なんだ、これ? 貸してくれないか、お嬢ちゃん」
少女は黙ってぬいぐるみを僕に手渡す。
ボタンの模様ーーよく見たら……。
(これーー顔なのか?)
僕は慌てて顔を上げる。
並んで突っ立った状態の、〈神の鉄槌〉メンバーの顔を見直しました。
そうしたら、確認が取れました。
ボタンに浮かんだ模様は、まさに彼らの顔だったのです。
「ラーナ……」
ぬいぐるみのお腹の中央に位置するボタンの模様は、ラーナの顔そっくりでした。
目の前にある、気をつけをしたままの身体にある顔は、無表情なままなのに。
それに比べて……。
(動いた? まさか……)
ボタンに浮かんだラーナの顔が、表情豊かに動き始めたのです。
『うう……ああ、ロイド……ロイドなのか?』
「ラーナさん、どうしたんですか、これは? いったい、何が?」
ボタンの恋人は、当惑気味に声を上げました。
『わ、私は無事なのか……?』
僕は言葉を飲み込みました。
(魂を人格ごと、ボタンに封じ込めた?)
以前、著名な魔術師から聞いたことがあります。
魂を身体から取り出し、別の物体に凝固させる魔法がある、と。
人間や動物の魂を、人格ごと石などに封じ込めるというのです。
本来は、聖者や魔術師が、悪魔や魔王を封印するときに使う魔法でした。
(まさか、その封印魔法を、〈魔の森〉に巣喰う魔族が使うというのか?
やはり、魔王軍の残党ーーそれも幹部クラス……!?)
僕にとっては、初めて見る現象でした。
この目で見てみないことには、にわかには信じ難い魔法です。
ほとんど神の領域にあります。
僕は生唾を飲み込みました。
(超弩級の魔族が近くにいる、というのか?
いや。だったら、斥候職の僕に、その魔力を感知できないはずがない……)
魂を封印する魔法は、宮廷魔術師ですら、おいそれと使えるレベルの魔法ではないでしょう。
混乱する僕に、ボタンに浮かぶラーナが問いかけてきます。
『私はどうなってる……状況がわからない。何があった?』
ラーナさんも、何が起こったのか、わかっていないらしい。
ボタンに浮かぶ顔は、口を動かして話をするし、僕の声も聞こえているようです。
目も真っ直ぐ、僕を見詰めています。
(もし、このボタンに浮かぶ目で見えるのだったら、彼女自身の身体を見せるか?
しかしーー)
どうやらラーナは、自分の魂がボタンに封じ込められてるとは気付いていないようでした。
意識が身体と分離し、あまつさえ木偶の坊みたいに突っ立っていると知れば、さすがの彼女にも、精神的ダメージが強いでしょう。
誇り高いA級冒険者なのだから、その心的外傷の深さは計り知れません。
僕は強く頭を振りました。
真実をこちらが教えるより、まずは情報収集です。
僕はボタン向けて語りかけました。
「いずれ組合から捜索隊が出発します。
対策のため、ラーナさんを襲った恐るべき敵について、できるだけ教えてください」
でも、ボタンのラーナさんは黙っています。
しかし、代わりに、多数の声が、折り重なって響き渡ってきました。
他の四つのボタンに浮かんだ顔が、一斉に騒ぎ始めたのです。
ラーナ以外の、〈神の鉄槌〉のメンバーでした。
『来るな! ここは人間が足を踏み入れて良い森じゃなかったんだ』
『みな、身体が動けなくなってーーそれだけじゃねえ。意のままに身体が動かされたんだ。あの化け物に!』
『あの術からは逃れられない……』
『先頭を切っていたラーナさんがやられて……みな、やられた』
四つのボタンの顔は、みな泣き始める。
『悔しい。どうしようもなかった』
『俺たちの他にも何人もやられた。誰も助けられなかった』
『こんなはずじゃなかった……なかったのに……』
『私たちは役に立たない、無力なパーティーだった。不甲斐ない……』
そんなことはありません。
勇者パーティーを除けば、魔族討伐において、最も業績を上げていたのが〈神の鉄槌〉でした。
A級冒険者パーティーの、憧れだったメンバーが、弱音を吐き、泣き喚く姿を、僕は見たくありませんでした。
僕は、ぬいぐるみの腹に向かって大声をあげました。
「そんな悲しいこと、言わないでください!
