第??話 惨劇の跡
ほんの少しだけ未来のお話です。
多数決という制度を試験的に取り入れた豊森家で、初の投票が行われようとしていた。投票権を持つ人間は全員豊森家であり、議題の提案者は豊森秀則である。そして最初の議題は『重度の障害者は人であるか否か』だった。
今まで優生主義を貫き通して来た豊森家にとっては間違いなく嫌な議題であった。そもそも現在、投票権を持つ僅か370名の豊森家の人間の周囲から、障害者は排斥されていたからだ。
しかし秀則の子、和秀が重度の障害を持ち、殺されたことは有名では無いが知っている者も多くいた。そのため、自然と議論は白熱する。そこへ秀則は口出しをしなかった。意見を求められても、曖昧に笑顔を返すだけだ。
投票は無記名で行われた。筆跡から誰かを特定、ということが出来ないように紙に賛か否かの判子を押すだけの投票は、きっちり370枚を回収して集計作業に入る。
結果、人であると答えた人数は34人だけだった。結果を見て少し気まずそうな顔をした秀則は、さっさと寝室へ帰ってしまう。
その寝室で、議論の中心にいた豊森仁美が秀則に話しかける。
「……なぜ、最初の議題が障害者についてのことだったのですか?」
「何でだろうね?俺でも俺の行動がわからんよ」
話の内容は、昼間の行動についてだ。最初はふざけた態度だったが、やがて酔いが回ってきたのか、ぽつりぽつりと語り出す。
「結果は、分かり切っていたよ?今の倫理観で人では無い、という結論が出るのも理解はできる。むしろ、今までのことを振り返れば当然の結論だ」
「では、何故?」
「……アレは人では無かったと、言って欲しかったからかな」
秀則が無記名投票を行った理由は、一切の本音を隠さずに投票して欲しかったからだった。もちろん、その結果も予測していた。予測していたからこそ、議題とした。
「仁美さんなら、和秀の存在は知っているよね」
「……和秀という人物が、殺された忌み子だということは知っています。秀則さんが庇っていた存在だということだったので、障害者では無いのかと、推測はされていました。
しかし殺した人間は分からない上に罪にも問われてないため、疑惑は多いです」
秀則の子、和秀が殺されたことは伝えられている。また、乳母兄弟の満宏という人物しか言葉が分からなかったことも伝えられているため、障害者だったと断定されていた。
「そっか。一応、いたことにはなっているのか。
……和秀は『あ゛』と『う゛』と『ん』しか喋れなかったんだ。今の日本なら重度の障害持ちで、確実にどんな仕事もこなせないから、人体実験コースだよ」
「乳母兄弟の方で、言葉は分かる方がいたと伝えられていますが」
「ああ、満宏のやつなら喜んでいるのか、不快なのかしか分かって無かったよ」
乳母兄弟なら言葉が分かっていた、という言い伝えを、一刀両断する秀則。食べて喜んでいるから『美味しい』食べて不快になっているから『不味い』と、代弁していたことを話す。逆に言えば、満宏以外の人間は和秀が喜んでいるのか嫌がっているのかさえ判断が出来なかった。
「快か不快かの感情しか無かったんだろう。しかも、1人ではまともに歩くことも出来ない。他にも世継ぎは沢山いるし、そもそも世継ぎが必要なのかも怪しかったから、家臣達からは早く斬れ、みたいなことを遠回しに何度も言われたよ」
「……それを、反対していたと」
「明確に反対の立場に居た訳じゃない。むしろ、心の中では賛成だったさ。それを理性で抑え込んでいたんだ。アレは人だから、殺しちゃいけないって」
そして秀則も当時、心の中では邪魔だったことを吐露する。糞尿を撒き散らしていたこと、食事の時に箸をまともに握れなかったこと、意思疎通が出来なかったこと。全て、秀則は鮮明に思い出すことができる。
「だけど、ある日和秀は突然殺された。いつも一番近くにいた、満宏によってね。最初は介護に疲れたのだと思ったよ。いつまで経っても成長しない和秀を、一生介護する未来に悲観したのだろうと」
「違ったのですか?」
「違ったよ。満宏は和秀を刺した刀を抜いて、こう言ったんだ。
『障害児を殺しても、罪にはなりません。人間ではありませんし、当然のことですから。
しかし私は今、主君の自殺を幇助しました。……豊森家の人間に手をかけた場合、いかなる場合も重罪、ですよね』
その後、止める間も無く心臓を貫いたよ。確実に死ねるように、学んだばかりの知識を活かして自殺したんだ」
しばらくの間、仁美は秀則の話を聞き入っていた。そして聞き終わると、持ち前の思考力で分析し、結論を出す。
「……つまり、和秀様は自殺を願ったから人間、ということですか?」
「……そういう結論になるよな。もしも和秀に何かがあって思考できるようになったとして、最初に表に出た意思が自殺したい、だとしたらもう人間だと言うしかない。周りの人間に迷惑しかかけず、母は自身を認知せず、父は常に困り顔。そりゃ、そんな状況なら自殺したくなるのもわかる」
和秀が人間で無ければ、満宏は豊森家の人間に手をかけた訳では無くなる。しかし満宏自身が豊森家の人間に手をかけたとし、自殺をした。
「だけど、天地がひっくり返ってもあの和秀がそんな思考に到達したとは思えないし、満宏が白昼夢でも見たんじゃないかと思ったよ。でも、それなら自殺しなくても良いんだ。
だから満宏の言ったことが真実だとすると、今度は和秀は自身の死を願ったことになる。ようやく芽生えた心が、自身の生を拒んだんだ。それもそれで、救いようが無いだろ?」
酔いが回ったのか、顔を真っ赤にしながら過去を暴露する秀則。少し怒ったような、悲しんでいるような顔になり、最後に呟くような声で仁美に話す。
「だからあの時は満宏が無理心中をした、として片付けたよ。本当に和秀に心が芽生えていたなんてあり得ない。あり得ないから、俺はアレをあの時、人ではないと結論付けた。あまりに酷い精神障害者の場合、殺処分を黙認するようになったし、障害者の保護を手厚くする政策は止めて、倫理観の成長を待つことにした。
……心の中でそう結論を出しても、今の今まで表に出さなかったのは改変前の日本の道徳教育の賜物だな」
その言葉は、一字一句違わず仁美に記憶された。秀則の忘れられない記憶を、仁美は共有し、自分なりの答えを探して秀則に伝えようとするが、言葉が出ない。
「それでも今日、人ではないという結論に違和感を持ったのは俺が日本人だったからだ。……きっと、そう遠くない未来には重度の障害者も人扱いされる日が来るよ。俺はもうこのことに関知しないし、強行しないけど、34人もいるんだ。1割にも満たない数だけど、当時は0だったことを考えれば、進歩してるよ」
今日の採決の結果、重度の障害者は人ではないとされたため、今後は障害者に関わる制度が大きく見直されることになる。政治体制を決めた時、秀則は結果について関わらない方針を決めたため、今後の展望に関与することは無いだろう。
しかし、仁美は関与することができる。これを機に障害者を完全に排斥しようとする流れに仁美は逆らい、長い期間を設けて徹底的に議論することを提案する。これがきっかけで、日本の倫理観は急速な発展を遂げることになった。
良い方にも、悪い方にも。