02
「何やってんだ?」
昼前にミウの病室に入ったユリアナの開口一番がそれである。その手には大き目のカバンを持っていた。
それに対し、何を異なことをとキョトンとした表情を浮かべるのは、床で片手腕立て伏せの伏せた状態で姿勢を維持するミウである。
ほのかに汗ばんだ肌は瑞々しく、豊満な胸元は異性だけでなく同性までも視線をくぎ付けにしてしまうだろう。胸部の厚みが少ないユリアナは羨ましそうな表情を一瞬見せた。
さも何でもないかのように身体を勢いよく持ち上げ、両膝を引き込んで瞬時に立ち上がる。
「筋トレだが?」
「いや、退院するとはいえ、病室で筋トレする奴は間違いなくアホだぜ。リハビリですらそんなハードなことはしねぇよ」
ユリアナは呆れた表情を浮かべ突っ立っている。その隣のアルヴィナは諫めるのも諦めて苦笑いをしていた。
「ケガは完治してるし、あとは本人の気持ち次第なところもあったから、別に反対はしなかったわ。ほらミウ、皇女サマが服を持ってきたのだから着替えちゃいなさい」
まるで子供に言い聞かせるように、ユリアナの持つバッグを奪い取ってミウに押し付ける。ついでにタオルも持たせて病室隣のシャワールームに押し込んだ。
「あんたの呆れてる顔、久々に見た気がするわ」
白衣の襟を直し、その切れ長の真っ赤な瞳をユリアナに向ける。その表情は笑っていた。
「こちとら完璧超人じゃねぇんだ。いつも笑っているわけじゃねぇ」
少し恥ずかしそうに顔をそむけるユリアナだった。
しばらくして、シャワーを終えて着替え終わったようで、ミウがシャワールームから出てきた。髪がまだ少し湿り気を帯びていた。
やや丈の足りていない黒いブラウスと赤いチェックガラのプリーツのスカート。
どこか学生を思い出す装いであるが、靴がタクティカルブーツであるのとミウの高い身長だとやや違和感があった。
「童顔だから似合うと思ったんだが、そうか身長を加味してなかったぜ。だけど、これはこれでアリだな。アタシのお古だから少しくらいキツくても我慢してくれよ?」
この服を選んだユリアナは顎に手を当ててうんうんと頷く。
確かに、全体的にスレンダーな体型のユリアナに対してミウは細身ながら筋肉質で費い締まった身体をしているため、肩や袖などがややキツそうである。
特に胸元に関してはボタンすら閉じることが出来ず、灰色のスポーツブラが見えていた。その豊満な胸に押し上げられた裾から見事に割れた腹筋がチラ見えする。
「そこまで支障は無い。礼を言う」
「彼女に礼は不要よ。ほら、得物も付けちゃいなさい」
袖をまくり上げてミウは答えた。壁に掛けられたレッグホルスター二つをアルヴィナから受け取り、引き締まって筋が浮かぶ両太ももにバンドを巻きつけて固定する。
愛銃のカスタム1911を手に取り、マガジンを抜き出す。銅でコーティングされた実包が収まっていることを確認すると、再び納めてスライドを引き初弾を装填する。
上がったハンマーを指で押さえながらトリガーを引き、ゆっくりとハンマーを降ろしてハーフコックにしてからセーフティをかけてホルスターに納めた。
もう一挺も同じように確認してから二重のセーフティを掛けてホルスターに納める。初潮の前から行っている日課とも言える公道で、すっかり体に染みついていた。
最後に白いダウンジャケットに袖を通した。この一連の流れは仕事モードになるためのルーティンとも言えるだろう。
「案内してくれ」
ついでにカバンに入っていたサングラスを掛けた。目元は隠れる方が良い。
その様子を見たユリアナは悔しそうにアルヴィナに紙幣を手渡していた。何か賭けでもしていたらしいが、ミウには銅でも良いことだった。
三人はミウの居た女性専用の病棟からシンプルな内装のエレベーターに載って降り、様々な人種が行き交う一階のロビーに出た。
医師や看護師とみられる白衣を身にまとった人々は雇い主のアルヴィナに軽く礼をして忙しそうに駆け回っていた。
「デカい病院の経営者の前だと、みんな頭が重くなるらしいな」
「彼らの脳は優秀だから重くなるのは仕方ないのよ」
冗談を言い合う二人の後ろで、ミウは珍しそうに周りをキョロキョロと見まわしていた。目線を隠せるサングラスをかけているので、視線が合うことは無い。
