カタトニア
娘の気になる動きがカタトニアと認識するようになったのはいつからだろう。
小さい時から場面の切り替えの時に大きな声を出していたことは覚えているが、フローリングの床板一枚一枚に合わせて移動したり、一歩踏み出すのに尺取り虫のように踏み出したり、また、左右に方向転換する時に、祇園祭の山車が回転するように直角に回転したりするようになったのはいつからだろう。本などを見ると15歳から19歳までの青年期に発症することが多いとあるので、娘もそうなのかなあと思うのですが、30歳を越えた今となってはそんなことを詮索してみてもあまり意味のないことではあるが、本人の生活の中でカタトニアがある為に生活しづらくなっているのは確かである。
カタトニアという症状は、かつては緊張病と言われ統合失調症の一亜型とされていたが、最近になり、発達障害者の中にそういった症状を呈するものが多くなってきたことで、注目を浴びるようになってきた。そして、カタトニアを持つ自閉症者の多くが強度行動障害に陥りやすいことも、対応の難しさからも考慮されるようになってきた。特に、2013年にDSM-5が出てからは、緊張病という一つの疾患分類になり、はっきり位置づけられるようになった。
カタトニアには、以下に掲げる12の症状があり、そのうちの3つが当てはまると緊張病と診断できるとしています。
①カタレプシー 誰かに受動的にとらされた姿勢のまま、抵抗したり姿勢を変えたりせず全く動かない症状。
②蝋屈症 蝋人形のように固まってしまう症状。
③昏迷 身動きせず、周りが話しかけても無反応な状態。
④焦燥 理由もなく苛立ったり焦ったりする症状。
⑤無言症 言語障害がないのに、発語なとの言語反応がなかったり、わずかな発声しか見られなかったりする症状。
⑥拒絶症 外部からの指示や促しや刺激に対して理由もなく拒絶などの反応をする
⑦不自然な姿勢 天井に向けて手や足をあげ続けたり、体が辛いであろう姿勢を自発的または受動的に保持し続けたりする状態。
⑧わざとらしさ 衒奇症 不自然だったりわざとらしい表情や動作などをとる症状
⑨常同症 同じ動作を繰り返す。同じ姿勢を繰り返す。同じ言葉を繰り返す。
⑩しかめ面 特に理由もなくしかめ面をとってしまう症状。
⑪反響言語 エコラリアやオウム返しと言われる。
⑫反響動作 他人の動作や表情や仕草をまねる症状。
これらの症状は一日のうちでも変化すると言われています。また、12の症状の中には重複するものもあり、どの症状かピンポイントで当てはめることはあまり意味のないように思います。娘の場合、言葉そのものを発することがないので、⑤の無言症と⑪の反響言語以外は全て当てはまるように思います。そして、人からの支援が必要にもかかわらず、⑥の拒絶症が見られるということは、関わる者にとってとてもやっかいなことになります。
たとえば、起床する時のことを考えてみると、自発的に起きてくれることはありがたいのですが、そういったことは滅多になくこちらが起こすことになります。最初、声かけをして起こすわけですが、その声かけに対して拒絶があります。本人には発語がないので、気に入らない場合、うなり声のようなものを出すか、何も反応せず無視するかのような態度をとります。続けて声かけをしても意味がないので、しばらく様子を見ることになります。その時多くとる行動は、布団を上げたりして不自然な行動をとったり、口の中につばをため込んでじっとしていることがあります。そうしていると、自分もしんどくなってきたのか、「あっ!」という大きな声を出して口を開けます。そうすると、手を振って合図を出すので、ようやく起きるということになります。早い時で10分、長い時で30分以上かかる時があります。つまり、最初の声かけに対しては拒否があり、本人からの自発を待ってようやく行動が先に進むことになります。これでベットからようやく起きたわけですが、起きてからもカタトニアがあります。まず、私が本人の元に行くまで、私に対しても一歩一歩進むなどの要求をしてきます。普通に歩けばやり直しを指示することがあるので、こちらもそうせざるを得なくなります。本人の元に行くと今度は自分が寝ていた布団を整えます。一回でぴったりと整えられればいいのですが、そんなことはなかなかできません。何回かやっているうちにイラツクことがあり、自分でもその声が嫌なのか、耳を叩いたりすることもあります。そのうち自分でも諦めがついたのか、適当なところで収まることもあります。