03
何かが身体に乗っている。
寝ていたミウは違和感を感じて脳を覚醒させる。
今まで睡眠から起きて戦闘という状況が珍しくなかったので、寝起きはすこぶる良い。
シャルがダイブしてきたのだろうか。彼女はパーソナルスペースが短い。昨日、初めて会ったのに関わらず、やたらと抱きついてくる。
しかし、この重さは人一人分ではない。それより遥かに軽い。
大きさは腹の上にちょうど収まるくらい。今、胸元に移動した。
とりあえず害は無さそうだが、気になったので目を開けた。そして目が合った。
丸っこい顔にピンと立った耳、ブラウンタビーの毛色、つまりキジトラと言われる模様とミウと同じ黄色い瞳が特徴の猫だ。
胸で押し上げられたTシャツに顎を乗せ、リラックスしたような表情で目を半開きにしていた。
その平和そのものの様子に癒されるが、目下の問題は身体の上で猫が陣取っているので起き上がれないことだ。
金縛りのように起き上がれないミウ。不思議とこのままでも良いんじゃないかと思えてしまう。
「あらニコ、こんなとこにいたのね」
優しげで落ち着きのある声が卵料理の芳ばしい香りと共にやってきた。
肩まで伸びたアシンメトリーな編み込みをしたロングヘアーはピンクブロンド。垂れ目で落ち着いた雰囲気を持つ女性だ。
「おはよう、ミウ」
「おはよう、ヴェサ。コイツは魔法を使うらしい。何とかしてくれると助かる」
彼女の名はヴェサ・アイロラ。昨日から暮らすことになった家の家主と言える人物だ。
自称40代のおばさんと言っているが、20代にしか見えない若々しい容姿をしている。
「そのようね。ニコは魔法使いだもの。上に乗られたら不思議と動けなくなっちゃうのよ」
ヴェサはミウの体の上に陣取るニコを脇から抱えあげるように抱き上げる。
このニコと呼ばれるオスのキジトラ柄の猫はヴェサのペットである。女性にはあまり人見知りしないらしく、初日から擦り寄ってきた甘えん坊である。
去勢してるらしいが、やはりオスなのだろう。男性には甘えたりしないらしい。
「ニコ、朝ごはんの時間よ」
脇から抱えあげられながら短く鳴いて返事をするニコは、そのままヴェサにだき抱えられる。
ようやく起き上がると、ニコが乗って捲れ上がったTシャツの裾を戻す。
シャルから借りたTシャツはユリアナのブラウスよりもサイズが合っているおかげで、快適な夜を過ごすことが出来た。それでもまだ小さめで腹を隠しきることが出来ない。
「ミウ、貴方もよ。シャルが張り切って卵を焼いてるわ」
「そいつは楽しみだ」
ベッドから降りて三毛猫を模したスリッパに足を入れた。ちなみにコレはヴェサから貰ったものだ。
割り当てられたばかりでベッドしか無い殺風景な部屋を出てダイニングへと向かう。食欲を誘う、嗅いだことの無い香りが足を軽くする。
「ミウミウおはよー」
ダイニングキッチンはカウンター式で、カウンター部がそのままダイニングテーブルになるというデザイン。
オーバーオールにタンクトップ、頭には唾を後ろにしたキャップと言う出で立ちのシャルはエプロンを付け、ちょうど作っていた卵料理を皿に盛り付けていたところだ。
「おはよう。これは……?」
席に着いたミウがテーブルに並べられた朝食のメニューは朧気にしか記憶が無い品々であった。
程よく焦げ目のついた焼き魚、小さい器に一口大の野菜、粘ついた豆。
そして穢れの無い真っ白なライスと、海藻の入った黄土色のスープ。
「ママの育った国、イズル皇国の朝食なんだ。つまり、エルフ族ではありふれた朝ごはんだよ」
シャルが調理が終わったのか、エプロンを外して作っていた卵料理をテーブルに置いた。
「鮭の塩焼き、キュウリと人参の漬物、納豆って言うんだ〜。そしてコレがだし巻き卵!」
焼き魚、野菜、粘ついた豆、卵料理の順に教えてくれた。
「そして白米と味噌汁。このおかずと白米を一緒に食べると美味しんだよ。ミウミウ箸は使える?」
「ああ。何とかな」