それの様子に気づいたのはユリアナだった。
どうした? 気になる男でも見つけたか?」
ミウは首を横に振った。
「いや、見たことない人種ばかりでな」
ユリアナの冗談は華麗にスルーされる。それでもユリアナは気にしない。
「そうだな。背が低いが腕っぷしが強いドワーフ、身体能力が高いビースト、最近は耳長のエルフも増えて来たな。んで特に特徴が無いアタシらヒューマン。ウチの国居るのは大体ざっとこんなもんだぜ」
なるほど。頭に耳が映えたのがビーストで、背が低いがしっかり鍛えられた身体をしているのがドワーフか。と、ミウは思う。
そしてエルフ。その姿を見て少し驚いた。
彫りは浅いものの人形のように整った顔立ち、そして少し小柄な体格。男性でもミウと同じくらいの身長が多い。ただ、彼らは耳が長かった。
「私と同じ肌の色と髪の色だ」
黄色味が掛かった肌の色とまっすぐ伸びる黒髪はミウの特徴と合致していた。
「ああ。だから最初はエルフかその血筋を持っているのかって思ったんだが、長耳じゃねぇし体格も良いし顔の彫りも深めだ。肌の色と髪色を除きゃ、種族的にはヒューマンに近ェな」
そしてエルフは優性遺伝のため、別種族と交配しても長耳は残るとアルヴィナが補足する。なんとなく、そこは研究者として一言だけ言いたかったらしい。
「その他少数派は後で教えてやるぜ。どうやら、お前さんはこの国で生活するための知識が不足しているらしいからな。紛争地域で戦いに明け暮れてちゃあ無理も無ェ話だから、恥じることは無ェ」
病院のガラスの扉を開けて外に出ると、まず目に入ってきたのは乱雑に建つ高さが不揃いな建物群と無数の煙突だった。
その間を埋めるように整備された道路が縦横無尽に張り巡らされ、小高い丘の上のここからも車が行き交うのがよく分かる。
その向こうにまるで周りが避けるようにそびえる、明らかに建築様式が違う城と言うべき建物があった。
高さは周りの煙突よりも高く、レンガ造りなのか白っぽい外観は遠目でもそこが特別であるとはっきり主張している。
「ここはスクーデリア帝国の首都、工業都市エンパイヤ。少なくとも現状は、周辺諸国の中では最先端の技術力を誇っているぜ。ま、いつまでソレが続くかは知らんがな」
肩をすくめて自重の笑みを浮かべながらユリアナは足を進める。
工業都市と言いながらも流れてくる風は不快な臭いなどせず、わずかに病院から消毒液のような臭いが漂ってくるのみだ。
むしろ、目の前の広場に植えられた木々の香りすら感じ取れそうだった。
良い意味で工業都市らしくない空気だ。ミウはそんな感想を持った。
「皇女サマ、あんまり部下を待たせたら、良い上司とは言えないんじゃないかしら?」
「おっと。そうだな」
右手側にユリアナが進んだのでミウもそちらに目を向けると、駐車場に建つ男女の姿が見えた。
まず目立つのは女の方だった。こちらに向かって手を振っているからだ。
背中まで伸びるブロンドに鍔を逆さに被ったキャップ、スリーブレスのブラウスとショートパンツ姿だ。
顔つきは、中性的に見えるが大きな碧眼と屈託のない笑顔は元気娘と言う表現が良く似合う。身長も5フィート3インチ(約160cm)弱と、ミウよりは低い。ミウが高身長ともいえるが。
「あの楽しそうに手振っているのはシャル。ヒューマンとエルフのハーフで、恨めしいことにあのスタイルでまだ19歳だぜ。エルフはスレンダーが多いのによぉ」
その言葉のわりに、ユリアナは楽しげであった。細身の身体に対して豊かな胸部を持つシャルに笑顔とともに手を振り返した。
「んで隣にいる黒い四ツ目はエリック。ああ見えてうちの頭脳労働担当なんだぜ」
「ボス、紹介が適当すぎやしませんか?」
眼鏡越しに少し困ったような目を見せる黒い肌の彼はヒューマンだと大男に分類されるだろう。
6フィート(約183cm)はありそうな身長に鍛えられた身体は頭脳労働担当には見えない。前線に居ても違和感はないだろう。
着ているシャツを押し上げる筋肉は見事の一言である。
「エリック・マクファーソンだ。よろしく」
「シャルだよ~。メカニック兼ドライバーってとこかな。よろしく~」
エリックから差し出された手をミウは握り返し、シャルからはハグを貰った。