布団が整うと、今度は一緒に部屋から出ることになります。そのときも、一歩一歩踏み出すことになります。私が少しでも先に行こうとすると、本人からやり直しの合図がかかります。ベットのある洋室から仏間を通って、6畳の和室に行くわけですが、10㍍にも満たない距離を歩くのに、10分以上かかることがあります。その一歩一歩全てが、紗央里の合図からスタートすることになります。また、本人が納得しない時は、何が原因で納得しないのかはわからないことが多々ありますが、本人が納得しなければ先に進まないので、やり直しにも何回もつきあうことになります。⑨の常同症というのがそれに当てはまると思います。動作だけやり直すことのほか、私が何気なくついたため息なども気になることがあり、そんなときは何回も口を開けることを要求したりします。もちろんくしゃみをした時は、自分の気が済むまで何回もくしゃみを要求することがあります。だからできるだけそうならないようにくしゃみも我慢するのですが、我慢しきれないことの方が多いです。ただ、不思議なことにおならの音はそれほど気にならないらしく、おならをした時はやり直しが無い分助かっています。そしてようやく和室にはいることになります。和室には自分から入り、私がふすまを閉めれば自分で座椅子に座ります。私としてようやく娘のカタトニアから解放されたことになります。起きる声かけをしてから、短い時で30分、長い時で1時間近く時間をとられることがあります。
娘が和室にいる間に、私は仏間のところで着替えます。引っ越しする前は、私が先に着替えを終わっていると元のパジャマに戻させたり着る順番を指図していたので、部屋のドアを閉め本人から見えないようにして着替えていました。そうすると、今度は着替えて部屋から出ていくときに、なかなか合図を出してくれず、部屋の中でしばらく過ごすことになります。これも長いときで、10分近く待たされることがあります。引っ越しした家では、仏間で着替えているときは、気にしたりすることはあまりないのですが、本人が座椅子に座ろうとしたときに、ジャンパーのファスナーを上に上げたりすると、その音が気になるのか嫌そうな声を出したり、手を叩いて自分が座ってから、ファスナーをやり直しさせるようなことがあります。それで、極力音を立てないように着替えています。
着替えの終わった私は、台所の方に行って食事をします。私が食べているときに、娘が自分から台所の方に来ることもあります。そんなときは問題ないのですが、私が食べ終わってもなかなか本人がやってこないことがあります。30分以上待ってもやってこないときは、仕方がないので声かけをすることになります。途中からカードを見せて、音声言語は使わないようにしたこともありますが、本人が手を口元に当てて、音声を出すような仕草をするので、結局はカードを見せて音声を出すということになります。もちろん最初は、拒否から始まるので1回で済むということはありません。1回声かけをしたあとは、本人からの合図を待つことになるので、その合図を待って初めて、声かけのコミュニケーションができたことになります。ところがその途中に、カードの見せ方や戸の閉め方などにこだわりが出てきて、一番最初に示したやり方を要求してくることがあります。私としては、カードを見せて言葉を出すことしか考えてなかったので、そのときの角度や戸の閉め方には注意がいっていないことになります。でも、本人の中にはそれらすべてのことが残像記憶となっているので、ピンポイントで同じことを要求されても、なかなかそれに応じることは難しくなります。こちらとしては同じようにやっているつもりでも、本人は納得しないわけで、そんな場合は本人が納得するまで同じことを繰り返すことになります。長いときは30分ほどかかることがあります。場合によってはイラツクこともあり不穏な声を出すこともあります。実際、
「ええかげんにせえよ。」
と思うことがあり、こちらも腹が立つことがあります。そんなときはこちらの方に掴みかかってくることもあります。胃癌の手術をするまでは、娘の動きに対して押さえることもできていたのですが、20キロも痩せた今はなかなそれもできません。また、力で押さえつけたとしても何も解決できていないわけで、お互い結局はしんどい思いをするだけになります。いつ本人が納得するか、見通しのないまま同じことを繰り返すことになります。そうすると、そのうち本人が
「あっ!」