シャルは無邪気な笑みを浮かべて楽しそうである。彼女から箸を受け取ると、ニコに朝食を用意したヴェサも席に着いた。
「それじゃ、いっただきまーす!」
それもエルフ族の習慣なのだろうか。シャルは手を合わせてから納豆と言う粘ついた豆の器に手を伸ばす。
ミウは何とか利き手の左手で箸を持つ。シャルほど上手く扱えないが、最低限使う分には支障は無さそうだ。だし巻き卵とか言う卵料理に箸を伸ばす。
「美味いな」
自然と口から漏れた感想にシャルは納豆を混ぜながらドヤ顔を決めていた。ヴェサも味に不足なしといった具合だ。納豆は「エルフ以外は口にするのは不可能に等しい」と言って決して口にしなかったが。
箸の扱いに苦労しながらも食事を終え、片付けの後でティータイムに入る。
ヴェサのこだわりがあるらしく、ストレートはコレ、ミルクはコレと種類によって茶葉を変えているらしい。
ミウの舌だとよく分からなかったが。
「で、あたしらの仲間になったミウミウだけど、しゃちょーから伝言とお金を預かってまーす!」
ティータイムを終えてシャルが手を挙げながらそう切り出す。その手をどうぞと言って頭とともにそのままヴェサに向けて下ろした。キャップがテーブルにこてんと落ちた。
「ハイハイ。ユリからの伝言は、と」
ヴェサはユリアナの事をユリと呼んでいるらしい。しゃちょーやらボスやら姫様やら少佐やら呼び名がバラエティに富んでいる。
カーディガンのポケットからメモ紙を取り出してミウに差し出された。
『仕事に入る前に服やら何やらを整えておけ。本日は休みとし、500ダーラの現金を渡しておく。社長からの入社祝いってやつだ。それでサイズの合う服を買ってその自慢の胸をしっかり納めろ』
文字は何とか分かるが怪しいのでシャルに手伝ってもらいながら全て読み終え、最後の一文がセクハラ紛いだが、この程度ならミウは気にしなかった。
「コレがそのお金だよ」
シャルから渡された封筒には紙幣が10枚ほど入っていた。厚手の紙でよく見れば透かしやホログラムなど高度な印刷技術が使われていることが分かる。
バストアップで描かれている妙齢で気品のある顔立ちは王妃だろうか。どことなくユリアナに似ている気がする。透かしてみてみれば目のところに何か模様が入っていた。
右上と左下には50の文字が入っている。
「これはドルか?」
とっさに口から出たが、ドルとは何だと思い直す。ただの言い間違いだろうか。発音は似ている。
「ちょっと発音が違うかな。ダーラって言うの。それは50ダーラ札。紙幣は1、5、10、50、100があるよ。んでコインはコレ」
シャルがオーバーオールの胸ポケットからタイヤを模した小銭入れを取り出し、中から小銭をいくつか出した。
「これがセントラ。100セントラで1ダーラだよ。1、5、10、50があるよ」
貨幣の種類は直ぐに覚えられた。不思議とすんなり頭に入ってきた。と言うより、なぜか見覚えがある気がした。
特に問題ない些事なので頭の片隅に置いておく。
「受け取っておきなさい。いつまでも借り物の服ってのも不自由でしょ?」
ヴェサの言う通り、服として持っているのは白いダウンジャケットのみ。今着ているTシャツもショートパンツもシャルの借り物だ。身長差と肩幅の違いもあって、Tシャツは丈が短く腕周りは少しキツめだ。
「な、の、でっ、あたしが買い物に付き合うよ。今日のところはあたしのを貸してあげる! 自然とへそ出しルックになるけど、お腹周りが見えても大丈夫だよね??」
「ああ、問題ない」
返事をすると早速シャルに腕を掴まれて連行される。意外と力が強い。微笑ましく見えたのか、ヴェサの口元が少し緩んでいた。その膝の上では食事を終えたニコが丸くなっていた。
シャルから借りたのはノースリーブのフーディーにショートデニム、半袖のジャケットだ。あと、なかなか攻めたデザインの下着。副業で貰ったは良いが、付ける機会が無かったらしい。ちなみにシャルの副業はダンサーらしい。
フーディーは元々丈の短めのクロップドで完全に腹が出ているのだが、胸周りはシャルと似たようなサイズなので問題は無い。
