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元聖女アイリスの反乱⑧

 ♢♢♢ ♢♢♢ ♢♢♢


 やらかした。

 朝、寝台から上半身を起こすなり、私は自分の愚かさを呪った。


「うわ〜。頭が痛い……」


 ガンガンと頭痛がして、吐き気を催すレベルで胸のムカつきがある。体が非常に重たく、怠くて立っていられる気がしない。

 完全に、飲みすぎた。  

 昨夜は久々に王宮の外でマックやシンシアと夕食を共にしたので、楽しくて仕方がなくて、加えてお酒が大変美味しいお店だったのでついたくさん飲んでしまったのだ。

 だが流石に二日酔いで仕事を休むのは、問題がある。今日も一日、妃教育の講義が目白押しなのだ。朝の支度をしなければ、と気合を入れて寝台を降りーー、私はそのまま脱力して床に座り込んでしまった。


「だめだ! 全然行ける気がしない。今日一日、絶対私――使い物にならない」


 座っているのも辛い。少しでも動くと頭の中がぐるぐると回る。今日は休むしかない。

 意を決して寝台に戻り、王太子妃候補の私の身の回りの世話をする侍女が私を起こしに来るまで、死んだように寝台に突っ伏した。




 正直なところ、一日ずっと寝ていられるのは天国だった。


(酒を飲みすぎて休むなんて、大人としてすっごくダメな気がするけれど。でも、たまにはこんな日があってもいいわよね……?)


