出会い
※ R15は念のためにつけています。
短い悲鳴ともに、葉が擦れる音がした。エリオット・パーシバル・ラスドリアは急いで声のする方に走り出すも、悲鳴の主まで辿り着かない。城内の片隅。暗闇に淡く発光する白い噴水へと空から降っていく少女が、やけにゆっくりと見えた。
「『囲め』!」
少女が地面に叩きつけられるよりも早く、噴水に溜まった水がうねり、少女を囲う。大きな水の球体に囲われた少女の吐いた息が、コポリ、と音を立ててあぶくとなった。エリオットは水の無くなった噴水に足を踏み入れると、水に囲われた少女へ手を伸ばす。その水に手を触れた途端、水は弾けてもとあった場所へと戻っていった。
腕に抱いた落ちてきた少女の重みと、靴を濡らす水の冷たさ。そして真っ白なサテンの柔らかな手触り。少女の勿忘草を思わせる明るい薄青色の瞳が大きく見開かれると、その桜色の唇が小さく震えた。
「怪我はない?」
少女はふるふると首を振ると、迷う様に唇を開閉させる。雪解け水の様に澄んだ瞳は、今にも泣き出しそうに潤んでいた。エリオットは身じろぐ少女をそっと地面へ下ろす。
少女が頭を深々と下げると、まだ結っていない陽光のように眩ゆいブロンドがふわりと舞った。すぐさま頭を上げると、少女は踵を返し、足にまとわりつく白いレースを持ち上げて、走り出す。その足は素足で、なぜか靴を履いていなかった。
「ちょっと待って!」
エリオットも嫌な予感がして、どんどん遠くなる少女の後を追って走り出す。
たどり着いた先には、今まさに自分の9歳の誕生日を祝うパーティーホール。走ってくるエリオットに気付いた幼馴染のクリスティーナ・ブルームフィールドが笑顔を見せて駆け寄ろうとするが、同じように自分の方へ駆けてくる少女にも気付き、眉を寄せた。少女はクリスティーナを庇うように前に立つ。
と。次の瞬間、どこからともなくこだまする悲鳴。
背中からしたホールを揺らすような咆哮に振り向くと、そこには狂化したヘルハウンドがいた。黒い毛並みに血のように赤い瞳孔。鋭い牙が覗くその口から吐き出された炎からは硫黄のにおいがした。そして何より特筆すべきはその大きさだ。そのあまりの大きさに思わず言葉を失う。普通のヘルハウンドは羊ほどの大きさだが、目の前のそれは、ゆうにその5倍ほどの大きさはあるだろう。
悲鳴と逃げ惑う人々。はっと我に返り、エリオットは少女とクリスティーナの前に立つと、盾を作るための詠唱の準備に入るために息をついた。
だがエリオットはそこで躊躇してしまう。
「(ここで魔法を使っていいのだろうか。大勢国民の見ている目の前で?水の魔法を?)」
その一瞬の躊躇が命取りだった。我に返り、詠唱を始めたときには間に合わず、気付けばヘルハウンドの大きく鋭い爪がエリオットの眼前にまで迫っていた。
「エリオット!」
来るだろう衝撃に身構えた瞬間、エリオットの名を呼んだクリスティーナが彼に覆いかぶさるように前に立ち、エリオットが受けるはずだった爪の斬撃を代わりに受け止めていた。
ぬるりとした血の感触。呻くか細い声。ピークに達する会場の悲鳴。
エリオットは息を吐き、目を閉じた。
「『我を囲いしヒイラギよ。我を護りし竜の背よ。水に泳ぎ、その身を形作れ。お前に害なすものを弾き飛ばせ。』」
どこからともなく水が現れ、パキン、と音がして一瞬にして大きな盾が出来上がる。ヘルハウンドはその水の盾に向かって爪を振り下ろした。数度の斬撃の後、その衝撃に耐えきれず、鈍い音がして盾にヒビが入る。地を揺らす咆哮と吐き出される炎の熱気に唾を飲んだ。もう一度振り下ろされる爪に、エリオットはクリスティーナを抱く腕に力を込める。
そのときだった。エリオットの後ろから一人の青年が現れ、瞬く間にヘルハウンドを地面へと平伏させたのは。
炎を纏った大剣に貫かれ、みるみる小さくなってゆくヘルハウンド。大きかった体躯がもとの大きさに戻るのを見届けると、エリオットの腕から奪うようにクリスティーナを抱えた青年、もといエリオットの兄であるアルフレッド・リンゼイ・ラスドリアは、エリオットを冷たく一瞥し、隣を通り過ぎた。
「早く医者を!怪我人だ!」
手のひらにべっとりと付いた血は、確かにクリスティーナが自分を庇って傷付いたことを嫌でも思い出させ、的確な指示を飛ばし騒ぎをすぐに収束させていくアルフレッドの声はエリオットをさらに惨めにさせた。
エリオットは血のついた手のひらで拳を作り、目頭の熱くなった目へと押し当てる。情けなくも震える拳は、悲しみなのか、怒りなのか、それとも自分の不甲斐なさへなのか、自分でもわからない。あるいはその全てだろうか。
と。
「どうして…!」
後ろでした少女の悲痛な哀哭にエリオットが立ち上がりながら振り返れば、人目もはばからず大粒の涙を溢しす少女がいた。少女は、はっとしてエリオットへと腕を伸ばすと、その体を強く抱き締めた。嗚咽混じりに震える体。抱き締められているはずなのに、抱きしめているような錯覚。その肌は緊張のせいか酷く冷たい。
ほんの束の間。震える体も冷たい肌も、抱き締める少女には、ちっともエリオットを安心させる要素なんてありはしないのに、なんの理由もなく心が落ち着いていく。
「…、君はだれ。」
答えを期待していないエリオットの問いに、少女は何も答えない。その代わりに少女はエリオットの服を掴み、自分とエリオットの位置を入れ替えると、エリオットの背中をトンと手のひらで押した。
エリオットは少女を振り返ったが、そこにはもう誰もいなかった。
「…、やるか。」
未だ混乱の最中から抜け出せないホール。鎮まらない喧騒はくだらない噂話へと変わっていく。地面に散らばる自分を祝って作られた料理達。
エリオットは自分の長い前髪を掻き上げると、露わになった紫色の瞳へ来客者の興味が自分に集中するのを感じながら、パーティーの終わりを告げるためにホールへと足を進めたのだった。