という声を出すようになり、切り替えることができます。ネガティブケイパビリティという言葉があるのを知ってから、わからないことをわからないまま、どれだけ耐えうるかが大切であると知ってからは、私自身何とか見通しが見えてきたように思います。もしこの言葉を知ってなかったなら、おそらく待つことは難しかったように思います。
これでなんとか、台所の方に本人がやってくることになります。起床してから1時間半以上かかっていることになります。台所には机を2つおいて、広い方の机が娘の食事をする場所になり、私たち夫婦は流しの直ぐそばの狭い机で食事をしています。しかも、視線が合わないようにして、娘は窓を見て食べています。カタトニアだけでなく、こだわりも強いので、朝は2錠、晩はてんかんの薬の4錠が加わり計6錠の薬をリスペリドンという水薬をコップに入れて飲んでいます。医師の処方では、食後に服用となっているのですが、カタトニアが強いときは、食事をするのに2時間、薬を飲むのに1時間かかっていたことがあり、薬を先に飲む方がカタトニアも軽減できるのではないかと思い、引っ越ししてからは食前に飲むようにしています。そして、この薬を飲ませることが私たち夫婦の役割になりました。これまでは自分でやっていたことなのですが、飲ませる順番を変えたがために、そのようになりました。ただ、本人がやっていたときは、一粒一粒指で挟み、その挟み方も角度が決まっているらしく、時間をかけながら口の中に入れていたので、口の中でほとんど溶けていたのを飲んでいたように思ったりしました。薬をこちらが飲ませることで、薬を飲む時間だけはすごく短くなりました。
その後は自分で食べるのですが、直ぐに食べ始めるわけではありません。まず体を前後に揺する常同行動が始まります。ある程度揺すった後、しばらく静止しますが、食べ始めることはありません。左手を45度に挙げ、その後下に下げ、今度は右手を45度挙げ、そして下げます。それからようやく食べ始めることになります。食べ始めるとその後は、止まることなく食べ始めますが、机の上にあるものをすべて食べても満足しないことが多いです。精神安定剤の薬の副作用か、どうしても食欲が高まるように思います。冷蔵庫を開けてみたりして、そこに自分の好きなものがあれば食べてしまいます。娘が食事しているときは一人なので、私たちがそばにいることはありません。それで食べているときの様子を知るために、台所にカメラを設置して、それをWIFIで通信して和室にあるパソコンで様子を見ています。カメラを見て、よほど気になるときは冷蔵庫のところに行きますが、行ってもあまり効果はありません。それよりも、娘が手を叩いた時に、その要求に応えてやる方が効果があるようです。
食事が終わった後は自分から和室の方にやってきます。それから着替えるために洗面室の方に行きます。このとき、ふすまを3回開け閉めすることになります。そしてその度ごとに、ふすまの前で止まったりするので、日によってはとても時間のかかることがあります。洗面室では自分で着替えるのですが、これも着替える前に儀式的な行動があり、直ぐ着替えるわけではありません。それに着替える順番が決まっていたり、また、着替えるときの手や足の動きにこだわるために、5年くらい前は着替えそのものに1時間かかることもありました。たとえば、シャツを脱ぐときに、1回で上まで手を挙げて脱ごうとするのですが、そんなことはなかなかできません。どうしても顔付近でシャツが掛かってしまいます。しかし本人は何とかして1回で脱ぎたいために、そこで何度もやり直しをして、汗をかいて自分が疲れるまで、やり直したこともありました。また、おむつを着用しているのですが、割と太っているために、足を上に上げることが難しく、おむつに引っかかることがあります。そんなときも、引っかかっても気にせず脱げばいいのですが、そういうことにはならず、何回も足を挙げては引っかからないようにすることもあります。自分なりに決めているものがあるので、それが解消されないと前に進むことができません。他人から見れば、そんな些細なことは気にせず、スルーしてしまえばいいことにこだわっているように見えます。もっと楽になるのにと思うのですが、岡目八目というか端から見ていてわかることなので、当事者としてはそういうわけには行かないのかもしれません。