先輩たちは無力ではありませんよ。
現に、こんな小さな女の子を助けているじゃありませんか。
これから、彼女にも事情を聞いてーー」
僕がここまで語ると、ボタンの恋人が急に甲高い声を張り上げました。
『少女!? 駄目だ、ロイド。逃げろ! 逃げてくれ!
その少女こそ、私が最後に見た化け物ーー!』
そこまで言ってから、悲鳴になった。
『ああああ! た、助けてくれ。
もう駄目だ。
闇がーー闇が降りてくる!
わあああん!
ごめんなさい。許してください。
もう、これからは魔族には逆らいません』
「し、しっかりしてください、ラーナさん!
師匠! あなたは僕なんかより、遥かに強い剣士じゃないですか!?
すぐに味方を大勢、連れて来ます。
魂がボタンに封じ込められてますが、身体は無傷なんです。
なんとかーー」
ぬいぐるみの腹に向けて、僕は必死に呼びかけました。
ところが、ぬいぐるみのお腹にあるボタンの顔からは一斉に表情が消え、今度はいきなり、気をつけの姿勢で突っ立っていたラーナさんたちの身体の方が、バタバタと手足を動かして歌い始めたのです。
メチャクチャに音程が外れた歌声で。
『ハイホー、ハイホー。
ボクたちみんな、愚かな操り人形。
可愛いご主人様に従う下僕〜〜♬
ラララーー!
素敵、素敵な、魔王様!
月明りの下、僕ら下僕は歌を捧げますぅ〜〜!
この世で最も強いご主人様、それは魔王様!
勇者なんか、目じゃない、敵じゃない♬
今宵は月夜。
可愛い娘の合唱隊。
その歌に、魔王様は耳をお澄ましになるぅ。
素敵、素敵な魔王様!
不死身、不死身!
たとえ殺されても、可愛い娘がいる限り、父なる魔王様は必ず復活なさいますぅ!
素敵、素敵な魔王様ぁ♬』
みな、ニタニタ笑っていました。
ラーナなんかは、口から涎が垂れていました。
呆気に取られてる僕の耳に、小さな声が響いてきました。
「お兄ちゃん、返して。わたしのぬいぐるみ」
「……」
急に狂ったように動き出し、歌う先輩冒険者たちーー。
その姿を見渡してから、僕は、恐る恐るぬいぐるみを少女に返しました。
ぬいぐるみを抱き締めて、女の子は満面に笑みを浮かべていました。
「お兄ちゃんは、わたしにいじわるしないから、人形にしないよ。
でも、この人たちはね、
『こんな魔物だらけの森に、少女がいるなんて、おかしい』
って言って、わたしをぶったり、剣で刺したりしたんだもん。
でも……ふう。やっと歌い出してくれた。
わたし、歌う下僕が欲しかったの。
ーーあ、お兄ちゃん、〈味方〉を大勢、連れて来てくれるんでしょ?
楽しみだなあ。
魔王様が褒めてくださるのよ。
大勢に歌わせると。
最近、魔王様がいらっしゃらないから、淋しいの。
でも、立派な合唱隊を作って、月夜に歌わせたら、きっと機嫌を直してくださるわ。
それにしても、この子たち、声が揃ってないわね。
笛を吹けば、合わせて歌ってくれるかしら?」
僕は這々《ほうほう》の体で逃げ出しました。
悩んだ末に、組合には『捜索隊を出すのは得策ではない。〈神の鉄槌〉メンバーは全員、死んだ模様です』と伝えました。
これ以上、犠牲者を出したくなかったのです。
僕の報告が、組合でどのように評価されたのかは知りません。
僕はすぐに冒険者を辞めて、田舎に引っ込んだからです。
結局、僕は恋人を見捨ててしまいました。
今でも彼女のことを思うと、涙が止まりません。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
気に入っていただけましたなら、ブクマや、いいね!、☆☆☆☆☆の評価をお願いいたします。
今後の創作活動の励みになります。
さらに、以下の作品を、一話完結形式で連載投稿しておりますので、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!
【連載版】
★ 公園を舞台にしたホラー短編作品集
『あなたの知らない怖い公園』
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『愛した人が怖かった』
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●また、以下の作品を連載投稿しておりますので、ホラー作品ではありませんが、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!
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