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身代わり成就  作者: 長野智
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第二話




 たとえばあの時、改めて好きだと言ってくれた宗佑くんをありがとうと受け入れていたら、今も隣に居てくれただろうか。


 たとえば私が最初にあの子になろうとせず、素直に宗佑くんに問いただせていたのなら、こんな未来はこなかっただろうか。


 たとえば出会った時に違和感を覚えていたなら。あの時、何かが違っていたなら。


 何度も何度も考えた無駄なことばかりが、今になってもまだ浮かんでは消える。


 私が彼を疑わなければ。私があの子の存在に気付いた時に、彼に問いただすことが出来ていたなら。「正しく愛されよう」と前を向けていたなら、未来は何か違っていたかもしれない。


 こんな状況にでもならないと本当の気持ちも分からない。

 そんな自分がどこまでも情けなかった。




「あの、佐原宗佑の部屋はどちらですか」

 駐車場から走ったために、息も絶え絶えだった。だけど看護師さんは一瞬驚いた表情を見せただけで、すぐに求めた答えをくれる。慣れているのだろう。最後には笑顔で「あちらのエレベーターからどうぞ」と手で示してくれた。


 午前休の連絡を入れたのは、家を出る少し前だった。

 当日にそんなことを言い出したのは初めだったからか、上司からはいたく心配されて、結局押されて一日有給を取ることにした。けれどそれは、後にして思えば私にとっては有難い提案である。

 もしかしたら私は、宗佑くんの状態によっては帰れないようになるかもしれない。

(……早く行かないと)

 少し早いはずのエレベーターも、今はうんと遅く感じられる。増えていく数字を見上げて数秒、ようやく目的の階にたどり着いた時、扉が開ききる前に転がるように飛び出した。

 

 早く。早くしないと。

 もう二度と会えなくなるかもしれない。


 佐原宗佑、という名前を、四人部屋のネームプレートの中に見つけた。同じ部屋に居るのはあと一人で、他の二つのベッドは今のところ空いているらしい。

 右の奥。それをしっかりと落とし込んで深呼吸をすると、一気に扉をスライドさせる。





「おにいちゃんこれ痛いの? ねえ、ぼくより痛い?」

「痛くないけどつつかないで。しっかり衝撃は感じてるから」

 カーテンも閉められていない広い病室に、まるで親子のように笑い合う姿があった。


 ――宗佑くんと、知らない男の子だった。


(あれ。なんで。いや、そうだ。意識不明の重体なのに、看護師さんはすごく普通で。だけど、でも。それならなんで)

 宗佑くんが起きている。

 起きて、笑って、動いている。

 そんな光景が受け入れられなくて、その場でへたりと力が抜けた。


 腕にはギプスがついていて、足も高い位置で吊り上げられているけれど、それだけだ。



 生きている。

 しっかりと意識がある状態で、宗佑くんがそこに居る。




(……良かった……)

 宗佑くんが振り向いた。誰が来たのかと、視線から探るような雰囲気を感じたけれど、すぐに「え!」と声が響く。

「おにいちゃんのお友達?」

「え、あ、いや、えっと、え、桐子さん? え、本当に桐子さん?」

「……うん。うん」

 声を掛けられても、すぐには動き出すことができない。

 視界が滲む。真っ白な床がぼやけてかすみ、やがて頬に熱が伝う。


 元気に生きていた。それだけで涙が止まらない。

(もう、会えないと思った……)



「あの、大丈夫ですか?」

 入口で座り込んでいた私の背後から、年配の女性の声が聞こえた。振り返れば知らない女性が居たのだけど、病室内から「ばあば!」と男の子の嬉しそうな声がしたから、誰かというのは明らかである。

「すみ、すみません、えっと、」

 目元を拭いながら、慌てて立ち上がって道を開ける。すると女性はじっと私を見て、そのまま宗佑くんを見ると、何かに納得したようにぽんと一つ手を打った。

「ああ、あなたが佐原さんの! そうなのね! 彼ったらね、落ち込んでいたみたいよ。すぐに来てくれなかったからかも」

 後半は小声でひっそりと、そんな事を教えてくれた。そうして男の子を呼ぶと、二人で病室を出ていってしまう。



 取り残されて二人きりになった。意識不明の重体だと思って来たから、何を話せば良いのかも分からない。話すつもりでもなかった。だって今会って、いったい何を言えばいいのか。


 ――結局彼を信用していないと分かったのに、そんな気持ちで手を取れるはずもない。


「桐子さん」

 宗佑くんの声がする。それについ過剰に反応してしまい、びくりと大げさに体が震えた。

「……よかったらこっち来ない? そこ、閉めて」

 そういえば開けたままである。院内を振り返れば、看護師さんも何事かとこちらを気にしているようで、手を止めている人もちらほらと伺える。

 仕事の邪魔をしている事に気付いてしまえば、宗佑くんの言葉に従う他はなかった。


 ぴしりと扉を閉めて、おずおずと歩み寄る。不安そうだった宗佑くんはそれでも、私がベッドの側の椅子に座る頃にはほっとしたのか頬を緩めていた。

「……来てくれてありがとう」

「ううん。……その、大丈夫なの?」

「ああ、うん。見ての通り軽症だよ。足も腕も綺麗に折れてるから、くっつくの待つだけだし。事故った相手の人もめちゃくちゃいい人でさ、後ろの席の奥さんとお子さんに気を取られて信号見てなかったんだって、奥さんと泣きながら謝ってくれた」