エリックの手は程よく硬く、シャルの大きな胸部と互いに押しつぶし合った。
「ミウ・クロウズだ。これから世話になるのでよろしく頼む」
短くそう挨拶すると、エリックからカードが渡される。そこにはミウの名前と生年月日、そして十桁ほどの番号が記されていた。
「貴方の国民カードよ。あなたの魔力紋と紐づけされているから、それが身分証になるの。生年月日は貴方のタグから写させてもらったわ。医療費とか国からの補助があるから、病院に来るときは忘れずに持ってきてね」
アルヴィナの言った魔力紋とは、人の必ず持つ魔力の特性であり、指紋のようなものだ。人によって異なり、同じ魔力紋は二つと無いとされている。
それを調べれば、魔法の才能や適正を調べることができるらしい。
ちなみに魔力紋の測定や観測は魔石を組み合わせた専用の魔道具を使って調べることができ、その魔道具も業務用として流通している。
ミウは昨晩、一般常識としてアルヴィナから教わり、魔力紋の測定も済ませてある。
「コレで正式に帝国民となったわけだ。ここで夕方の主婦みてぇに世間話に花を咲かせるのも良いが、そろそろ出発しようぜ。腹がランチを要求して仕方ねぇんだ」
「賛成~」
ユリアナの一声にシャルが賛成し、後ろに止まっている車のドアを開けた。
まるで定規でデザインしたような直線的でカクカクとした大柄なボディ、四角いヘッドライトが並ぶフロントフェイスにはみ出たターンシグナルランプを備える特徴的なフェンダー。バンパーを始めとした箇所にあしらわれたメッキとホワイトウォールタイヤが高級感を演出している。
「88年式リンカーンか?」
ミウの頭にとっさに浮かんだ単語が口から洩れた。
「いや、エイヴォリーのタウンリーだ。この国の公用車にも採用されてるから、乗り心地は保証するぜ」
「あくびが出るほど遅いけどね~」
運転席に座るシャルは冗談っぽい笑みを浮かべながらそう言うと、ステアリング奥のキーシリンダーにキーを入れて回し、エンジンに火を入れた。
どうやら違ったらしい。ただ、その単語が出てきたワケに違和感を感じてミウは頭をかしげる。自分の記憶だとそれが何なのか分かっていなかったからだ。
だが些細なことだと思いなおし、ユリアナに続いてリヤシートに乗り込んだ。
「ミウちゃん、体調は大丈夫で激しい運動も問題ないけど、経過観察でしばらくは週に一回は着て頂戴。その国民カードを受付に提示すれば主治医の私が対応するわ」
「了解した」
ミウの返事に満足したようにアルヴィナは笑みを浮かべると、ドアを閉めた。
「院長自らの診察なんて珍しいんだぜ。普段は研究ばっかしてるからな。ああ、三番街のエルフ飯屋だ。あそこの野菜のテンプラを食いたい気分だ」
シャルの目的地は~?との声にそう返すユリアナ。あいよ~と返すシャルはコラムシフトをガチャガチャと動かしてDレンジに入れると、V8エンジン特有のドロドロと言うエキゾーストを高めながら車を進める。
ふと後ろを見ると遠ざかるアルヴィナが軽く手を振っていたのでミウも軽く振り返した。それはその姿が見えなくなるまで続いた。
ユリアナが自慢気に保証しただけあって、タウンリーの乗り心地は悪くない。
道路の良好な舗装具合もあるのだが、まるでフワフワと雲にでも乗っているような乗り心地だ。
咥えて、シャルの運転も巧い。加減速に無駄がなく、ステアリングの切り方も乗り心地を意識してゆっくりとロールさせるようにGに逆らわず、とても自然に曲がっていく。元気娘と言う第一印象とは大きなギャップがある。流石、皇族であるユリアナが運転手を任すだけはある。
あくび交じりにモーターウェイの流れに乗っている。窓の外は建物や街灯が前から後ろへと流れては街並みと共に見えなくなる。
その間、ユリアナからこの国、スクーデリア帝国について教わっていた。
まず現在の工程はユリアナの父、オリバー・ユリウス・スクーデリア。娘いわく、クソ親父だそうだ。どこがクソ親父なのかは話さなかった。
おもな産業は、大気中のマナを効率よく取り込んで魔法を行使するために必須となる魔石の産出、及びその魔石を精製した属性石と機械を組み合わせた魔道具の作成だ。所謂、技術大国と言う奴だ。
