第86話 美濃国混乱
主人公の台詞も含めて過去の話の会話文は全て現代語訳されています。基本的に話が通じている時は「」を、話が通じていない場合は『』を使っています。
「その後は、斎藤道三に目を付けられて討伐されそうになったり、財を蓄えてそうな奴らを敵に回しての戦ばかりだったな。1552年になると信長の父信秀が亡くなったから、正式に織田家に雇われた」
「秀則さん、その期間の事を詳しくお願いします」
「……本当に、単なる山賊団だったよ?」
なるべく山賊達を取り纏めていた時のことを話したくなかったから、流そうとしたら詳しく話せと仁美さんに言われた。仕方がないので、1550年から1552年まで行っていた略奪行為を、赤裸々に話す。
……義賊のつもりが、暴走した軍となり、美濃国内だけに留まらず飛騨や越前、近江まで脅かした自称傭兵団のことを。
1550年の10月頃、森田秀則が率いる山賊団は大きな問題に直面した。それは金が尽きたことである。ひたすら山賊達を降して規模を大きくしていった結果、当然直面する問題に、秀則は護衛業を行うことで解決を図ろうとした。
通行料として案内役を雇えば、安全に通行が出来て、用心棒としての役割も果たす。良い考えだと秀則は思った。しかし皮肉なことに、暴れ回っていた山賊達はみんな傘下に収まってしまっている。
当然、この試みは上手くいかなかった。治安が良くなった上に、元山賊を護衛として雇うほど豪胆な人間がほとんどいなかったのだ。それよりも、もっと信用の出来る用心棒を雇った方が良い。
困窮極まった秀則は、隣国の山賊達の元まで遠征し、討伐を始めた。蓄えていた財を根こそぎ奪い、山賊達が所有していた物を元の持ち主に買い取らせ、謝礼を得ることで食い繋ぐ。山賊達を降す度に秀則の率いる山賊団の規模は増え、より生活は苦しくなっていく。
そして冬を間近に控えた時、山賊団の規模は千人以上となった。こうなると為政者も無視が出来ない存在となる。
「お頭、どうします?」
「細田か。お前ちょっと税が重い領主について調べてこい」
「……まさか、領主を襲うので?」
「もう1000人以上いる上に、元々人を襲って生計を立てていたんだから腕っぷしは強いだろ。最初さえ上手く行けば、後は順調に自転車操業が出来るだろうよ」
「じてんしゃ?そうぎょう?」
「いいから早く行って来い」
秀則自身は飢えも渇きも問題無いが、今までついてきてくれた者達を飢えさせるのは心苦しかった。そしてとうとう、圧政を敷く為政者の討伐を始めた。最初は数百石のレベルの領主を襲い、数の暴力で圧勝した。財を蓄えていた悪徳領主を成敗し、民に蔵を開放した時には感謝をされる。
この頃から美濃の悪鬼という名と共に、森田傭兵団という名前が東海地方、近畿地方、北陸地方一帯に広がった。特に圧政者を討ち滅ぼし、蔵を開放していく自称傭兵団の姿は、農民から一定の人気を集めた。
「……なぁ、この前の戦で100人ぐらい死んだよな?何で増えてるの?」
「入団希望者が多かったので、腕利きの奴らだけを選別しましたぜ」
最初に秀則の部下となった細長い体格の男は、細田という苗字を秀則から貰い、組織の拡大に努めた。農家の三男坊で決して強い男では無かった上に、頭も良くは無かったが、悪知恵だけは働き、忠誠心は人一倍高かった。
「防具は、買うと高いし自分達で作るか。鍛冶職人の元に数人派遣して、鋳造方法とか学べない?」
「ここにいる奴らは、そういった職人達の元から追い出されたような奴らばかりですぜ?」
「……それなら、元職人見習い達を集めて独自の甲冑でも作るか。設計図を書くのは好きなんだ。得意じゃないけど」
秀則の率いる傭兵団は腕利きの男を集めた戦闘部隊と、戦闘が得意では無い男を集めた後方部隊に分かれ、徐々に組織化されていく。戦闘の訓練や組織体系の効率化も行った結果、為政者から見れば恐ろしい山賊団が生まれた。しかもその山賊団は移動能力に長け、美濃や飛騨、近江を転々とする。
1551年の夏頃になると、傭兵団の規模は4000人までに膨れ上がり、その内の2500人が戦闘部隊となった。これ以上の拡大は流石に不味いと思った秀則は、人数の制限を始める。配下の暴走を落ち着かせるために、美濃国内にある無人の山に入って勝手に築城を行った。
今まで拠点を持たなかったために捕捉し辛かった森田傭兵団が、腰を落ち着けた今が討ち滅ぼすチャンスだと感じた斎藤道三は、これ以上被害が拡大しない内に、秀則を討つために軍を編成して討伐に向かう。道三は1万人という規模の兵を動かして、秀則の居る城へと迫ったが、それを事前に察知した秀則は籠城の構えを見せる。
未来知識を総動員して入って来た敵を殺すことに特化した城は、築城途中だというのに頑強で、道三の兵は多くの被害を被った。特に土砂崩れが人為的に引き起こされた時には、屈強な美濃兵達の士気ががくんと落ちた。
しかも秀則の率いる傭兵団は、構成される全員が秀則の不死性と凶悪さを間近で見ており、畏怖によって支配されていたために調略も不可能だった。尾張国境と近い位置だが、何故か織田家も本腰を入れて動かないとなれば、道三も薄気味悪い雰囲気を感じて攻撃を中断し、包囲戦に切り替える。
秀則のいる山を四方から囲んだ所で、秀則の率いる傭兵団の戦闘部隊は道三に向けて一直線に進軍を始めた。その先頭を走る秀則の身体には、大きな槍が貫通し、何本もの矢が刺さるが、それでも止まることなく道三の兵を切り刻んでいく。その光景を見た道三は恐怖を覚え、急いで撤退を始めた。
この戦いで道三は多くの兵と兵糧を失い、次第に勢力に陰りが見え始める。自分達を討伐できる者が居なくなったと考えた秀則は周囲の村々の支配も始め、一大勢力を築き上げていく。
やがて信長の父、信秀が死ぬと同時に、織田家に降ることを秀則は告げる。既に自立できるだけの力があるにも関わらず、織田家へ降ろうとする秀則に反対する者は居なかった。




