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第87話 造反

過去の話を喋っていると、美濃の悪鬼という評価が妥当なような気がして来た。統治者視点で見るとうざいというか、面倒というか……。当時のことを話していると、彩花さんが質問して来た。


「何故、織田家に降ったのですか?」

「織田家が今後飛躍すると分かっていたし、俺としては勝ち馬に乗ろうとしただけだな。結果的に織田家は飛躍したし……独自路線でもある程度は何とかなったと思うけど、その内限界は来ていたと思う」


1552年の3月になると信長が父信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつけるという事件が起きる。有名なエピソードだけど、これのせいで信長が跡取りということに不安を感じる家臣が増え、信長の立場自体が危うくなった。


何で抹香を投げつけたのかは後になって信長自身に聞いてみたけど、せめて守護代になってから死んでほしかったとか、もう少し好きに生きたかったとか、色々な感情が入り混じって鬱憤を晴らすために投げつけたと語っていた。


演技も入っていたようだけど、この抹香投げ付け事件に加えて、色々と問題を抱えていた俺を迎え入れたのだ。当然、織田家の中は荒れに荒れる。信長を見限る人が多くなり、信勝の謀反は史実より早く起こった。その根本的な原因は、俺が道三を痛めつけたせいだろうけど。


「俺の実力というか、戦闘能力は裏切った奴らを片っ端から片付けたから評価されたよ。何せ、傭兵団の中から戦闘能力だけで選抜した500人の精鋭部隊を率いたからな」

「1552年になって織田家に仕えてからは、秀則さんの動向が少しだけ記録されています。5月には鳴海城に向け兵500を率いて進軍し、裏切った鳴海城城主の山口教継、子の山口教吉の首を持って帰ってますね」

「……仁美さんは、そんなことまで把握しているのか。それなら話すことはあまり無いかな。あの戦いは、確か同数で戦いが始まってるね。信長が跡を継いでから初めての戦いで、凄く怒っていたのは覚えてる」


信長が信秀の跡を継ぐと、凄まじい勢いで謀反や寝返りが起きる。歴史に関しては信長が信秀の跡を継いで、信勝の謀反が2度あったけど、2度目の時に病人のふりをして討ち取って、尾張を平定した。そんな感じでざっくりとした把握しかしていなかった。


史実でも裏切者は沢山発生していたのかもしれないけど、あそこまでの謀反祭りになったのは俺のせいだと思ったから、必死になって火消しに奔走した記憶がある。


元山賊を雇って重用していたから、元々の家臣達は面白く無かっただろうし、悪い噂も流れた。尾張の平定には、結構時間がかかった印象だ。信勝の謀反は1555年に起きて、おそらくこれは史実より1年早い。道三の死も1年早いのかな?確か道三の死と信勝の謀反は1556年に起きたはずだし、この時から大きく史実から外れた印象がある。


「あと秀吉の草履取りの話は、この日本ではたぶん無いよね?懐に入れて草履を温めていたってやつ」

「羽柴秀吉の話ですよね?そのような話は聞いたことがありませんが……」

「……愛華さんが知らないなら、無いのかな。木下藤吉郎は普通に仕官して来たんだよね。算術が出来るし、戦上手だったから凄く使いやすい人材だったよ」


後の羽柴秀吉となる木下藤吉郎は1554年の時に仕官しに来た。特にドラマチックな展開も無い。当時の信長は今では考えられないけど、人材不足に悩んでいて、農家出身や商家出身でも有能なら誰でも雇うと公言していた。その流れで秀吉も信長に仕えている。豊臣秀吉には改名しなかったから、最後まで羽柴秀吉だったな。結構長い間、俺の部下でもあった。


……算術が出来るというか、計算が早い秀吉の存在はかなり貴重だった。競馬を始められたのも秀吉の助言があったからだし、その競馬の胴元の取り分に関して1番相談をしたのも秀吉だ。話していて思ったのは会話がしやすいということと、頭の回転が早いということ。流石は天下人になる可能性を秘めていた人物だと思ったな。


「最終的に、秀吉を閑職に追いやったのはわりと後悔しているけど……完全に最後の方は痴呆が入っていたから、重要な事は任せられなかったんだ」

「……やはり、痴呆のせいでしたか。秀則さんの日記にも書かれていましたね」

「ああ、確かにボケ始めたことについては書いていたな。そう言えば、秀吉が死んだのは信長が死ぬ丁度1年前なのか。葬儀は盛大に行われたけど、あの時期は知っている人がバタバタと亡くなったから辛かった。というか今でも思い出すと辛い」


そんな人たらしも、信長より先に逝っている。史実では1598年に没したはずだから、1年だけ延命しているな。天下人となるよりも、中間管理職として長年働いていた方が長生きしたことになるのか。


老人になってもボケない人間とボケる人間がいるけど、信長はほとんどボケなかった。いつ会いに行っても昔話が出来たし、重要な政務にもずっと関わることが出来た。それでも歳には勝てず、66歳で死んだ。当時としてはかなり長生きだったと思う。


信長の死に関しては、悲しくなる前に身体が発光し始めたから悲しむ暇が無かった。慌てて未来の事を記したノートを完成させたし、遺言を残した直後に420年後へタイムスリップだ。信長と俺の葬儀はかなり盛大に行われたらしく、参列者の数が凄まじいことになっていたと、喪主を務めた息子の秀一(ひでひと)の日記には書かれていた。


日本が管理社会に移行し始めたのが大体秀一のせいなので、別れる前にもっと色々と教えてあげれば良かったのかな。秀一は初めての息子だった訳だけど、母性というか、父性が芽生えなかったからあまり可愛がれなかった。秀一が30歳を超えると、2人で並べば俺の方が息子に見られたという。


……それでも慕ってくれていたし、良くできた息子だったと思う。より速い馬を作ろうと馬の世界にのめり込んだり、嫁となる女性を幼少期から育てたり、わりと俺と似通っていたのかもしれないな。現代日本の倫理観が残って無かったら、俺も管理社会を築き上げていたのかもしれない。

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