ショートデニムも問題なく履けた。チャックが完全には締まらなかったが、ベルトをすれば解決だ。シャル曰く、そういう物らしい。着替えはさすがに自分の部屋でやった。
「ミウミウ、これ付けといて」
タクティカルブーツの紐を締めると、シャルからドッグタグの様なものを渡された。
盾と篭手を模したデザインが刻印されている金属製で、よく見れば配色や処理の仕方から凝った作りをしていることが分かる。
「スクーデリア帝国に認定された傭兵の証みたいな奴だよ。昨日はしゃちょーが居たから例外。普通は原則ダメなんだけど、これを付けてれば武器を携帯してもお咎めなしって事」
シャル曰く、認可された傭兵や兵士以外の民間人でも自衛のために武器を持つことは認められているが、殺傷能力の有無や武器自体の形式等を厳しく制限されるらしい。
だが、傭兵として公的に認証されていれば街中でも武器所持の制限は無いに等しく、大衆にも広く認知されているためにお咎めもない。
簡単に言えば、面倒事の回避のためのライセンスといった具合だ。武具や消耗品の購入も国から多少の補助が出て安く買えるというオマケ付きだ。
なぜここまで傭兵が優遇されているかと言うと、昔からスクーデリア帝国は高い技術力で傭兵を囲って有事の際に動員するという政策があるからだ。
その為、自国の利益を生み出すであろう傭兵を選出して囲いこもうとする策らしい。もちろん素性の悪い傭兵は選出されないし、例え選出されてもなにか法律違反などをすれば罰則は厳しいなどのデメリットも存在する。盗み一つしても即牢屋行きである。
「認めるのはうちのしゃちょーの公務の一つだから、別に不正とかじゃないし安心していいよ。ウェポンホールシステムも作るのに時間が掛かるし。もうイージスの仲間だしね〜」
そう言ってシャルは嬉しそうにチェーンを通してくれた。自分の首から提げているタグを見せながらお揃いだね〜、と楽しそうだ。
「ありがとう、シャル」
自分のドッグタグをチェーンから外し、シャルがくれた新しいチェーンに通して首から提げた。二枚のタグが胸元で輝く。
レッグホルスターを両脚に装備して愛銃二挺を納める。
「それじゃ行こっか。あたしのクルマでね!」
「これはシェルビーか?」
丸いヘッドライトとグリル両端のハイビームランプの付いた特徴的なフロントマスク、伸びやかなフロントノーズにルーフからテールに向かって落ちていくファストバックスタイル、テール後端で跳ね上がるスポイラー、横長の真四角なテールランプに四本出しのエキゾーストチップ。
鈍いシルバーの力強くも美しいボディには、ノーズからテールまで伸びる二本の青いレーシングストライプ。バナナのようなスポークを五本持つアロイホイールが太いタイヤを履いて足元で輝いていた。
「ちょっと違うよ。シェルノアGT500R。エイヴォリーの68年式グラディエーターをベースにしたハイパフォーマンス仕様だよ。あたしより年上だけど、パパと一緒に直した大事な思い出で相棒なんだ〜。さ、乗って乗って」
シャルがキーを刺して回す。短いセルの後、エンジンに火が入り目を覚ます。荒々しく力強いエキゾーストがガレージに響いた。プッシュロッド式V8特有の音だ。
太い金属製のバーがルーフやピラーに沿って室内をカゴのように覆うロールケージもレースカーのようにメーターが並ぶインパネもセンス良く纏まり、座り心地が良くピッタリと体が収まるようなシートとしっかりとラジオの音を奏でて存在を主張するオーディオと合わさって、レースカーとロードカーのいいとこ取りをして調和させた内装だ。
運転席のレース仕様のシート、言うなれば大人版チャイルドシートのような形のフルバケットシートに身体を収めたシャルは、慣れた手つきでチェンジレバーを握ってギヤを入れ 、ペダルを操作して発進させた。
「マナチャージ良好。イグニッションストーンとマナハーネスを替えて正解だね〜」
