第177話 乳母
4月6日の昼。予算会議が終了して俺も美雪さんも疲れ果てていた。このタイミングで馬産業にも切り込みを入れるのは、流石に無茶だったな。仁美さんは1日出ては1日休むを繰り返していたからそれほど疲れてない感じだけど、お腹の大きい妊婦に無茶はさせられない。というか俺と美雪さんで仁美さんの半分を何とか請け負えたという感じだから、仁美さんが今の日本にどれだけ必要な人かということがよく分かる。
……僅か数年前の美雪さんの時代より、予算規模は大きくなっていたのだろう。2021年度の上半期と下半期の両方を決めていたから、とにかく量が多い。しかも下半期は半年後の予算会議でまた弄り回すことを考えると、無駄に労力を消費した感じしかしない。
ついでに予算会議中には1日だけ参謀本部に行って、メキシコとフラコミュの戦争がどう推移するか、日本がどう動くべきかを将寛さんや常久さんと話し合っている。数多くの予想をして、色々と分岐させて考慮しても、現実はその内の1つしか辿らない上に、予想外の事が起こればまた1から考え直さないといけないとか、リアルは色々と辛い。
今日になってようやく落ち着いたので彩花さんの病室を訪れると、彩花さんは昼間から寝ていた。どうやら出産したその日は眠れなかったようで、以降は昼夜逆転のような生活を送っているらしい。そして彩花さんが熟睡している時の授乳は、別の人が行っているようだ。乳母のような存在だな。母乳の出が良い人は1.5人分ぐらい普通に出るそうなので、彩花さんが眠っている間ぐらいなら友花里に授乳させることは出来るそうだ。
ということは、友花里には乳兄弟も存在するのだろう。将来的にどうなるかは分からないけど、間違いなく繋がりのある人が産まれた時から傍にいることになる。これは恵まれていると言えるはずだ。血が繋がってなくても、兄弟のような存在が隣にいることは個人的に良いことだと思っている。
乳母の方に挨拶しに行くと、ちょうど授乳中だったので慌てて部屋を出る。向こうの母親は気にしないですよと言ってくれているが、俺が気にするので終わるまで待つ。まだ乳母の子も友花里も、一度に多くの母乳を飲めないので、短時間で終わると思ったし。
10分後、今度はちゃんとノックして、あらためて部屋に入り直してご対面。当然のように、向こうも豊森家の人間だった。
「この子は百合野と言います。友花里様と同じ日に産まれたのですが、友花里様の方が1時間早かったのでこの子は妹になります」
「友花里様は止めて。この子はまだ何も為し得て無いのだから、過度に敬う必要は無いよ。呼び方で迷うなら、友花里ちゃんで良いから」
どうやら友花里の乳兄弟は同じ日に産まれていたらしく、名前は百合野ちゃんとのこと。彩花さんとの子供の名付けは、友花里か結里花で迷っていたけど、結里花の方だったら名前が紛らわしい状態になっていたな。百合野ちゃんと友花里を比べると、思っていた以上に友花里が大きい。彩花さんの家系は長身では無かったはずだから、単にこの子が大きい状態で産まれて来ただけか?
そう思って尋ねてみると、百合野ちゃんが小さいだけだった。出産時に2700グラムだから、平均よりサイズ的に小さいのかな?産まれてから数日の間は、出産時の大きさがそのまま反映されるから、平均より一回り小さな百合野ちゃんと平均より一回り以上大きな友花里とでは結構な差がある。
赤ちゃん2人はまだ起きていたが、目は瞑っている。布のおむつを履いているけど、一々洗うのは大変そうだ。洗うのは専門の人がいるから、この乳母も結構恵まれている感じかな。本来なら、出産して1週間ほどで赤ちゃんの世話は全て母親が請け負うそうだけど、この病院は2週間という期間を設けて母体の回復を行うために産後のリハビリを行っている。たぶん、彩花さん個人の貯蓄からここら辺のお金は全て出ていると思う。
戦国時代にいた頃は、赤ちゃんの世話は基本的に母親任せという最低の父親だった。これからは、なるべく触れ合いたい。そう思って友花里の頬っぺたに手を当てるとモチモチだった。若干、体温が高い気がするけど正常だろう。
今までにも何十回と赤ちゃんを抱っこして来たが、友花里は大きくて美人な女性になりそうだ。流石に凛香さんや愛華さん並みの長身とはいかないだろうけど、170センチは超えるだろうな。そしていつの日か見下ろされる。特に1年以上会わないと、いつの間にか抜かされているという事態が起こる。まあ、移動が楽になっているから1年も会わないなんてことは無いと思いたい。
「百合野はもう寝ちゃったので、寝かせて来ますね」
「ああ、友花里ももう寝そうなので、ベッドの方に案内して貰えますか?」
「はい、大丈夫ですよ。こちらです」
百合野ちゃんのお母さんと一緒に歩いて隣室のベッドルームに寝かせる。看護師さんが張り付いており、何かあった時はすぐに対応出来るそうだ。赤ちゃんが寝ているだけの部屋と言っていたので他にも赤ちゃんがいるのかと思えば、友花里と百合野ちゃんの2人だけ。どうやら、他の一般人とは隔離されているらしい。
何だかんだ言っても、彩花さんは豊森家内で特別な存在だ。ならば、その子供である友花里にかかる期待も大きいだろう。すやすやと眠る友花里を見て、何だか懐かしい気持ちになった。……少なくともこの子は、日本人の頂点に立つことも無ければ、政略結婚に使われることも無いだろう。
結局は権力のために嫁へ出した娘達のことを思いながら、病室を出る。明日からはしばらく、のんびりと過ごそうか。