魔道具は兵器や武器から発展し、今や生活用品から庶民でも少し背伸びすれば買える自動車まで、今や魔道具無しでは生活が成り立たないほどに浸透している。
現在、最も勢いがあるのは自動車産業で、今やこの分野で世界最大ともいえるエイヴォリーインダストリーコーポレーションを擁している。
国の方も産業の発展のために交通網の整備を重点的に推し進め、モータリゼーションを加速させたという。それを行ったのは先代皇帝、つまりユリアナの祖父である。
しかし、北のユーレリア王国連合や樹海を超えた先のエルフの国、イズル皇国などで生産された自動車が輸入されてきており、かつ国内も決して小さくない自動車企業が存在しており、経営は油断できないそう。
国民としては選択肢が増えて競争が加速するので、ユリアナ個人の考えでは自動車の輸入は歓迎だという。
「とまぁ、ここら辺は誰もが知る表の顔って感じだな。で、裏の顔なんだが、シャル」
「シェビーバンとステージE190だね。この子だとちょっと辛いかな~」
ミラー越しに後ろを確認するシャルの目付きは真剣なものだった。
ミウも後ろを確認してみれば、黒いSUVとセダンが一定の距離を保ってついてきている。
先ほどからスピードに変化を持たせていたのは備考かどうか確認していたのだろう。
「やれやれだぜ。ミウ、奴らは裏の顔の一つだ。いわゆるチンピラって奴だな。さっそく腕を見せてもらう機会になりそうだぜ。エリック、近くで迎撃に適した場所は?」
「次でモーターウェイを降りて東に4ブロック進んだ先に、移転して解体待ちの廃工場があります」
ナビシートで手帳サイズの地図を開いていたエリックが答える。こういう状況に備えて廃工場を調べていたのだろうか。返答が早かった。
「よし上々だ。シャル、飛ばせ飛ばせぇ!」
「りょーかい!」
シャルはチェンジレバーでレンジを変えてギヤを落とし、ガスペダルを踏みこんだ。エンジンが唸り、タイヤを軋ませながら加速する。
モーターウェイを走る他の車を、まるで間を縫うように追い抜くたびにボディが右へ左へとシーソーよろしく揺れ、タイヤが悲鳴を上げる。
それでも構わずペダルを床まで踏み抜くシャル。その目に映るモノは、ミウの記憶にも存在していた。
自分の位置を把握し、周りの状況も把握し、いくつもの走行ラインを描いてストックする。
そうすれば、突然目の前に車線変更した車が現れたとしても変更できるラインを常に想定する。ストリートレーサー独特の目の使い方だ。
モーターウェイを降りると同時にボディが横を向く。タイヤの盛大な悲鳴と荒ぶるエキゾーストノートの調和はドリフティングとも言われる。初めにシャル自身が言ったように乗り心地を求めた遅いクルマであるが、シャルのドライビングによって追跡車との差が開き始めている。
一番内側を通るタイヤが交差点の縁石を舐めるように曲がり切ると、横Gが縦Gに変わって加速姿勢に移る。このコーナリングだけでもシャルの腕は相当なものだと理解できる。
追手の2台の様子を見れば、相当に慌てている走りになっている。舵角は大きいし無駄に加減速が多い。
「しゃちょー、この子死ぬほど遅いからやっぱブロアーとレーシングサスペンション付けちゃダメ?」
「ブロアーはともかく、コンペサスは乗り心地が悪くなるから却下だ。ランチにありつく前に腹ン中全部出しちまう」
ドアとルーフのアシストグリップに捕まって身体を押さえつつも、案外余裕そうなユリアナである。
直ぐに廃工場に到着する。
錆びた鉄骨に乱雑に散らばった資材や残ったレンガの壁は身を隠すのに十分で、何より人がいない。廃工場は戦場を展開するのに最適である。
壁のスプレーアートまで戦場の雰囲気をさらに高める。サイドターンでレンガの壁際に止まったタウンリーからシャル以外が降りた。
「ミウ、うちの国の技術の一端を今から見せてやる。これが魔道具の力ってやつだぜ」
ユリアナとエリックは右手に付けている銀色のブレスレットを軽く撫でた。
するとブレスレットに回路のような模様が浮かび、その真上の空間がゆがんだように捻じれる。次の瞬間にはバチバチと音を立てながら何かが出てきた。
「ウェポンホールシステムだ。所有者の魔力紋の登録とそいつに合わせたセッティングが必要なんだが、武器を亜空間に簡単に携帯できるし、紛失してもペアリングさえしていれば戻ってくるスグレモノだぜ。難点は値段がけっこう張るし、あまり大きなものには使えねぇ」