着替えが終わると、今度はトイレに行くことになります。トイレも当然時間がかかります。ドアの前で立ち止まったり、便器に座るときに本人なりの手順があり、一つ一つ行動することになるからです。また、便器に座って用を足しているときに、チックのような声が出てくることがあります。外で公衆トイレを使っているときも、やはり声が出るので、こちらが恥ずかしい思いをしたことはこれまで何度もあるのですが、止めようと思ってもなかなかできるものではないので、最近では何もいわずに見守っていることになりました。また、大便の時は何となくすっきりした感がないときは、長い間便器に座っていて、15分近くかかることもあります。それと、トイレで排便してくれるときは助かるのですが、排便したい気持ちが強いときは、逆にトイレまで持たずおむつの中でしてしまうこともあります。立っていて急にしゃがみ込んだりしているときは、そのような場合もあります。早くトイレに駆け込めばいいのにと思っていても、感覚が先に支配されてしまって行動が起こせないこともあります。
トイレの後は再び和室にやってきます。和室ではまず最初に
「うんどう」
と言って腹筋をすることになります。自分一人では起きあがることが難しいので、体を起こすような器具を使って30回やっています。自分で数えることはできないので、こちらが数えることになります。これもすんなり一回で終わることは少なく、途中で何回か数え直すことがあります。本人が手のひらに数字を書いて、この数字から数え直すので、合計すると40回近くになります。腹筋の後は妻が歯磨きをすることになります。一時は自分で歯を磨いていたこともありますが、磨き残しが多いので、妻がすることになりました。幼児の時に虫歯ができ、歯医者さんに連れて行ったのですが、近くの歯医者では障害児を診てくれるところはなかったので、宝塚といってもその歯医者さんは田舎のところにある国民健康保険の診療所でしたが、障害児を診てくれるところであったので、連れて行くことにしました。虫歯を抜歯しなければならなかったので、3人がかりで娘を押さえねばならず大変な思いをしたのですが、
「予防にまさる治療なし」
との言葉をそれから実行することになりました。歯医者さんとはそれ以来のつきあいですので25年以上になります。歯磨きは6カ所のパートに分かれて20回ずつ、最後の仕上げは30回と、妻が数えるのですが、20回数えたとしても直ぐ次に進めることは少なく、ここでもやり直しを何回もすることがあります。妻が歯ブラシを持つ手がしんどくなることもあります。
歯磨きが終わると、ようやくテレビを見ることになります。テレビのチャンネルは2チャンネルです。「おかあさんといっしょ」
が8時40分まであるので、それが終わると施設に行く時間と決めていたのですが、いつもそのパターンで過ごすことはなく、DVDを見たりすることがあるので、そんなときはDVDが終わるまで施設に行くことはできず、大変な思いをすることがありました。時間が来たからやめるということはなかなかできず、ブレーカーを落として電気を切ってやめさせたりしたこともありました。そうすると、本人としては納得がいかないわけで、その気持ちを静めるために、また時間がかかるということもありました。それで、テレビにタイマー設定をして、8時45分には切れるようにしました。このタイマーはデジタル式のものでなく、アナログなので誤差はあるのですが、急に切れることはさけて、事前にもうすぐ切れるなどの言葉を伝えていくようにしました。そうすると、本人も急に切れるのは嫌なようで、少し早めに切ってくれと行動するようになってきました。タイマーはこれまで買っていたものが3つもあり、使わずに置いてあったものが、引っ越しの荷物を片づけるときに見つけたもので、なぜもっと早くからやってこなかったのか後悔したりもしました。
テレビが終わり、ようやく施設に出発することになります。すんなり出発できるかというと、そんなことはありません。まず、私がウエストポーチをつけるところから始まります。ウエストポーチには、ファスナーがあるのですが、そのうちの5カ所について開け閉めをするように要求います。それが終わると、今度は靴を履くのですが、履き方についても順番があります。右から履き次に左を履くということになっています。靴を履いてからも、右足から一歩一歩、玄関のタイルにあわせて歩くことになります。玄関を左手で開け、左手で閉めてから車の方に向かいます。車に向かうときも、手順があり、娘が後部座席のドア付近まで来て合図を出すまで、少し離れたところで待つことになります。合図が出て、初めて運転席側のドアを開け中に入ります。