神殿への捧げもの
◆1
神聖王国レーラの首都バースには、有名な古代神殿がありました。
そして、バースの民は例外なく、古くから守っている掟がありました。
『七つになった子供は、神殿にお参りに行かなければならない』ーーという掟でした。
この掟に従い、娘を連れて神殿に参拝に来た、若い三人家族がいました。
お母さんは、白装束に着飾った娘に、言い聞かせました。
「ナナちゃん。しっかり、神様にお祈りしないと駄目ですよ」
「どうして?」
「どうしても!」
じつは、ナナちゃんの家族は、バースの街に先月来たばかりでした。
行商で財を成したお父さんが、首都で店を構えることになったからです。
ちょうど娘が七歳になったので、『郷に入れば郷に従え』をモットーに、新参家族ながら、バースの民として、神殿参りに参加したのでした。
参道には様々な露店が並んでいました。
神具やお供物だけでなく、肉や果物、さらには、お菓子や玩具を並べる店もありました。
お父さんは気前良く、娘にリンゴやお菓子を買い与えてやります。
結果、ナナちゃんは、上機嫌になりました。
神殿が間近になると、ますますナナちゃんは大はしゃぎ。
これほどの人だかりを見たのは初めてでしたし、同年代の子供が大勢集まったのを見たことも、これまでなかったからでした。
気づけば、周囲にいる子供たちはみな、白い小物を大事そうに抱えていました。
お母さんが、近くにいた男の子に、飴玉をあげながら訊きました。
「その白いモノは、なぁに?」
「おばさん、知らないの? 兎だよ。白兎。ほら、そこらじゅうの店で置いてあるだろ?」
七歳の子供が参拝する際、白い子兎を神殿に捧げるのが習わしになっていたのです。
ナナちゃんの両親は知りませんでした。
男の子のご両親から聞いた話によれば、昔は、実際に、生きた子兎を殺して腹を割き、その血を神殿のご本尊であるバース神像に降り注いだといいます。
とはいえ、当然、今では、そんな血生臭いことはいたしません。
木彫りの兎を捧げる真似事をしているだけになっている、とのことでした。
実際、神殿前で、木彫りの兎を売る店が立ち並んでいました。
けれども、もうあらかた売り切れてしまっていて、棚には予約済みの兎しかない状態になっていました。
ナナちゃんのお父さんは焦りました。
「まずいな。どこか、兎が残ってる店は……」
結局、貧相な爺さんの店で、売れ残っていた子兎を買うしかありませんでした。
しかも、「買う」というよりは、お金を払って「借りる」のが精一杯という有様でした。
神殿で礼拝する子供の一家が、その店に金を渡して、木彫りの兎を手に入れ、それを神様に捧げます。
もちろん、あくまで真似事として、です。
そして、参拝を終えた家族から、その木彫りの兎を神殿から返してもらい、店がまた別の家族に貸してゆきます。
そうして露店は収入を得ていたのです。
わずかな小銭稼ぎですが、そうした神事に便乗した商売が、彼らの生活を成り立たせていました。
お参りの時期になると、普段は木こりをしている多くの年寄りが、参道に店を出します。
ナナちゃんのお父さんが子兎を「借りた」店も、そういった店のうちの一つでした。
そうした事情もよく知らなかったナナちゃんのお父さんは、悪いことに、「自分は、不当に高く払わされるのではないか?」と思ってしまいました。
足下を見られ、ぼったくられるのでは? と。
木彫りの小物を「借りる」だけで、高すぎる金額を支払ってしまうのでは? と。
でも、店の爺さんに押し切られてしまいました。
「だったら、他所へ当たってくれ」
と、店のお爺さんに居直られてしまったからです。
ナナちゃんのお父さんは、苦虫を噛み潰すような顔になってしまいました。
お父さんが、ザッと周りを見渡しても、予約の札が貼られたモノばかり。
売り出し中の子兎は、まるで見当たりませんでした。
背に腹は替えられません。
ナナちゃんのお父さんは、大枚をはたきました。
露店の爺さんはお札を数えながら、念を押しました。
「いいですかい、ダンナ。コイツは捧げるフリなだけですよ。くれぐれも、お願いしますよ」
ナナちゃんのお父さんは、さらに不機嫌になってしまいました。
「持って帰って来れば良いんだろ。わかったよ!」
◆2
神殿に入ると、すぐ正面に、神様を象った像がありました。
その前に堆く、白い兎が積まれています。
その兎の山の近くに、小さな鐘があり、子供が一人づつ、親と同伴で並んで、カンと叩いて、一礼するーーそれが、参拝作法のようでした。
お母さんはナナちゃんと並んで、みなと同じ参拝をしました。
そして、いったん捧げた木彫りの子兎を、再び持ち帰って来ました。
その娘の姿を見てから、子兎の山を見渡して、お父さんは思いました。
(おかしいじゃないか。
あの子兎の山を見ろ。神殿に奉納したままだ。
ということは、他の参拝客は、俺たちのように子兎を「借りる」んじゃなくて、「買ってる」ってことだ。
だったら、どうして、俺たちだけが返さなきゃならないんだ!?)