 寝台の上で大の字になり、思う存分休息を取る。

 サボってしまっているような罪悪感を覚えつつも、心身ともに一日くらいは自分を甘やかしたい気持ちが競り勝つ。

 そうしてのんびりと体を休めていると、飲みすぎた酒の成分がようやく抜けてきたのか、昼にはかなり体調が楽になった。

 起き上がって動いても、頭痛がしない。

 寝台を下りて部屋の片付けでもしようかと伸びをしている私を訪ねてきたのは、ユリシーズだった。

 侍女と現れたユリシーズが部屋に入ってくる前に、慌てて寝台に戻る。

 体調不良が半日でよくなるのは、おかしい。

 二日酔いだとは口が裂けても言えない私は、寝具にくるまって額を右手で押さえた。


「今日は一日ゴロゴロしていて、すみません。風邪をひいたみたいで、頭が割れるように痛いんです」


 実はもう痛くないのに痛いフリをするのは、意外と難しい。今朝まであった痛みを一生懸命思い出しながら、必死の芝居だ。

 枕元まできたユリシーズは、侍女が引いてきてくれた椅子に腰掛けて私を見下ろす。


「謝る必要なんて、全然ない。ここのところ忙しかったし、ゆっくり休んで。欲しいものがあれば、なんでも持ってくるから言って」


 ああ、本当はただの二日酔いなのに申し訳ない。

 こんな情けない私に、ユリシーズが本気で心配して持ち前の優しさを惜しげもなく見せてくれるものだから、こちらは罪悪感と後悔で胸が痛い。


「――私、王太子妃候補失格だわ」


 みっともない自分が嫌になり、思わず呟く。

 何気ない独り言のつもりだったが、ユリシーズは椅子から立ち上がって寝台に腰掛ける。


「何を言ってるんだ。体調不良なんて誰にでもある。完璧な人間なんていないんだから」


 ユリシーズは私の手を握り、もう片方の手で私の額を撫でてくれた。見下ろす彼の茶色の瞳が暖かくて、ジーンと私の胸の奥にまで温もりが広がる。


「それに、その『王太子妃候補』っていう言い方はいまいちだな。なんだか、リーセル以外にも候補が何人かいるみたいに聞こえるから」

「で、殿下。私には殿下だけです」


 ユリシーズの目尻が優しく下がり、彼は柔らかな微笑みを見せた。私が一度目の人性を歩んでいた時から、大好きな笑顔だ。


「うん。私にも君だけだよ、リーセル」


 ユリシーズが上半身を傾け、私の頬に彼の唇が押し当てられる。チュッという音と共にすぐに離され、私達はしばらく見つめあった。

 私の手を握ったユリシーズの手には徐々に力が入っていき、逸らしがたいほど真剣に見下ろす彼の瞳が、意を決したように閉じられ、再び彼の顔が降ってくる。

 唇と唇が重なる寸前に、私は掴まれていた手を払ってどうにか彼の胸を押し返した。


「今はだめです。私の風邪が感染ってしまいますから!」


 本当は風邪ではないのだが。

 自分の名誉のため、そして仮病だとバレてユリシーズをがっかりさせたくなくて、私の中の私が芝居の継続を訴えている。

 ユリシーズは脱力して頭を下げ、私の肩に額を押し付け、うめくように言った。


「風邪が恨めしいよ……。リーセルからの風邪なら喜んで感染ってもいいくらい君が好きだけど、今は政局が厄介だから流石にまずいんだ」


 私は顎先をくすぐるユリシーズの柔らかな髪を撫でながら、聞き返した。


「また何か問題が起きたんですか? 敗戦したサーベルの王が退位した後に新国王が即位して、国際情勢もやっと落ち着いてきたところなのに」


 ユリシーズはゆっくり顔を上げ、溜め息をついて私の髪をなでつけた。


「具合がよくなったら話すよ。まずは安静にして体を第一に考えないと。それにまだ入ったばかりの情報で、正確さに欠けるかもしれないから」

「余計気になって眠れません。大丈夫ですので、何があったのか話してください」


 話すべきか迷ったのか、ユリシーズは左右に忙しなく瞳を動かした後で、私の頭から手を離した。


「……サーベル軍が、怪しい動きを見せているんだ。一部の軍勢が再び集結して、我が国の国境方向に移動しているらしい」


 サーベルはもともとミクノフを侵略しようとしていたはずだ。その矛先を変え、敗戦したというのに今度はレイア相手に、また戦争を起こそうとしているのか。


「もしかして新国王は、戦争を継続させたいのでしょうか?」

「いや、違うと思う。新国王は王太子時代、散々父である先代の国王の戦好きを(いさ)めてきたというから」


 サーベルは軍人が強大な権力を待つ国家だが、前国王はとりわけ血気盛んだった。タチが悪いことに、戦術に長けているわけでもないのに、すぐに戦争をしたがる国王だったのだ。


「じゃあ、国境に向かっている軍勢というのは、誰の指示に従ってるのかしら。まさか新国王に離反して、勝手に誰かが軍隊を動かしているのでしょうか?」

「おそらく、ミクノフとの敗戦後に立場が危うくなった高位の軍人が、独断で戦争を再開しようとしている」

「兵士達も馬鹿じゃないはずです。単身で号令を出せばたくさんの兵達が同調してくれるような人望と、新国王に匹敵するくらい高い地位にある人が、軍勢を率いているんでしょうね」


 ユリシーズはなぜかここで小さく笑った。少しだけ愉快そうに目を躍らせて、私の額を人差し指でそっとつつく。


「伊達に毎日厳しい講義を受けているわけじゃないんだね。私の妃内定者は、なかなか鋭いな」


 褒められてなんだか恥ずかしくなってしまい、掛け布団を顎まで引き上げる。

 私が隠れようとしたのがおかしかったのか、ユリシーズがくすりと小さく笑う。彼は布団から出ている私の頬を指先で撫でながら、話を続けた。


「間違ってもレイアと戦争がまた始まらないように、それからサーベルがこのまま内戦に突入してしまわないように、周辺国には難しい舵取りが迫られているんだ」


 どうやら造反の首謀者はまだ判明していないらしい。

 戦争が終わり、ユリシーズが本来の体を取り戻し、全部順調にいったと思っても、次々と新たな問題が発生していく。


「実は私もちょっと気になる話を聞いたんです。国立魔術学院で私達が最高学年だった時って、一年生にアイリスの遠縁の女子生徒がいたらしいんですが、覚えていますか?」


 水を向けるとユリシーズは首を傾け、思い出そうとするかのように視線を上に向けた。

 顎に手を当て数秒ほど考え込んでから、ユリシーズが真剣な面持ちで口を開く。


「ごめん、学院時代は君しか見ていなかったから。他の学年の女の子は全然覚えていないんだ」

「そ、そうでしたか……」


 本気で申し訳なさそうに言われてしまった。喜ぶべきだろうか。

 私達は顔を見合わせて、どちらからともなく照れたような笑みを浮かべた。

 ユリシーズは私の手に手を重ねた。


「今は余計なことを考えずに、ゆっくりお休み」


 そう言って彼は私の額に優しくキスをしてくれた。


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