そんなことを呟きながら川沿いの道に上がってシフトアップ。無理な力が掛かっていないスムーズなギヤチェンジだ。ゆっくりと幹線道路を目指す。
「大したものだ。燃料はなんだ?」
「アルコールだよ。今の主成分はトウモロコシかな。魔法石から直接動力を引き出すより小型で高出力に出来るから、内燃機関のアルコールエンジンは半世紀以上前から原動機の主流だね〜。最初に開発したのはニュルンベルニカ共和国のドワーフらしいけど」
スムーズなステアリングワークで幹線道路に入り、緩やかに加速する。先程は力強く感じた排気音も今や穏やかで心地よい響きだ。
「ではこのエンジンは魔法石を使っていないのか?」
「少しは使ってるよ」
シャルは嫌な顔ひとつせず答えた。むしろ、教えるのが楽しそうに見えた。
「マナチャージャー、イグニッション、プラグ、エンジンハーネス、センサーって具合に、割と使ってるんだよ。エンジン関係だと、チャージャーが大気中のマナを集めて貯めておいて、そのマナをストーンイグニッションで増幅、マナハーネスを伝って点火プラグで起動、アルコールに点火して爆発させる。ホントはデストリビューターで点火時期とかマナサーキットで演算とか色々あるけど、ざっとこんな感じかな〜」
ラジオDJが陽気な口調でジョーク混じりに次の曲を紹介する。リンコンピークのラストマスカレード。
ヘヴィメタな曲調と透き通った声の男性ボーカルが特徴らしく、韻を踏んだ歌詞は穏やかに歌われ、別れを後悔しているような印象だった。
何か大事な忘れ物をしたような、忘れたら後悔するような、だがそれが何かは分からない。曲をトリガーにそんな感覚が頭をよぎった。
「もしかして、ミウミウも興味ある感じ?」
それを取り戻せるという感覚が新たによぎる。シャルの問いは渡りに船なのだろうか。何を取り戻すというのか。だが、悪くないと思えた。
僅かな逡巡だったが、ミウは口を開いた。
「エンジンはプッシュロッド式のV8だろう。排気量は428か?」
口元が自然に吊り上がる。この単語を並べれば、シャルはわかるはずだ。
「そうだね〜。428キュービックインチ(約7L)のビッグストローカーブロックのレースエンジンをストリート用にデチューンしてるよ。でも8500rpmまで余裕で回せるよ」
同志を得たとばかりに返すシャルの顔は先程より楽しそうだ。
ここに来る前は車の趣味があった事を朧気に思い出す。ここでシャルとやるなら悪くないかもしれない。
「弄る時の服も買わないとだね♪」
ラジオDJが流す次の曲はヒップホップだ。紡がれるリリックはこれからをより良いものにする決心を表すように聞こえた。
「シャルちゃんまた来てね〜」
程よく肉の付いた身体を持つ、赤毛の若い女性店員はカウンターから手を振って見送ってくれる。
「シーラちゃんまたね〜」
シャルも無邪気に空いた右手を振って返している。二人は知り合いらしく、よくこの店に通っているとのこと。
ミウは若干疲れた顔をしつつ、店に入ってからの出来事を思い出していた。
入った途端にシーラと名乗る店員に目をつけられ、シャルとともに着せ替え人形にされていた。
パンツスタイルからワンピース、学生のようなブラウスとスカートまで延々と着替えさせられた。愛銃も試着室にホルスターごと掛けていたとはいえ、どうも落ち着かなかった。
しかし動くのに支障のない服と言うミウのリクエストがあり、それからは機能性も重要視するファッションになってきた。
ミウ自身も悪くないと思える組み合わせは即購入である。
結局、薦められるまま約300ダーラほどの服と下着を購入し今に至るのである。
両手にいっぱいの紙袋をリヤシートの上に押し込み、シャルと共にシェルノアに乗り込んだ。ファストバックはこういう時に便利である。
「楽しかった〜。さ、次は武器職人だよ。馴染みの職人さんなんだ〜。そのカノジョもメンテナンスとか必要でしょ?」
シャルはキーを回してV8を目覚めさせた。ハンドブレーキを下ろしてギヤを入れる。ちらりとミウの愛銃に目を向けた。
