第53話 趣味
主人公視点で戦争とは関係の無い話が続きますが、日中戦争は継続しています。
「そちらが、不破野紗矢佳さんですね。しばらく預かってもよろしいでしょうか?」
「……変なことをしたら怒るからね」
京都に帰って来た日の翌日の朝、遅めの朝食を食べていると仁美さんが不破野さんを連れて何処かへ行ってしまった。たぶん今頃は誤射をした状況について詰問されているのだろう。不破野さんを傷つけるような事はしないと言っていたけど、不安だ。
「秀則様!おはようございます!」
「おはよう。加藤さんも久しぶりだね。勉強はしている?」
「いちおー、しています」
「愛莉は1日1時間は勉強するようになりました、です。ハンググライダーの腕も、どんどん凄くなってます」
加藤さんや島津さんとも再会したので、挨拶する。木下さんは山登り中で今は家にいないそうだ。山の頂上からハンググライダーで飛んでいるようで、基本的には泊りがけになるとのこと。3人娘の中で1番登山能力があるのは木下さんらしいから意外だ。
「……えっ?」
「ん?彩花さんどうしたの?」
「島津、千夜さんですか?」
「うん、そうだけど?」
彩花さんが島津さんを見るなり固まって名前を言い当てたので、恐らく面識があるのだろう。というか親衛隊に入る前に会ったりはしてなかったのかな?島津さんも何か言いたげな雰囲気なので、知り合いかな?
「……2人とも面と向かって固まってるんだけど、どういう関係なの?」
「島津さんは将棋の全日本将棋名人戦、子供の部で彩花さんの3連覇を阻んでいます。島津さんが勝ち上がったのはその時だけですが、彩花さんは覚えていたようですね」
「えっ。そのことを知って、島津さんを雇ったの?」
「いえ、島津さんに関しては後からの調査でわかりました。そもそも10歳以下限定の大会でしたので、島津さんはあまり有名にはなっていません。優勝もしていませんし」
愛華さんに聞いてみると、子供の時にライバルだったようで、彩花さんにとっては雪辱を晴らしたい相手ということになるのかな。将棋や囲碁に関わらず、こういった大会は10歳以下と11歳以上で子供と大人を分けるようだ。11歳から基本的には働き始めるし、妥当な線引きなのかな?
「島津さんは、将棋で全国大会に出たことがあるの?」
「はい。一回だけ地方大会を勝って全国に行きました、です」
「彩花さんに勝ったんだ」
「初戦は、全力で戦えます。でも、1日に3局や5局も指すのは苦手です」
島津さんにも聞いてみると、島津さんは1日に何回も対局することが苦手なようで、結局小学生の時に全国大会まで勝ち残れたのは8歳の時だけだったみたいだ。その時、彩花さんは10歳か。子供の部で全国大会3連覇がかかっていた時の初戦で負けたら、記憶には残るか。
「そういった大会は1日に何回ぐらい対局するの?」
「各地方から強者が集まる全国大会では、合計で64人になるため、決勝まで勝ち残れば6局指すことになりますね」
「持ち時間は、どうしているの?」
「砂時計を使い、お互いに20分ずつ持った状態で開始します。確か、秀則様が持ち時間無制限を嫌って出来たルールだと記憶しています」
「……そういえばそんなルールも作ったな」
1日に6局も対局するとなると、持ち時間は必然的に少なくなる。相手より20分以上多く考えることが出来ない今の仕組みは、早指ししかできないような感じがするけど良いのかな?あまり将棋に詳しく無いから何とも言えない。
「7六歩!」「……8四歩」「2六歩」「8五歩」「7七角」「3四歩」「7八銀」「3二金」「2五歩」「4一王」「4八銀」「6二銀」「5六歩」「5四歩」
彩花さんと島津さんはしばらく面と向かって無言だった後、唐突に彩花さんから棋譜を言い始めたけど、この人達は脳内で将棋をしているのかな?しかもめっちゃハイペースで言い合っているし、早指しが基本なのか。全くついていけないので、愛華さんと一緒に傍観する。親衛隊員の記録係の人が目をキラキラさせながら2人の言葉を記録しているけど、この人も将棋が出来るのかな?
……一応、彩花さんは勤務時間中だから、後で愛華さんに怒られることは確定している。だけど愛華さんも勝負の行く末を見守っているから、2人のどちらが強いのかは気になるのだろう。軽い注意だけで済ませるように言っとくか。
「もしかして、将棋ができる人って多い?」
「秀則様は自身の子に将棋や囲碁のルールを覚えさせたとの記録がありましたが……」
「あー、将棋や囲碁のルールを教えたり、時々対戦していたのは認めるけど、別に子供の教育として推奨していた訳じゃ……いや、していたかな?」
今の日本に将棋や囲碁のプロは少ないけど、思っていた以上にルールを覚えてたり、趣味として継続している人は多いみたいだ。そんな中で5連覇をしたという彩花さんは、やはり凄いのだろう。
「5八金」「5三銀」「6六歩」「4四銀」「2四歩」「同歩」「同飛」「2三歩」「2八飛」「5五歩」「……少し、待って下さい。………5七銀」
そしてそんな彩花さんから仕掛けた勝負なのに、早くも彩花さんが長考し始めた。愛華さんによるとまだ互角とのことだけど、手が進むに連れて徐々に姿勢が悪くなっていく彩花さん。120手目の島津さんによる角打ちで彩花さんが劣勢になった、らしい。
……何気に愛華さんも頭の中で駒を動かせるのか。戦国時代でも頭の中で将棋盤を動かせる人は結構いたし、珍しくは無いのかな。俺も10手目ぐらいまでなら何とかなるし。154手目に島津さんが6七歩成、と言って彩花さんが頭を下げた。島津さんの勝ちだ。
所要時間は約15分という超早指しだったけど、島津さんの消耗が激しい。一方で彩花さんは、ちょっと疲れている程度だった。単純な将棋の棋力という意味なら島津さんの方が上のようだけど、それ以外の面で彩花さんはカバーしてそうだ。
「何で、私に勝てる棋力なのに大会から遠ざかっていたの?」
「大会の日は漁に出ていた、です」
「……へっ?」
「愛莉と一緒に、網を引いていました」
島津さんは働き始めてから、将棋の大会には出ていないそうで、原因は遠洋まで出ることもある漁師という仕事のせいだった。遠洋まで出るのなら、1人の都合で数日間だけ陸に戻るのも無理だな。島津さんのように仕事が優先って人は多いようなので、勿体無い気持ちになる。
だけど島津さんの場合は大会に出ても上位は難しいと思ったから、加藤さんや木下さんと一緒に漁に出る方を選択したのだろう。地区大会を勝ち抜けて、地方大会に出るなら都合2日間は仕事を休まないといけないし。そこでも上位に入れるのなら臨時収入にはなるけど、地方大会で3回戦負けぐらいだと交通費を差し引いたら日程次第では漁に出る方が稼げてしまう。
愛華さんに漁師の月収や年収を聞いてみたら、稼ぎ時だとそれなりに収入が良かった。国有企業でも基本給に加えて、漁船単位で漁獲量に応じてボーナスが入るみたいだし、稼げるかわからない将棋より漁に出たいという島津さんの気持ちもわかる気がする。
……たぶん、将棋の大会に出ていた方が儲かっていたと思うけど。