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還ってきたユリシーズと私⑥

「急に走り出して、申し訳ありませんでした。誰かに見つかるかと思いまして」

「うん、構わないよ。誰かに引っ張られて走るのは、なかなか新鮮な体験だったからね」

「そ、そうですよね。殿下を引っ張る人なんて、いないですよね。重ね重ねすみません!」


 焦っていたとはいえ、とんでもない無礼を働いたと気がつき、どうしようと自分の両頬を手で押さえる。

 ユリシーズは私に放された代わりとでも言いたげに、今度が彼が私の両手を取った。私の目を真正面から見つめたまま、口を開く。


「できれば、さっきの続きを聞きたいな」

「続き、と仰いますと……」

「『みんな』が私を素敵だと言っているかは、どうでもいいんだ。リーセルは、私をどう思っている?」


 焦ってうるさかった私の鼓動が、今度はユリシーズの質問のせいでまたうるさくなっていく。

 目を逸らして誤魔化して、この場をやり過ごしてしまおうか、とも考えた。けれど私は踏みとどまった。

 ユリシーズはきっと勇気を出して、今私の気持ちを確かめようとしている。ここで安易に逃げるのは卑怯な気がした。王宮夜会の最中に、木の下で出会ってから深めてきた交流を、もっと確実なものにしたいのなら、私も勇気を出さなければいけない。


(言ってしまおうか……? 私の気持ちを、思い切って伝えてもいいのかな……?)


 私は心の中で深呼吸をして、気持ちを落ち着けてから勇気を出して言った。


「殿下は、もちろん……素敵です。レイアで一番どころか、多分大陸で一番素敵な方です」


 ユリシーズの(まなじり)が優しく下がり、薄い唇がゆっくりと弧を描いて綺麗な微笑へと変わる。彼は一度目を閉じ、その後で何度か瞬きをしてから呟いた。


「ありがとう。リーセル……君がとても好きだよ」

「私も殿下がすごく好きです」


 恥ずかしさのあまり、消え入りそうな声で自分の気持ちを伝える。


「初めて君を見た時から、会うたびにもっと、昨日よりも今日の方が、どんどん君を好きになっているんだ」


 天にも舞い上がりそうなほど嬉しい告白にぼうっとしている私を、ユリシーズが引き寄せる。そのまま彼の唇が近づき、私達はどちらからともなくそっと目を閉じて、キスをした。


(――そうだ。あれが、あの頃の私達の初めてのキスだったんだわ)


 どうして忘れていたんだろう。聖女が登場した後の人生が辛過ぎて、一度目の彼との思い出に私は無意識に蓋をしていたのかもしれない。

 もしくは、私がユリシーズに刺された瞬間に砕け散った祖父の思い出の花のペンダントには、回帰する私にすべての記憶を持たせるだけの力がなかったのかもしれない。そもそもユリシーズが発動させた古い魔術である『三賢者の時乞い』において、起爆者は時間の巻き戻りと同時に記憶を失っていたはずなのだから。

 過去を思い出し、大きな溜め息をつく。


 シェルンの銀世界を背景に、目の前に立つユリシーズを改めて見つめる。

 賑やかな雪祭りの只中にいる私達は、あの噴水の後に起こった色んな辛い出来事を乗り越えてきたはずなのに、むしろ二人の関係は遠くなった気さえしてしまう。

 だって今の私達は、キスをすることなんて到底できない。


「私も今、思い出しました。殿下が氷の剣で噴水を凍らせた時のことを仰っているんですよね?」


 ユリシーズはホッとしたように小さく息を吐いた。口元に控えめな微笑みが浮かぶ。


「そうだよ。覚えてくれていて、よかった。ーーずっと不思議だったんだけれど、なぜリーセルは一度目の自分の記憶を持ったまま時が巻き戻ったんだろう?」

「多分、私が投獄された時にバラルから来た祖父がくれた、水の花の術の施されたペンダントのお陰だと思います。祖父は愛という名の思い出を、水に閉じ込めて固形物のようにする術が得意だったんです」