「ああ。いつも顔色を伺ってるよ。大事な時にヘソを曲げられたらと思うと気が気じゃない。分かるだろ? 気難しいマシンをカノジョにしているシャルも」
「やっぱ分かる? でもそこが可愛いくて本気出した時のカッコ良さも堪んないんだよね〜」
確かに、銃も車と一緒で日頃のメンテナンスを怠らなければヘソを曲げることは無い。銃はジャムることは無く弾を吐き出し、車は走って曲がって止まる。
当たり前のことを当たり前にするための当たり前の事と言う奴だ。
低回転で心地いい振動と音をもたらしながら、シェルノアは周りの流れに合わせながらクルージングする。
「これから行くトコはイージスのみんなの武器のメンテナンスを依頼してる工場なんだよ〜。消耗品とかも仕入れてくれるから何かと便利」
間延びした言葉とは裏腹にギヤチェンジは正確でスムーズ。事も無さげにやってのけるので、やはり相当に運転が上手い。
それて気が抜けたのか、ミウはふと口元が寂しくなった。
「近くにタバコ売ってるトコは無いか?」
ユリアナから貰った分はまだあるが、残り少ないのでどうも落ち着かない。
ちなみに本日は朝食後に一本吸っている。そう多く吸う訳じゃないが、早めに確保しておきたい。
「隣の商店にあったはず。しゃちょーもソコで買ってたから間違いないと思うよ〜」
服飾店から通称ビジネス街と呼ばれるセントラル街区をハイウェイを使って抜け、工場地帯に入る。大型トラックと共にハイウェイを降りてしばらく進んだ先が目的地のようだ。
看板にエルフ語で書かれた店の名前はミウには全く読めないが、その下に見覚えのある文字でも書いてあった。
カワラギワークス。そう大きくないこの町工場の名前である。
店のなのか事務所のなのか判断がつかない入口の目の前に、シャルは愛車を止めた。
「やっほー。おっちゃん居る〜?」
引き戸を開けて中にズンズンと入っていくシャルにミウも続いた。
店内は鉄と油の匂いが漂い、ところ狭しと並べられたショーケースにはナイフやら魔道具らしき物が飾られている。
「シャルちゃんか、いらっしゃい。その娘は友達かい?」
奥のカウンターで雑誌を広げていたのは、初老のエルフの男性だった。
白髪が混じる黒髪とシワが刻まれた、渋さが光る顔。若い頃は美形だったであろう顔つきだ。声も渋さの中に茶目っ気も感じる。
「これから親友になっていくトコかな〜。うちの新入社員なんだ〜。ミウ、これがおっちゃん」
シャルの紹介の仕方に苦笑いしながら、彼は雑誌を置いて立ち上がる。
「おっちゃんこと、カネサダ・カワラギ。カワラギワークスの工場長っていうしがないおっちゃんだよ」
「ミウ・クロウズだ。傭兵をしていた。これからもだろうが」
ミウは差し出された手を握った。その手は職人らしいゴツゴツとした手だった。
カネサダも何かを感じたようで、感心したような表情を見せた。
「銃使いか。手だけで反動を抑えるハンドガン、しかもその反動は強そうだな」
「ほぅ……」
「おっちゃん流石だね〜」
手を離すとカネサダは種明かしとばかりにミウの下半身を指さす。
「火薬式の銃が目に入ったからね」
レッグホルスターに入ったカスタム1911。別に隠している訳でもないので、目に入るのはおかしくない。
「今日はその銃の相談かな?」
「そーそー。整備と消耗品の相談。ミウミウ、おっちゃんに見せてもらってもいい?」
ミウはシャルの言葉に頷くと、愛銃のマガジンを抜いてスライドを開ける。
それを二挺、カウンターに置いた。鈍く光る銃身は木の天板からゴトリと重厚な音を鳴らす。
「こいつぁ興味深い。弾薬の爆発力を利用して装填する方式か」
「珍しいの?」
廃莢口から薬室を覗き込みながら好奇心を隠しきれないカネサダにシャルは質問する。
「方式自体は火薬が主流だった100年くらい前の頃からあって珍しくはないさ。ただ、属性石が出てきてからはあんまり見なくなってきただけだよ。整備もされている実働品はおっちゃんも久々に見たなぁ。モデル名は?」