ユリアナの手には銃剣のついた銃身の長いライフルが握られていた。いや、むしろライフルのついた刀剣と言うべきだろうか、デザインは刀剣として使うことに重きを置いているようだ。
グリップは銃身に対して角度が浅く、金属製のストックは柄のように細いが、しっかり肩うちができるように先端は広がっている。トリガーの上あたりに銀色の丸い石がはめ込まれていて、そこから回路が伸びるような彫刻が施されている。
対してエリックは、金属でできたガントレットだった。
ひじから指先まで覆うデザインは防具というより拳で戦うことを念頭に置いているようだ。手の甲の部分に水色の石がはめ込まれており、やはりそこから回路のように彫刻が刻まれている。
亜空間から出てきてから手に持つまでの短い時間で解析してみたミウである。戦場に於いて何事も状況をできるだけ把握するのは生き残るコツだ。武器から大体の戦闘スタイルを把握することで連携にある程度は合わせることができる。
「ボス、奴らが来たぞ」
タイヤのスキール音とエンジンのうなる音が近づいてきた。きっちり二台分だ。
「ミウ、お前さんがどれほど動けるか把握しておきてぇんだが、相手はしがないチンピラだ。面倒なことはあたしがケツを持つ。いけるか?」
「その程度なら問題ない。それで、殺せばいいのか?」
「いや、いちおう話を聞きてぇからな。何人かは生かしておいてくれ。もちろん、危なくなったら手を貸してやるよ」
ユリアナはデニムのポケットから紙の箱を取り出しふたを開けて中身を口にくわえた。フィルターの辺りに赤とピンクの細いラインが入ったタバコに、手のひらに収まる大きさの鈍いねずみ色をした着火具で火をつけた。
「ならば早速、助けると思ってそいつを一本くれないか?」
ミウが出した手にタバコの箱と着火具が置かれる。ユリアナは同じ喫煙仲間を見つけたとばかりに笑顔である。
一本でよかったんだが、と思いながらミウは箱から直接タバコを咥えて着火具のローターを回した。
火花が飛んで火が灯る。息を軽く吸いながらタバコを近づければ火が移る。肺に入ってきた紫煙をためてから吐き出し、箱と着火具はユリアナに返した。
「貴様ら、イージスの連中だろう。ウチのシノギをつぶしてくれた礼を伝えに来たぜ」
次々と車から降りてくる男たち。服装は統一感がなく、共通点は種族がヒューマンであることのみ。
その中でもリーダー格と思われる、赤毛の若い男が前に出てきた。その手には黒い刀身の両刃の長剣が握られていた。
ほかの面々も剣やらナイフやら、やたらと刃物ばかりを持っている。
「そいつぁご苦労さん。無ェ脳みそを多少回したみてぇだが、結局わかってて引いちまったのはジョーカーってわけだ。同情すら湧かねぇおめでたい連中だぜ。ミウ、最低限の確認は取れた。許可するぜ」
ユリアナの言葉を聞いたミウはタバコを咥えた口から紫煙を吐き出すと、ホルスターから愛銃を抜いて右手で構えると同時にハーフコックにしていたハンマーを起こした。
工場内に響いてこだまする重厚な銃声。周りの動揺を一瞬でも奪う一発はリーダー格の赤毛の右肩を貫く。飛び出た薬莢が落ちる前にミウは姿勢を低く落とし、敵との距離を一気に詰める。
敵のチンピラは合計5人。リーダーの赤毛も傷は浅い。45口径の弾頭は届いてはいるが、なにかに守られているような感じだ。
一人が接近してきたミウに剣を振り下ろしてくるが、半身になって避けて腹に直に鉛弾をご馳走してやる。前に倒れる彼の胸倉を空いている左手で掴み後ろに回り込みながら前に突き出す。
そのせいで彼は新たに背後から飛んできた火の玉を正面から食らう羽目になった。何かに守られているようでやはり傷は浅いが、うめき声を上げるだけのダメージは受けているようだ。
仲間に火の玉を当ててしまった男二人は利き腕側の肩に鉛弾を食らい、それぞれの武器が薬莢とともに落ちた。
そのうちの一人はミウが突き飛ばしたヒューマンシールドに巻き込まれて倒れ、残ったもう一人は首に腕を回され新たなヒューマンシールドにされた。
残り一人。ここまで一瞬の出来事のようだった。口にくわえたタバコの灰がヒューマンシールドにされた男の肩に落ちる。
