プロローグ
1人の少女が本を片手に窓を眺めていた。
外からは近くにある学校から、部活動をしている少年少女の声が部屋に響く。
窓に掛けられた白いレースが、声によって驚いているかのように、ゆらゆらと靡いた。
ここは学校近くにある病院だ。
病院といってもあまり大きな場所ではなく、小さ過ぎず想像できる普通の大きさだ。
ーーそんな病院の一室。
そこに、この少女はいたのだった。
「ん……」
少女は静かに固唾を飲み込んだ。
彼女は、病室の中に響き渡る楽しげな少年少女達の声などには耳を傾けず、両手に持っている本に夢中だった。
ペラペラっと本の頁をめくっていく。
彼女の持っている本は堅苦しいような本ではない。むしろ、中学生などが読みそうな小さな単行本、ライトノベルと呼ばれる本だ。
静かに時計の針は流れていく。
すると、病室の扉からノックのような軽い音が聞こえてくる。
「…………」
しかし、彼女は答えることはない。
耳が聞こえない訳ではない。
ただ単に彼女の集中力が、ノック音すらも聴き取れないほどに高まっているのだ。
病室の外からは呆れたようなため息が聞こえると、扉が静かにガラッと音を立て開く。
先ほどのため息を吐いたと思われる少女が、病室に入り、白いベッドの上で本を読んでいる彼女の方へ、ゆっくりと歩み寄る。
そして、少女は本を読む彼女の頭を愛おしい眼差しを向けながら、優しく叩いた。
「いてッ……」
「お姉ちゃん、何で返事しないのよ?」
「あ、紫音来てたの……気づかなかったよ」
紫音と呼ばれる少女は、本を読んでいた彼女とは違い、学校の制服に身を包んでいる。
紫音と彼女の容姿は、目元なども似ており、側から見ても姉妹と分かるほどに。
「お姉ちゃん、はいこれ」
そう言いながら紫音に、彼女に茶の色をした小袋を手渡した。
それを受け取った彼女は、目をキラキラと輝かせ、早速袋の中身を覗き込む。
「ナイス、紫音!」
ガサガサと音を立て袋を漁る。
すると、袋からは透明なビニールに包まれた、単行本のようなものが出てきた。
そこには美少女キャラのような絵が表紙の本が、数えるだけで六冊以上は入っていた。
「おぉ、おぉぉー! これこれ!」
彼女は嬉しそうに体を左右に揺らす。
「お姉ちゃん、前これが気になってるって言ってたから、好きでしょ転生モノ」
「うん! 大好物です!」
涎を垂らしそうな勢いの彼女を見て、紫音は最初は少し頬を引き攣らせるも、その姿を見て嬉しそうに優しく頬を上げた。
早速、彼女は本の周りにあった透明なビニール、力強く引っ張り破こうとする。
しかし、簡単にビニールは破れることなく、逆に彼女の二の腕が震えた。
何度も力を入れて破こうとするが破れない。
「……しおん」
「あー、ごめん。シュリンク取ってなかったね」
彼女は諦めて本を紫音に渡す。
紫音はどこか嬉しそうにしながら、単行本のビニールを次々と破いていった。
そして全てのビニールを破いた後、彼女のベットの近くにあったテーブルに本を置く。
「それで体は大丈夫?」
「ん……今日はぼちぼちかな?」
「……そっか」
紫音は本を読む彼女に視線を向けながら、ゆっくりとベッドの上に腰を下ろす。
彼女の横顔は色白で、他の人が見れば不健康だと思うほどに白かった。それに体の肉も少なく、所々の骨が浮き出て見えた。
「お姉ちゃん、それ面白いよね」
紫音は彼女の持つ本を見ながら言う。
「うん! やっぱり紫音が勧めてくれるラノベに外れはないね! 前、私が買って来てって頼んだラノベは酷かったからね……」
「あー、アレね。アレは酷かった」
「いきなりチート能力手に入れた瞬間、無差別に悪事を働き出したからね! コイツ主人公じゃなく敵だろって思ったよ!」
