第39.5話 夜間戦闘
北京市内の中央に位置する紫禁城があった場所、そこから少し北東に離れた場所に崩落していない大きな建物があり、それを改装した建物内に日本軍の第6軍の司令部が置かれた。そしてその建物の中には、豊森秀則が北京に到達してからの間、利用している広い部屋がある。
「秀則様、寝てしまわれましたね」
「……丸2日間は寝てなかったから、仕方ない」
「可能な限り前線を見ようとする人ですからね。明日は総攻撃となるはずですから、眠れたことは良かったかと」
その部屋の中には、ベッドに寝転がる1人の男と、それを挟むようにして椅子に座る2人の女がいた。男は言うまでも無く秀則のことであり、女は秀則の親衛隊隊長である豊森凛香と副隊長の豊森愛華だ。普段はあまり日常会話をしない2人だが、それでも雑談をしながら夜通しの警護を行う。秀則が2日ほど寝ていないのは確かだが、同じく凛香も愛華もこの2日間はほとんど寝ていない。凛香は隙間時間で短期的な睡眠をとったり、愛華も指示を出すための移動中に仮眠を取っていただけである。
そんな2人には強烈な眠気が襲い、しばらく無言になると、愛華は静寂の中で砲撃の音が聞こえることに気付く。耳を澄ませば戦争の音が聞こえる距離に、この司令部はある。
「ずっと砲撃音が鳴り響いていますね。彩花さんは大丈夫でしょうか?」
「あの子はとっても頭が良いし、秀則様が送りだしたのだから大丈夫」
「……そうですね。今日の共産党軍の夜襲を先読みした秀則様が、先読み能力を保証していましたから、きっと彩花さんの読みは通じるのでしょう」
既に共産党軍が打って出たことはこの場にいる全員が知っており、今頃は激しい戦闘を繰り広げているだろうと2人とも推測する。特に愛華は共産党軍が後の無い戦い方をしていることに気付いており、今日の夜間戦闘の結果次第で今後の方針も決まってくるだろうと考えていた。
凛香と愛華の2人が交互に眠ったり起きたりを繰り返し、警護をしていると、ドアを軽くノックする音が聞こえる。外にいる親衛隊の隊員には既に秀則が爆睡していることを伝えられているので、よほど何か重要な連絡事項が入ったのだと思った愛華は外に出て対応する。
時刻は夜中の2時だった。
「夜分遅くに失礼します。共産党軍の一部が北京市内に侵入いたしました。既に共産党軍は壊走していますが、逃した部隊が北京市内で潜伏しております」
「ということは、すぐ近くまで共産党軍の兵士が接近している可能性があると?」
「はい。現在は彩花様の指揮の元、入り込んだ小隊を炙り出そうとしていますが未だに見つかっていません。侵入した時間帯から計算すると、既に北京の中央部まで到達している恐れがあります」
連絡の内容は北京市内に共産党軍が潜り込んだというもの。ただし人数は小規模で、多くて20人。現在、軍司令部の建物の周りを護衛している日本軍の兵士は500人以上いるので、秀則に危険が迫ることは無いだろうと愛華は考えるが、万が一のために仮眠中の親衛隊員の半数叩き起こして秀則のいる部屋の中に連れ込んだ。
「私、秀則様の顔をこんな至近距離で見るのは初めてだ」
「何言ってるの。最初の挨拶の時に間近で見たじゃない」
「いや、私はあの時端の方いたから、横顔しか見えなかったんだよね」
「……そこの2人、黙りなさい」
「はぃ!」
「すいませんっした!」
当然部屋の中の人口密度は増加して密着し合うように、親衛隊員は秀則の周りを囲むように配置された。戦争中に親衛隊へ加わった軍人上がりでは無い2人の小声での会話が、部屋の奥にいる愛華に聞こえ、愛華は新規加入した親衛隊員と元々いた親衛隊員の間で溝が出来ていることを実感する。
それでも愛華に彼女らを排斥する力は無いし、そもそも会話をしていた2人は取り換えが出来ない技能持ちだ。しかもそれが毒に関わることなので、愛華はなおさら強く言うことが出来ない。
軽いため息を吐く愛華の耳に、微かな声が聞こえた。それは、中国語特有の響きがあった。
「総員警戒!近くに敵がいるから、凛香さんは探知して!」
「……わかった」
それを耳にした途端、立ち上がって小声で、しかし響く声で指示を出す愛華。凛香はその指示通り、部屋を見渡す。一方で愛華は秀則の安全を守るため、秀則に覆い被さるような体勢となった。愛華という巨体に押し潰されることになった秀則は、自身がサンダルになった夢を見ていた。
「一体何処から……下ですか?」
「違う。たぶん、そこらへんから出て来ると思う。来るとしたら、一気に転がり込んでくる」
凛香が指し示す方向を親衛隊の全員が警戒し、凛香は少し距離を詰める。既に親衛隊員の各々は武器を取り出し、構え始めた。
「凛香さんの後に続いて、攻撃をすること。おそらく敵兵は少人数ですが、油断しないように」
しばらく静寂の時が流れた後、突如として壁の一部が崩れ始めた。瞬時に反応した凛香は崩れかけた壁を蹴り破り、その勢いで人影を蹴り飛ばす。砂煙が舞う中で、凛香は次の攻撃を仕掛けた。
凛香は気配から侵入者が3人だと判断し、先ほどの蹴りでよろめいた先頭の男を殴りに行く。薄暗くて視界が確保できない中、突如として飛び掛かった凛香に共産党軍の兵士は咄嗟の対応が出来ずにいた。
「死ね」
固まった共産党軍の隊員の1人に、凛香は振り下ろすような拳を顔面にお見舞いした。背筋400㎏を超える膂力と身長187㎝という体格から繰り広げられる容赦のないパンチは、容易に共産党軍の兵士の額を砕いた。
「あの幅の通路だと、矢や銃弾は凛香さんにしか当たりませんね。念のためにそこの2人は抜刀して通路の出口で伏せなさい。
……凛香さんが1人で倒してしまいそうですが」
そのまま続けざまに2人目の顔面を砕く凛香。3人目の侵入者は銃を取り出したが、銃身をぐちゃりと握りつぶされて死を悟る。銃を捨て凛香に殴りかかろうとし、その拳を左手で握りつぶされた。直後、鼻先を凛香の右ストレートで潰されて蹴り飛ばされた侵入者は壁に激突し、動かなくなる。
凛香の攻撃を受けて倒れ伏した侵入者、共産党軍の兵士は即座に親衛隊員達によって押え付けられ、喉元を切り刻まれていく。数十秒後にはピクリとも動かない死体が2体と、半死半生の状態にされた兵士が1人、地面に横たわっていた。
「……片付いた。秀則様は、起きた?」
「いえ、目を覚ます様子はありません」
愛華は死体の移動や掃除を部下に命令し、秀則が起きてしまったか確認をする。しかし秀則は愛華の身体に押し潰されていたのにも関わらず、熟睡していた。そのことを確認した愛華は安心してベッドの上から離れて、椅子に腰掛ける。
数十分後には他の建物でも3人組の兵士を取り押さえたという情報が入り、合計18人の潜入者が殺されたことが伝えられ、ようやく親衛隊員達は警戒態勢を解いた。
戦場に来てから一二を争うほどの命の危機だったのにも関わらず、秀則はぐっすりと眠り続けていた。
主人公はかなりの頻度で命を狙われています。特に戦場に来てからは高頻度だったので親衛隊員達の気苦労は絶えなかったようですが、このことが主人公に伝わることはありません。