次に娘が後部座席に座ります。直ぐにシートベルトをしてくれればいいのですが、ここでもカタトニアがあり、左手を45度挙げその後下げて、今度は右手を45度挙げて下げるという動きを何回かします。この回数は日によって違っていて、多いときは10回くらい繰り返すことがあります。その一回ごとに、チックのような声が伴います。その動きが収まった後、今度はシートベルトをするのですが、シートベルトの「カチッと」という音が本人なりに満足のいくものになるまで、何回もやり直すことがあります。ひどいときはこのことだけで15分もかかったことがありました。シートベルトが終わると、今度は私にシートベルトをするように合図を出すことになります。このときも、カタトニアの動きがあり、何回か手の挙げ下ろしをした後合図を出します。私がシートベルトをし、めがねをかけ、エンジン始動のボタンを押すときは、右手を降って合図を出します。エンジンが始動しても直ぐに出発できるかというと、そんなことはありません。ナビの画面を見ていてその画面が立ち上がり、画面が提示されて初めて、出発できることになります。これでようやく出発できることになります。私が定年で退職するまでは毎日妻がやっていたことですが、毎日するとなると結構ハードです。しかも、そのときは私がやっていたのは、娘を起こすことだけでした。起こすことだけでも結構疲れるのにと思います。娘がいつ出発したか気になるので、出発したら妻からメールを送信してもらっていましたが、9時にメールが来ることはほとんどなく、10時をすぎたり、遅くなったときは12時をすぎていたことも何度もありました。
施設に連れて行った後は、今度は3時に迎えに行きます。5時まで利用できるので、もう少し遅い時間に迎えに行っても良いのですが、そうすると帰りがもっと遅くなります。施設に迎えに行くと、本人が過ごしているエリアに行きます。通所し始めの頃は、大勢が過ごすプレイルームの一角を区切って、本人の過ごすエリアを作ってもらっていたのですが、それでは周りの刺激の影響を受け落ち着いて過ごすことができませんでした。それで、少し離れたところにある作業棟のエリアをの一部分を本人専用のエリアにしてもらい、ウナギの寝床のようなところに、トイレ・休憩エリア・ワークエリア・食事エリアを作ってもらい、日中はほぼそこで一人で過ごしています。本人の特性を知らない人が見ると、あたかも虐待に近いかの印象を持たれたり、また、一人でいることが好きなんだと思われたりしますが、決してそんなことはありません。やはり人との関わりを楽しみたいし、大勢の中で過ごすことが嫌なのではありません。ただ、大勢の中で過ごすとなると、刺激がいっぱいありその刺激に対して本人の中で調整することが難しく、過反応してしまい疲れてしまうだけでなく、結局は周りの人にも迷惑をかけてしまうことになるので、安心できる環境の中で過ごしていると解釈することができます。もちろんこういったことは、小さいうちに身につけて置かなくてはならないことなのですが、30歳を越えた今でも残念ながら身に付いていないのです。
たとえば音楽療法の時にこんなことがありました。音楽は好きで、好きな曲があると体を揺すってリズムをとったり、発語はないもののメロディーにあわせて声を出したりします。ところが、演奏が終わり、次の演奏が始まるまでのちょっとした間に、周りの人の何気ない動作にこだわって、その人にもう一度やってほしいなどのやり直しを要求することにあります。人によってはそのことに応じてくれる人もいますが、応じてくれる人の方が少ないのが現状です。そんなときは、その人のところに行って、本人なりに伝えたりしますが、伝わることはあまりありません。そして、イライラが高じて、不穏な声を出したり、場合によっては他害に及ぶようなこともあります。それで次回からは、音楽療法に参加しにくくなります。施設の方では、次回からはもう少し踏み込んで環境調整を考えてくれたりしますが、本人の中にマイナスの経験として音楽療法がインプットされてしまうと、次回から参加することはなくなっていきます。そういったことの積み重ねが、本人なりのエリアで過ごすということになりました。
私が迎えに行ったときは、まず、本人の近くに行くことから始まります。迎えに来ていることはわかるのですが、私の顔を見て本人が動き出すことはありません。近くまで行ってもよいかの合図が出るまで、しばらく待つことになります。そのときに、カタトニアの症状の一つ、つばをため込んでうなり声を出し、