2人は楽しそうにラノベについて語り合う。
紫音と彼女のどちらもオタクであり、特に彼女は暇さえあればラノベを読んだり、アニメや漫画を見る典型的なオタクだった。
それ故、外に出られなくても彼女は暇じゃなく、いい趣味を持っていると関心を覚える。
それから時間はあっという間に過ぎていった。
気づけば日は落ちており、窓から見える空には小さい星が無数に輝いていた。
「じゃあまた来るね、お姉ちゃん」
「うん。いつもありがとね」
紫音は静かに彼女に向かって手を振る。
彼女も弱々しく手を振り返した。
ーーその日の晩。
彼女の容体は急に悪化した。
担当医師から直ぐに連絡が来る。
紫音は両親と共に車で病院まで大急ぎで向かう。だが、紫音が病院に着いた頃には、大勢の看護師と担当医師が彼女の周りに集まっていた。
「百合! 先生、百合は!?」
緊迫した形相で叫ぶ百合の母親。
そんな母親を近くにいた看護師が宥める。
しかし、その看護師の目に光はなかった。
担当医師は母親の質問に口を紡ぐ。
「お、お姉ちゃん……嘘だよね……?」
「し……音……ご……ね」
紫音はゆっくりと寝ている百合に歩み寄る。
百合は酸素マスクを付けている状態で、雑音にかき消されそうなほど小さい声で囁いた。
ハッキリとは聞こえない。
だが、紫音の心には全て聞こえた。
「紫音、ごめん」と謝っていることを……。
その瞬間、紫音の瞳から俄雨のように涙が、ポツポツと何度も流れ落ちた。
「……ッ! いや、嫌だよお姉ちゃん! な、なんで謝ったりするの……」
「ご……めん……」
泣き噦る紫音。
その傍らで両親も嗚咽を交えながら泣いている。
周りにいた看護師たちは唇を噛み締めながら、そっと百合たちから視線を逸らした。
「し……おん」
「どうしたのお姉ちゃん……」
「一緒に……あそべ……なくて……」
言葉の途中で百合は大きく咳き込んだ。
その様子を見て紫音は悪夢だと思いたかった。ものの数時間前までは元気で一緒にしょうもない話で笑い合っていた姉が、今はこんなにも苦しそうにしている姿を見て……
これは悪夢だ。悪い夢なんだと何度も念じるように、神様に助けてと頼みように呟く。
しかし、神はそんなに優しくはなかった。
百合の目は徐々に光を失っていく。
視界が朧げになっているのか、瞳を何度も左右に動かしていた。
「……………………………………………………」
百合は口元を微かに動かした。
だが、言葉はすでに発せなく、辺りにいた誰もが言葉を聞き取る事は出来なかった。
人間である以上、彼女の言葉や考えている事を理解するのは到底不可能だろう。
そう、無力な脆弱な人間であるのであれば。
彼女はこう言っていた。「お願いします神様。もし、もしも次の人生があるとするなら、妹と一緒に楽しく過ごさせて下さい」と弱々しくも心から願うように……。
そんな彼女の頭の中にはある言葉が浮かび上がる。
『叶えよう』
短い、あまりにも短い言葉。
しかし、彼女にはそれだけで充分だった。
「……あ……とう」
弱々しくも彼女は心から言葉を吐く。
そんな百合の手を紫音が強く握りしめる。
百合は最後の力を振り絞り、百合の頬に手を当て、優しく愛おしく触れた。
百合の手には大量の涙が落ち弾ける。
だが、百合が紫音の頬を触れた後、静かに百合の手がベッドに沈んだ。
ッゥ――――
と不快な音が病室に響き渡った。
「お姉ちゃん!? お姉ちゃんッ!」
紫音の泣き噦る声が響き渡る。
そして彼女、黒木 百合は命を引き取った。
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