其ノ弐 血の穢れ
ザアァァァァァ。
夜明け近くの時間帯。あるマンションにあるシャワールームに、人影があった。
漆黒の髪と、血のように赤い瞳を持つ女性である。
女性は、髪や肌にこびり付いた妖魔たちの血を洗い流していた。
―――何故、仲間を殺すのだ?―――
―――裏切り者!―――
―――呪ってやる。お前のその身が滅びるその時まで―――
―――他人を平気で殺すことのできる、残酷な者の持つ瞳をあなたはしている―――
ダンッ!
女性はシャワールームの壁をその拳で叩いた。
血を落とすたびに聞こえてくる、今まで殺した妖魔たちの声。そして―――、
「何故だ・・・・・・。あの様な奴・・・・・・」
ギリッと歯を軋ませた女性は、怒りに溢れた表情を浮かべていた。
血をすべて洗い流し、女性は新しい服に着替えた。着替えた後、腰の帯に刀を差し、帯や足に巻いている布に小刀を忍ばせる。最後に妖魔狩りの証である、黒い輪の中に珠が入った首飾りを付けた。珠の色は、最上級のランクを表す『蒼』であった。血で汚れた服を女性は手に抱え、そのままバスルームを出た。出入り口の外は廊下になっている。そこを女性は少し左に歩き、廊下の端にある階段を下った。
「あっ、おはよう。エリス」
下ってすぐのところに立っていた妙齢の女性が、妖魔狩りの女性に声をかけた。どうやら、妖魔狩りの女性は、『エリス』という名らしい。
「たのんだ」
「はい」
妙齢の女性は、エリスが抱えていた服を受け取る。服を渡したエリスは、そのまま玄関に向かった。が、
「あのさ、エリス。何度も言うようだけど・・・・・・、本当に、ここに住む気はない?部屋ならいくらでも空いているわよ?」
その声に、玄関前まで行っていたエリスは、振り返った。
「悪いが、我はこの場所に住む気はない。それに―――我は人間ではないからな」
「―――そう。でもいつでも歓迎するわ。住人の人たちだって、妖魔狩りで有名なあなたなら―――」
すっとエリスは手を上げ、女性の言葉を遮った。
「我の住む場所は―――、もう、ない。何時でもこの町にいるわけでもないしな。それに―――我は一部の人間らに、『仲間殺し』と言われておる。・・・・・・当然の言葉ではあるが、な」
エリスは小さく首をすくめ、そう言った。
「・・・・・・・・・・・・」
妙齢の女性は黙り込む。やがて、
「分かったわ。じゃあ」
「あぁ」
そう言うと、互いに背を向け、それぞれに動き出した。
「わっ!わわっと、だからですね・・・・・・っ!!」
ドサッ。
鳩尾を殴られた人物は、その場にしゃがみ込んだ。
よくある、路地でのいさかい。そのターゲットにされているのは、一人の気弱そうな少年だった。深緑色のジャケットを白いシャツの上からはおり、下はダブダブの作業用ズボンをはいている。そして、その首にはしっかりと、妖魔狩りの証である首飾りがかかっていた。
・・・・・・最低レベルの『漆』ではあるが。
「知ってんだぜ。妖魔狩りの奴等は、国からとぉっても大量の金がもらえんだってな」
少年に絡んでいる三人の男の一人がしゃがみ、そう言った。
「・・・・・・それは確かに、生死に関わる危険な仕事ですから、ね」
「じゃあさ、ほら」
男は右手をクイッと振った。
「えっと・・・・・・うぐっ!」
「えっと、じゃねえだろ!はやく金、よこせよ」
男は少年の胸倉を掴み、そう怒鳴る。
「こんな、やり方、間違っ、てると、思いま、すよ」
少年は苦しそうに息をし、やっとのことでそう言った。
「ごたごた五月蝿ぇな!おい!ヤルぞ!」
男が振り返り、仲間にそう言った時だった。
「?」
男の後ろに仲間は居らず、そして、
「がっ!!」
変わりにそこにいた女性に顎を下からもろに蹴り上げられ、気絶した。
「た・・・・・・助かった」
へなへなと、後ろに手をつける少年。女性は、気絶した男の喉の奥に巻き込んでしまった舌を直した後、キッと少年を睨んだ。少年は、その視線にびくっと身を固くする。
「妖魔狩りともあろう者が、人間などに負けてどうする?」
「ごっごめんなさい・・・・・・。エリスさん」
女性―――エリスは立ち上がり、軽蔑の視線で少年を見る。
「汝は自分の年齢が、一体幾つか分かっているのか?」
「・・・・・・今年で二十一になります」
そう、少年のように見えるこの人間、実は現在二十歳なのである。つまり、この青年は童顔で、背が小さいのだ。
「何故あの者たちに抵抗しなかった?」
「だって、話で分かりあえることもありますし・・・・・・」
青年はちらりとエリスの後ろに気絶している、三人の男を見た。
「バカ、だな」
「はい?」
エリスは目を細め、そう言った。
「たとえそれが間違っていたとしても、
強くなければ、我が身さえ守れぬ。ましてや、大切な者なども―――」
「・・・・・・・・・・・・エリスさん。確かにそうかもしれません。でも、それだけではないと思いまっ!!」
青年は、目を見開いて、ポカンとした。
喉元に、エリスの刀の刃が添えられていたのだ。目に見えぬ速さの出来事であった。
エリスは、恐ろしい形相で、青年を睨んでいる。
「甘い・・・・・・。汝、甘すぎるぞ」
「エリス、さん。悪ふざけ、は、よして下、さい」
青年はそう言いながらも、僅かに震えていた。
「そのような甘い考えのままであると、近く身を滅ぼすことになる」
エリスは刀を下ろすと、鞘におさめた。くるりと背を向け、路地の外へと歩みだす。
「エリスさん!」
その背に向かって、青年は言う。
「最初から、暴力や武器を振るうのが、正しいことなのでしょうか?ボクはそうは思いません。エリスさん、今からでも遅くありません。だから―――」
「十八匹」
「えっ?」
「二十一匹、十五匹、十三匹、二十五匹、二十三匹」
「なんですか?」
エリスは青年に背を向けたまま、そう淡々と言った。
「我が、ここ数日に狩った、妖魔の数だ」
「・・・・・・・・・・・・」
黙りきっている青年を振り返り、エリスは言う。
「我は、日に日に穢れていく。切り殺す妖魔の血を身に浴びるたび、な。今更考えを変え、武器を捨てるなど、無理な話だ」
エリスは青年に背を向け、スタスタと歩みだした。
「我は、生きるために穢れるのだ。後悔など、微塵もせぬ―――」
・・・・・・つ、疲れた。
ただでさえ、今日は疲れていて、さらに今回はいつもより多めに打ったから、疲れてしまいました。
さて、今回は妖魔のはこびる世界『ミュートス』の名前の由来を説明させていただきます。
これまたギリシャ神話になるのですが、ギリシャ人自身がいう、『神話』のことです。ミュートスという言葉は本来「話された言葉」とか「話」という意味があります。その意味合いから、ひろく物語一般を指すようになったのです。
やっぱり、ギリシャ神話って素敵ですよね。まぁ、私のギリシャ神話好きは、母から伝染したものなのですが。
さてさて、のちに分かってくることなのですが、『エリス』というのも、ギリシャ神話に登場する名です。
それでは。