席替え
君は。僕にとって君は全てだった。あの高校1年の数か月間は、僕の人生の絶頂期だったと思う。まるで、死が間近の人間の心電図が起こす、唯一のうねりのように。一度上がった後、下がり、再び上がることはない。ピッ。ピー------ー。
人と関わると嫌われる可能性があるから関わらない。そんな言葉を吐く人間を僕は否定したい。生まれてこの方、影がない僕は人と関わったことがない。なんで影がないの?さあ。こういうのは大体周りの人に言われて気がつくものだけど、人から僕の姿は見えないから、自分でそう思っている。僕には影がないんだ。だから人に対して好きとか嫌いとかの感情は持っているけど、そう思われたことはない。嫌われるより無関心な方が辛いんだ。だから、僕は人と関わってみたい。そう思うようになった。自称透明人間の僕には、そんなこと叶わないんだけれど。
いつも通り6時半に起きて、顔を洗い、歯を磨き、朝ご飯を食べる。7時半に家を出て、自転車で学校へ向かう。そして8時ちょうどに校門をくぐり、1-2の教室に入る。
「いたっ。」
教室から出てくる人とぶつかり、後ろに倒れた。いつもなら気を付けているのに、今日はなぜか浮かれているようだ。4月。始業式。今日から新しい学校。今回こそは人と関われるんじゃないかと想像して浮かれていた。
目の前には関わったことのない女子。今日ここで人生が変わるかもしれない。人と関われるチャンス。
「すっ、すみません。」
「えっ?」
この反応への答えが分からなくて、まじまじと女子の顔を見てしまう。この反応は何だろう。この学校で僕を見たことがないから知らない人だ、って驚いているんだろうか。それとも、出会い頭でぶつかっただけで倒れるなんて、貧弱な僕の身体に驚いているんだろうか。
「何にぶつかった?私……。こわっ。」
答えは違ったようだ。この反応は、昔から僕が他人とコミュニケーションするときに見るやつだ。
僕は。僕は、嫌になる。自分が嫌になる。これは、僕が透明人間だから、起こったこと。僕はやっぱり人とは関われないんだ。
その女子はぶつかった肩を手で払いながら、そそくさと歩いて行った。
僕は、少しの間、床に座り、うなだれていた。でも、邪魔だという声は聞こえなかった。
黒板に張られたペラッペラッな紙に書かれた座席表を基に、一番後ろの列の、窓際から2列目の席に座る。欲を言えば、一つ隣の窓際最後列の席がよかった。この席は黄昏るのもいいし、授業中に先生から見えにくい。青春を送る上で、一番いい席だ。
「はい。担任の佐藤です。1年間よろしく。じゃあ出席取るぞ。相生。」
この席に座りたい。今は番号順に座っているからしょうがないけれど、次席替えをした時、必ず引き当てる。このクラスには36人いるから、確率は36分の1だ。絶対当ててやる。
「桂。」
「はい~。」
彼女、桂さんと言うらしい。窓際最後列に座る彼女は、机に体をすべて預け、だらけている。少し不思議な感じだ。もうすでに黄昏ているのか、窓の外を見ている。さっきの適当な返事を聞いていても、そうだと思う。だがそれも次の席替えまでの話だ。次は僕がそこに座るんだ。今のうちに黄昏ておけばいい。
「窪田。」
「はい。」
「~は、休みか。」
やっぱり僕は透明人間だ。ここに存在しているのに、この存在を周りの人は感じ取ってくれない。座席表には、文字としての僕、窪田柊平は存在している、のに。僕の本体部分は、見えていないというだけで、存在していないものとみなされる。声も届かないなんて、透明人間にこの性質があるのは何故なんだろうか。人に見えない身体、人に聞こえない声。僕に存在している意味があるのか。
僕を飛ばして、出席を取り終えた担任は、これからの学校予定が書かれたプリントを配り、今日は下校となった。ただ何故だか今日は、左から視線を感じていた。
それから早1か月が経った。この間、周りの人は色んなグループを作って青春を謳歌していたけれど、僕には何もなかった。ここで一つ、透明人間としての利点があるとするならば、授業中先生に当てられないことだ。だが僕の人間関係について、進展は一つもなかった。いや嘘をついた。こんな早くに嘘だと言うのなら、最初から嘘をつくなと言う話だけど、嘘をついていた方が人生楽しいと思う。そんな話はどうでもよくて、僕の左隣の席の桂さんに話しかけられるようになった。何故僕が見えるんだろう。何故僕の声が聞こえるんだろう。そう聞いてみたけど、彼女は答えてくれなかった。
「窪田く~ん、プリントみせて~。」
これしか彼女から僕に求められることはない。
「はよはよ。」
僕のしたい青春は、自分がやってきた宿題プリントの答えを他人に見せることではない。
「はよ~。」
何でこの人は僕に関わってくるんだろうか。
「サンキュー。」
桂さんは、クラスの男女ともに人気があり、部活はバスケ部で、勉強の出来はそこそこだ。別に僕と関わらなくても生きていけるのに、僕のプリントを写さなくても自分で出来るのに。
「何見てんの?プリント?汚したりしないから大丈夫だよ、神経質めぇ~。」
