第305話 研究倫理
死んだ後に、研究目的で自分の死体をバラバラにされたくない人はいる。一方で死んだ後に臓器の提供をするのは可とする者もいるし、科学の発展のために死体を全て解剖してくれても構わないという人もいる。俺個人としては難病にかかった時、余命幾ばくも無いという状況なら、その難病治療のための被検体になることぐらいは出来たかな。
人体実験という言葉は、流石に聞こえは良くない。しかし、改変前の世界でも最終的には治験という名の人体実験を行なっていた。どうしても人で試さないと、効果の確認というのは難しい。動物実験では、限界が来るからだ。
管理社会で、大は小を切り捨てるという政策を取るのは基本だろう。だからと言って、社会的弱者を切り捨てる方針には賛同し辛い。そしてここで焦点となるのは、犯罪者の扱いについてだ。
現状、俺の言及のお陰で人体実験が行われているのは親権放棄が為されて豊森家が引き取った重度の精神障害者と、犯罪者だけになっている。精神障害者の人体実験に関しては、その障害を根絶するための治療薬の開発や原因の究明と解析だけに人体実験を限定し始めたので、心情としてはモヤモヤが減ってはいる。一方で、犯罪者に関しては新薬開発などの人体実験がそのまま継続されている。
「嘘発見器を作った、みたいなことは言っていたけど、精度はどの程度なの?」
「精度が高い人がいる一方で、精度が低い体質の人もいます。まだ犯罪者に対して、使える段階ではありません」
今の日本で「知りませんでした」は通用しない。義務教育の範囲で教えられることも多いからだ。だから言い訳としてよく出る言葉が「忘れてました」になる。それか、知っていてそれでもなお事情があったことを訴えるか。どちらにせよ、犯罪者に対しては著しく厳しい態度を貫いている。
まあ、窃盗が1番多いのはどうにかしていかないといけない。嘘発見器という若干オカルト寄りな研究にも手を出し始めているけど、怜可さんによると成果はイマイチの模様。そもそも、嘘発見器を取り付けるという時点で身体に何らかの変化があってもおかしくはないし、精度の高い嘘発見器の開発は難しいか。
改変前の世界でも、犯罪者に対して人権は要らないという声は存在した。これに対する反論としては、そう言う本人もどうせ軽微な交通違反や条例違反はしている犯罪者、みたいな物言いや、犯罪に対して厳罰化していった結果、逆効果になった事例を挙げている。道徳的な観点からの反論と言うのは、意外と少ない。
……管理社会を突き詰めれば、詐欺は出来なくなる。出自不明のお金の流れすら、掴めるようになるからだ。社会全体の透明性も、可能な限り上げて行きたい。それが出来るようになるのは、社会全体がキャッシュレスに移行してからか。
「生物分野の研究を突き詰める上で、最低限必要だと思った人権や人の尊厳に関わる研究倫理は改変するぞ」
「それは、人体実験についてですか?」
「それも、含める予定だよ。まあ、出来るようになってしまうだろう分野の研究を先んじて禁止するだけだけど」
研究者の道徳教育を今から行なうのも間に合わないかもしれないので、一応今までも存在はしていた研究倫理の改編も行なう。と言っても前に開発を禁止した技術はあるので、クローン人間の禁止や、死ぬ確率が高いと分かっている実験を強行することは止めるようにするぐらいか。人体実験の禁止までは出来ない。
重い罪を犯した犯罪者は人権剥奪が視野に入る以上、犯罪者の人権についても再考はしないといけない。そういう犯罪者は日本の法で守られなくなる存在だから私刑に処されやすいことは知っていたけど、人体実験の素体として拷問より辛い目に合わせることもあることを知った。これが犯罪率の低い理由でもあると、今の日本では考えられている。
嘘を言うことが、最悪の結末を引き起こしやすくなる。正直に言う方が、罪は軽くなる。特に告発制度が活きている最大の理由は、嘘が犯罪になるからだ。自分は知りませんと嘘を言うことが、重めの犯罪となる。
ただ、日常生活において嘘を言ったり冗談を言うことは実害が無ければ特に問題は無い。あくまでも公的な調査の時に、実害の出る嘘がいけないというだけだ。実害のある嘘を言う犯罪者の数が窃盗での犯罪者より少ないのだから、本当に告発制度の効果が高まっている。嘘の告発をしている人が、少ないということだからな。嘘の告発に関する検挙率も、高いとは思いたい。
……そう言えばこの世界に来てから一度、窃盗を繰り返す50代の一般男性と会話をしたことがある。何でこのようなことを繰り返すのかという質問に、その男は物を買うお金が勿体無いからだと話した。無料で手に入るのに、お金を払うという行為が馬鹿らしくなるらしい。
その男の財布には万札が何枚も入っている上に、貯蓄もあるのに、買うためのお金が勿体無いと言い切った。ふざけた思考回路だけど、そういう考えもあるのかと思った。
その男は今回で3度目の逮捕となり、とうとう懲役15年が言い渡されていた。再犯に加えて、今回は店側の被害額も大きい上、容疑者の家族も庇うことすらしなくなったからだ。恐らくもう、出会うことは無いだろう。
根本的な考え方が異常な人は一定数居る以上、犯罪は無くならない。厳罰化よりも、犯罪を犯せないようにする方が建設的かもしれない。しかし最終的に、ガラス造りの街にするわけにもいかない。対策としては、監視カメラを増やすぐらいか。まだビデオカメラの開発まで追い付いていないから、これもあと数年はかかるな。
研究倫理に犯罪者に対する人体実験について、致死率の高い実験を受けるよう強要する姿勢が見られた場合は、研究者としての資格を停止する文言を追加する。危険な人体実験で得られるであろう結果を早期に望まないよう、心構えも追加しておいた。特に悪質な場合は、研究者自身も犯罪者として捕まえることになる。
……研究者が天狗にならないよう、普段の勤務態度による給与の調整を加えることも必要かもしれない。研究者は国の最も貴重な財産でもあるから、環境は整えたいけど、増長する人がいるのは確かだ。この辺は、告発制度に頼るしかないか。




