井戸に投げこまれたマグロの話
井戸に投げこまれたマグロの話です。
彼は言いました。
「大弱りだよ。こんなところで、どうやって生きていけるんだい」
背鰭をくしゃくしゃっと丸めて、苔の生えた石壁に身をもたせながら、途方に暮れている大きなマグロ。そんな彼のようすを、ふしぎそうに眺めている青蛙がいました。
青蛙は言いました。
「どうしてきみは、そんなに辛そうにしているんだい」
マグロはきょろりと目玉を動かして、青蛙を見つけます。
「そんなところにいたのか」
「こんなところにいたよ」
「だれかがいるとは思ってた。でも、いられるはずがないと思ってた」
「……いるよ」
けこっと喉を鳴らして、青蛙は笑いました。
「どうしてきみは、そんなに辛そうにしているんだい」
もういちど、青蛙は問いかけました。
「もう、泳げないからだよ」
井戸に投げこまれたマグロは、弱々しく答えます。
「気がついたときには海を泳いでいた。そうじゃなきゃ、僕は生きられないんだ」
「やめたら、どうなるの?」
「やめたらもう、生きてはいけない。だから僕は、もうすぐ死ぬんだ」
生まれてこのかた井戸の底で暮らしている青蛙には、マグロの話すことが、ふしぎで仕方ありませんでした。
そこで彼は、こんなことを言いました。
「それって、生きてたの」
「え」
ぎょっとしたように目玉を動かして、マグロは固まってしまいます。
でも、すぐに笑って言いました。
「なにを言っているんだ。今の僕より、百倍もちゃんと生きていたよ。生きるっていうのは、生まれてから死ぬまでをずっと泳いで過ごすってことなんだ。……だから、今の僕は、もう死んだも同然なんだ」
青い海を、自分をのせて運んだ海流を懐かしむように、マグロはふっと息をつきました。
でも、青蛙にはやはり、井戸に投げこまれたマグロの話がふしぎで仕方ありませんでした。
生まれてこのかた井戸の底で暮らしている青蛙は、一生懸命考えました。考えたすえに、彼は彼なりの結論に達したようで、けこっと喉を鳴らして言いました。
「なんだかおかしな話だけれど」
そう、前置きをしたうえで、
「僕の考えてる死ぬってことが、きみにとっての生きるってことなんだね。そして、きみの考えてる死ぬってことが、僕にとっては生きるってことそのものなんだ」
井戸に投げこまれたマグロは、すこし考えてから言いました。
「それじゃ、きみは泳げないのかい」
「泳げるけど。ずっと泳いでなくちゃ生きていけないんなら、それはもう死んだも同然だ。……きみは、もう生きてはいられないの?」
「そのようだよ。きみの死んだも同然っていう状況でしか、僕は生きられないんだから。でも、そうか」
マグロはくしゃくしゃっと背鰭を動かして言いました。
「これがきみのいう生きるってことなら、僕の考えてた生きるは、とても小さなことだったのかもしれない。死ぬことにしたって、そんなに恐ろしく違いのあることじゃないのかもしれないな」
たとえば通勤。
たとえば通学。
たとえば経済。
たとえば交通。
たとえば電力。
……現代を生きる私たちは、いろんなものに生かされている。
余白のない、ギリギリの生活。
生きるということと、過ごすということと。
そんなことを考えていたら、ジャック・クリスピンの“Don't Wanna Live Like The Dead”(映画『グラスホッパー』でジョン・スペンサーって歌手の歌ってる挿入歌です)を思い出したりなんかして、出てきたお話でした。