しかも、悪いことが重なってしまいます。
露店に子兎を返すのを、ナナちゃんが嫌がったのです。
七つの女の子は、その木彫りの子兎を、家に持って帰りたい、と言い出したのです。
両親は顔見合わせて、この子が気に入ったならいいか、と思いました。
特に、お父さんは強気に出ました。
露店に立ち戻りながらも、子兎を返さず、逆に苦情を入れたのです。
「おい、爺さん。神殿内には、兎の山ができるほど、たくさん子兎が積められていたぞ。
奉納しっぱなしってわけだ。
ってことは、みんな、『借りてる』んじゃなくて、『買ってる』ってことだ。
だったら、俺たちも『買った』ことにしてもらおう。
俺も十分、お金を払った。返す義理はない」
困ったのは、露店の兎売りのお爺さんです。
「ウチの店では、その兎一匹しかいないんだ。持っていかれたら困る」
機嫌が悪いお父さんには、お爺さんの泣き落としは効きません。
「でも、高いお金を払ったんだから、この兎はウチのものでしょう?」
お爺さんは、さらに縋りつきました。
「ウチの兎は特に霊験あらたかで……。
ほんとうです、奉納するのは、あらかじめ予約して彫ったモノだけ。
その、奉納した兎を神官様の手で下げ渡されたのを、ウチなどの店が貸してるんです。
奉納されて、霊験あらたかな神具となってるんです。
それをウチは貸して、返してもらう。
そういった店で、売る店では……」
「知ったことか。俺が余所者だから、騙したんだろう!」
ナナちゃんのお父さんは、せっかくの晴れの日に、露店の貧相な爺さんから文句を言われたことに腹を立てていました。
「ウチの娘の好きなようにさせます。あんたは、つくづく強欲な爺さんだ」
お爺さんは、悲しそうにその一家を見送るしかありませんでした。
◆3
その日の夜ーー。
就寝前に、ナナちゃんが行方不明になってしまいました。
ナナちゃんのご両親は、数少ない縁者とともに、朝まで方々を探し回りました。
ところが、どこを探しても見つかりません。
これでは、新規商店を立ち上げるどころではありません。
ナナちゃんのお父さんもお母さんも、すっかり打ちひしがれてしまいました。
それでも、翌朝早くに、一筋の希望がもたらされます。
疲れ果てて眠ったお母さんの夢枕に、娘のナナちゃんが泣いて現われたのです。
『お父さん、お母さん、子兎を神殿に返して。誰にも渡してはいけない。お願い』
お母さんの訴えを聞いて、ナナちゃんのお父さんは半信半疑ながらも、再び神殿に向かいました。
参道に差し掛かるところで、露天の爺さんが待ち構えていました。
「娘が神隠しにあったんじゃろ?」
得意げに鼻を鳴らすお爺さんに、お父さんは気後れするばかり。
「どうして、それを?」
「夢のお告げよ」
ナナちゃんのお母さんは、お爺さんに縋り付きました。
「娘は、今、何処に!?」
お爺さんは、
「神のみぞ知る、じゃ」
と上機嫌に嘯いてから、
「どれ、儂も一緒に参拝に行ってやろう」
と言い出しました。
今度は、ナナちゃんのご両親が、お爺さんに押し切られる番でした。
七歳のお祝いで参拝する日は昨日で終わっており、参道は閑散としていました。
神殿への道すがら、爺さんはニタニタ笑い通しでした。
「神罰が下ったんじゃ。
捧げ物を儂の店に戻さず、家にまで持ち帰ったからじゃ。
神様から許してもらわないと、娘は戻らんよ」
神殿内には、人っこひとりいません。
あれほど高く積み上げられていた兎の山も、今はありません。
とりあえず、両親は家から持ってきた白い子兎を、供物棚の上に置き、神殿に捧げました。
静寂の中、両親が手を合わせます。
「娘を返してください」
と、祈りながら。
そして、お母さんが、子兎を供物棚から取り戻そうとします。
「待て!」
いきなり、お爺さんが怒鳴り始めました。
「そんなんじゃ、駄目だ。昔のやり方に沿わなければ!」
爺さんは懐から短刀を取り出し、子兎の腹を割こうとする。
嫌な予感がしたのでしょう。
お母さんが叫ぶ。
「やめてください。あなたは神殿の人じゃないでしょう?」
「うるさい! 儂のウサギじゃ!」
お爺さんが、強引に白兎の腹を割きました。
そのときーー。
「きゃあああああ! 痛い、痛い!」
娘の声が、お父さん、お母さんの耳に、はっきり聞こえました。
ナナちゃんのご両親は、おじいさんを跳ね除け、木彫りの子兎を手に取り、
「ナナちゃん! ナナちゃん!」
と娘の名前を呼びました。
けれども、返答はありませんでした。
やがて、木彫りの白兎が、パカッと真ん中から割れてしまいました。
中から、血のような、真っ赤な液体が流れ出たそうです。
結果、ナナちゃんのご両親の手が、血塗れになってしまいました。
呆然とする若夫婦を見て、爺さんはニタリと笑いました。
「娘さんは幸せ者じゃて。
本当の意味で、神様のいけにえとなった。
神様に選ばれたんじゃよ」
そう言って、自分の店に戻って行きました。
翌年、爺さんの店には、子兎ではなく、一体の白い木彫りの人形が置かれてあったそうです。
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