 祖父は私と弟のイーサンのために、私の両親の墓に水の花を咲かせていた。小さな私達が、大きくなった時に両親のことを思い出せるように。


「そうか。私は、いろんな人に助けられてここまで来られたんだな」


 ユリシーズは感慨深そうに目を細めてつぶやいた。

 ユリシーズは屋台の方に視線を送ると、何か吹っ切れたように一転して明るい笑顔で私に言った。


「マックとシンシアのお陰で、せっかく雪祭りに来ているんだ。私達も何か屋台で買って、楽しもう」

「そうですね。賛成です」


 屋台ではスコーンやりんご飴、揚げたパンなど色々な食べ物が売られていたが、特に人気なのはソーセージを挟んだパンのようだった。

 屋台から漂う芳醇な肉の香りと湯気に、つい視線が吸い寄せられる。


「私、あのソーセージ入りのパンを買ってもいいですか?」


 ホテルの部屋を出る時にポケットの中に入れてきた財布を、中から取り出す。

 ユリシーズが屋台を見つめて、不思議そうに言う。


「シェルンのソーセージは随分長いね。しかもパンが小さいから、ソーセージ入りのパンというより、パン付きソーセージじゃないか?」


 たしかに、パンが丸くて手のひらサイズなので、単なるソーセージの持ち手と化している。王都の屋台で売られているものは、ソーセージと同じ長さのパンなのだが。

 王都ではソーセージに何かを塗ったりかけたりする習慣はない。だがここでは細切りのチーズをかけるようで、長いソーセージの端から端まで、チーズが満遍なくかかっている。

 ユリシーズが呟く。


「肉とパンとチーズか。なんだか背徳的な組み合わせだな……」


 十代半ばごろの少年が売り子をしているソーセージ入りパンの屋台に、二人で近づいていく。


「いらっしゃい! お二人さん、祭りといえば、やっぱソーセージっしょ。うちのはピクルスも酢漬けキャベツもたっぷり入ってるよ」


 金髪の少年の顔はマックに似ていないものの、話し方が彼にそっくりだった。同じことを思ったのか、隣にいるユリシーズもちょっと面白そうに笑いを堪えて、口元を歪めている。


「二つくれるかな」とユリシーズが財布を取り出して言う。


「あっ、ちょっとお待ちを。私、自分の分は自分で買いますので。お財布も持ってきていますし」


 ユリシーズのマントを引っ張って彼の注文を制止すると、彼は軽く首を左右に振った。


「いいんだ。これくらいは奢らせて。リーセルだって、ピアランのチョコレートをギディオンに贈ってもらっただろう?」

「あ、あれは……。聖ドヌムの日の、気まぐれな贈り物ですよ」


 ユリシーズの記憶力に感嘆してしまうと同時に、ほんの少しだけ唇を尖らせて不機嫌そうな色を帯びている彼が、とても可愛らしく見える。これはきっと、いや間違いなく彼の焼き餅だ。