「M1911らしい。大分弄っているから、私も元はわからん」
「なるほど。量産品にしては遊びが詰めてあると思ってね」
我が子を褒められたような気分になったミウ。幸か不幸か子供は居ないが。
カネサダは銃本体を置いて実弾が入ったマガジンを手に取った。
「口径は1センチより少し大きい。12ミリ弱くらいはあるんじゃないかい?」
「0.45インチだ」
「という事は約11.4ミリだね。この実包も必要だろう?」
実包とは薬莢付きの弾の事である。これが無いと1911もただの重しにしか使えない。戦場での弾切れほどのホラーは中々ないだろう。ミウは迷わず頷く。
「そうだね、この手のツテはウチのかぁちゃんの方があるだろう。元々商売人だしね。おーいかぁちゃーん」
マガジンから抜いた弾丸をテーブルライトに当てて観察したカネサダは奥に向かって声を上げる。
すると奥からパタパタと誰かがやってくる音が聞こえてくる。
「あいよー。おっ、シャルちゃんいらっしゃい」
現れたのは、小柄ながらもがっしりとした体格の女性だった。日焼けしたような肌に編み上げたドレッドヘアー。ドワーフらしい豪快さが顔つきに現れていた。サロペットがよく似合っている。現れるなりシャルとハイタッチをしている。
「ミウミウ、おっちゃんの奥さんのベルさん。ママ、友達で同僚のミウだよ」
「ミウ・クロウズだ」
「よろしく。気軽にベルでもオバチャンとも呼んどくれ」
ミウはベルと握手をする。長身のミウと並ぶと大人と子供くらいの身長差がある。その差は1フィート(約30.5cm)はありそうだ。
「ママとは?」
「シャルちゃんが勝手に言ってるだけさ。血の繋がりはないけど、娘みたいに可愛がってるさね。で、あたいに何か用かい?」
「かぁちゃん。頼みたいのは彼女の得物の消耗品だよ」
カネサダが弾薬をベルに手渡す。ベルはそれの観察を始めた。
「ふむ。これが民間でってなると珍しいねぇ。嫌いじゃないよ」
頬を緩ませながら測定器具を取り出して直径や長さを測ってじっくりと観察している。その表情は好奇心に支配されていた。
だがそれもすぐに戻る。
「これなら作ってる工場が幾つかある。帝国軍の予備兵装でも使われてる規格だから、すぐに用意できるさね。明日の朝には最低でも50は用意するよ」
ベルの力強い言葉にミウは頷く。
「明日は出勤だろうから、姫さんとこに直接持っていくさね。おっと、代金は姫さんに請求するから安心しな。あんたらから取ると、姫さんから叱られちまうんだ」
ポケットから100ダーラ札を出そうとすると、ベルからその手を止められた。
「しゃちょーは仕事道具の経費は全て会社から出すって方針だからね〜。おっちゃんのとこ限定だけど、メンテナンス代も出るよ〜」
シャルからその理由を聞いて納得する。ダーラ札から指先を離す。
「ま、そういうことさね。金払いが良いからうちらも助かってるのよ」
そう言ってベルは豪快に笑う。その裏表の無さは信頼出来るだろう。
「そうそう。予備のマガジンも必要だろうから、そっちはおっちゃんが作るよ。あとで支障のない時でいいから交換用のマガジンを貸してもらえるとありがたい。制作するにあたって構造やら寸法やら何やら色々とね、現物があった方が楽なのよ」
「それなら今で構わない」
右わ側のホルスターから1911を抜いてカウンターに置いた。カネサダが驚いた顔でいいのかい?と訊いてくる。
「こっちはどちらかと言うとサブなんだ。あった方が良いが、無くても支障はない」
「こちらからすると有難いけどねぇ……。そうだ、ナイフは扱えるかい?」
カネサダは苦笑いしながらカウンター下から革の鞘に入った一振のナイフを取りだした。
それを一瞥してミウは頷く。
「エルフ伝統の技術を使ったナイフなんだけど、斬るのと刺突に特化しててねぇ。少しばかり扱いが難しいんだけど、ハマる人はハマるって奴ヨ」
全く似合っていないニヒルな笑みを浮かべるカネサダの前で鞘からナイフを抜く。
