其ノ参 蒼の少女
昼が過ぎ、昼飯を食べるには遅い時間を回ったころ。
ひたり、ひたり。
人々で賑わう店が多い大通りは騒がしい。その中を、漆黒の髪と、突き刺すような赤い瞳を持つ女性、エリスが歩いていた。エリスはいつも裸足だ。それは、足音をなるべく立てないためでもあり、妖魔としての習性のようなものでもある。
エリスはいつもの白と黒のブラウス、襟が着物のような形をし、腰を帯で締めるタイプのワピースを着ていた。首にかかる『蒼』の首飾りを、エリスとすれ違う人々が、ちらちらと見て行く。
「あれが有名な妖魔狩りの妖魔だな」
「ありがたいことだけど・・・・・・ちょっとねぇ」
「私、結構憧れてるんだぁ。―――私はまだ『漆』の珠だけど」
「どんな気持ちで狩ってんだろうな。仲間を」
エリスへの非難や憧れの声が飛び交う。しかし、エリスはいつもの無表情をけして崩さなかった。
自分はそう言われても仕方のないことをしているのだから。それに、他人から自分への評価や意見になど、興味もなかった。
様々な声に囲まれながら、エリスは道を歩む。と、
その時―――――
「泥棒よ―――――!!」
甲高い女性の悲鳴。この町ではよくあるのである。恵まれた者と、恵まれぬ者との差が激しいからだ。そして、
タタタタタタタタタッ!
速い。
エリスは人間より何倍も優れた耳で、泥棒の足音を聞きつけ、そう思った。
「きゃっ!」「うわっ!」「えっ?」「ひゃあっ!」「あっぶね」「何だ?」
エリスの前方からさざめきが起こる。そして、
タタタタタタタタタッ!
こちらへ駆けて来る者の姿を捉えた。かなりのスピードだ。
その刹那、
すっ
エリスは駆ける者が横を通り過ぎる直前に、足を出した。
「!!」
泥棒はいきなり出された足をかわせる筈もなく、派手に転んでいた。さらに足がかかる寸前、エリスは足を少し蹴ったので、その分、ど派手に転倒する。
ドサッ!ザザザ―――。
腹から泥棒は転び、そのまま数メートル先まで滑る。しかし、すぐに体制を立て直し、すっと立ち上がった。ギラリと瞳を怒らせ、エリスを睨む人物。エリスはその人物を見、表情には出さなかったが、内心少し驚いていた。
その人物は、幼い少女だったのだ。
大体十代の前半かそれ以下ほど。何より少女は、海のように深く、美しい蒼の瞳と、瞳の色より少し明るい蒼の髪をしていたのだ。少女の頬は血色が悪く、手も足も小枝のように細かった。
「ウウゥゥ・・・・・・」
少女は、人間とは思えぬ獣じみた声で唸った。瞳はしっかりと、エリスを捉えている。エリスも冷酷に見えるその瞳で、少女の瞳をしっかりと見返していた。
ぶつかる、赤と青の光を宿した瞳。
「誰か―――!その子を捕まえて―――!!」
少女は腕に小さなバッグを抱えていた。どうやらこれが、向こうで叫んでいる女性から盗み取ったものらしい。
少女は女性の声に反応して、タッと駆け出した。しかし、
ヒュッ!
少女の上から音がし、はっとして少女が足を止めた時には、
「!」
目の前にエリスが立っていた。エリスはジャンプし、少女の上を飛び越していたのだ。
少女は舌打ちし、近くの路地に逃げ込もうときょろきょろした。が、
「動くな。動くと、その首が飛ぶぞ」
少女が首を正位置にに戻した瞬間、首元にエリスの刀が添えられていたことに気が付いた。ひんやりとした刃が、少女の柔らかい肉に、少し食い込んでいる。
少女は目をぎらつかせ、歯を剥き出して唸った。
「・・・・・・まるで妖魔だな」
エリスが冷ややかに言い放った。
しかし、この少女は妖魔ではない。
確かにその瞳は、鋭い光を宿している。だが、その光は元から持つものではなく、
飢えたときに発する、ギラついた光だ。
と、少女が一段と低く唸った。
瞬間―――――
首元に刀が突き付けられているというのに、少女はエリスに飛びかかって来たのだ。
ズパッ。
僅かに少女の白い首から、血が飛び散った。しかし、少女は気にする風もなく、エリスに飛びかかる。が、
「攻撃が甘い」
エリスは飛びかかって来た少女の腕を、左手で軽々と受け止め、その棒きれのような細い腕を捻った。
「うぐっ!」
少女は背中を地面に打ち付け、呻き声をもらした。そのままエリスは少女の後ろでその腕を捻り、押さえつけた。右手に握っていた刀は、鞘におさめる。
「あのっ!」
少女にバッグを盗まれていた女性が、側まで来ていた。エリスは、腕を捻った瞬間に少女が放していたバッグを拾い上げ、女性に放った。
「あ、ありがとう、ございます」
女性は少し身を引き気味にしてそう言うと、踵を返して駆けて行った。その瞬間、少し少女が落ち込んだような感じが腕から伝わってきた、ような気がした。
「―――――スラムの子供か」
エリスはそう呟き、少し項垂れた少女を見つめる。
スラム。それはこの町の北の小さな一角にある。人々は荒れ、建物もほとんどが崩れており、そこに住む者の大半は、この少女のように盗みをして生きていた。
「どうするか・・・・・・」
このままほっぽり出してもいいのだが、弱っているところを見る限り、この少女はここ数日、ろくに食べていないと分かる。
ザ――――――――
ある日の雨の記憶。エリスの妖魔狩りとしての、
はじまりの日。
エリスはどうしても、この少女が自分に重なって見えたのだった。
「―――――名は?」
少女は最初、エリスに自分が何を聞かれたのか分からない、といった風な顔をしていた。
「お前の名は何だと聞いているのだ。・・・・・・無いのかもしれないが」
「・・・・・・・・・・・・エイレネ」
「エイレネ、か」
エイレネ(平和)。激しい怒りや飢えの感情に身を任せ、暴れ、唸り声を上げていた少女とは、不釣り合いな名に思えた。
「良い名だな」
「レネ、と呼んでくれ」
少女エイレネは、この歳にしては少し低く、しかしとても綺麗な声でそういった。
「ではレネ、ついて来い」
「・・・・・・?」
眉を顰めるレネをよそに、エリスはレネの捻っていた腕を解き、その手を引いて歩きだした。
疲れた―――!!
ここまで打つのに、結構な時間と労力がかかってしまった・・・・・・。
さてさて、今回初登場の「エイレネ」。これまたギリシャ神話に登場する人物の名です。本編に記した通り、エイレネとは、平和を指す名です。
でわ。
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