初めに負傷したリーダーの赤毛は血が止まらない肩を抱えて何とか起き上がるも、残り二人はただうめくだけで起き上がれない。
一瞬の静寂。それを突き破るように、ミウはトリガーを引いた。薬莢が落ちるのとリーダーの赤毛が倒れるのは同時だった。
やはり何かに阻まれるように弾頭の持つ運動エネルギーが減衰され傷は浅い。貫通力の高いフルメタルジャケットとは言え、いつもならもっと出血してもおかしくはない。45口径でも肩くらいならすぐ貫通しそうなものだ。
怯えて剣を構えたまま動けない、一番若そうな残り一人を少し観察する。タバコの灰がまた落ちた。
首にかかるペンダントが目に入る。透明なカバーの下に宝石のような石がはめ込まれて回路を形成しているように見えた。
試しに売ってみると、それが何やら起動したように回路がほのかに光、脚を打ち抜いたころには消えていた。
「いやはや、予想以上だったぜ。あたしの目と勘は間違っちゃいなかったワケだな」
ユリアナが銃剣を肩に乗せ、頬を釣り上げて見せた。紫煙が口から洩れている。
エリックとシャルが武装解除させたチンピラの手首をインシュロックで捕縛する。何かと使えるので車に常に積んでいるらしい。
ミウがヒューマンシールドにしていた男は既に絞め落とされていたので、その場に転がしておいた。
ユリアナから何かを投げ渡される。最後まで何とか立っていた若い男が首から提げていた例のペンダントだった。
カバーを開けてよく見てみると、はめ込まれた石をつないで回路を形成するように溝が彫られている。
「そういつはMCAユニットってシロモンでな。今時の戦闘の必需品って奴だぜ」
ユリアナはタバコをふかしながら詳しく説明してくれる。
MCAユニット。正式にはマナ・サーキット・アームズ・ユニットと言い、魔力紋を測定して得られた魔力適正をもとにチューニングして回路を作り、そこに大気中の魔素を変換して魔法を発生させる事ができる魔石をセットして、より効率的に魔法を行使するための武器の一つである。
いわゆる火の玉をぶつけたり圧縮空気で刃を形成したりするような攻撃魔法から身を守る障壁を展開したり身体能力を上げたりする補助魔法など、戦闘で使う魔法をひっくるめた戦闘魔法を魔石単体より数十倍効率的に行使できるため、今や戦闘には欠かせない代物のようだ。
魔力紋をもとにチューニングする関係で個人の魔法適正によっては得手不得手がどうしても出てくるが、このMCAユニットの優れた点は魔法適性がなくとも身体能力重視に振ることができること。人が体を動かすときに現れる魔力の動きを元に補助をしているらしいが、詳しくはユリアナも覚えていないらしい。
また、ほかの魔石を使った武器よりも大気中の魔素の変換効率が高く、魔石を複数組み合わせることができるので様々な状況や作戦にも対応できる汎用性も持っている。
難点としては、魔石は専用に精製したものでないと効果が発揮せず、且つ起動させながら魔石の入れ替えはできないこと。
だが、軍や戦闘を生業とした民間を中心に普及しているため、専用魔石の入手性は悪くない。戦闘前にしっかり準備しておけば、後者のデメリットも大したことはない。
「とまぁ、今となってはこの帝国での戦闘の必需品さ。こんなチンピラでさえ持っている位にな。それ抜きで圧倒したお前には正直、驚いた。猫にケツを蹴り飛ばされた気分だぜ。さて、と」
ユリアナのよくわからない例えはともかく、どうやら全員の捕縛が終わったらしい。その過程で各人のMCAユニットは没収になったようだ。今や彼らはただのヒューマンである。
「拷問するにこんな場所じゃあ大っぴらにゃ出来ねぇ。悪いことをしてますって大声で喚くようなもんだしな。だから、これからやるのはただの答え合わせだぜ」
意識を取り戻したリーダーの赤毛の前にユリアナはしゃがみ、彼の髪の毛を手荒に掴んで無理やり顔を上げさせた。
ユリアナの琥珀色の瞳がまっすぐに男の碧眼を見据える。男の視線がわずかに泳いだ。
「てめぇの親はユグドラシルのエルドラドだろ?」
低音の利いた声は皇女としてではなく、陸軍少佐としての声なのだろう。一般人ならすくみ上りそうな、腹の底から震えてしまうような声だった。