 清々しい表情からは確かに、悪い気持ちは感じられない。


 本当に拍子抜けだ。宗佑くんがこうして動いていられることに、まだ心が追いつかない。だってほんの数分前まで、宗佑くんとは会話も出来ないと、もう二度と会えなくなるのだと思っていた。


 意識不明の重体なんて、実際に身の回りにそうなった人が居た試しがなかったから、どれほどの病状なのか想像もつかなかった。だからこそきっと瀬戸際なのだろうと、そればかりを思っていた。

(……生きてる)

 あれが最後にならなかった。

 そんな現実を前にしても、なかなか実感が湧いてこない。


「会えなくなると思った」

 ぽつりと、宗佑くんの口からこぼれる。

 私がたった今思っていたことだった。心が読まれたのかと驚いて宗佑くんを見れば、宗佑くんは一瞬きょとんとして、次には柔らかく笑う。

「いや、自分がさ、こんなことになると思ってもなかったから。……あのタイミングで会えなくなってたらって思うと、今でも怖い」

 痛々しい腕と脚。それを見つめながら、どこか優しい目をして語る。

 

 私だって何度も考えた。

 もっと素直に話を受け入れていればとか。自分は本当はどうしたいんだろうとか。そんなことばかりを考えて、それでも答えは曖昧にしか分からなかったから、はっきりとしたものは得られなかった。

 あれが最後になることだけは怖かった。

 それだけは絶対に嫌だと、確かにそう思っていた。


「不思議な感覚だよ。……なんか、一回終わったって思ったからかな……意識がなくなる直前にね、いっぱい考えたんだ。ああしてれば、こうしてれば、目が覚めたら過去に戻っていればいいのにとか、そんな馬鹿らしいことも真剣に思ってた。これで死ぬんだなあって思いながら目を閉じて――そしたら病院に居た。恥ずかしいけどさ、目ぇ開けてすぐ、安心してめちゃくちゃ泣いたよ」


 桐子さんが居なくてよかったと、宗佑くんは苦笑をもらす。

 生きていて良かったと彼は安堵して、どんな気持ちで一人で泣いたのだろうか。

「……ごめん、すぐ来れなくて」

「いや、大丈夫。気にしてないよ。ほら、あんな話の後だったし、桐子さんが来てくれてる方が奇跡だと思う」

 宗佑くんはやっぱり変わらない顔で、安心させたいのか微笑んでいるだけだった。


 ――私はやっぱり、何があっても、どんなことをされていたってこの人が好きなんだなと、こういう時に感じてしまう。


 この表情が嘘だと、どうして分かってしまったのか。


(……落ち込んでたって)

 さっきの女性は言っていた。

 一人で泣いて、一人で落ち込んで、私が来ない間、何を思って過ごしていたのだろう。

 

「……宗佑くん、その、」

「考えたんだ。事故に遭って、入院中」

 やけに固い声だった。遮るように言われたそれに言葉を止めると、宗佑くんは私の方ではなく手元を見つめて続ける。

「これまでのことと、これからのこと」

 それが何のことかは聞くまでもない。きっと彼なりに出した答えがあったのだろう。

 私ももちろん思ったことはたくさんあった。ひとまず今は話を聞こうかなと、こくりと頷いて先を促す。

「もう桐子さんも知ってるし、前にも言ったけど……俺、最低なんだ。吾妻には何回も注意されてたのに聞く耳もたないし、結局ずっと雛のことばっか考えて……桐子さんの全部を否定して、全部を変えようとしてた」

 だけど、私だってあの子になろうとしたのだから同じことだ。その時期がズレていただけで、私たちは同じところに向かっていた。

 ほんの少し。本当に少しだけ、時期が違っていただけだった。

「やっぱり桐子さんが好きだっていうのも虫がいいよな。本当はフラれて当然なんだ。なのに嫌だ嫌だって子どもみたいに駄々こねてさ……吾妻に言われた。少し考え過ぎだって。表情も変わったって。でもそれくらい、桐子さんが好きだった」

「…………今は好きじゃない?」

 好きだったなんて、まるで過去にしたような言い方だ。


 宗佑くんが振り返る。

 それは気持ち悪いくらいに違和感のある、先程までと変わらない「嘘」の表情だった。


「ううん。好きだよ。でも、事故に遭って考えたんだ。本当はこうして生きてるだけで良いんだって。だって生きてたら桐子さんに会えるだろ。別にどんな関係でも、会えて、話せて、笑い合える。会えなくなるより全然良い」

「……だから?」

 もしかしたら、すべてを知ったつもりでいたのかもしれない。

 今彼は、初めて見る表情をしている。それがどんな感情からなのか、考えなくても分かる。


「俺たち、別れたほうがいいと思う」


 晴れやかな顔だった。

 清々しく、憑き物がとれたかのような表情で、宗佑くんはただにこりと笑った。

 

 

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