第61話 特例者
7月11日の朝、比叡山まで行っていた木下さんが帰って来た。何回も山に登っては頂上付近から飛ぶ、ということを繰り返していたらしい。タフな娘だ。
操縦技術も上がったのか、結構なスピードで飛び回れるらしいし、山登りを繰り返したことで筋肉が多少はついている気がする。隣にいる凛香さんや愛華さん並みではないけど、無駄な脂肪は消えた感じかな。自然に鍛えられた筋肉が、少し浮き出ている女性の手足というものは個人的に好きなので、木下さんには今のままでいて欲しい。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい。
……朝から元気だな」
入れ替わるように加藤さんは、三枚の翼がある三葉機っぽいハンググライダーで飛ぶため、山登りをするようで家から飛び出して行った。相変わらず18歳とは思えない落ち着きの無さだ。まあ、勉強から解放されるのが嬉しいのだろう。空も飛べるしな。
「……あれ?翼が複数あった?」
「一月前から、翼が複数あるハンググライダーを試しているようです」
「複葉機の概念って、伝えたっけ?」
1ヵ月前から複数の羽を持つハンググライダーで飛んでいるようなので、日本にも新しい発想を思いつける人材がいるということだろう。日本の開発力や研究力が完全に死んでなくて本当に良かった。
「それにしても、加藤さんってあれで本当に小学校を卒業できたのか?」
「愛莉は特例卒業者、です。身体能力は秀だったので、働ける能力はありました」
ふと、加藤さんも軽度の精神障害者かな?と思ったら、本当にそうだったようで、小学校は特例で卒業したと島津さんが教えてくれた。
「特例卒業者、って何?」
「軽度、中度の障害を持ち、常軌を逸した行動が見られる人のみ、特例で卒業できる場合があります」
「ああ、ちゃんと考慮していたんだ」
「身体能力が良以上の場合で肉体労働が可能だと判断された場合と、身体能力が可以上で足し算か引き算ができる場合ですね」
小学校に居られる年齢が15歳までだから、5留しても卒業できそうにない人間で障害のある人には特例で卒業させていると愛華さんから補足される。デメリットは職種が制限されたり、子供の数で制限がかかったり。
しかし15歳になっても身体能力の評価が不可で、なおかつ足し算や引き算が出来ないレベルだとこの制度の活用も出来ないようだ。3ヵ月ごとに行われる卒業試験に落ち続けて15歳を超える人は滅多にいないらしいけど、そのごく僅かな人と重度の精神障害者と判断された人は、最終学歴が保育園卒になるのかな。
「小学校を卒業できなかった場合はどうなるの?」
「職業の選択権を失います。各自、適性のある職業に割り振られますが、ここで全ての職業に適性が無ければ、働くことができません」
算数では一次方程式まで習うそうだけど、卒業試験自体は四則演算が出来てある程度の文章と漢字を書ければ突破できるレベル。それ以上は頭の良い人が競う感じか。そしてそれに5留して突破が出来なければ、職業の選択権を失うようで、要するに国が働き先を決めている。
……障害者じゃない方が、扱いは酷そうだ。まず怠け者だというレッテルが貼られ、就職先はほぼ肉体労働系で確定。そこでも怠け始めたら、食料の供給が止まる。障害者の場合、食事だけは最後まで出るので、簡潔に言ってしまえば怠け者のみ飢え死にの可能性が残る。
「……障害の有無って何処で判断しているの?」
「常識的な行動が出来ずに幼い頃から能力が極度に低いという判断が繰り返しされた場合、障害者ですね。常軌を逸した行動が多い場合も、時と場合によっては障害者だと判断されます」
「幼い頃から演じていた場合とかは?」
「最終的には牢のような部屋で、食事は最低限のみの生活です。娯楽も無いので働く能力がある場合は耐えられないでしょう」
健常者が障害者の真似をして生きていくことは難しそうな感じだ。もっとも、そんな発想は無かったという目で見られているから、そこまでして働きたくないという人間がいないのだろう。いや、働かない人間の面倒まで見る気は俺も無いけど、俺自身が働いていない気もするからなんとも言えない。最近のお仕事って、公費使って旬の桃を食いに行っただけだよ。
……後で知ったことだけど、豊森秀則が絶賛した桃ということで、訪問した先の桃園は売れ行きが2倍になったそうだ。お陰で従業員が自由に食べられる桃は無くなった。桃園の園長からは感謝の手紙が届いたし、他の国営企業や民間企業からの招待状は25割増しになっている。神の使いって、あの時代の誰が言ったのだろうか?
「政治体制と教育制度、銀行制度に関しては、もう改革を始めようか」
「政治体制もですか。いったいどのように変えるおつもりですか?」
「一度で全員に伝えたいから、明日の昼過ぎぐらいには今の政治の中枢にいる人を集めておいて」
「かしこまりました。物理的に参加が不可能な方以外、全員が参加出来るよう手配します」
愛華さんに、今の日本の重要人物を全員集めるように通達する。しかし愛華さんの態度を見て、際限なく人を集めそうな気配を感じたから、10人ぐらいにするように言った。あまり大勢の前で話すのは得意じゃないから、小さな会議室のような場所で話し合いをするように、と伝える。
「それでは、身内しか集まりませんが……」
「今の日本の上から10人って、全員身内なのか。……そりゃ、そうだよな」
とりあえず集まりそうなのは、美雪さんと仁美さんに加えて、予算会議の時に仁美さんの周りにいた男女7人かな。仁美さんも含めて予算編成を決める権限を持つ8人で、名前は全員豊森姓。宴会の時に初めてちゃんとした会話をしたけど、何人か頑固そうな人がいるから今から気が重い。