「あのクソ下らねぇプライドを掲げてスカした態度を崩さねぇクソッタレだな。恨むなら、お前と奴のおつむの悪さを恨みな」
彼の背後の壁に突き飛ばすように頭から手を放す。汚れたものでも触っていたように両手をたたいて払う。
「奴は何も話してないが?」
そばで見ていたミウの疑問も最もである。彼は目を見開いたまま一切しゃべっていなかった。
だがそれでもユリアナは答えを確信したように見えたのだ。まるで考えを読み取ったように。
「さっきも言ったが、今回は答え合わせみてぇなもんだからな。目の動きと瞳孔の開き具合で正解かどうかってのは大体わかるもんだぜ。半分カマかけみてぇなもんだったがな」
ミウは納得がいった。確か、嘘をつくときや隠したいことがあるときに目がつい動いてしまうという話を聞いたことがある。
それを理解して読み取ったのだろう。下手に拷問するより効率的で安上がりだ。
「それより、MCAユニット無しでの戦闘の集中力や体裁きは見事なもんだぜ。その短いスカートでよく戦えるもんだ」
「下着が見えるからって恥ずかしがって死ぬよりマシだろう?」
「違いねぇ」
ユリアナはすっかり短くなったタバコを革で装飾された携帯式の灰皿に押し込むと、満足したように頬を釣り上げた。
「よし撤収だ。こいつらは治安捜査局に連絡して回収してもらおうぜ」
ミウもユリアナからこれに入れろと言わんばかりに差し出された携帯灰皿に短くなったタバコをねじ込んだ。
治安捜査局とは帝国内の治安維持や犯罪の取り締まりを行う組織で、税金で運営されている。
普段はパトロールや市民からの通報で犯罪者の捕縛や制圧、事件の捜査などを行う。
通報さえすれば犯罪者の回収を無料で行ってくれる掃除屋として扱っているのはユリアナだけである。先方には皇女に武器を向けたと本人が通報済みなので、証拠などがなくても連行してくれるだろう。
よってこの場から離れても問題は無い。
「ま、表の治安維持組織としてみればいいさ。チンピラ相手なら十二分に働いてくれるぜ」
シャルの運転するタウンリーのリヤシートでユリアナが説明する。
窓の外をゆったりと流れるビル群を眺めながら、ミウは注意すべき対象の枠に治安捜査局を入れた。皇女の後ろ盾があるとはいえ、時と場合によっては敵対するときもあるだろうと容易に想像できた。
とりあえず、予定外の事案が発生したので、レストランへと向かわずにミウがこれか暮らす宿舎へと向かっている。
どうやらデリバリーを頼んだらしく、太いアンテナの付いた、片手で何とか持てるくらいの大きさの通信機をユリアナはシートに置いたカバンにしまい込む。
スムーズに流れる街道を進み、小さな工房や店舗が立ち並ぶ街区にたどり着く。
そこそこ人通りもあり、きれいに整備された道はバンやトラックが行き交う。
大きな川を挟んだ堤防間を渡る橋の手前で川沿いの道に曲がり、少し進んで堤防の下に坂を降りていく。
「今日からここに住んでもらうぜ。詳しくは家主とシャルに聞いてくれや」
ミウは停車したタウンリーから降りた。
まず目に入ったのは、車が数台ほど止められるスペースを確保しながら木の柵で覆われたガレージだ。
隣の敷地の三階建てアパートの二階天井まで届く切妻屋根のガレージはレンガ造りでシャッターを備える、まるで整備工場のような大きさだ。
そこに併設されている二階建ての建物は住居スペースらしく、広めの一戸建てのような雰囲気だ。こちらもレンガ造りでそれなりに年季が入っているが、それがいい味を出している。
二つの建物を見比べると、もともとは住み込みで働く工場だったのだろうか。今は立派な住居とガレージとして使命を全うしている。
「いい場所じゃないか」
「ふふーん。でしょ?」
ミウのつぶやきにシャルが笑顔を浮かべて答えた。
「会社の車とか仲間の車の整備やカスタムなんかもここでやってんだ。そこらへんはウチの専属メカニックであるシャルに一任してるぜ」
そう言ってユリアナはタウンリーの運転席に腰を移し、ドアを閉めた。窓を開けてミウにタバコの箱を投げ渡す。
「それはやる。あたしとエリックは野暮用で出るからな。って事でシャル、あとは頼んだぜ」
「りょーかいっ、任された!」
