第2話 金の少女
どうも。本当は前回と合わせて一話にする予定だったのですが、文字数的に分けました。前回の直後から話しは始まりますので先に一話をお読みいただけると幸いです。まあ一話を飛ばして二話から読み始める人も想像しにくいのですが(笑)
走り去る騒がしい集団を見送った後、人垣の隙間から一瞬見えた詰将棋を解きにかかる。あのボクっ子が言った「二十三手」というのが本当かどうか気になったというのもあるが、情報を集めるためにも手っ取り早く資金を獲得したいという実に現金な理由も大きかった。
……そして更に数分。俺の棋力では早くも限界が来ていた。奇跡的に少女の指摘したブランクという言い訳と、もう少しマシなネーミングはなかったのかという二重の現実逃避へ思考もシフトしている。
最初から挑んでいた人も飽き始めたのか徐々に人も減ってきた。
そろそろ移動するかと固いコンクリートの地面を無意味に蹴り始めたころ、ピロンという正解を告げる音が響いた。滴を落としたように騒めきが広がる。
先程試したところ、WSCにおける詰将棋の回答方法はまず問題を見ていると虚空に「問題を解く」というポップが表示される。そしてそれを押すと手元に小さな詰将棋の表示されたウィンドウが現れるので、それを答えの手順通りに操作するという単純なものだった。そして宝箱は正解すると今の様に正解音が鳴るらしい。
やや距離はあるが正解者であろう白フードで顔を完全に隠したプレイヤーとその周囲の人の会話が聞えてきた。
「それで何手だったんだ?」
「十七手ですよ」
爽やかな少年の声が響く。
……違うんだが、あのボクっ子。やはり適当に言っていたか。
俺は何故か安堵しながらもゆっくりと足を進め始める。無意識にそのまま耳を立てていた。
「あーやっぱりそれであってたのかー。俺も押せばよかったぜ」
空々しい野次馬の発言。一部の将棋指しはこうやって見えを張りたがる傾向にあるが、おそらくその類だろう。このような行為は実際に解けた側からすると努力を否定されたようで不快だがな。
勝手に懐古じみた共感に浸っていると唐突に白フードが笑い出した。
「ふふっ」
「何が可笑しい?」
「十七では無いですよ」
見えを張った男の顔に怒りと焦りが浮かび白フードを睨みつける。
おお。イイ性格をしているな、あいつ。別のゲームなら是非お近づきになりたかった。
「実は二十三手です」
が、続く言葉が発せられた時にその感心は吹き飛んだ。振り返らなかった自分を褒めたたえたいくらいだ。
「……偶然だろ」
それ以上その会話を聞くことに価値を見出せなくなった俺は再度、聖稜館の手がかりを探して歩き始めた。
それにしてもあれほどの棋力の持ち主なら何か知っていたかもしれない。できることならもう一度話したいが……。
「やあ。また会ったね」
はっと振り返れば、思考の中心にいた少女が存在していた。
空々しい声を放ったその薄い唇には悪戯成功、という小悪魔てきな笑みが浮かべられている。
「さっきはありがとう。おかげで無事に逃げ切れたよ」
「気にするな。ちょっと足が滑っただけだ」
「ふーん。じゃあそう言うことにしとく」
迷子の猫でも見つけたように、そう言えば、と少女が訊いてくる。
「こんなところで何してるの?」
気付けば緑の芝生の広がる公園のような場所にきていた。道は赤レンガで舗装されており中央の噴水が奇麗な虹を描いている。
「散歩……だよな?」
「なんで疑問形……?」
頬を撫でる風に金色のツインテールを揺らしながらため息交じりに少女が言う。
そう言えば初対面だったな。なぜかそんな感じがしなかったが。
口調を敬語に切り替えて気になっていたことを確かめる。
「ところで、先ほど追いかけてきた人たちはいいんですか?」
「ああ。彼らは……宗教の勧誘とかストーカーみたいなものだから気にしなくて大丈夫」
……それは大丈夫というのだろうか。
あまり聞かれたくない話だったのか、これでこの話題は終わり、という雰囲気だ。どうやらその読みは当たっていたようで彼女は話題を変えてきた。
いや、最初からこの話題を振るつもりだったのかもしれない。
少女は前髪を揺らしながら伏し目がちに訊いてくる。
定まらない視線は風に靡く芝生に語り掛けているようだった。
「名前は?」
まるで何か失くしてしまった宝物を必死に探すような切実な声。
一言にここまで感情が込められるものなのか。
だが、俺は、俺自身が彼女の探し人でないことを知っている。
だからこそ丁寧に、ゲーム内では御法度な本名を付け加えて答えた。
