第230話 ハイパーインフレ
会談の休憩時間中に、仁美さんと財政赤字について話し合う。イギリスの国債が膨れ上がっている状態は、本当に大丈夫なのか。改変前の日本で話題になっていたMMT理論(Modern Monetary Theory:現代貨幣理論)は概要だけ知っているけど、実際問題どうなのかも話し合おう。
財政赤字の先を語れる人は少なかった気がするし、俺も専門家ほど詳しいわけではない。だけど財政赤字が増え続けると不味いということは理解出来るし、1つずつ持っている知識を伝えながら自身も情報の整理をしていく必要があるな。
「改変前の日本でも財政赤字は似たような状態だったわけだけど、問題が無いと主張する人は多かった気がするよ。世界が日本を破綻させられないとか、通貨の信用が高ければ問題無いとか」
「それは、日本が破綻すると困ったことになる国が多いということですか?イギリスが破綻して困るのは、イギリスの最大貿易相手国であるスペインと、イギリスと取引を行なっていたベルギーやオランダ、後はブラジルやコロンビアなどの中南米諸国ですね」
「……まあ、何かしらのきっかけでインフレが起こればイギリスは経済が死にそうだな。それが為替の下落なのか、国内で問題が発生するのかは分からないけど」
日本は一度、膨大な財政赤字を帳消しにしたことがある。第二次世界大戦後、日本はたった5年で物価指数が100倍以上になった。これは、裏づけなしの増刷が原因にもなっている。新円切り替えの影響もあったし、意図的だったのは間違いない。
ハイパーインフレが起こる基本として、物と通貨量のバランスが大きく崩れている必要がある。今のイギリスの市場でそのバランスが取れているとは思えないけど、戦時に入ったことが利点となってそうだ。戦時に入れば、国民の生活が苦しくなっても戦争を言い訳として使える。
ハイパーインフレは、確実に国民の生活を蝕む。日本の戦後では闇市で持っている物を通貨に変えて、食べ物を買うという「タケノコ生活」を行なっていた国民が多い。第二次世界大戦で戦勝国になったとある国では、年率25%のインフレが起こり、財政再建のために国民全体が倹約に努めた。
「しかし、そのエムエムティー理論が正しいなら急激なインフレが起きても抑えられるのでは?」
「無理。民主主義の国がそんなに流動的な事柄に対応出来るわけないでしょ。MMT理論が机上の空論だと俺が思っている最大の理由は、国の対応が常に正着手という大前提があるから。古今東西、緊急の対応を要する問題に対して国が機能的な対策をして成功した事例より、失敗した事例の方が多いだろう?」
改変前の日本では、財政赤字を危険視する人もいる。円が危ういと思ってしまう人が海外資産に手を付けることで円安が進み、想定以上のインフレが起こる可能性も存在する。
これに対しては、インフレは増税や歳出削減をすることで対応は簡単。円安の方が輸出で物が多く売れるのだから、結局は元に戻るし円の価値を下げても問題無い。みたいな理論を聞いたことがある。
だけど、日本製の商品が安くなっていくなら当然関税の引き上げは行われるだろうし、日本の円安のせいで市場を荒らされるぐらいなら、と輸入をストップされる恐れもある。そもそも日本は貿易大国なのだから輸入の面で大打撃を受けるだろうし、どこの国も自国内の産業の方が大切なのだ。
そしてインフレが起こったとして、すぐに国が対応できるはずがない。インフレを抑制するために増税しようと考え、すぐに増税が出来る国なんて存在するかも怪しい。独裁国家なら可能性はあるけど、少なくとも改変前の日本で、審議を重ねないと実行出来ない増税はインフレ抑制の手段に成り得ない。間違いなくタイムラグが発生するからだ。
インフレのせいで金融資産による貯蓄が意味を為さなくなると国民に思われてしまえば最後、実物資産に移行する人が止まらずインフレが加速する。その結果が、ハイパーインフレに繋がる。誰だって、自分からインフレ税を払いたくはないだろう。
過去に自国の債務を繰り返した多くの国は、最終的にインフレと経済成長の悪化で不幸な経済状況に陥っている。財政赤字が膨れ上がっても大丈夫という人は、実例が出せない。
改変前の日本はまだ、対外純資産や国民の貯蓄があるために膨大な借金という状態ではない。しかし、確実に迫る未来の話だっただろう。日本の外債自体、それほど少ないわけじゃないしな。
インフレ状態での歳出削減は、貧困層に追い打ちをかける。物価が上昇していくのに、年金や生活保護のお金は増えない、という状況になるからだ。インフレ下での日常生活は、経験しないと想像するのが難しい。
「イギリスは、ロイズさんの口ぶりから察するに政府が自由にお金を刷れそうだね。そうじゃなくても、ほとんど自由と言って良い状態かもしれない」
「……戦時中は混乱が起きないと思っていますが、戦後はどうなるかわかりませんね」
「そうだね。平時に戻った段階で、ハイパーインフレが起きるかもしれない。少なくともポンドを信用することは、当分無いだろうね」
仁美さんに、俺の知識がどれだけ伝わったかは分からない。今の日本でも国債を発行する予定だから、仁美さんは慎重になって考えている。個人的に国債は、これからの100年のために未来から借りる一時的な予算として扱うべきだと思っているから、そのことも伝えておこう。
財政赤字が増え続けるとどうなるかは、別途に委員会を設けて話し合わせる予定だ。国債を発行する以上、考えないといけないことだろう。ついでに、改変前の日本について財政赤字が積み上がり続けると、どうなっていたかも話し合わせよう。もしかしたら、面白い結論が聞けるかもしれない。
※主人公の理論にも決めつけや主観が多々入っているので、正しい理論とは言えません。あくまでも一説として認識して下さい。