シャルが元気あふれる素人っぽい敬礼をすると、ユリアナの運転するタウンリーは川沿いの道へと姿を消した。
タバコをダウンジャケットのポケットにしまったミウはテンションの高いシャルに手を引かれ、玄関へと向かった。緑色の両開きのドアがそんな二人を出迎えていた。
「邪魔するぜ。エルドラドの旦那よぉ」
ユリアナに乱暴に蹴り開けられたドアは蝶番が外れかけ、もはやドアとしての役目を成していなかった。
暗いだけの青い照明とビリヤード台のこじんまりとしたバーカウンターにはバーテンダーはおらず、ただただウィスキーのボトルが並ぶのみ。
奥のソファにふんぞり返りながら葉巻をくゆらすスーツ姿の男は不満げな表情を隠そうとすらしなかった。
「邪魔すんなら帰ってくれや姫さんよ。アポなしの訪問はお断りだ。こちとら仕事が溜まって忙しいんだよ」
整えられたあごひげを弄びながらユグドラシルの幹部、エルドラドはそう答えた。
50歳近いというのに眼光の鋭さはカタギの人間を震わせるだけの迫力を持っていた。
しかし、ユリアナは臆するどころか楽し気に頬を釣り上げ、愛用の銃剣を肩に乗せていた。
その剣先には鮮血が滴り、銃口からは煙が上がっている。
後ろに控えるエリックもガントレットには返り血が付着していた。
「アガリが下がっているのに人も少ないからってそう邪険にすんなよ。今日は挨拶に来られたもんで、そのお礼参りってやつだぜ。てめぇがボケたか知らねぇが、若ェ連中に道理ってのを教えてねぇのか?」
エルドラドが脚を載せているテーブルにユリアナも足を叩き上げた。木製のテーブルがミシリと悲鳴を上げる。
「知らねぇな。本当にうちの構成員なのか怪しいな」
威圧を込めたエルドラドの視線がユリアナを射ぬかんと向けられる。しかし、ユリアナは厭らしくも楽しげな表情を崩さない。
「テメェの組員かどうかなんざ、今はどうでも良いんだよ。ンなもん少し調べりゃわかるこった。テメェが買い込んでる武器やらヤクやらも全てな。それよりも、このあたしがテメェんとこの組員を騙る連中に襲われた事実がよっぽど大事なんだぜ。わかるか?」
エルドラドの眼光がさらに鋭くなる。ユリアナが何を言わんとしているのか察しがついている顔だ。
お前のしたことは何から何まで知っている。最後の祈りは済んだか?
札束を数えていた指が止まる。
「ヤクのシノギに手ぇ出した時、カタギの連中にまで巻き込んだ時に言ったはずだよな?」
首元に銃剣の刃先が突きつけられる。机下の暗記には気づかれていないはずだ。そっと手を添える。
「三度目はねぇぞってな」
机が倒れ、札束がバラバラになって舞う。銃剣の刃先も天井に向いた。取った。
だがついていたはずの勝負はユリアナがどこからか出したナイフでいとも容易く防がれていた。床に刺さるエルドラドの短剣が何よりの証拠だ。
「分水嶺は既に超えちまってんだ。私が来なくても、荒事専門部隊の手綱は切られる。結末はどう足掻いても変わりようがねぇんだよ」
「ちっ……。億万長者の名は伊達じゃねぇってか。俺を殺してシマを奪っちまえばユグドラシルファミリーの連中が黙っちゃいねぇ。夜道には気を付けるんだな」
エルドラドはこれ以上、言葉を発することができなかった。
彼が最後に見たのは、頭と永遠に離れ離れとなった自分の胴体だった。
力が抜けソファからだらんと垂れ下がる手と吹き出す鮮血。刃に付着した返り血を振り払い、ユリアナは銃剣を肩に担いだ。
「んな言葉、聞き飽きてんだよ。死体置き場に困るくらい積み上がってるぜ」
冷めた目で死体を一瞥し、後ろで控えるエリックに振り向いた。
「ユグドラシルの幹部連中に警告を出せ。絞首台に乗りたきゃいつでも相手になるってな」
懐から新たなタバコの箱を取り出して一本咥えた。銃剣を亜空間に送って代わりに懐から着火具を取り出す。
「後継はマスカレードのダン・クーパーだ。色街の事なら奴の右に出る者はいねぇ。玉座で胡坐をかいていたエルドラドよりもな」
「了解です、ボス」
二人は部屋を後にした。数分後にこの建物は炎で包まれることを知っていたからだった。
賭博場を兼ねていた事務所にはユグドラシルの構成員しかいない。何も知らないカタギの従業員はヘッドハンティング済み。
全てを見込んでいたユリアナの仕込みであった。