「あっ!」
という声を出すまで、長いときで30分近く待つことがあります。日によってはこちらもなかなか待ちきれず、本人の近くに行って様子を見たりしますが、その行動をとることでかえって時間のかかることの方が多いことがあります。
「急がば回れ!」
ということわざがありますが、まさに実感として思うことがあります。
近くに来てもよいの合図は、本人が手を叩いて出します。そして、本人の足下近くに行って、
「帰りましょか。」
の言葉を言い、そして再び少し離れたところで待ちます。そうすると、3分ぐらいしてから、本人がようやく動き出し、私のいるところまでやってきます。ただこのときも一歩一歩踏み出したり、場合によっては、後戻りしたりするので、入り口までは5㍍にも満たない距離なのですが、割と時間がかかるときもあります。入り口まで来た後、私が連絡帳の入ってある袋をとるのですが、このときも一回でとれることは少なく、何度もやり直しをすることがあります。場面転換するときは、すべてやり直しというか、一回で済むことはほとんどありません。
私が連絡袋をとった後は、引き戸を開けて閉めた後、外で待つことになります。本人は入り口付近で、上履きから下履きに履き替えることになります。このときも、本人なりの手順があります。まず下駄箱近くまで行く。そばで上履きを脱ぐ。少し後ろに下がり、下履きを下駄箱から出して、上履きの後ろに置く。下履きを履く。上履きを下駄箱に片づける。一歩一歩前に進み、引き戸付近まで来る。引き戸を開けて外に出る。こういった行動の間、チックのような声が出て、チックのような声が出ていないときは、行動が止まっていることが多く、10分近く待たされることもあります。どこで行動が止まるのかは日によって異なり、後は出てくるだけの時でも、全く声がなく、動き出さないこともあります。
引き戸を開け外に出ると、車のところに行くことになります。車は作業棟の北西の方に止めています。このとき、支援員さんが通ることがあります。娘のことを知っておられる支援員さんの場合、ルートを変えてもらえることもありますが、急いでいたり余りよく知らない支援員さんの場合、そのまま娘の横を通り過ぎていくことがあります。ふつうの当たり前の行動なのですが、かつてはそれに対して、不穏な声を出したり、行く手を遮るようなこともあったのですが、最近はそのまま何事もなく通り過ぎた後、その人の動きをじっと見ていることが多くなりました。自分が下を見ているときに通られた後などは、もう一度その支援員さんがやって来ないか、じっと見ていることが多くなりました。10分近くも、その行く手を見たまま動かなくなってしまうのです。
「もう来てないよ。」
と言って、声をかけることがありますが、本人が納得しないと次に動き出すことはありません。かつて、本館の中のプレイルームのエリアの一角にいたとき、そこから本館の玄関の下駄箱まで来て、靴に履き替えるときのことを思い出します。本館の玄関付近にはたくさんの人がいて、思い思いの行動をとっています。それは当たり前のことです。娘が靴を履こうとしたときに、誰かが玄関から入ってきたり、また、別の人が靴を履いて外に出たり、いろいろな動きがあります。そんなときにその一つ一つの動きに反応してしまい、行動が止まってしまうことがありました。プレイルームのエリアから、外に出るまで1時間近く待つこともありました。妻が迎えに行っていたときは、日常的にあったようでした。作業棟に娘のエリアを作ってもらったのも、そういったことが大きかったように思います。
必要な情報と不必要な情報との取捨選択が難しく、すべての情報に反応してしまう。たとえば、自分が嫌なことがあるとき、不穏な声を出すことがあります。そしてその声に自分が反応してしまうので、その声を聞きたくないために、耳を叩いたりすることがあります。自分が出している不穏な声に対しては、フィルターがかかり、聞こえないようになっていれば助かるのですが、そのようにはなっていません。情報処理の仕方がそのようになっていないので、仕方がないのかもわかりません。ただ、普通といわれる人にとっては当たり前のことが、娘の場合そのように行かないのです。
ようやく車のところにやってきて、車に乗り込みます。出発までは朝行くときと同じです。引っ越しするまでは、30分近く車に乗っていたのですが、引っ越ししてからは最短で10分ぐらいで帰ることができます。ただ、施設から家があまりにも近いと、娘が帰ってくるのではないかとの心配から、遠回りをして20分かけて帰るようにしています。