細身のほんのり反った刀身は鈍い黒と鏡面の二色に別れ、その境界は波打ちが美しい。
芸術面が浅いミウの知識でも芸術品なのではないかと思えるほど、逆に言えば実用に耐えうる物なのかと疑問に思う仕上がりであった。
「硬い金属だけだと脆くなるから、粘りのある金属を接合して支える鍛造技術さね。癖はあるけど、実用面も悪くはないよ。あたしも鍛冶をかじってたけど、作るどころか相打ちすらさせて貰えやしない」
そう言って苦笑いを浮かべるベル。カネサダの似合わないニヒルな笑みも変わっていない。
「仮にダメにさせても、おっちゃんは文句を言わないよ。腕が鈍らないための数うちだからね。ま、とりあえず使ってみてよ。合わないと思った時点で返してくれて構わんよ」
「分かった」
ミウはそう言って、鞘の紐をベルトに括りつけた。そしてあることを思い出す。
「そうだミセス・ベル、タバコは扱っているだろうか?」
玄関の扉がノックされる。家の主であるヴェサは飼い猫のニコを膝から下ろすと、玄関のドアを開けた。
「あら。姫殿下じゃない」
そこに居たのは、相変わらず皇族らしくないラフな格好のユリアナであった。
「いきなり悪かったな。感謝するぜ。新しい人員を迎えてくれたことを」
真面目な顔でそう言うユリアナを前にヴェサは笑みを浮かべた。
「構わないわ。それが今の仕事なわけだし、今は貴女の部下なわけだしね。お茶くらい出すから入ったら?」
「やれやれ。准将殿の前だと調子が狂っちまう。有難くご馳走になるぜ」
「軍は辞めているから、准将じゃないわ」
ユリアナを中に招き入れると開いた扉に手をかけた。
外に目をやると、ユリアナの愛車がそこに止まっていた。
テスタロッサ社製のロッソコルサGTO。芸術品のような真紅のクルマがトレードマークで跳ね馬をエンブレムにあしらったテスタロッサ社の中でも、最も無骨で最も速いと言われた車両だ。
「相変わらずGTOに乗っているのね。本人がじゃじゃ馬ならクルマの趣味も暴れ馬になるのかしら?」
「やめてくれよ。教授殿の講義は10年前に卒業してるはずだぜ」
「あら、退役軍人のお話は億万長者さんには退屈だったかしら?」
「コーヒー付きなら、最後まで居眠りしないだろうさ」
互いを二つ名で呼び合い、からかい合う2人の仲は古い。今や上司と部下という間柄だったが、かつては反対の立場であった。
「ああ、ミルク多めで」
インスタントコーヒーでカフェオレを作り始めたヴェサに、席に着いたユリアナはそう伝えた。
「相変わらず甘党ね」
「歳とったら甘いのを口にしなくなるって説は間違いだったな。30歳過ぎても変わらなかったぜ」
「なら、40歳過ぎてもきっと変わらないわよ。私が保証する」
手際よく作ったブラックコーヒーとミルクコーヒーをテーブルに置いてヴェサも席に着く。
「で、今日は何しに来たの? 女子寮の視察かサボりか」
「両方だな。ミウの様子もついでに見に来た」
ミルクコーヒーで喉を潤すユリアナに対し、ヴェサは外に親指を向けた。
「さっき買い物から帰ってきて、新しい得物を試しているわ」
ユリアナが指の先に目を向けると、買ってきたばかりであろうタンクトップとショートパンツ姿で、コガタナと呼ばれるエルフ族の武器を振っていた。
溝が無くなった廃タイヤを杭に縛り付けただけのターゲットを斬りつけ、しっかりと刃を通していた。
「へぇ。悪くねぇな。重心はブレてねぇし、身体も出来ているから余計な力も入ってねぇ。やっぱりセンスいいぜ」
「間違いなく下手な帝国軍人より戦えるわね。予備武装としてカネサダから貰ったカタナらしいけど、割とすぐ使いこなしていたわよ?」
廃タイヤに切り傷が増えていく。斬ってからの返す刀も申し分ない速さだった。
「そいつぁ何よりだぜ」
ミルクコーヒーを口に運ぶ。暖かく甘いコーヒーが喉を通る感触を感じながらカップを置いた。
「相変わらず、人を見る目がずば抜けてるわね。どこからあんな人材が転がり込んでくるのやら」
「今回ばかりは偶然だぜ。もし神サマとやらがいるなら感謝するぜ」