第274.5話 最大にして最後の宝石
大英帝国の政府関係者は、揃って言う。ロイズ=ジョージアが居なくなってからは、マスコミの暴走を抑えられないと。
2022年12月29日。欧州でフラコミュによる攻撃の規模が小さくなり、一段落した時に、英国の内閣府は初めて死者数を公にした。その時の死者の数が多すぎて、ロイズは国民から非難される立場となった。そして内閣は、体の良い生贄を探していた。
結局、ロイズは参戦の支持をした第一人者として辞任した。少なくないイギリス人の若者が、戦争で犠牲になったからだ。その遺族の怒りは、戦争を扇動した者達に向かう。そして攻撃の矛先は、当然ロイズと仲の良かった海軍大臣のエミリーにも向く。
「……生贄には、私が選ばれたら良かったのに。ロイズのことが、邪魔な人は多かったのね」
外務大臣であったロイズの後任には、自由党の中でも厄介な人物であるハルファックスが据えられた。インド総督府と繋がりがあったためにインドでの独立運動に対して口を挟み、見事に裏目に出た。結果的にインド人の反イギリス感情は高まり、イギリス人狩りが始まったからだ。
ロイズが辞任してから3ヵ月の時が過ぎ、イギリスの国内情勢はどんどんと悪くなっていた。マスコミの手綱を握れる人間が戦地に赴いてしまったため、世論の操作が難しくなっていた。
「ロイズ君を、呼び戻すことは出来ないか?」
「無理です、首相。
既に戦争を始めた大罪人となっているロイズを政界に呼び戻せば、総辞職に追い込まれますよ」
時の首相であるアスキルもまた、追い込まれる立場にいた。ロイズの復帰を願う人達の1人だが、出来ることは限られていた。そんな状況でアスキルはインドの暴走に気付いたが、気付いた時には全てが手遅れだった。
「……ハルファックス卿が、インド人の集会場に軍をしかけて発砲をしたようだ。最早、インドの独立運動は止められまい」
「はい?インドの独立は、戦後に確約することで今大戦には影響が無いとおっしゃっていたではありませんか。……もうインドの独立運動を止められないというのは、事実なのですか?」
「……事実だ。外務大臣にハルファックス卿が就任した時点で、既に詰んでいた。貴族であり元インド総督という肩書きの彼は、非常に厄介な存在ではあったが、まさかあれほど愚かで偏屈な阿呆だとは思わなかった」
インドの独立が最早止められないことを悟り、イギリスの根幹が崩れ落ちていく感覚を2人は味わう。その上でアスキルは、更に追い打ちをかけた。
「ハルファックス卿は、日本が嫌いらしい。今までの感情を度外視して日本との協力関係を築き上げて来たのに、無に帰したと言っても良いだろう」
「……ロイズの最大の手柄すら、潰されますの。あの男は、どこまで自分勝手なのでしょう」
ハルファックスは日本がペルシアに侵攻する前、再三に渡る連絡を無視し続けた。内容としては、日本軍がペルシアに侵攻すること。ペルシアが降伏した際の要求に関しては日本に一任すること。ペルシアを併合した後、日本軍がオスマン帝国と事を構えることになった時は、日本もオスマンの領土を請求すること。
手放しに認められる要求では無いが、話し合いをすれば今まで通りに協力関係を築き、インドの独立を抑えることにも協力を得られたはずだった。それを全て、事態を楽観視していたハルファックスが静観していたために、前提条件が覆った。
インドの保持はもはや何をしても手遅れという状態になった。イギリスはもう、スエズ運河に固執する理由すら失ったのだ。インドがイギリスの手から離れれば、ジブラルタルとスエズ運河を保持する理由も無い。そして、破綻を迎える。
「このままいけば、プロイセンのことを笑えなくなるほどの食糧難になるわね」
「既に、配給制度には限界を迎えているがね。インフレも起きるだろう。それでもマスコミは、政府が国民に対するお金を出し渋っていると書く」
「嘘も、100回報道されれば真実になるとはロイズから聞いたわ。もう、どうしようもないじゃない」
「事実、どうしようもないさ」
1国の首相がどうしようもないとすら発言するイギリスの現状は、酷い有り様だった。マスコミに対する利権を持っている者が次々と政界に進出し、知識も無いのに我が物顔で闊歩する。マスコミを味方につけていない者は、冤罪で牢獄に入れられる。選挙は既に、政策が軽視されるただの人気投票になっていた。
それでも、ロイズという頼りになる存在がいたからエミリーは出世していった。ロイズが持ち上げたから、賄賂を受け取らない、個人の感情より国が最優先というアスキルも自由党の顔になった。彼ら2人もまた、マスコミを利用していた事実はある。
どんなに情報が切り抜かれていても、民衆はそれに気付くことは無い。既に民衆は、戦争を始めた政治家達への怒りしか持っていない。この国の政治家はもう駄目だと、自分で何一つ調べもしないで決めつけている。
インドからの連絡すら途絶えたと知った2人もまた、この国が駄目だと思ってしまった。それでも政務を投げ出さないのは、自身以外が担当することに恐怖すら覚えるからだ。
イギリスの貨幣の価値が無くなるまで、秒読み段階に入る。