 すると私達を見ていた売り子の少年が、私に向かってウィンクをした。


「お姉さん。お兄さんが奢るって言っているんだから、大人しくありがたく、軽い気持ちで受けとっちゃいなって! 人生アレコレ考えすぎると、かえって寄り道しちゃうぜ?」


「って君はいくつなのよ」とツッコミを入れてしまいたくなるような助言を少年からされたものの、なんだか歯を見せてニッと笑って親指を立てる姿が憎めない。

 本当にマックみたいだ……。でも、少年の言うことにも一理ある。


「そうね、ありがとう。私も寄り道はこれ以上したくないわね。素直に奢ってもらうことにするわ」

「そうこなくっちゃ! へい、毎度あり〜」


 両手にソーセージ入りパンを持って私とユリシーズに突き出す少年の笑顔に釣られ、私も笑ってしまった。

 ソーセージは肉汁がたっぷりなのかずっしりと重く、パンを握り潰す勢いで持たないと落としそうなほどだ。

 おまけにパンに挟まれたピクルスと酢漬けキャベツが大量過ぎて、まじまじと観察しながら歩き出す。シェルンの文化に触れたようで、楽しい。

 私は肉汁が飛び散らないよう慎重に齧りながら、ふとユリシーズを見上げた。

 ユリシーズにとっては祭りの食べ物は珍しいのか、戸惑った様子でいろんな角度から観察している。


「――予想外にどっしりしているな。……どう食べるのが正しいんだ?」


 ギディオンが王太子だった頃なら、こんな庶民の食べ物を食べる機会はなかっただろう。考えようによっては貴重な組み合わせだ。

 ユリシーズは周りの客達の食べ方を、チラチラと観察していた。


「なるほど、ソーセージが長いから皆両端から齧りついているね。最後までキャベツをこぼさずに食べ切るのは、至難の業に思えるな」

「こういうのは行儀よく食べようと思わず、食べることだけに集中していいんです。美味しいですよ?」

「なるほど……」


 私の説明にコクコクと頷き、ユリシーズは大きく口を開けてソーセージに齧りついた。


「――冬の寒さに温かいソーセージがありがたいね。今度王宮でも作らせようかな」

「王宮の調理人が驚いてしまいますよ。どこでこんな庶民の食べ物を覚えたのかって」


 一口食べると美味しくて、どんどん食べ勧めてしまう。酢漬けキャベツがこぼれそうなので、左手を皿のようにして構え、大口を開けて食べていく。

 本当に味わって食べる時、人は無言になるものなのか、お互い話すのをやめて夢中で食べていく。

 左手に落ちた一欠片のキャベツまで味わって食べてから顔を上げると、ユリシーズはもう食べ終わっていて、私を見下ろしていた。

 目が合った途端、私達はほとんど同時に笑い出していた。


「でん……じゃなくてユリシーズ! ほっぺたにチーズが付いています!」

「リーセルも口周りがパンくずだらけだ」


 私達はまるで食後の幼児のように顔面を汚して食べていた。

 それがおかしくて、互いの顔を見て笑ってしまう。

 やがてユリシーズはハンカチを取り出し、私の頬をそっと拭いだした。その手つきがとても優しくて、至近距離から私を私を覗き込む目を、時と場を忘れて見入ってしまう。

 伏せ気味の茶色の瞳が、長いまつ毛で隠れている。笑っていた目が落ち着きを取り戻していき、拭き終えた彼は目線を上げて私を見た。

 私もハンカチを取り出し、ゆっくりと手を上げてユリシーズの頰についたチーズの欠片を取ってやった。


「なんだか……不思議な感じがします。こうしているとあの頃に――一度目の自分に戻ったような、でもやっぱりそうじゃなくて初めて、ユリシーズと二人で出かけて遊んでいるような気分になります」


 ユリシーズが左手でそっと私の手を握る。


「不思議だね。私もリーセルと同じように感じるよ」


 死ぬ前の私とユリシーズは恋人だった。

 けれど二度目の国立魔術学院にいたギディオンとは長らく友達という関係で、彼がサーベルに軍隊の一員として行かされる直前に、私達はやっと正直な想いを伝え合ったばかりだ。

 王太子に戻った彼に、ギディオン時代と同じ関係を求めていいのか、分からない。

 でも。それでも。

 今の姿が、本来のユリシーズなのだ。

 何より、二度目の人生ですら、私達の気持ちは変わらなかった。それはとても大事なことだと思う。


「乗り越えないといけないことは、まだたくさんあるけれど、私達は今度こそ大丈夫だ」


 ユリシーズはまるで自分に言い聞かせるようにそう言った。

 私の肩の上に、音もなく雪が舞い降りる。雪の結晶はすぐに儚く消え、空を見上げるとヒラヒラと粉雪が降り始めていた。

 私とユリシーズは無言で雪を見上げた。

 頰に降る雪は冷たいと感じる前に消え、濡れるほどの大きさもない。

 ランプに照らされた銀世界のお祭り会場に降る雪は、幻想的な雰囲気を更に深め、言葉が出ないほど美しい。

 目にする景色の全てが、一度目の人生では見ることがなかった初めてのものだ。

 この景色をユリシーズと共有できることが、何より嬉しい。

 ユリシーズが私の手を引いて歩き出す。


「そろそろ帰ろうか。私がホテルの部屋にいないことがバレないうちに」

「そうですね。騒ぎになる前に戻るのが賢明ですね」


 白い息を吐きマフラーに顎先まで埋めながら、一歩ごとに音が鳴る雪を踏みしめていく。この景色はまるで私の二度目の世界そのもののようだ。

 私はこうして、真っ白な世界に自分の足跡をつけていこう。

 まだ誰も踏んでいない雪の上を歩くように。





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