01
勘重い瞼がようやく開いた。
真っ白な天井、吊るされたレールと真っ白なカーテンが周りを囲っている。薬品っぽい独特の臭いは病院だろう。少々固いベッドなので間違いない。
着ている服もゆったりとした薄いピンクの入院用の服だった。そういえば初めて着る。
「あら、起きたのね。お寝坊さん」
上体を起こしてハスキーながらも穏やかな声のした方を見ると、銀色のロングヘアに白い肌、真っ赤な瞳を持つ20代後半くらいの女性がそこに立っていた。初めて会うはずだが、その綺麗に整った顔はなぜか見覚えのある顔だった。
黒のブラウスとスキニーデニムの上から白衣を着ているので、医者なのだろうか。どこか気品と知性を感じる雰囲気だ。
「私はアルヴィナ・セアラ・ヴィシュニャコヴァ。セアラ記念病院の院長よ。でも専門は治療じゃなくて研究。最も得意なことは金もうけだけどね」
悪戯っぽい笑みを浮かべながらアルヴィナは言い、手に持っていたバインダーを構え、琥珀色の万年筆を白衣の胸ポケットから取り出した。
「まずは落ち着いて。自分の名前と年齢を答えられるかしら?」
言われたとおりに落ち着いて記憶を掘り返す。
「ミウ・クロウズ。20歳」
「職業は?」
「……傭兵」
名前と年齢はすんなりと出たが、職業は霧がかかったような感覚で、なんとか思い出せた。
「起きる前の記憶は?」
「……直前が全く思い出せない。その前も曖昧だ」
こちらは霞がかかったとか記憶を思い出すのに支障をきたすとかそんな物騒な話ではない。
まるで初めからその記憶など存在しないような感覚だった。酒を飲んで気づいたらベッドの上だったような感じだ。
「良いわ。思い出せる範囲で教えて頂戴」
ミウは頷く。アルヴィナからの補助も受けつつ、記憶を整理する。
少なくとも、こちらに亡命するために森の中の国境を超えたあたりまでは覚えていた。
しかし、その後がどうしても思い出せない。倒れた記憶もないし、襲われるような記憶もなかった。
亡命の理由はと言うと、それもハッキリとは思い出せなかった。
半ば強制的に所属させられていた部隊が壊滅したとか、そんな理由だった気がする。その部隊には良い印象が全くないのは覚えていた。
「OK。わかったわ。あなたの持っていた識別タグとも一致するし、身体も悪くなさそうだし概ね問題はないわね。ねぇ、皇女サマ?」
アルヴィナが万年筆を胸ポケットに戻すと、一人の女性が現れた。
シルバーブロンドにブロンドのメッシュが入ったセミロングの髪と、まるで人形がそのまま大人になったような端正な顔つき。
そのまま髪をハーフアップにしてドレスを着ていても違和感はないだろうが、今の服装は大分ラフだ。
薄くてほんのり透ける半そでブラウスの下は薄いピンク色のキャミソール、ボトムは色落ちしたダメージデニム。
そんな格好でも姿勢や雰囲気で高貴さは隠しきれないようだ。ミウは政治家だとか大企業のCEOだとかそういった類の人間と同じ匂いを感じた。実際、アルヴィナから皇女とか呼ばれていた。
しかしそんな考えは彼女が口を開いた瞬間に崩れ去った。
「目が覚めたようで何よりだぜ、眠り姫さんよ。あんたを見つけた時はマジで死んでると思ったんだぜ?」
確か、アルヴィナは彼女のことを皇女とか言ってなかったか?