家に帰ると車を止めるわけですが、それに思わぬ時間がかかることがあります。引っ越し前の時は、車を1回バックして車庫入れするのですが、ハンドルの切り替えに失敗したときは、当然もう一度やり直しを要求することがあります。そんなときは仕方がないと思うのですが、日によっては、うまく車庫入れできたと思っても、本人が納得行かないときは当然やり直しをすることがあります。そうすると、もう一度家の周りを回ってきて、同じ場所に戻らなくてはならないことになります。そしてそんなときに限って、後ろから車がやってくるので、バックして車を入れることはできにくくなります。また再度家の周りを回ることになります。こんなことを繰り返していると、家の直ぐ近くまで来ていながら、車庫入れに30分近くかかることもありました。引っ越し先の家では、交通量が少ないので、後ろから車が来ることはほとんどありませんが、道幅が狭く車庫入れをするためには、ハンドルを切り替えて2回バックしないと、車庫入れをすることができません。当然失敗することも多く、また、最初の頃は慣れないこともあって、なかなかOKの合図を出してくれず、何度もやり直しをすることがありました。交通量が少ないとはいえ、道幅が狭いので、長い時間道路に車を止めておくこともできにくく、早く止めようと思えば思うほど、焦ることもたくさんありました。それで負のスパイラルというか、悪い回転になったときは、少し離れたところにある駅の駐車場に行って車を止めて、歩いて帰るようにしました。最初の1回は、それがどんなことか本人もわからなかったので歩いて家に帰りましたが、2回目以降は歩いて帰るのはしんどいようで、駅の駐車場に行って、車を止めると次はちゃんと合図を出すから、車を止めてほしいとするようになりました。
車を何とか止めることができると、今度は車から降りて家にはいることになります。このときも本人なりの手順があります。家の玄関までは割とスムーズにやってきます。ところが、玄関で引き戸を開けるときに、その前で固まってしまったり、引き戸を開けて、靴を脱いで上に上がるときに止まってしまうことがあります。排便をしたいのにもかかわらず止まってしまうときは、おむつのままで排便しているときもあります。直ぐにトイレに行ってしてしまえば済むものを、そんなときに限って固まってしまいます。トイレで排便してくれれば簡単に済むものが、おむつの中でしたとなると、お風呂に行き、シャワーで洗わなければならなくなります。当然、着替えもしなければならないことになります。
家に帰ってきて、トイレにスムーズに行くと、次は食堂に行きおやつを食べることになります。そしてその前に、夕食の時の薬を飲むことになります。それからおやつを食べ始めます。帰宅したのが早いときは、おやつの後、テレビの部屋に行って、朝と同じ腹筋を30回することもありますが、帰宅が遅くなったときは、そのまま夕食に進みます。食べることが楽しみの多くを占めているせいか、食卓にあるものを食べ終わった後も、冷蔵庫を開けて食べるものがないか探していることもあります。良いものがないとわかると、諦めたのかテレビのある部屋にやってきます。
テレビのタイマーは6時に設定しているので、6時前になると、自分からテレビの電源を切ってくれと合図を出してくるのでテレビの電源を切ることになります。そしてその後は、お風呂にはいることになります。これも以前は時間のかかることが多く、また、湯船にも2時間近く浸かっていたこともあったのですが、引っ越ししてから更衣を含めて、1時間以内ですませるようになりました。
入浴後は、妻が朝とおなじように歯磨きをします。その後、食堂に行き眠前薬を自分で飲みます。再びテレビの部屋にやってきて、カレンダーの近くに行き、私が明日の予定を読み上げることになります。予定といっても、ほとんど同じで食事をすることやおやつを食べることのほか、平日は施設に行くこと、休日は私とドライブすることになります。予定を言った後、今度はチャットボックスというVOCA(ボタンを押すと音声が出る機器)のところに行き、ショートスティあけや休日に何が食べたいのか、本人に選択させています。意思決定支援の一つですが、音声言語のない本人によっては唯一の機会だと思います。これで寝る前の準備はすべて整ったわけで、早ければ7時にはベットにはいることになります。こんなふうに一日が過ぎています。