「神戸将暉、ここではショウと名乗っています」
俺の名字を聞いた少女の顔に失望が浮かび、名前を聞いて疑うような視線を向けてくる。
まあ、思っている人とは違うのだから諦めていただけると幸いだ。
先ほどの話し方だとそこそこ親しい間柄なのだろう。一つ疑問は残るが……。
「人違い……?」
「なんて?」
「なんでもない。じゃあ、マサね」
「いや、ショウの方がプレイヤーネームなのでそちらで……」
「いいじゃん。その方が面白いし」
始めの言葉を聞き取れなかったが、先ほどまでの態度が嘘のように楽しそうだ。表情の変化が多いのか、演技なのか。
そして彼女は何かウィンドウを探っていたが間もなく手を止めた。
「マサ……じゃなくて検索するならショウか。あ、やっぱり初心者なんだね。」
「そうです」
「なんで敬語になったの?そういう呪い?」
「いいえ」
「海外サーバーからの翻訳ミス!」
「残念ながら日本人です」
「ならボクの言いたいことは分かるよね?」
俺は無難な回答を求めて思考の海に潜ろうとする。が、目元の笑っていない笑みによってすぐに強引に引き上げられた。
「敬語やめて。ボクは敬語アレルギーだから」
「アレルギーって……」
妙に怒気がこもっている気がする。聖稜館についても訊きたいのに、ここで機嫌を損ねるのはよくないだろう。
俺はため息を吐いて最初の質問に答えることにした。
「そうだ。さっき始めたばかりだからな」
「みたいだね。棋譜履歴もないし」
WSCでは棋譜に著作権はなく誰でも自由に棋譜をみることができる。つまり、プレイヤーネームを検索するだけでその人物の対局履歴を確認できるという訳だ。
さて、先程の詰将棋は実力が偶然か。
正体を暴かせてもらう。
「名前を聞いても良いか?」
俺が名前を問うと、急に黙り、しばしの間を空けて少女は言う。
「先に一つ聞かせてもらってもいい?」
「ああ、構わない」
「なら……」
特にイベントの無いこの公園では周囲に人は無く、やや離れた噴水近くのベンチで一組の男女が座っているだけだ。
無意味に緊張する俺に対し、目の前の少女から言葉が紡がれた。
「ねえ、将棋は好き?」
唐突な確信を突く発言に思わず黙り込む。
先程までの緊張が消え、代わりに黒い感情が蘇る。
だが、この感情との付き合いも長いのだ。
俺はポーカーフェイスで笑みを作るとハッキリと告げた。
「大嫌いだ」
この時の彼女の表情は何故か分からなかったが、少し声が小さくなった気がする。
「理由を聞いて言い?」
「いろいろだな。負ければ悔しくて勝てば恨まれる。強い奴ほど偉いという時代錯誤な人と弱いことを他人のせいにして努力しない人。まさに枚挙にいとまがないってやつだな」
「マサだけに?」
「プレイヤーネームはショウだ。というか、人が珍しく心情を語っているのに茶化さないでもらいたい」
「それはマサが本当のことを言ってくれないからだよ」
この言葉を聞いた瞬間、感情が止まった気がした。
確かに言い方がやや茶番じみていたかもしれないが、昔の不満を上げ連ねても誤魔化せないらしい。
「……気にするな、一身上の都合だ」
「ふうん。そのうち教えてね」
そのうち、ね。
俺は来ないであろうその時を考えないように、端的に言った。
「気が向けばな。それにもう一度言うが、俺は将棋が嫌いだ」
だから長居はしない。
暗にそう言ったことが通じたのか目の前の少女はどこか複雑そうだが、しっかりと俺の目を覗き込んでその透き通る瞳で言った。
「それならまた、将棋を好きにしてあげるよ」
そういう彼女の微笑みは見るものすべてを魅了するようであった。余計なお世話だ、なんて言葉は出ない。
苦し紛れの返答が限界だった。
「それはないな」
「それはないよ」
そう即断するとウィンドウを開き何やら操作し始めた。
俺が口を開くより早く目の前に文字が表れる。フレンド申請の通知が一件。
「私はルナ。よろしくね、マサ」
そう言ってどこか満足そうに自己紹介するルナ。
会って間もないはずなのに、すでに嫌な予感しかしない。
俺にできたのは一刻も早くこの世界と別れを告げられるように祈ることだけだった。
さて、お楽しみいただけているでしょうか。本当は詰将棋の図面でも乗せようかと思ったのですが、23手詰はなかなか自分出る来るには難しく、かと言って本から引っ張るわけにもいかず困っています。そのうち図巧あたりから引っ張ってくるかもしれませんが……。そのうちが来ますよう応援いただけると幸いです。