第56話 第一次産業
宴会は滞り無く終わり、ほろ酔い状態で就寝した翌朝。7月10日の早朝に黄河の堤防が決壊し、黄河以北の都市が水没したということを愛華さんから伝えられる。実際に破壊されたのは7月7日頃だったそうだから、俺が朝鮮半島にいた頃だな。
「まだ日本軍は、一部しか黄河に到達してないよね?」
「はい。第10軍の一部が黄河を渡るために黄河近郊の町で進軍を中断していましたが、警戒していたために被害は大きくありません」
慌てて堤防を壊していたのか、雨が降って増水すれば決壊する程度に壊そうとして失敗したのか、中国軍の堤防決壊作戦は大失敗に終わった。こちらとしては大変ありがたいし、とりあえず被害にあった中国人の救出を急がせる。開戦直後からちょくちょく小船を送り込んでいたからか、日本軍に大きな損害は無かったみたいだし、迅速な対応が出来ている。
一部の軍しか黄河付近に到達していないこともあって、兵糧が水没して大変なことになる事も無かった。小麦とか布みたいな袋に入れている感じだったし、先走ってくれて本当に助かった。黄河のすぐ近くの都市、浜州市に駐屯していた日本軍はそれなりに兵糧や軍馬に被害が出たようだけど、たぶん大丈夫だろう。
「中国政府は、日本軍が行ったこととして非難しているようです。南京や一部の都市では士気が上がったようですね」
「南京や、その一部の都市以外ではどうなったんだ」
「黄河以北の都市では抵抗が無くなり、進軍予定だった都市から降伏の使者が来たりしています」
中国政府は堤防の決壊が日本の仕業で、非道な行いをしたと非難しているようだけど、いつものことなので気にしない。敵に罪を擦り付けるのは常套手段だしな。もしも中国が日本並みの管理社会であれば、このことを全国民が信じて士気が上がるところだろうけど、実際にこれを信じて士気が上がったのは南京とその周辺の地域だけだ。どちらかと言うと、士気が上がらないとヤバい地域だろう。
当分は黄河以北の都市への進軍が物理的に難しそうだけど、国民党軍の士気が下がっている地域では都市攻略が楽そうになったので、南京以外の中国の南部の都市、広州市や廈門市への侵攻は早くなるかな。堤防の修復は……出来るのか?早めに修復した方が、被害は拡大しなくなる。船で近づいて、一気に土嚢を放り投げるとか、少しずつ土砂を堆積させるとか?堤防の修復って、いったいどれほどのお金がかかるのだろう。
黄河の北側の都市への侵攻は遅くなるだろうなと思いつつ、国営農場に行く準備をする。あらかじめ行く農場を指定して、根回しされると面倒なので行く地域は当日の朝に決める予定だったけど、まだ決めて無かった。……近畿全域に根回しされているとは考え辛いけど、日帰りで行けそうな近畿圏外の岡山に行って、桃の農園と田んぼでも見に行こうかな。確か桃って、今頃が旬だったはずだし。
「岡山まで行きたいから、普通に汽車に乗るよ」
「かしこまりました。急ぎ、準備させます」
この前の愛知行きの時みたいに、全車両の席を買い占めて移動するというはた迷惑なことはしたくないので、一両丸々までに抑えて貰った。……親衛隊員があの時の倍に増えたから、全員が座ったら席が埋まりそう。
「なぜ、岡山まで移動なさるのですか?」
「桃は好きだし、確か夏が旬だから忙しそうにしてるかなって。岡山は、桃の生産量が多かったはずだし」
「岡山は確かに全国有数の桃の産地ですが、桃の生産量1位は山梨ですよ」
「あれ?そうなのか。少し意外だったな」
岡山を選んだ理由は単純に桃が食べたかっただけだけど、桃の産地の1位2位は山梨、長野らしく、岡山は全国5位とのこと。桃の産地は岡山だと思い込んでいたのでちょっと意外だった。しかし岡山の桃は評価が高いらしく、美味しいのは間違いないとのこと。
「京都から岡山は2時間ぐらいか。思っていたより早く着いたな」
「夕刻は混み合いやすいので、乗車券は既に買いました。18時10分発の汽車です」
「じゃあ、7時間ぐらいは滞在できるのか。最初は、桃の農園から行こうかな」
無事に岡山に着いたら、早速桃の国営農場に訪れる。代表の人は慌てていたので、完全にアポなし突撃である。
「よ、ようこそ備前白桃農園へ。ちょうど今日は、収穫の最盛期で、良い桃が、沢山あります」
「緊張しなくて良いから、落ち着いて。子供に説明する感じで良いから」
出迎えてくれたのは、豊森家の人間では無かった。農園の代表だから豊森家の人間かと思ったけど、小さな農園だと優秀な人が出世して管理を任される事もあるそうだ。雇われ店長みたいな感じか。……凄く威圧されていて、動きがカクカクなのは気にしない。国の重要人物が突然目の前に現れて案内を頼む、と言われたら緊張もするだろう。
大体は、俺の右斜め前を常にキープしている愛華さんのせいだろうけど。普通の人だと愛華さんの眼光は怖いらしい。……まあ切れ目というか若干吊り目だし、見る人によっては美しいより先に怖い、が来るのかな。
「こちらからどうぞ。収穫中なので、熟れている桃はご自由にお召し上がりください」
「従業員には、話しかけても大丈夫?」
「脚立の昇り降り中に話しかけるのは、控えていただけると助かります」
「いや、そんな状態の人には話しかけないよ」
案内された農園の一角は、収穫中とのことで何人かが桃を手に取っては腰の籠に入れていた。左右、両側に籠を付けているので少し不格好だ。籠の大きさはそれほど大きく無いから、一々建物内まで戻っているのかな?背中に背負うタイプの籠でも良い気がするのだけど、下の方の桃が重さに耐えられないのかな?
「こちらの桃が良さそうですね」
「……桃の木って、結構高いんだな」
「そうですね。背の低い人は梯子が必要かもしれません」
梯子が必要かもしれません、とは言うけど、愛華さんや凛香さんは普通に手を伸ばせば届くという。やっぱり背が高いと得な事は多い。愛華さんは桃をもぎ取った後、何処から取り出したのかわからないナイフで皮をむき、食べやすいように切ってくれた。まな板も無い空中で切っていたので少し不安だったけど、手慣れた感じだった。
一口サイズの桃は口に含んだ瞬間、桃の甘さが口一杯に広がって、一噛みごとに果汁が溢れ出す。瑞々しい果肉は柔らかく、溶けるように口の中から無くなってしまった。
凄く甘くて美味しい桃だったけど、これが1個100円というのは驚きだ。……京都や東京の店頭に並ぶ時は200円で、改変前の日本円に直すと500円ぐらいか。妥当、というよりちょっと高いのかな?安い桃は、1個120円ぐらいで店頭に並ぶらしいし。