聞き間違いかと思ってアルヴィナを見ると、こめかみに手を当ててため息をしていた。その様子から見るに、どうやら本当の皇女サマらしい。
「あたしの名はユリアナ・イーリス・スクーデリア。スクーデリア帝国皇帝の長女っつー、なんか皇族に名を連ねて、帝国陸軍少佐とかって軍にも籍を無理やり置かされている哀れな女だぜ」
「ユリアナ、悲劇のヒロインを自称するのはいいけど、31歳にもなってそのバカっぽい口調はどうかと思うわよ?」
「若作りしているババアには言われたくないぜ。若い男の血が入った輸血パックはココには無いぜ?」
呆れて口調をたしなめるアルヴィナとそれに反論する皇女殿下。
自らを学が無いと自覚しているミウだが、皇族は偉いというのは分かる。しかし、フランクすぎる。
「こっちに言い返す前に話を進めなさいな」
アルヴィナに言われて、皇女サマは思い出したようにこちらに向き直る。
「おっと悪い。あんたを見つけたのは民間警備会社イージスの社員だ。んでそのCEOのあたしが連絡を受けて自ら救出したわけだ」
どうやら皇女殿下は命の恩人らしい。素直に礼を言った。
「その程度、気にするな。流石に夜中の森と言えど、あのダウンは目立つよな。そのおかげでお前さんをすぐに見つけることができたわけだが、アレはお前さんのモンで間違いねぇだろ?」
皇女殿下が親指で後ろの壁を指さす。
白のダウンジャケット。少しヤレは出ているが、間違いなくミウのモノだ。頷いて答える。
手に入れた経緯は覚えていないが、すごく大事な物というのは覚えている。その隣に革のホルスターごと釣り下がった愛銃の次くらいに。
「それで、密入国者の私は何をすればいい?」
「そう焦るな。あのダウンだって洗濯してまだ乾いちゃいねぇ。そもそも逮捕だとか拘束だとかする気もねぇ。山賊になる気は無かったんだろ?」
ミウが頷いたのを見てユリアナは笑みを浮かべる。その屈託のなさそうなフリをして裏しかない笑みをこれほど見事に決める人物も少ないだろう。
「何を考えているのよ。あんたの事だから悪い事にはならないだろうし協力はするけど」
アルヴィナは呆れた表情を隠そうとしない。バインダーを持った手を腰に当てている。
「なぁに、コイツはあたしが欲しかった人材だ。手に入れるためにちょいと骨を折るだけさ」
皇女殿下はこちらに向き直り、デニムに突っ込んでいた右手を差し出してきた。
「ミウ・クロウズ。民間警備会社イージスの社員として来てくれ。異議は認めねぇ。オマケでこの国の国民にしてやる。対価は給料と住む場所、そして娯楽と友人になりそうな同僚だ」
「ああ。断る理由はない。よろしく頼む」
ミウは迷わずその手を握った。元居たクソの上よりもはるかに好条件なのだ。身寄りもないのでこの申し出はありがたく、受けない理由がない。
「よしきた。国の情勢は少々アレだが、退屈はさせねぇ。こっちの準備もあるから、とりあえず今は休め。体力の回復が先だぜ。な、ドクター?」
「あんたからドクターとか言われると寒気がするわ。まあ、いいでしょう。後遺症があるわけでないし、明日には退院しても構わないわ」
「そういうこった。明日の昼前に迎えにくるぜ。またな」
握っていた手を放し、ひらひらと振ってユリアナはカーテンの外に出た。
「私も失礼するわ・何かあったら壁のスイッチを押してちょうだい。すぐに来るわ」
アルヴィナも人好きのする笑みを向けて、カーテンをゆっくり閉めた。
代わりに訪れたのは離れていく二つの足音、その後に静寂。ここまで落ち着けたのはいつぶりだろうか。
「ゆっくりするのも悪くない、か」
ミウはそう呟いてベッドに寝転んだ。することは無いが、眠気はあった。
柔らかい枕が頭を包み込むと、目を閉じた。夢でないことを秘かに祈りながら。
「イモータル?」
院長室に応接用として置かれた革のソファにドカッと腰を下ろしたユリアナは、アルヴィナから発せられた気になる単語を復唱した。
気と金属をうまく組み合わせ、黒と灰色を基調としたシックな雰囲気の院長室は、部屋の主であるアルヴィナの落ち着いた性格を表しているようだった。
「そうよ。私と同じ不死者よ」
この魔法で発展してきたこの世界にはまだまだ解明されていない事象がいくつも存在する。故にそれを解き明かそうとする研究者と呼ばれる人種が存在する。
自身が不死者であり、その研究の第一人者でもあるアルヴィナのいう事だ。このことに関して世界で最も有力な発言が出来ると言っても過言ではないだろう。
「でもイモータルの特徴、つまりあんたみたいに肌は白くねぇし頭髪も白じゃなくて真逆の黒だ。羨ましいくらいに芯のある直毛だ。下の方は縮れていたがな」
