第253話 クリスマス休戦
第一次世界大戦で、1番人間らしさというのが現れたのはクリスマス休戦だろう。第一次世界大戦が起こった1914年の12月24日から25日に、欧州の各戦線で休戦になった記録がある。当時の軍の上層部は混乱しただろうし、一時的とはいえ敵と酒を飲んだり遊んだりしたことは、後々に尾を引いている。
しかしこの世界では、クリスマスなんて無かったかのように戦争を続けている。塹壕と塹壕の間で死体は積み上がり、砲撃は鳴り止まず、凄腕のスナイパー達が敵の歩兵を淡々と殺していく。恐らく、欧州での戦死者は開戦から半年で200万人を突破していると思われる。
12月24日。日本本土ではクリスマスのお祝いの準備をしつつ、各前線の兵士達にも鶏肉の揚げ物が大々的に配られた。プロイセンも同じように、当日の夕食に限り豪華な食事が出たそうだ。既に食糧事情は不味い状態だけど、それでも祝い事をする余力はあったみたい。肝心の肉の量は、少なかったようだけど。
……24日の夜。何人かのプロイセン兵士が酒と料理を持って、歌を歌っているフラコミュの方へ行ったらしい。しかしながら、帰って来た人はいなかった。発砲音が聞こえたそうだし、殺されたか、捕虜として捕まったかのどちらかだろう。
フラコミュの陣地まで歩いて行った人は、おめでたい頭をしていたのだと思う。だけど、改変前の世界ではこういうことがきっかけで両軍が仲良くなっていったはずだ。それが起こらなかったことは、この戦争の異質さと、世界の歪みを実感する。
第一次世界大戦で、クリスマス休戦は年明けまで続いた地域もある。敵が同じ人間だと、分かり合える存在だと思ってしまい、戦えなくなった兵士もいた。そしてそれは、この世界ではあり得ない話となってしまった。
「冬に戦線は動かないのは、寒いのと雪のせいだよね。降雪時とか、戦争したくても出来ないし」
「雪は非常に厄介ですね。視界が確保し辛いですし、味方との連絡も難しくなります。しかしそれ以上に、寒さは人の動きを衰えさせますから、冬場は攻撃をし辛いです。冬季戦用の師団は存在しますが、それでも積極的な攻勢に出ることは稀です」
「冬季戦に適応した師団は、アラスカ方面に送り込んでいたか。
手元に使える戦力があったら使いたくなるのが、司令官の性分だけど、我慢するか?」
「そうですね……酒井大将が攻め時だと思えば、仕掛けるでしょう。アラスカ戦線から、フラコミュ軍は引き抜かれ続けているようですし」
アメリカ大陸のフラコミュ軍を、どう殲滅するかは現地の司令官の手腕にかかってくる。可能な限り、日本はフラコミュ軍を包囲殲滅して行かなければいけない。アメリカ大陸から追い出すだけだと、欧州戦線で再度フラコミュ軍と相対することになる。プロイセンの負担を考えると、それだけは避けたい。
フラコミュの戦線の構築が不十分で、不確定要素の多い新大陸。ここでフラコミュの野戦軍を可能な限り削らないと後々苦しくなるだけだ。だからこそ冬場を迎えたのは、ちょっと良くない状況になる。こちらの体制は整うけど、向こうも体制を整えられる。
「南側でメキシコ軍と日本軍が共闘するのも考えたけど、旧領以上を寄越せと言われたら面倒だな」
「契約では旧領回復以外を求めないと、取り決めていますよ」
「それでもこき使えば、対価を要求されるのが目に見えるよ。下手したら、後ろから撃ってくる可能性もまだ残っている国だし、扱いは慎重にしないといけない」
仁美さんとの会話の中で、メキシコ軍についても情報を得る。メキシコ方面はメキシコ軍が順調に進軍を続け、メキシコの元首都であるメキシコシティを包囲した。上手くサンディエゴ方面軍を使って、この戦線で戦っているフラコミュ軍に大規模な包囲を仕掛けたいけど、難しそうだ。
追加の第18軍、第19軍はサンディエゴ方面へ、第20軍はサンフランシスコ方面軍へと派遣したようで、これで120万人規模がアメリカ大陸で戦争をしていることになる。実際には予備の人員も連れて行っているから、これ以上の数の日本人が動員されている。
お互いに、後に引けなくなったので必死だ。フラコミュ軍は欧州の方で何かを試すような攻勢を仕掛けたのと同時に、大コロンビア王国へ圧力もかけ始めた。パナマ運河を通れないことが、今になってストレスになっているらしい。スペインからの影響力も途絶えたので、コロンビアが危ないことは確かだ。
……スペインは、未だに内戦の火が収まらない。一部の地域では、民衆のブレーキが作動せずに軍と衝突しているようだ。それを反政府側のマスコミが曲解して民衆へと伝えているようだと、プロイセンから報告を受けた。どうやら、共産化した新聞社やラジオ局がやらかしているらしい。
世界は今日も混沌としていて、戦場では多くの人が亡くなっている。だが、クリスマスはクリスマスだ。イエスキリストの生誕を祝うという主目的は形骸化して、キリスト教徒の大事な日だから祝おうとなっている日本のクリスマスを楽しむ。
とりあえず、久仁彦と友花里の2人には2歳児用に作られた三輪車をプレゼントした。まだ2歳の誕生日は先だけど、2人とも成長が早いから乗りこなせるだろう。特に友花里は1歳8ヵ月なのに2歳児並みの体躯だから、将来は大きくなるだろうな。
いや本当に、子供達が俺の身長を超えていくのは気分が沈む。本来の俺は、170センチ後半ぐらいまで伸びていたのだろう。それがきっちりと遺伝していれば、170センチは超えるからな。
……内地では、戦場の様子を伝聞でしか知れない。だから楽観的な雰囲気もあるし、俺はそれでも良いと思っている。しかしカメラを現在、フラコミュのカメラの真似をして、開発を続けている状態だ。写真があれば、より詳しく戦場の雰囲気が知れ渡ることになる。それがどう影響するか、考えておかないといけない。




