第157話 資格
加藤さんが擦り傷を負ってしまったが、その手当はしっかりとしていた。怜可さんが消毒液で傷口を拭いた後、謎の液体を染み込ませた布のようなものを押し当て、包帯でぐるぐる巻きにする。過剰なケアだけど、少なくとも消毒液をかける所までは何処の家庭でも行われることだと怜可さんは言っていた。
謎の液体は、皮膚の治りを早くするというもの。……この日本の医療技術が高いのか低いのか、判断が難しいな。少なくとも、毒性はないようなので安心はしたけど。毒性の有無の確認はマウス実験が用いられ、そのネズミの半数が死ぬ量の1000分の1までは人間が接種しても大丈夫という采配。
「……1000分の1というのは正しいの?」
「ほぼ間違いは無いですね。過去のあらゆるデータから、1%から0.1%で良いという結論が出ているので、例外を除き0.1%です」
怜可さんはよっぽどな毒ではない限り、0.1%という係数で大丈夫だと言っていた。体重とかは加味されておらず、ネズミに使った毒の量の1000分の1の量なら人体でも安全というあやふや基準。完成した医療品は治験もするから、一般の人の手に行き渡る時点である程度のチェックは通過しているということだな。そして今の日本では治験を行うこと自体は楽という。そりゃ、謎の薬が大量に出回るわけだ。せめて効能を調べて欲しい。
自転車のお披露目は、何個か課題点が見つかったもののほぼ完成とされ、今日の試作品は量産体制に入る。それと同時に、小さなサイズと大きなサイズの自転車も制作するようだ。面倒なクレーマーが存在しない世界だから、規格化を最初から行うのだろう。実際に世に出回ってから問題に対応しても問題が無いのは、良い事なのか悪い事なのか分からないな。
最近は複数人での最終チェックを行うそうだけど。それでも世に送り出す製品の品質についての意識は低い。まあ、クレーマーを認めたらそれはそれで面倒でもあるのだけど、売り手側にとっても正論を言っているなら看過するようにしようか?
そして今回の自転車の試運転で見つかった課題の中で1番議論の余地があるのは、運転する人に資格を持たせるか否かだ。加藤さんが怪我を負ったこともそうだけど、子供でもかなりのスピードが出せることは問題視された。
「自転車の運転免許か。スピードを出していたら大人でも殺せてしまうほどの破壊力だし、老人や子供を轢いてしまうと危ないのは確かだ」
「曲がり角などは、接触事故が起こりやすいのでは無いですか?」
「あー、カーブミラーも設置しないといけないのか。賽の目状に道が入り組んでいるから、かなり面倒だな。鏡の量産もしないといけない」
自転車は人を殺せる。曲がり角で不意討ちを食らえば屈強な大人でも危ないだろう。……危ないよね?凛香さんとか素手で止められそうだけど、普通の大人なら危ないはず。子供の飛び出しとか、避けられない事故もあるけど。
速度を出し過ぎないように、講習を受けさせようかとは考えた。免許の導入は自動車が完成したら必須だと思っているので、ついでに自転車を免許制にするのも間違いでは無いだろう。手放し運転とかを子供達が面白がってやってみたら、老人を轢いて殺してしまったとかシャレにならない。
とりあえずカーブミラーの設置は急務だと結論付けて、免許制にするかは話し合いをすることになった。今年の3月の予算会議の時に、また話し合って貰おう。自転車は4月から販売出来そうなので、それまでに制度を整えないといけないのか。
「改変前では、免許や資格が必要無かったのですか?」
「無かったけど、自転車の事故は多かったよ。スピードを出し過ぎて止まれなくなって相手を轢き殺す事故とか、よそ見運転での事故とかもあったし。特に若い人は、自転車でスピードを出したがる感じだったな」
「では、何故免許が無かったのでしょうか?」
「……便利だったから、かな?1人1台の時代だったし、刃物を扱う免許とか必要だと思ったことは無いでしょ?」
「なるほど。確かに包丁も危険なものですが、資格なんて設けていませんね」
仁美さんが改変前の規定を聞いて来たが、改変前の世界で自転車免許を導入している国は無かったはずだ。それに、免許が存在してもどうせ事故は起こる。自動車は操作が難しいし、人間の対応が難しいレベルの速度を出すが、自転車は簡単だし速度は個人による。個人的には自転車に免許が必要だとは思えないけど、それを言う必要も無いだろう。
まあ、改変前の世界でも将来的にどうなっていたかは分からないけど。あまりにも自転車による事故が目立ってしまえば、免許は必要だという方向に世論が傾いていたかもしれない。だからこそ、話し合いで結論を出して貰おう。……別に免許制度を導入しても、後で要らないと思えば撤廃することは出来るだろうし。逆に免許は要らないと結論を出してから、後で導入するのは難しいと思う。
「年齢は一応、5歳以上とか決めておこうか?早熟傾向の今の日本の子供なら4歳でも自転車の操縦は出来ると思うけど」
「そうですね。あまりに幼い子供を自転車に乗せるのは危なく思えます。
そう言えば自転車について教えて貰った時に、ついでにと教えて貰った三輪車の方は試作が途中段階ですが、速度があまり出ないという報告がありました」
「そりゃ、構造上速度は出ないよ。あくまでも幼い子供や自転車に乗れない人向けの安全な乗り物だし」
三輪車も構造だけは伝えていたが、真面目に作ったみたいだ。前輪にペダルがあるはずなので、速度は当然出ない。でも安定性は高いので、何かには使えそうだ。当分の間は、幼児向けになるだろうけど。