「けが人とはいえ、人の股を見てそれを口にするのはやめなさい」
アルヴィナはため息をした。バーカウンターに配置してある、魔石を使った冷蔵庫から何やら緑の液体を取り出した。
「何よ、緑黄色野菜と蜂蜜を混ぜたドリンクよ。悪い?」
ユリアナの怪訝そうな目がばれたのか、少し不機嫌そうにドリンクを口に付ける。
「悪いとは言っちゃいねぇさ。マズそうだとは思っちゃいるが。で、アイツがイモータルってマジなのか?」
彼女は本当に不機嫌になってるわけじゃないし、ユリアナも冗談のつもりだ。
「あの子は後天性ね。イモータルになる前の容姿がそのまま引き継がれるの。対して私は先天性。つまり、生まれた時から不死者。だから肌の色素は薄いし、毛髪も色を持たない。瞳も血管が透けて赤い」
アルヴィナはドリンクを持って自分のオフィスのチェアに座る。その1クォート(約950cc)を飲み切るつもりだろうかとユリアナは思う。
「細胞の安定性は後天性の方があるから、生活は普通にできるわ。仕事にも支障は無し。ただ、魔力を使って細胞組織を維持しているようなもんだから、あんたが得意な魔法石を使った戦闘魔法とかの適性が絶望的になるのと、成人してれば私のように永遠に不変なだけ」
魔石を使った魔道具が一般的になった今、戦いにおいても魔道具を使った武器の使用はむしろ顕著だ。戦略よりも個の戦闘能力に比重が傾くくらいは。
それの適正、つまり効率よく魔道具を使うための才能の面で圧倒的に不利になるという事だ。
日常生活で使われる魔道具については誰もが扱えるように設計、調整されているので使用に問題はない。
「それに貴方も見たはずよ。千切れた脚ともげかけた首が魔素を集めて再生されたのを」
「……そうだった。実際に見るのは初めてだったが、ショックですっかり頭から飛んでたぜ」
瞼の裏に浮かぶあまりにもショッキングな光景。獣に食い荒らされたであろうバラバラ死体が実は生きていて、大気中の魔素を集めて自己再生される様子だ。
アルヴィナははケラケラと笑う。
「後天的な不死者になる要因はまだ掴めていないし、絶対的な数も少ないからサンプル不足で仕方ないわ。それよりも私は貴方があっさりと身内に引き込んだのが驚きだわ」
身内、つまりユリアナの会社の社員にスカウトしたことだ。
民間警備会社とか言ったが、やっていることは民間軍事会社や傭兵派遣会社に近い。
つまり、何事も無いように祈るよりも、積極的に何事も無いようにする方が得意なのである。
「どれだけ使えるかも分からないのに。事実、死体になってたわけだし」
「確かに、その疑問は最もだぜ。ただコレばかりはアタシの学が無ェばかりに説明するのは難しいんだ。強いて言えば、勘って奴だな。いまどき火薬式の銃を使っている点も含めてな」
銃を武器とするならば威力や追加効果も調整可能な、魔石を組み込んだ魔導銃が昨今の主流である。クラシックな構造でかさばって運用も難しい火薬内封式の弾丸を使ったハンドガンを使い続ける理由が知りたかったのかもしれない。
あるいは、死体になったとしてもなお、たった一人でこの帝国に亡命してきた理由を教えて欲しかったのかもしれない。
その二つとも理由であるという説が濃厚そうだが自分でもよく分かっておらず、まるで途中の式は分からないが答えは分かっているような状況なので口には出さない。
「士官学校主席卒業しておいて学がないなんて、どの口が言うのかしら」
「砂糖多めのコーヒーが好きなこの口だな」
「はいはい。そこにあるから勝手に淹れて好きに飲んで良いわよ」
アルヴィナの指さす先のバーカウンターにインスタントコーヒーがあった。そこら辺の店で普通に買える普通のコーヒーだ。
「おっ、悪いな」
悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべながら、ユリアナはソファから立ち上がってコーヒーを淹れ始めた。コーヒー豆のいい香りが部屋に漂い始める。
「しかしあいつ、童顔に見えたがよく見ればかなり大人っぽい顔つきだな。でも目元は年相応の女子だぜ。まつ毛も長いし、しっかり瞼を開ければ目も大きいし可愛いんじゃねぇの?」
「そこには同意するわ。ただ、無意識に目付きを鋭く見せる癖がついているから、内心はコンプレックスだと思うわよ?」
「じゃあ一つ、賭けをしようぜ。着替えを渡したときにサングラスも忍ばせておく。そいつで目元を隠さないにベット。20ダーラだ」
「レイズ。隠すに40ダーラ。美味しそうな肉の料理を出す店を見つけたの」
「わぁったよ。コールだ」
二人は賭けが成立したようで、紙幣をテーブルに出しながら悪戯っぽい笑みを互いに浮かべた。