何故だか神経質にされてしまったが、まあいい。人のプリントを何の悪気もなく丸写しする人のことなんか、僕には分からない。分かろうとも思わない。まあ、彼女がクラスメイトに人気があるのは、風貌を見れば分かるけれど。
桂さんは、机に体をすべて預け、だらけている。だらけきっている。いつも通りの彼女だ。いつも通りの雑さで、僕のプリントが少しぐちゃぐちゃになった。もういい。
すると、プリントを写すのにも飽きてきたらしく、親指と人差し指で丸を作り、それを目に当て、プリントをゼロ距離で凝視するようになった。さらに意味が分からない。もういい。不思議な天然美少女に僕は魅力を感じない。僕にとっての青春は、黒髪ロングの清楚な子と、一緒に文化祭委員とかやって、仲良くなって、一緒に夏祭りとか行って、幸せになるんだ。まあこれは、僕が漫画とか小説とかで得た知識の中の青春だけど。
「今から席替えするぞ~。」
教壇の上で発せられたこの言葉で、クラスは一段と活気が溢れた。溢れすぎた。
ついにこの時が来た。桂さん。その場所からどいてもらおうか。この1か月くらいずっとその席で黄昏ていたけど、もう十分だろう。次に僕がその席に座る。僕が青春するんだ。
「このくじ引いてって。」
担任は、銀色の空き缶に入った1~36の数字が書いてある割りばしを順に生徒に引かせていった。
じっくり選ぶ人、自分の直感を信じる人、最後の1本には福があると信じる人、この世にはいろんな人がいるけれど、僕はこのどれにも当てはまらない。
「全員引き終わったな?」
僕はくじが引けない人だ。いつも通り過ぎて最初から諦めていたけれど、でも僕は一縷の望みに賭けていた。だけど今回も無理だったみたいだ。休みの人の分は、他の人が引いておいてくれて、席も変わるのが普通なんだけど、僕の場合、クラスメイトに僕の存在を覚えている人は桂さん以外いないから、誰も僕の分は取ってくれない。そもそも、銀色の空き缶の中には、僕の分を引いた35人分の割りばししか入っていない。
「じゃあ、席移動して。」
担任は、黒板にくじの番号が書いてある座席表を貼った。それをいち早く見ようと、生徒が黒板前に群がる。自分の席の位置によって、今後の自分の生活が変わるからだ。生活ではなく人生といっても過言ではない。僕も見て一喜一憂してみたい。
そんな中、僕だけは席を立たなかった。立つ必要がないから。僕の席は、年度初めに決まった席から変わったことがない。今年は、窓際から2列目の一番後ろの席。この席は周りから不登校の人の席、空席だと思われている。
「窪田く~ん、君もまた同じ席?私もだよ~。」
またあの席が桂さんのものなのか。許せない。
「なんか席替えの時、前と同じ席だと損した感あるよね~。」
変わったことがないから損したと思った事はない。
「ていうか窪田くん、前、見に行った?」
引くくじが無いんでね。行く意味がない。
「はぁ~。君もこの場所に愛されてるんだね~。あぁ~場所じゃなくて誰かに愛されたいなぁ~。」
急に話が変わってびっくりした。こういうところなんだ。僕が苦手なのは。
桂さんは急にくじの割りばしに興味を持ち始めた。ボロボロに使い古され、割りばしの先に書かれている数字は薄れてしまっている。そんな割りばしをまじまじと見ている。
「このくじぼろいよね~。何年前から使ってるんだか……って、くじどうしたの?」
さっきの話よりもびっくりした。人と関わるということはこういうことなのか。どう乗り切るんだ。ここで本当はくじを引いてないなんて、正直に言ったら、桂さんが「先生~、窪田くんがくじ引いてませ~ん」って言ってめんどくさいことになるっ……わけはなく、ただ彼女が天然キャラでさらに、男子からは人気、女子からは嫌悪を得るだけだと思うけれど。
「あっ、もしかして……。」
今まで感じたことのない動悸、緊張が体を硬直させる。ゆっくり滴る汗がどう垂れているのか肌で感じ取れる。
「席が変わんなかったことにムカついて、バキバキに折って捨てちゃった?」
う~ん……。そっ、そうだよ……。
「そうだよねムカつくよね、じゃあ私も。」
バキッと、割りばしを折った音が教室中に響き渡った。あれほど騒がしかった教室が、一瞬にして静寂に満ちた。時が止まる。
窓から春を感じる風が入り込んできた。カーテンが揺れる。
「おいっ……。何やってんだ桂っ!」
担任は、驚きを隠せない顔で早歩きで彼女に近づく。力強い足音が教室中を駆け巡る。
「いやぁ~。折ったんじゃなくて、たまたま机の角にぶつかって折れちゃったんですよ~。たまたま。この割りばしもボロボロになってるし。」
誰がどう見ても分かる嘘。僕は桂さんでもないのに、無駄に緊張した。
「そう……。か、じゃあ割りばし新調するわ。」
「すいませーん。」
教室に声が徐々に戻り始めた。緊張もほぐされていく。僕は周りから見えていないのに、妙に疲れた。
「菜月ぃ~。何やってんの~。」
「いやいやぁ~。」
折った割りばしを担任に渡し、仲の良い友達と会話をした桂さんは、僕の方を振り返り、舌を小さく出して、振りが小さい指揮者のように両手を動かしながら、こう言った。
「セーフ。」
こんなクラスの人気者に、何で僕が見えるんだろう。