第3.5話 変革の犠牲
内容的には3.5話ですが時系列的には5話の後ぐらいになると思います。
「ふざけるな!何だこの指示は!」
「元帥、落ち着いて下さい。美雪様の指示です」
「だからと言ってここまで大幅に軍縮するのは納得出来ん!」
大日本帝国の陸軍参謀総長である元帥は、豊森家の中でも極めて頭が良く、美雪の叔父に当たる人物である。普段は温厚な彼が、唐突に突き付けられた軍縮による師団の改編と配置転換に対して声を荒げた。しかも変化を嫌う保守派であり、豊森秀則の事を崇拝している豊森美雪が、秀則の考案した軍編成を変えると言っているのだ。最初は美雪の気が狂ったのでは無いかとさえ思った元帥は、豊森家の屋敷にまで急行する。
「お母様は現在、秀則様と外に出ております」
「左様でしたか。それならば仁美様に今回の軍編成の見直しの件について」
「秀則様の指示です」
「……意図は聞かれましたか?」
「軍事費が国の財政を圧迫しているから、と秀則様はおっしゃっていました。それと、今回の軍編成の改編ですが……」
そして元帥は秀則様の指示なら仕方ないとしながらも仁美に意図を聞いた。すると、仁美は秀則の考えを一通り言った後、軍の再編成について付け加えて説明する。
「総合的に師団数をかなり減らしはしますが、大英帝国であるイギリスと国境の接するインドとアラスカ……ああ、ここの地域は今後アラスカと呼び名を変えます。アラスカには配置する師団数を増やします」
「……そして、工兵旅団、砲兵旅団などを新設して状況に合わせて師団に組み込むと。しばらくは海軍の増強に励むから、陸軍の維持費は最低限に抑える、ということですか」
「理解が早くて助かります。最近では新大陸であるアメリカ大陸を巡ってイギリスとフランスの戦争が激化しているため、こちらに飛び火することは無いと思いますが、常に警戒を緩めないで下さい」
秀則の考えは師団を最小限の大きさにして、その師団に特色のある旅団を組み入れるというものだった。その意図を秀則以上に理解した仁美は、2個連隊が基本となる3000人規模の工兵旅団、山岳兵旅団、騎兵旅団、砲兵旅団などを編成。本土に駐屯させ、訓練を開始させた。
この世界の大日本帝国でも陸軍と海軍の仲は良くないが、それでも国全体の考えとして豊森家の指示は絶対である以上、海軍優先、陸軍優先となった時に反対意見が出ることは無い。むしろ陸軍側が「今は海軍の方を優先しないといけないぐらい大日本帝国の海軍は危機的状況にある」と一定の理解を示す。
「しかし現時点で海軍の保有艦船は4000隻を超えるのに、秀則様は足りないと感じるのですな」
「保有艦艇数は減らすそうです。秀則様は戦艦や空母、潜水艦といった艦艇の技術開発を推し進めたいようですが、その具体的な形が私達には見えて来ないため、海軍の再建は時を要するかもしれません」
「……既に、紅海での敗戦から15年が経過しています。もう大英帝国ならば、海軍の再建が終わっているかもしれません。
大英帝国の艦隊規模が大きくなっていれば、次はどれだけの被害が出るか予想できないため、新型艦の開発を行う……ということですか」
「例え強大な新型艦が相手でも、船に乗り込みさえすれば良いと数で戦う戦争を、秀則様は好まないようです」
大日本帝国海軍は今まで物量作戦を取って来た。尋常じゃない数の船と人で敵艦隊に襲い掛かり、敵船に乗り込んで奪取したり自沈させたりを繰り返してきた。その度に多くの人間が死んでいったが、完全な敗北というものを知らなかったため、問題無しとされて来た。
何より、秀則自身がこの戦い方で大友・毛利連合軍や明王朝の艦隊を降したことが大きかった。敵の操船技術が幾ら高くても、瀬戸内海が一面、船で埋め尽くされるほどの艦隊があれば容易に包囲が出来る。小舟を大量に用意すれば、全方位から相手が倒しきれる数以上の数で攻撃を仕掛けることが出来る。この物量作戦が、豊森家の海戦における基本的な戦術となっていたことを秀則は気付くことが出来なかった。
「秀則様は、2020年から1550年に逆行した……それなのに秀則様の考えは随分と先の考えのように思えますな」
「これは私の推論なのですが……秀則様は2020年の遥か未来から一旦2020年を経由した、と考えることは出来ないでしょうか?」
「ははは……それはどうでしょう?」
元帥は仁美の考えに曖昧な返事を返すことしか出来ず、視線を逸らすために空を見上げた。秀則の予言書の中に人類が空を飛ぶことについて書かれていたため、元帥は無意識的に空を見る癖があるのだ。しかし、空を飛んだ日本国民は未だに0である。
既に秀則の予言書の中には空軍についてと、空を飛ぶ機体、飛行機の役割について、制空権を確保する戦闘機や地上軍を爆撃する爆撃機、兵隊を輸送するための輸送機などが少しだけ書かれている。しかし、その飛行機の作り方や設計図については全く書かれていなかった。秀則本人が知らなかったのか、知っていたけどあえて書かなかったのか、何か書けない理由があったのか、元帥は何度目かわからない熟考をしたが……
単に秀則本人が書き忘れていた、という理由には辿り着けなかった。